シュレスヴィヒ ホル シュタイン。 Visit Schleswig

ホルシュタインとは

シュレスヴィヒ ホル シュタイン

州名 [ ] 州の4つのでの表記(ドイツ語のみ発音も)は、以下の通りである(言語の詳細は、)。 : Sleswig-Holsteen• : Slaswik-Holstiinj• : Slesvig-Holsten での表記には、様々なバリエーションがある。 まず、前半の「シュレースヴィヒ」の部分について、長音の「ー」を省くもの、「ヴィ」を「ビ」または「ウィ」とするもの、最後の「ヒ」の前に「ッ」を入れるものがある。 次に、後半の「ホルシュタイン」は「ホルスタイン」とすることもある。 さらに、両者の間を「=」でつなぐ他に、中点「・」や「-」でつないだり、あるいは、間に何も入れずに直接続けることもある(最後のものは地図帳に多い)。 以上を単純計算すると、96通りの表記があることになる。 州の北半分が「南シュレースヴィヒ地方」、南半分が「」と呼ばれてきた地域で、州名は両地方名の合成地名である。 また、今日のに含まれ、かつてとなっていた「北シュレースヴィヒ地方」もあわせて「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン地方」と呼ばれる。 の品種であるも、この州名に由来する。 地理 [ ] ドイツ最低地点 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州はの付け根にあり、とに挟まれている。 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州は北部はと接し、東は及び、南はおよび、西はに面している。 田園地帯はほぼ平らで山が全くない。 最も標高が高いブンクスベルク山 でも168m しかなく、州内のというには、ドイツで最も標高が低い地点(-3. 539m)がある。 州内には多数の湖があり、特にホルシュタイン東部の Holsteinische Schweiz と呼ばれる地方には多くの湖が見られる。 この地方の作家の『』にもその描写がある。 バルト海に面した北東部のはに入ったのゆかりの地である。 北部にある島の一群は ()と呼ばれる島々である(等)。 これらは西岸に位置しており、さらに遠くにとよばれる小島がある。 東岸にはひとつだけで他に島はない。 州で最も長い川はに沿って流れるである。 歴史 [ ] 「」および「」も参照 にのがを放棄した後()、ににいたアングル人が・とともに()、に上陸し()、先住のを制圧したため、南西部からのに移住しとなった( - )。 ( - )のうち、( ()、 ())とはアングル人の国である。 デーン人 [ ] この地域には以降が進出し、デンマーク人住居地となった。 神聖ローマ帝国 [ ] 率いるととの間で( - )やととのが行なわれた後、領となった。 初期には( - )と( - )が形成された。 州の北部は、かつて()のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン南部にあたる南シュレースヴィヒと呼ばれる地域であった。 、ととの。 デンマーク [ ] 長い歴史のなかで、両公国はに属した時期もあれば、に属した時期もある。 にデンマーク王がシュレースヴィヒ公、ホルシュタイン公を兼ねたため、デンマークに帰属。 のをきっかけに、にはカルマル同盟からが離脱して、が成立し、( - )となった()。 にはデンマーク王家の分家であるがホルシュタイン公(神聖ローマ帝国領)を世襲するようになった。 、フランスの枢機卿がデンマークに「」結成を呼びかけ、5月にはの()を開始。 北ドイツへ侵攻したものの、のに撃退された。 にとがを締結した結果、は、領の北部地域に相当するを失い、デンマーク王家がホルシュタイン公を兼ねるようになった。 にデンマークはに参戦したが、にスウェーデンがユトランド半島へ侵攻したため、のでデンマーク=ノルウェー二重王国は解消され、はスウェーデンへ割譲され(、 - )、が代償として(旧)を領有した( (、))。 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 [ ] 詳細は「」、「」、および「」を参照 後、ドイツの国民意識が高揚して(主導の)ドイツ統一の機運が高まり、にはやに住むドイツ人が反デンマーク蜂起を行ったが、失敗に終わった。 このためが介入して( Schleswig-Holsteinischer Krieg、1848年~1852年)が勃発した。 デンマーク側はシュレースヴィヒ中北部のデンマーク系住民の後押しのもと、ヘルスタート(統一国家)政策とを定めた「」を制定して対抗した。 これはデンマーク人独自のへのの現われであった。 この戦争は、がを送り、、の圧力によりが締結されて現状維持が認められ、デンマークの勝利となった。 しかしデンマーク側で決議された六月憲法は、公国には採用されず、反乱者の断罪すら行なわれなかった。 そしてビスマルク外交によりは中立を保ち沈黙した。 最早、士気のみで戦うしかないデンマーク軍は圧倒され、屈服した。 両公国はプロイセン・オーストリアの共同管理とされた。 のでオーストリアが敗北したことにより、両公国はプロイセンの単独管理に移され、によってプロイセンの州として領となった。 この時代にはとを結ぶが全通している(1895年)。 第一次世界大戦後 [ ] でドイツが敗北した後、がの方針となったこともあり、1920年の ()によりシュレースヴィヒは再度分割され、デンマーク人の多い北シュレースヴィヒはデンマーク領に復帰し、中部及び南シュレースヴィヒはドイツ領に残留し、現在の国境線が画定した。 後、占領地区になり、南シュレースヴィヒ返還(ドイツ側から見れば当地の割譲)の話が側から打診されている。 デンマーク側はドイツとの上断わっているが、南部のなどにも民族デンマーク人は多く、デンマーク人社会を形成している。 にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州は、プロイセンの州(プロヴィンツ)の地位から、などと同格の州(ラント)に再編された。 そして、、(西ドイツ)が成立し、その1州となった。 政治 [ ] 州議会 [ ] キール市にある州議会議事堂 州議会 Landtag の定数は73で、に行われた前回選挙での政党別議席配分は以下の通りである。 CDU 25• SPD 21• FDP 9• AfD 5• SSW 3 の選挙ではCDU・FDPの陣営がちょうど過半数の議席を確保し、を樹立した。 そこでSPD以外の中道左派・左派三党は結果を不服として選挙の取消しを求める訴えを起こし、州はに州選挙法をとする判決を下した。 この判決を受けて選挙法を改正し、やり直し選挙として行われたのが2012年の前回選挙である。 なおSSWは得票率4. CDUは微減で踏み止まったものの以降では最低の得票率となった。 FDPは6. 7ポイント減の得票率8. 左翼党は阻止条項を下回る得票率2. 歴代州首相 [ ]• -: SPD• -: CDU• -: Kai-Uwe von Hassel CDU• -: CDU• -: Gerhard Stoltenberg CDU• -: Uwe Barschel CDU• -(代行): CDU• -: SPD• -: CDU• -: ()SPD• より: CDU 地方行政 [ ] 州の下級行政単位は、11の 郡 Landkreis と、郡には属さない4つの kreisfreie Stadt から成る。 アムトに属さない市町村は97、アムトは116、アムトに属する自治体は1024あり、市も含めた広義の「ゲマインデ」の総数は1125である。 また、基礎自治体未設置地区は2ある。 郡 [ ] 州政府旗 紋章の左半分は、シュレースヴィヒ公国のシンボルであった2頭の獅子、右半分はホルシュタイン公国のシンボルであったの葉で、両地方の統合を象徴する。 州旗は、青・白・赤のストライプで、州の紋章に使われている色と同じである。 この旗のデザインは、以降の、および、それを継承したと同一であった。 また、と上下逆になっており、にシュレースヴィヒ=ホルシュタインの旗のデザインを考案する際に参照したと解説するものもある。 州政府庁舎などで掲揚される政府旗には、中央に紋章が入る。 言語 [ ] として(高地ドイツ語)、、、が使用されている。 低地ザクセン語は古くからのであり、現在も州内のほとんどの地域で使用されている。 デンマーク語は少数のデンマーク人が話す。 フリジア語は ()及び北海沿岸で使用されている。 ( Hallun) と呼ばれるの方言が一部ので使用されている。 高地ドイツ語はから公用目的でこの地域に導入されたが、にの制圧を受けてからこの地域で最も話されるとなった。 出身著名人 [ ]• - 、、• - 作家、法律家• - 作家、児童文学作家• - ファッション・デザイナー 名所・旧跡 [ ] 世界遺産 [ ]• - 登録• - 2018年登録 その他 [ ]• (ドイツ最北端の地)•

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シュレスヴィヒ・ホルシュタイン

シュレスヴィヒ ホル シュタイン

州名 [ ] 州の4つのでの表記(ドイツ語のみ発音も)は、以下の通りである(言語の詳細は、)。 : Sleswig-Holsteen• : Slaswik-Holstiinj• : Slesvig-Holsten での表記には、様々なバリエーションがある。 まず、前半の「シュレースヴィヒ」の部分について、長音の「ー」を省くもの、「ヴィ」を「ビ」または「ウィ」とするもの、最後の「ヒ」の前に「ッ」を入れるものがある。 次に、後半の「ホルシュタイン」は「ホルスタイン」とすることもある。 さらに、両者の間を「=」でつなぐ他に、中点「・」や「-」でつないだり、あるいは、間に何も入れずに直接続けることもある(最後のものは地図帳に多い)。 以上を単純計算すると、96通りの表記があることになる。 州の北半分が「南シュレースヴィヒ地方」、南半分が「」と呼ばれてきた地域で、州名は両地方名の合成地名である。 また、今日のに含まれ、かつてとなっていた「北シュレースヴィヒ地方」もあわせて「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン地方」と呼ばれる。 の品種であるも、この州名に由来する。 地理 [ ] ドイツ最低地点 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州はの付け根にあり、とに挟まれている。 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州は北部はと接し、東は及び、南はおよび、西はに面している。 田園地帯はほぼ平らで山が全くない。 最も標高が高いブンクスベルク山 でも168m しかなく、州内のというには、ドイツで最も標高が低い地点(-3. 539m)がある。 州内には多数の湖があり、特にホルシュタイン東部の Holsteinische Schweiz と呼ばれる地方には多くの湖が見られる。 この地方の作家の『』にもその描写がある。 バルト海に面した北東部のはに入ったのゆかりの地である。 北部にある島の一群は ()と呼ばれる島々である(等)。 これらは西岸に位置しており、さらに遠くにとよばれる小島がある。 東岸にはひとつだけで他に島はない。 州で最も長い川はに沿って流れるである。 歴史 [ ] 「」および「」も参照 にのがを放棄した後()、ににいたアングル人が・とともに()、に上陸し()、先住のを制圧したため、南西部からのに移住しとなった( - )。 ( - )のうち、( ()、 ())とはアングル人の国である。 デーン人 [ ] この地域には以降が進出し、デンマーク人住居地となった。 神聖ローマ帝国 [ ] 率いるととの間で( - )やととのが行なわれた後、領となった。 初期には( - )と( - )が形成された。 州の北部は、かつて()のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン南部にあたる南シュレースヴィヒと呼ばれる地域であった。 、ととの。 デンマーク [ ] 長い歴史のなかで、両公国はに属した時期もあれば、に属した時期もある。 にデンマーク王がシュレースヴィヒ公、ホルシュタイン公を兼ねたため、デンマークに帰属。 のをきっかけに、にはカルマル同盟からが離脱して、が成立し、( - )となった()。 にはデンマーク王家の分家であるがホルシュタイン公(神聖ローマ帝国領)を世襲するようになった。 、フランスの枢機卿がデンマークに「」結成を呼びかけ、5月にはの()を開始。 北ドイツへ侵攻したものの、のに撃退された。 にとがを締結した結果、は、領の北部地域に相当するを失い、デンマーク王家がホルシュタイン公を兼ねるようになった。 にデンマークはに参戦したが、にスウェーデンがユトランド半島へ侵攻したため、のでデンマーク=ノルウェー二重王国は解消され、はスウェーデンへ割譲され(、 - )、が代償として(旧)を領有した( (、))。 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 [ ] 詳細は「」、「」、および「」を参照 後、ドイツの国民意識が高揚して(主導の)ドイツ統一の機運が高まり、にはやに住むドイツ人が反デンマーク蜂起を行ったが、失敗に終わった。 このためが介入して( Schleswig-Holsteinischer Krieg、1848年~1852年)が勃発した。 デンマーク側はシュレースヴィヒ中北部のデンマーク系住民の後押しのもと、ヘルスタート(統一国家)政策とを定めた「」を制定して対抗した。 これはデンマーク人独自のへのの現われであった。 この戦争は、がを送り、、の圧力によりが締結されて現状維持が認められ、デンマークの勝利となった。 しかしデンマーク側で決議された六月憲法は、公国には採用されず、反乱者の断罪すら行なわれなかった。 そしてビスマルク外交によりは中立を保ち沈黙した。 最早、士気のみで戦うしかないデンマーク軍は圧倒され、屈服した。 両公国はプロイセン・オーストリアの共同管理とされた。 のでオーストリアが敗北したことにより、両公国はプロイセンの単独管理に移され、によってプロイセンの州として領となった。 この時代にはとを結ぶが全通している(1895年)。 第一次世界大戦後 [ ] でドイツが敗北した後、がの方針となったこともあり、1920年の ()によりシュレースヴィヒは再度分割され、デンマーク人の多い北シュレースヴィヒはデンマーク領に復帰し、中部及び南シュレースヴィヒはドイツ領に残留し、現在の国境線が画定した。 後、占領地区になり、南シュレースヴィヒ返還(ドイツ側から見れば当地の割譲)の話が側から打診されている。 デンマーク側はドイツとの上断わっているが、南部のなどにも民族デンマーク人は多く、デンマーク人社会を形成している。 にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州は、プロイセンの州(プロヴィンツ)の地位から、などと同格の州(ラント)に再編された。 そして、、(西ドイツ)が成立し、その1州となった。 政治 [ ] 州議会 [ ] キール市にある州議会議事堂 州議会 Landtag の定数は73で、に行われた前回選挙での政党別議席配分は以下の通りである。 CDU 25• SPD 21• FDP 9• AfD 5• SSW 3 の選挙ではCDU・FDPの陣営がちょうど過半数の議席を確保し、を樹立した。 そこでSPD以外の中道左派・左派三党は結果を不服として選挙の取消しを求める訴えを起こし、州はに州選挙法をとする判決を下した。 この判決を受けて選挙法を改正し、やり直し選挙として行われたのが2012年の前回選挙である。 なおSSWは得票率4. CDUは微減で踏み止まったものの以降では最低の得票率となった。 FDPは6. 7ポイント減の得票率8. 左翼党は阻止条項を下回る得票率2. 歴代州首相 [ ]• -: SPD• -: CDU• -: Kai-Uwe von Hassel CDU• -: CDU• -: Gerhard Stoltenberg CDU• -: Uwe Barschel CDU• -(代行): CDU• -: SPD• -: CDU• -: ()SPD• より: CDU 地方行政 [ ] 州の下級行政単位は、11の 郡 Landkreis と、郡には属さない4つの kreisfreie Stadt から成る。 アムトに属さない市町村は97、アムトは116、アムトに属する自治体は1024あり、市も含めた広義の「ゲマインデ」の総数は1125である。 また、基礎自治体未設置地区は2ある。 郡 [ ] 州政府旗 紋章の左半分は、シュレースヴィヒ公国のシンボルであった2頭の獅子、右半分はホルシュタイン公国のシンボルであったの葉で、両地方の統合を象徴する。 州旗は、青・白・赤のストライプで、州の紋章に使われている色と同じである。 この旗のデザインは、以降の、および、それを継承したと同一であった。 また、と上下逆になっており、にシュレースヴィヒ=ホルシュタインの旗のデザインを考案する際に参照したと解説するものもある。 州政府庁舎などで掲揚される政府旗には、中央に紋章が入る。 言語 [ ] として(高地ドイツ語)、、、が使用されている。 低地ザクセン語は古くからのであり、現在も州内のほとんどの地域で使用されている。 デンマーク語は少数のデンマーク人が話す。 フリジア語は ()及び北海沿岸で使用されている。 ( Hallun) と呼ばれるの方言が一部ので使用されている。 高地ドイツ語はから公用目的でこの地域に導入されたが、にの制圧を受けてからこの地域で最も話されるとなった。 出身著名人 [ ]• - 、、• - 作家、法律家• - 作家、児童文学作家• - ファッション・デザイナー 名所・旧跡 [ ] 世界遺産 [ ]• - 登録• - 2018年登録 その他 [ ]• (ドイツ最北端の地)•

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岡村知由紀 ソプラノ歌手

シュレスヴィヒ ホル シュタイン

弦楽器や木管楽器のやさ しく美しいメロディーが絡み合い、最もヘンデルらしい作品の傑作のひとつで ありましょう。 この録音は没後250年を記念して2009年11月にライブ録音された ものです。 バーゼル室内管弦楽団はもともとモダン楽器のオーケストラでしたが、ホグウ ッドを首席客演指揮者に迎えてから彼の提案により、モダン楽器によるピリオ ド奏法を取り入れました。 その後アントニーニの提案により、彼のベートー ヴェンの録音では弦楽器の弓や弦、金管楽器に作曲当時の楽器を使い始め、現 在では全ての奏者がモダン楽器とピリオド楽器を使い分ける、世界的にも珍し いオーケストラとなっています。 イギリスのバロック・オーボエ奏者のポール ・グッドウィンは、2005年同オーケストラの客演指揮者の一人として、特にバ ロック音楽を中心として指揮をしており、高い評価を得てきています。 この作品「アタリア アタライア 」は、オックスフォード大学から依頼され 1733年に同大学名誉博士号授与式行事にて初演されました。 ヘンデルもこの時 に授与される予定でしたが辞退しています。 旧約聖書に登場するユダの女王の 話による戯曲によって書かれています。 この録音では、1735年に当時最高のソプラノ歌手アンナ・ストラーダと、カ ストラート歌手ジョヴァンニ・カレスティーニがロンドンで歌うための曲が追 加された版によって演奏されています。 また当時オラトリオには欠かせなかっ た「オルガン協奏曲」が、最後の合唱の前に挿入されているの特徴でしょう。 メイキングはありません。 オデット/オディー ルを務めるのは、1984年生まれ、「眠れる森の美女」や「白鳥の湖」の演目 で来日経験もある人気ダンサー、美しきポリーナ・セミオノワ。 オデットの 登場シーンで魅せる、つま先から頭のてっぺんまで完璧にコントロールされ た動きの美しさに息をのみます。 装いを変えて登場の「黒鳥の32回転」での、 長い手足が映えることといったら!抜群の安定感とあいまってものすごい見 応えです。 有名な「四羽の白鳥の踊り」のテンポはややゆっくりめで、4人の 脚の動きの一糸乱れぬアンサンブルに、チューリヒ・バレエに所属するダン サーのレベルの高さを見せつけられる思いです。 全体にブルー味がかった、落ち着いたしっとりと品のある照明が印象に残り ます。 また、衣装も過度の装飾は一切なく、色遣いもきわめて控えめ、しか しとても美しいもの。 装置や舞台転換も最小限に抑えられており、観衆は物 語に深く集中することができます。 カーテンコールでも、照明は落ち着いた ブルーのまま。 最初から最後まで、完璧に演出され尽くした美しさになって います。 素晴らしい舞台を支えた指揮者フェドセーエフも大喝采で迎えられ ています。 ダンサーと歌い手や語り手が光と影のように伴に動きながら物語が進行する という点では、ピナ・バウシュのダンスオペラを彷彿とさせる舞台。 シュペ ルリはブレット・ディーンとマーク=アンソニー・ターンエイジに、物語の 流れや踊りをより充実して魅せるための挿入曲の作曲を依頼しました。 ペール役のダンサー、マリイン・ラドメイカーはシュツットガルト・バレエ のプリモ。 金髪で細身の姿が、放蕩息子ペール・ギュントのイメージにぴっ たりといえます。 結婚式の場面での群舞や、魔の国王 アルマン・グリゴリア ン の跳躍は見もの。 トロールのシーンでの奇妙なかぶり物や凝ったメイクも 一件に値します。 アニトラの官能的なダンスも見所。 ダンサーも充実なら歌 唱陣も充実で、ソルヴェイグ役にはバイロイトでも活躍目覚ましいクリスティ アーネ・コール。 最後に歌われる「ソルヴェイグの歌」での歌唱は心に響き ます。 ダンスの面からも音楽の面からも、考えうる最高の布陣による「ペー ル・ギュント」バレエ版といえるでしょう。 ここでのシンデレラは、一度 はプリマとして活躍し名声を得ていましたが、同じくバレリーナであった母 の死をきっかけに自信を失い、挫折をしたバレリーナ、という設定。 ガラス の靴ではなくトウシューズがキーアイテムとしてもちいられるなど、細部に 趣向が施されていますが、大まかなストーリーは童話と同じです。 シーンの 終りでは写真ショットのように画面が静止するなど、凝った編集が施された 美しい映像で、色とりどりでロマンティックなお伽の世界をお楽しみくださ い。 シンデレラ役のシニカは、チューリヒ・バレエに所属していた頃、シュ ペルリ振付の作品に多く参加しています。 フェドセーエフの音楽も見事。 カ ーテンコールの幕引き後の舞台の映像も含まれます。 95「新世界より」 イルジー・ビエロフラーヴェク 指 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1989年9月プラハ、ルドルフィヌム デジタル・セッション テ・デウムOp. 103 ガブリエラ・ベニャチコヴァー S ヤロスラフ・ソウチェク Br チェコ・フィルハーモニー合唱団 ルボミール・マートル 合唱指揮 ヴァーツラフ・ノイマン 指 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1982年4月プラハ、ルドルフィヌム デジタル・セッション [CD 2] 弦楽四重奏曲第12番ヘ長調「アメリカ」Op. 96 パノハ四重奏団 録音:1982年11月プラハ、ルドルフィヌム デジタル・セッション ・ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ト長調Op. 100 ヨゼフ・スーク Vn ヨゼフ・ハーラ P 録音:1995年4月プラハ、 リヒテンシュタイン宮殿・マルチヌー・ホール デジタル・セッション 弦楽五重奏曲第3番変ホ長調Op. 97 ヨゼフ・スーク Va スメタナ四重奏団 録音:1973年6月プラハ、ドモヴィナ・スタジオ ステレオ・セッション [CD 3] 森の静けさOp. 68-5 ロンド ト短調Op. 94 ミロシュ・サードロ Vc ヴァーツラフ・ノイマン 指 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1976年10月プラハ、ルドルフィヌム ステレオ・セッション ユモレスクOp. 101-7 ヴァーツラフ・ノイマン 指 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1983年3月プラハ、ルドルフィヌム ステレオ・セッション 組曲イ長調Op. 98b ヤクブ・フルシャ 指 プラハ・フィルハーモニア 録音:2006年3月プラハ、ドモヴィナ・スタジオ デジタル・セッション チェロ協奏曲ロ短調Op. 104 ヨゼフ・フッフロ Vc ヴァーツラフ・ノイマン 指 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1975年10月、1976年2月プラハ、ルドルフィヌム ステレオ・セッション ドヴォルザークは、1892年から1895年にかけて、サーバー夫人の要請でニュ ーヨークのナショナル音楽院の院長に就任するため、アメリカに滞在してい ます。 この間に新世界交響曲をはじめ、今日、ドヴォルザークの名を広く世 に知らしめる名作の数々が生み出されたのは有名な話。 この3枚組のセットは、遠き祖国チェコへの強い郷愁が込められたアメリカ時 代の傑作ばかりを10曲収めたもので、スークに、ノイマンそれにチェコ・フィ ルと、チェコが誇る一級の演奏陣による音源が投入されています。 なお、装丁は表扉つき全厚約110ミリの紙製ケースに、紙製ジャケット入りの CD各3枚とブックレットが収められるというコンパクトなものとなっています。 当時のチェコのオ ール・キャストを結集した録音はまさに壮観といえる内容です。 3、バナナの木Op. 5、バンジョーOp. 22 クラウディア・シェレンベルガー P 録音:2009年10月 19&20世紀ラテン・アメリカ・ピアノ作品集。 クラウディア・シェレンベル ガーの初ソロ・アルバム。 キューバを代表する作曲家、ピアニストであるレクオーナ。 スペイン組曲「ア ンダルシア」は6つのスペイン風の曲からなる作品。 レクオーナは「キューバ のガーシュウィン」と言われ、親しみやすい旋律とスペイン的な音楽で演奏効 果抜群。 「クレオールのショパン」とよばれたゴットシャルクは民俗的要素が濃い作品 を数々作曲。 ブエノスアイレス生まれのヒナステラ。 哀愁漂う艶のある旋律、激しいリズ ム、躍動感あるラテン特有のテンポ、強烈な印象を残す「アルゼンチン舞曲」。 クラウディア・シェレンベルガーの情熱溢れる演奏でバリバリ聴かせてくれ ます。 彼女はソロ活動と室内楽活動を世界中で行っており、シュレスヴィヒ・ホル シュタイン音楽祭、フランクフルト・フェスティヴァルなどに登場。 2007年 にはチェリストのガブリエル・リプキンとアメリカ・ツアーを行い、成功を おさめています。 また現在マインツ音楽大学でピアノを教えています。 6-4 HWV322 ミルシニ・マルガリティ S ニコライ・ボルチェフ B ヘンデル祝祭管弦楽団 ベルンハルト・フォーク 指 録音:2009年9月パウル・ゲルハルト教会 ライプツィヒ ヘンデルの知られざる名作ソプラノとバス用の劇的カンタータ「アポロとダ フネ」。 ソリスト2人を要する、1幕のオペラと同様の様式で、品がある落ち 着いた音楽と美しいアリアはヘンデルの魅力が満載の作品です。 「アポロとダフネ」は、キューピッドの悪戯で、愛の矢をアポロに、愛を拒 む矢をダフネに放ちます。 アポロは夢中になってダフネを追いかけ、ダフネ はどこまでも逃げ続けます。 遂にアポロに追いつかれたダフネは父、河の神 に助けを求め、月桂樹に姿を変え、嘆き悲しむアポロはアリアを歌います。 そしてアポロは生涯、月桂樹の葉を自分のシンボルとします。 カンタータへの序曲として「ダフネ組曲変ロ長調HWV352」を、そしてダフネ が最初のアリアは始まる前に「ダフネ組曲ト長調HWV353」を、ダフネのテー マとして収録しています。 ギリシャのラリッサ出身のソプラノ、ミルシニ・マルガリティの清らかな歌 声とベラルーシ生まれの若手バリトン歌手ニコライ・ボルチェフのしっかり とした安定した歌唱を聴かせてくれます。 26 マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」 ユジャ・ワン P ルツェルン祝祭管弦楽団 クラウディオ・アバド 指 収録:2009年8月12日ルツェルン、 カルチャー&コンヴェンション・センター内コンサート・ホール ライヴ 大病から奇跡の復調を果たしたアバドがあらたに取り組む、ライヴ映像によ るマーラー・シリーズ。 アニヴァーサリー・イヤーに合わせてのリリースと なる第8作は、ルツェルン祝祭管を率いて2009年に行った第1番「巨人」です。 アバドはマーラーの第1交響曲を1981年にシカゴ響とセッション録音、1989年 にベルリン・フィルとライヴ録音しており、いずれ劣らずスーパー・ヴィル トゥオーゾ・オケとの顔合わせということで話題を集めましたが、このたび のルツェルン祝祭管もまた然り。 「空前のスーパー・オケ」と呼ばれるだけに、ヴァイオリンはコーリャ・ブ ラッハー、ゲヴァントハウス管首席のゼバスチャン・ブロイニンガー、チェ ロにはナターリャ・グートマン、クレメンス・ハーゲンにベルリン・ドイツ 響首席のイェンス・ペーター・マインツと、アバドのもとに集った顔ぶれは いつもながら豪華の一点に尽きます。 フィナーレのコーダなど、華麗なる音 の洪水に圧倒されんばかり。 これまでのシリーズを通じてもそうでしたが、オケの魅力はもとより、年齢 を重ねてなお、かえってアバドの若々しい音楽運びには驚きと畏敬の念を禁 じ得ないところです。 カップリングは、1967年のアルゲリッチとのセッション録音、1993年のキー シンとのライヴ録音以来、アバドにとって3種目となるプロコフィエフのピア ノ協奏曲第3番。 ソリストに起用されたのは、いま話題のユジャ・ワン。 若き 日のアルゲリッチを彷彿とさせるかのような奔放苛烈なピアノはまことに痛 快。 ときにアバドとオケをガンガン追い立てるようなやりとりもスリリング きわまりないものです。

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