大阪桐蔭。 全国屈指の強豪「大阪桐蔭高校」硬式野球部の日常

第99回高校ラグビー 大阪桐蔭(大阪第1)

大阪桐蔭

北海道・東北• 東海・甲信越• 近畿・北陸• 中国・四国• 九州・沖縄• パソコンやスマートフォンの画面に次々と顔が並ぶ。 20日、第102回全国高校野球選手権大会の中止発表から4時間後の午後8時。 仙台育英のオンラインミーティングが始まった。 4月13日の休校以来、毎日欠かさず続けてきた。 出場を決めていた春の選抜も中止になった。 新型コロナウイルス感染が終息していない現状では、夏も危ういと部員たちで共有してきた。 それでも、やりきれない思いがあふれ出した。 「日本一になりたくて、この高校に入った。 それができず、悔しく、つらい。 自分たちの分までと言うと重荷になるかもしれないが、後輩たちはそのくらいの覚悟を持って頑張ってほしい」。 学生コーチの菅野友雅(3年)は訴えた。 全国に約3800の硬式野球部がある。 「甲子園へ」。 出場だけでなく、本気で頂点を狙うチームもある。 今年の仙台育英は、その一つだった。 初めて東北へ深紅の大優勝旗をもたらす。 就任3年目の須江航監督は「1000日計画」を掲げ、1年目は走塁、2年目は打撃とテーマを決めて鍛えていった。 今年は球速140キロ超の複数投手を擁し、攻守に充実していた。 「100年閉ざされていた扉を開く。 そう思っていた」。 何より須江監督には、3年生への強い思い入れがあった。 部員の不祥事で前監督が辞任し、2018年1月、系列中学の監督から転じた。 「中学からだと6年間。 高校からの生徒は不祥事がありながらも入学してくれた。 この子たちにかける思いは、非常に大きかった」。 部活を締めくくる場を自らの手で作ろうと、他校へ呼びかけて試合を計画している。 大阪桐蔭の西谷浩一監督も中止発表後、寮で約1時間、言葉を絞り出した。 「これまでの努力は無駄ではない。 5月20日で、努力をやめてしまうのはもったいない。 少し時間をかけてもいいから、前に進もう」。 3年生は静かに耳を傾けた。 1年生の夏は「最強世代」と呼ばれた先輩が春夏連覇。 2年時は甲子園の土を踏めなかった。 頂点を見た後に敗北を味わった。 悔しさを原動力に、昨秋は近畿2位。 今春の選抜大会にも出場が決まっていた。 全国屈指の右打者となった西野力矢(3年)は1年夏、ボールボーイとして全国制覇を見届けた。 「いち高校野球ファンみたいな感じで、旗を持たせてもらった。 野球をやっていて一番と言っていいくらいの経験でした」。 その大旗の重みを後輩に伝える機会を失った。 西谷監督は報徳学園(兵庫)3年のとき、不祥事で夏の兵庫大会に出られなかった。 「今回は次元が違う。 僕は『苦い経験が教訓になった』と思えるが、生徒たちは何年も先にならないとそう思えない。 ただ、今までやってきたことが消えるわけではない。 そこは伝えていきたい」(山下弘展、).

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大阪桐蔭・仙台育英、甲子園中止に思う 「次元が違う」

大阪桐蔭

概要 [ ] 高校生急増期の生徒受け入れを目的として、大阪産業大学高等学校(現:)の分校として(昭和58年)に大阪産業大学高等学校大東校舎が設置されたことに始まる。 その後(昭和63年)に分離独立した。 教育目標は、「鼎立成りて碩量を育む」。 建学の精神は「偉大なる平凡人たれ」。 進学指導、スポーツ教育に力を入れる一方、「挨拶の励行」など人格面の指導にも力点を置く。 環境 [ ] 写真の建物は本館と呼ばれるもので、その年によって変わるが一部の学年が 高入生と一貫生が違う校舎に居る場合もある 東館で学習している。 I類・II類はクラブ活動は週に2日程度となっていて、勉強を最優先できるようにしている。 スポーツ推薦・藝術推薦による入学生は別クラス(III類)となっている。 高校2年生の時点で高校の履修課程をほぼ終了させるため、水曜は6時限、月曜日から金曜日まで 水曜は除く が7時限、土曜は1年生は毎回5時限、2・3年生は6時限まであり、夏休みは2週間、冬休み・春休みは1週間ほどしかない。 授業時間は50分。 校舎は本館、東館ともに(本館は新道、東館は旧道)の近くにあり通学はその幹線道路を歩かなくてはいけない。 本館と東館の間に、大阪産業大学の中央キャンパスがあり、両館を行き来する際はキャンパス内を通り抜けるか、大学横の小道を歩くこともできる。 その年の学年によって全くカリキュラムが違う。 また、外部講師も多い。 沿革 [ ] 1980年代の高校生急増期を前に、大阪府と大阪府私立中学校高等学校連合会が協議をおこない、高校生の受け入れ対策として「1983・1984年度には、私立学校も募集定員を増やす」方向での合意が(昭和54年)に成立した。 大阪府私立中学校高等学校連合会は合意を受け、大阪府内の私立高校へ募集定員増加を検討するよう要請した。 学校法人大阪産業大学は要請を受け、の募集定員を増加することを検討した。 しかし大阪産業大学高等学校は新規受け入れの余裕がないとして、キャンパスにやや余裕があった大阪産業大学の敷地の一部を転用する形で、大阪産業大学高等学校の分校を設置することを決めた。 (昭和57年)8月10日付で分校設置届を大阪府に提出した。 当時提出された分校設置届によると、新入生募集は1988年度を最後に打ち切る計画になっていた。 生徒急増期に対応した臨時的な分校として設置されたことになる。 (昭和58年)4月に大阪産業大学高等学校大東校舎として開校した。 しかし開校後、分校卒業生や保護者など関係者から学校の独立校化を求める声が強まり、1988年に大阪桐蔭高等学校として独立した。 (平成7年)には大阪桐蔭中学校を併設している。 中学校は当初、英数選抜コース、英数コース、特進コースの3つのコースがあったが、(平成20年)より特進コースを廃止し、英数選抜コースと英数コースの2コースのみとなった。 設置コース [ ] 高等学校 [ ] I類 東大京大医学部医学科・難関を目指す。 一貫生全員と、高入生の成績上位クラスが該当する。 受験指導に練達した外部講師担当の授業が、学年が上がるにつれ多くなる。 II類 国公立大学・難関私立大学を目指す。 高入生の成績中位以下のクラスが該当する。 ただし、一貫・高入とも上位クラスでは文理合同のクラスを編成する。 高校3年次では、クラスの枠を超え、文系・理系とも学力別に再編成したクラスで授業を行う。 S1、S2、S3、L1、L2クラスはそれ以下に該当する大学を目指す(L1・L2クラスには私立文系型の人もいる)、といったように構成されている。 III類 ・が盛んで、一般入試のほかにスポーツ推薦や等も利用して有名大学を目指す。 部、部などは有名。 また、部も創部わずか2年で全国大会銀賞という実績を持ち、2009年度、2010年度、2011年度は、3年連続で全国大会金賞を受賞している。 中学校 [ ] 英数選抜 ES コース 難関国公立大学を目指すためのコース。 英数 E コース 国公立大学・難関私立大学を目指すためのコース。 入学時、学年進級時にコース変更がある。 部活動 [ ] 野球部 [ ] (昭和63年)に創部。 には、ともに初出場を果たした。 は、エースの和田友貴彦が1回戦の戦でを達成するなど、ベスト8に進出した。 では、決勝スコア13-8でに勝利し、初出場・初優勝の快挙を成し遂げた。 創部わずか4年目でのの全国制覇は、今も続く史上最速の記録である。 では決勝スコア17-0という圧倒的な強さで、に勝利し2度目の全国制覇を成し遂げた。 大阪勢としてもの同校以来17年ぶりに夏の選手権大会での全国制覇を果たしている。 では決勝スコア7-3でに勝利し春のセンバツ初優勝と3度目の全国制覇を達成した。 大阪勢としてはの以来19年ぶりに春のセンバツ大会での全国制覇を成し遂げた。 さらにはでも春夏連続して決勝戦に進出、なお対戦相手は奇しくも同年春センバツ大会準優勝の光星学院高だった(甲子園大会の決勝戦で春夏連続同一カードは史上初である)。 決勝スコアは3-0で光星学院高に再び勝利を果たし、史上7校目のを達成した。 また、同校としては4度目の全国制覇を成し遂げた。 そして秋に行われたでも優勝し 、を擁した以来となる史上3校目の「」を達成した。 では決勝スコア4-3でに勝利し春夏通算5度目の全国制覇を成し遂げた。 大阪勢としては2年ぶりに夏の選手権大会での全国制覇を果たしている。 では決勝スコア8-3でとの史上初の大阪決戦で勝利し春夏通算6度目の全国制覇を達成。 大阪勢としては5年ぶりに春のセンバツ大会での優勝を果たしている。 では決勝スコア5-2でに勝利し春夏通算7度目の全国制覇および史上3校目となるを達成した。 また、前記のように第90回選手権 2008年夏の選手権記念大会 も同校は全国制覇を成し遂げており、春夏両方で第90回記念大会の覇者となった。 さらにでも春夏連続して決勝戦に進出。 決勝スコア13-2でに勝利し、春夏通算8度目の全国制覇を達成。 史上初めてとなる2度目の春夏連覇を果たしている。 そして秋に行われたでも優勝し 、史上初めての2度目の「」を達成した。 吹奏楽部 [ ] (平成17年)に創部した。 2005年に創部1年で関西に出場し、金賞を受賞。 には、創部2年目にして吹奏楽の甲子園であるで毎年秋に行われるに関西代表として初出場銀賞、も同大会において関西代表として銀賞を受賞した。 3回連続出場をかけたには、惜しくも代表を逃すが、続くに初の全国大会金賞に輝く。 その後も・と連続で金賞を受賞し、3年連続で全国大会金賞を受賞した。 大会規定の3年連続出場による休みを1年経て、 - まで6年連続出場を果たした。 また、ににおいて初出場銀賞受賞という結果を果たした後、同大会で・ともに、2年連続で金賞を受賞するなど、での活動も盛んである。 その他数多くの依頼演奏や地方公演、にも出場し、歴史は浅いながら全国的に有名な吹奏楽部となりつつある。 男子サッカー部 [ ] (平成17年)に創部。 への出場経験はないものの、(平成19年)に創部3年で初出場を果たす。 も総体2年連続出場でベスト8入りとともに初出場も果たした。 女子サッカー部 [ ] (平成18年)に創部。 (平成19年)に全国大会出場を果たし、(平成23年)にはで準優勝した。 ラグビー部 [ ] (昭和63年)に創部。 (平成7年)に、初出場を果たす。 (25年)にはで初優勝。 (平成27年)には春の選抜大会で準優勝。 (平成29年)にはで準優勝、翌年の 平成30年 にはで優勝した。 男子バスケットボール部 [ ] (平成26年) にに初出場した。 女子バスケットボール部 [ ] (平成26年) にに初出場した。 同年にに初出場し、2017年(平成29年)ので初優勝を成し遂げた。 陸上競技(旧・駅伝)部 [ ] (平成23年)に駅伝部(当時)が創部、翌(平成24年)に陸上競技部へ名称変更された。 では11月の大阪男子予選で初優勝を達成、同年12月に都大路へ初出場を果たしている(総合成績は22位)。 不祥事 [ ]• (平成27年)、大阪桐蔭中学・高校の不正流用問題が、により発覚した。 その裏金の大部分は、生徒の保護者より必要額より過剰に徴収した進研模試の受験料、教科書購入費用(教材費)が主な出所となり、その裏金は初代校長やその娘の個人口座など数々の場所に隠され、その額は5億円を超えると見られている。 その裏金は、タクシー代・飲食費・塾関係者等への接待費 、ほかゴルフ用品・等高級ブランド品(スカーフ・バッグなど)や贈答品などの購入に当てられていた。 この問題を重く見た大阪府は、同年に「保護者に返すべき金の流用で非常に悪質」との理由で、私学補助金減額処分の要件である「管理運営が著しく適正を欠いている場合」に該当と判断。 結果2015年度に大阪桐蔭へ支給予定だった6億6000万円の補助金を、過去最大の20%(約1億3000万円)減額する事を決定した。 同年、この問題で同じ学校法人傘下にある大阪産業大学教職員組合は、に関係者2名をの容疑で刑事告発。 2016年4月に大阪地検は嫌疑不十分により不起訴処分としたが2016年5月に大阪産業大学教職員組合は不起訴処分を不当として審査を求める申立書を大阪に提出した。 出身著名人 [ ] プロ野球選手 [ ]• - 中退。 - 1988年度卒業。 - 1988年度卒業。 - 1991年度卒業。 - 1991年度卒業。 - 1992年度卒業。 - 1994年度卒業。 - 1995年度卒業。 - 1996年度卒業。 - 1997年度卒業。 - 1998年度卒業。 - 1998年度卒業。 - 2000年度卒業。 - 2001年度卒業。 - 2001年度卒業。 - 2002年度卒業。 - 2003年度卒業。 - 2004年度卒業。 - 2005年度卒業。 - 2005年度卒業。 - 2006年度卒業。 - 2007年度卒業。 - 2007年度卒業。 - 2008年度卒業。 - 2010年度卒業。 - 2011年度卒業。 - 2011年度卒業。 - 2012年度卒業。 - 2012年度卒業。 - 2013年度卒業。 - 2013年度卒業。 - 2014年度卒業。 - 2014年度卒業。 - 2015年度卒業。 - 2015年度卒業。 - 2016年度卒業。 - 2018年度卒業。 - 2018年度卒業。 - 2018年度卒業。 - 2018年度卒業。 - 2019年度卒業。 社会人野球 [ ]• サッカー [ ] 大阪桐蔭高校出身のサッカー選手 選手名 生 卒 出身 Pos 進路 主な所属 現在の所属 1989 2007 MF 1989 2007 FW 現役引退 1991 2009 FW 現役引退 1991 2009 大阪府 DF 1992 2009 大阪府 MF 1992 2010 FW 現役引退 1993 2011 兵庫県 MF 川崎フロンターレ 1994 2012 愛知県豊橋市 DF 1994 2012 愛知県 MF 愛媛FC 1994 2012 奈良県 FW 1994 2012 FW 1996 2014 愛知県豊橋市 MF 1996 2014 大阪府 MF 大阪産業大学 1997 2015 兵庫県 DF プロゴルファー [ ]• ラグビー [ ]• その他のスポーツ [ ] 今川友哲 - バスケットボール選手(• - ヘビー級プロボクサー。 竹原虎辰。 - ダーツプレイヤー。 - 女子バスケットボール選手()。 - 陸上選手。 - 陸上選手。 - 陸上選手、祐紀の実弟で2学年歳下。 スポーツ以外 [ ]• - 起業家• - 元アナウンサー。 - 元宝塚歌劇団所属。 - 、。 - 元アナウンサー。 - アイドル()。 - アナウンサー。 - 元アナウンサー。 - (ABC)アナウンサー。 - フリーアナウンサー。 - 所属タレント。 関連人物 [ ]• - 地理歴史・公民科教諭。 同校硬式野球部監督 交通アクセス [ ]• 最寄の駅はで徒歩23分のところにある。 隣の学研都市線から大阪産業大学まで、50円でシャトルバスが運行されている。 支払いは現金ではなく、券を購入しなければならない。 JR住道駅からレンタサイクル「駅リンくん」を利用する教員・生徒も多い。 バス通学者も多く、・方面および住道駅・方面からを利用することができる。 各種バスを利用する場合、バスターミナルから本館の校門までは約10分かかる。 脚注 [ ]• Sponichi Annex スポーツニッポン新聞社. 2014年8月26日. 2017年8月12日閲覧。 asahi. com 朝日新聞社. 2008年8月18日. 2018年9月1日閲覧。 Company, The Asahi Shimbun. www. asahi. com. 2018年7月31日閲覧。 日本語. nikkansports. com. 2018年7月31日閲覧。 日程順延のため仙台育英高校と同時優勝となった• 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部「」『スポニチ Sponichi Annex』。 2018年7月31日閲覧。 日本語. 毎日新聞. 2018年7月31日閲覧。 毎日新聞 2018年4月6日• 朝日新聞デジタル 2018年4月4日• 日本語. 朝日新聞デジタル. 2018年8月21日閲覧。 日程順延のため大会規定により4校優勝となった• 福井新聞社. 2018年10月3日. nikkansports. com. 2014年6月22日閲覧。 2015年3月26日. 2015年3月26日時点のよりアーカイブ。 2015年4月5日閲覧。 2015年3月25日. 2015年3月28日時点のよりアーカイブ。 2015年4月5日閲覧。 Business Journal CYZO 2015年4月1日. 2015年4月5日時点のよりアーカイブ。 2015年4月5日閲覧。 2015年3月26日. 2015年3月26日時点のよりアーカイブ。 2015年4月5日閲覧。 日本経済新聞社 2015年3月27日. 2015年4月5日閲覧。 読売新聞社 2015年3月26日. 2015年4月5日時点のよりアーカイブ。 2015年4月5日閲覧。 朝日新聞社 2015年4月9日. 2015年4月10日閲覧。 朝日新聞社 2016年5月20日. 2016年7月16日閲覧。 Sponichi Annex スポーツニッポン新聞社. 2014年8月25日. 2014年8月25日閲覧。 参考文献 [ ]• 大阪桐蔭高等学校十周年記念誌編集委員会『大阪桐蔭高等学校十周年記念誌』、1993年。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]•

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「大阪桐蔭、履正社に勝つことは宿命」 金光大阪の挑戦

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中田惟斗 投手 大阪桐蔭高-オリックス 育成ドラフト3位 中学時代には、U15侍ジャパンに選出される。 大阪桐蔭高では、根尾や藤原など黄金世代が抜けた新チームのエース背番号1を背負う。 力のあるストレートと、縦横スライダー、チェンジアップ。 小学校時代は主に投手と三塁手を務め、ドラゴンズジュニアにも選抜された。 中学校時代は「飛騨高山ボーイズ」に所属。 大阪桐蔭高では1年夏からベンチ入り。 2年春からは主力となり、投手、遊撃手に加えチーム状況によっては外野手もこなしながら、2年春から3年夏まで4季連続で甲子園大会出場を果たし、そのうち2年春・3年春・3年夏で全国優勝。 2018年のドラフト会議では4球団から1位指名を受け抽選の結果、中日が交渉権を獲得。 11月4日には契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円で仮契約を結んだ。 背番号は7。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2019 中日 2 2 0 0 0 0 2. 豊中市立原田小学校1年生の時に「園和北フレンズ」で野球を始めた[1]。 豊中市立第五中学校時代は「オール枚方ボーイズ」に所属し、小園海斗と共に全国優勝を経験。 中学卒業後、大阪桐蔭高に進学し、3年時には4番打者として甲子園春夏連覇の原動力となった。 秋の高校日本代表にも2年連続で選出され、主砲として活躍した。 2018年のドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルス、阪神タイガース、千葉ロッテマリーンズの3球団から1位指名を受け、抽選の結果千葉ロッテが交渉権を獲得した。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2019 ロッテ 6 19 2 0 2 0 6. 小学2年生で野球を始め、米原市立大東中学校時代は湖北ボーイズに所属、ボーイズリーグ選抜に選ばれるほどの逸材だった。 高校は強豪校である大阪桐蔭高に入学。 3年時に同級生の根尾昂、藤原恭大、柿木蓮らとともに甲子園春夏連続優勝に貢献した。 2018年のドラフト会議で巨人から4位指名を受けて入団。 多久市立北部小学校2年生の時に野球を始め、多久市立中央中学校に進学後は佐賀東松ボーイズに所属し、全国大会に出場した。 中学卒業後、大阪桐蔭高に進学。 2年生の春からベンチ入りした。 2年夏の選手権では3回戦の戦で先発を任されるも、サヨナラ負けを喫した。 背番号1をつけて臨んだ3年春のセンバツでは初戦、準々決勝、準決勝で先発するも、決勝の先発は根尾昂に譲り、チームは優勝を果たしたものの決勝に登板できなかったことに悔しさを抱いた。 3年夏の選手権では、準決勝の済美戦、決勝の戦にいずれも先発して完投し優勝投手となった。 甲子園終了後の9月に行われる第12回BFA U-18アジア選手権大会の日本代表に選出された。 2018年10月25日のドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズに5位指名を受け、11月10日に契約金3500万円・年俸520万円で日本ハムと仮契約を結んだ。 中学校時代は、オール枚方ボーイズに所属しジャイアンツカップ優勝など全国大会3冠を経験。 大阪桐蔭高に進学すると、1年秋から左翼手のレギュラーを獲得。 2年秋からは遊撃手に転向したが、3年夏は大阪府大会決勝で石川慎吾を擁するにサヨナラで敗れ、甲子園出場は2年春のみに終わった。 立命館大学ではリーグ通算69試合に出場し、249打数74安打、打率. 297、1本塁打、19打点、30盗塁。 2016年に大学を卒業して社会人野球のHonda鈴鹿に入社。 1年目から遊撃手のレギュラーに定着し、都市対抗野球には2年連続で出場した。 2017年度ドラフト会議でオリックス・バファローズから8位指名を受け、契約金2,000万円・年俸700万円で契約を結んだ。 背番号は36となった。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2018 オリックス 25 60 10 1 7 2 15. 167 2019 28 61 10 1 8 0 12. 森之宮小学校の時に森の宮キャッスルで野球を始める。 城陽中学校では大阪東ボーイズで硬式野球を始め、NOMOジャパンにも選出された。 大阪桐蔭高では1年秋にベンチ入りを果たし、2年春のセンバツ大会・準決勝で甲子園デビュー。 2015年、秋の大阪府大会から背番号1を任されエースピッチャーに抜擢された。 秋の近畿大会優勝に大きく貢献し、翌年の春のセンバツ大会への出場を確実とする。 2016年度プロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから5位で指名を受け、契約金3000万円・年俸520万円で契約した。 背番号は48。 愛媛西シニアのエースとして出場した大会を大阪桐蔭高校硬式野球部の西谷浩一監督が視察したことをきっかけに同校へ進学。 3年生の時には、同学年のエース・藤浪晋太郎に次ぐ背番号10の2番手投手として、藤浪や1学年下の森友哉などとともに甲子園球場の全国大会で春夏連覇を経験。 夏の大阪大会では、本調子でなかった藤浪を好救援で支え続けながら、チームの全国大会出場に貢献。 「9番・投手」として先発した全国大会の3回戦では、熊本代表の済々黌を相手に2失点の完投勝利を挙げるとともに、打者としても本塁打も放っている。 進学後は、1年生の春から東京六大学野球のリーグ戦に登板すると主に先発投手として活躍。 2年生だった2014年の秋季リーグ戦では、通算65イニングを投げて、6完投、防御率1. 11、リーグトップの5勝を記録した。 東京六大学野球のリーグ戦通算69試合に登板し、22勝16敗、防御率2. 24、225奪三振という成績を残した。 2016年のNPBドラフト会議では、オリックスから8位で指名。 契約金2,000万円、年俸700万円という条件で入団した。 背番号は49。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 2017 オリックス 13 0 2 0 0 13. 0 5 4. 15 2018 47 5 0 0 8 49. 2 45 2. 54 2019 28 2 2 0 17 26. 0 19 4. 誠風中では泉北ボーイズを経て忠岡ヤングでプレー。 ポジションは投手と遊撃。 大阪桐蔭進学後、外野手に転向。 大阪桐蔭高では2年時の夏から外野手レギュラーとなり同年出場した夏の甲子園で優勝を果たす。 3年時となった翌春のセンバツ大会でも4強に進出している。 2015年のドラフト会議で横浜DeNAから6位指名を受け、11月21日に契約金2,500万円、年俸500万円で入団。 背番号は57。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2016 横浜 — — — — — — — — 2017 — — — — — — — — 2018 — — — — — — — — 2019 — — — — — — — — 通算4年 一軍公式戦出場なし 香月一也 内野手 大阪桐蔭高-ロッテ ドラフト5位 福岡県遠賀郡水巻町出身。 小学校1年生に野球を始め当時は投手。 6年生になると「福岡ソフトバンクホークスジュニアチーム」に入団した。 中学校時代は八幡中央ボーイズに所属、3年生の時には世界大会に出場した。 大阪桐蔭高校入学後に野手に専念、1年生時にベンチ入りし、2年生時の春の選抜大会後にレギュラーを獲得。 夏の甲子園・全国大会では全3試合に5番または6番・二塁手で先発出場、計11打数5安打1打点、打率. 455の成績。 副主将として迎えた3年生時の夏の甲子園・全国大会では全6試合に3番・三塁手で先発出場、27打数12安打10打点1本塁打、打率. 444の成績で優勝。 高校通算30本塁打。 大会後、第10回18Uアジア野球選手権大会の日本代表に選ばれ、全5試合に5番・三塁手で先発出場。 2014年10月に行われたドラフト会議でロッテに5位で指名され、契約金3,000万円、年俸500万円で合意し入団。 背番号は57。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2015 ロッテ — — — — — — — — 2016 2 6 1 0 0 0 3. 167 2017 19 41 8 0 2 0 6. 195 2018 — — — — — — — — 2019 26 33 5 1 3 0 9. 5歳から庭代台ビクトリーで軟式野球を始め、庭代台小学校時代は投手。 6年生時にオリックスジュニアの捕手兼投手として12球団ジュニアトーナメントで優勝。 中学校時代は堺ビッグボーイズに所属し、3年生の春に全国大会で準優勝した。 8月にはNOMOベースボールクラブの「ジュニアオールジャパン」のメンバーとしてアメリカ遠征を経験。 大阪桐蔭高では1年生の秋から正捕手を務めた。 2年生の時、1年先輩の藤浪晋太郎とバッテリーを組み史上7校目の春夏連覇を達成。 甲子園通算記録は14試合出場で55打数26安打5本塁打、打率. 473で、本塁打数は歴代4位タイ。 高校通算41本塁打。 2年生時と3年生時の2年連続で国際大会のAAA世界野球選手権大会の日本代表に選出され2年連続でベストナインにあたるオールスターチームの捕手部門に選ばれ、主将を務めた第26回大会では15打点で打点王も獲得した。 2013年10月に行われたドラフト会議で西武に1位で指名され、契約金1億円+出来高5,000万円、年俸1,300万円で合意して入団。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2014 西武 41 80 22 6 15 0 22. 275 2015 138 474 136 17 68 0 143. 287 2016 107 349 102 10 46 1 96. 292 2017 38 124 42 2 18 3 24. 339 2018 136 473 130 16 80 7 105. 275 2019 135 492 162 23 105 3 89. 中学生時代は桜井リトルシニアに所属。 大阪桐蔭高校2年生の時に正捕手として夏の甲子園に出場。 1回戦で春の選抜大会優勝校のに勝利するも、2回戦で斎藤佑樹を擁するに敗退。 3年生時の春の選抜大会では中田翔とバッテリーを組みベスト8に進出した。 夏の甲子園・大阪大会では決勝で金光大阪高校に敗退。 大阪ガス6年目の2013年、第84回都市対抗野球大会1回戦で7番・捕手で先発出場し、4打数2安打。 8月以降は3番打者を務めた。 2013年10月に行われたドラフト会議で西武に6位で指名され、契約金4,000万円、年俸1,000万円で合意し入団。 背番号は37。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2014 西武 22 32 6 0 2 0 7. 188 2015 36 50 12 1 5 0 10. 240 2016 47 66 15 0 5 0 18. 227 2017 68 144 33 0 9 0 28. 229 2018 52 92 25 3 7 0 17. 272 2019 36 61 16 1 7 0 12. 3年時にはAA世界野球選手権大会の日本代表に選出され世界大会に出場。 幼少時代は父の影響で巨人ファンだった。 中学卒業後、大阪桐蔭高へ進学し、1年の夏からベンチ入り、2年春からエースとなる。 甲子園での通算成績は76回を投げて防御率1. 07・90奪三振。 10月のぎふ清流国体でもと同時優勝し、松坂大輔を擁した以来となる史上3校目の「三冠」を達成。 高校時代は「浪速のダルビッシュ」と呼ばれていた。 2012年のドラフト会議では、阪神、オリックス、ヤクルト、ロッテの4球団から1位指名を受け、抽選の結果、阪神が交渉権を獲得。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 2013 阪神 24 10 6 0 0 137. 2 126 2. 75 2014 25 11 8 0 0 163. 0 172 3. 53 2015 28 14 7 0 0 199. 0 221 2. 40 2016 26 7 11 0 0 169. 0 176 3. 25 2017 11 3 5 0 0 59. 0 41 4. 12 2018 13 5 3 0 0 71. 0 70 5. 32 2019 1 0 0 0 0 4. 1 3 2. 大阪桐蔭高時代は、2年時に甲子園に出場。 一回戦の戦で3安打5打点の活躍を見せ2-9で快勝するも、続く二回戦でに2-6で敗退した。 3年生の春季大阪大会では、近畿ナンバー1左腕と呼ばれた太成学院大高の今村信貴から高校通算24号となる2ランホームランを打っている。 2018年引退。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2012 阪神 — — — — — — — — 2013 1 2 0 0 0 0 2. 000 2014 — — — — — — — — 2015 — — — — — — — — 2016 — — — — — — — — 2017 — — — — — — — — 2018 — — — — — — — — 通算7年 1 2 0 0 0 0 2. 000 江村直也 捕手 大阪桐蔭高-ロッテ ドラフト5位 広島県福山市出身。 中学時代は、尾道シニアに所属し投手兼捕手を務め、3年時の春に全国大会出場。 大阪桐蔭高に進学すると、1年時の秋からベンチ入り。 2年時の秋には、5番正捕手として近畿大会準優勝に貢献し、同校をセンバツ出場に導いた。 2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にてロッテから5位指名を受けて入団。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2011 ロッテ — — — — — — — — 2012 — — — — — — — — 2013 64 117 20 0 7 0 34. 171 2014 44 53 11 0 1 0 12. 208 2015 14 6 0 0 0 0 2. 000 2016 22 23 3 0 4 0 10. 130 2017 13 6 1 0 0 0 1. 167 2018 35 16 1 0 0 0 5. 063 2019 23 31 3 1 4 0 10. 大阪桐蔭高では2年秋からベンチ入り。 3年時に出場した夏の甲子園では、2回戦で斎藤佑樹を擁するに敗退。 大阪経済大に進学すると2年時の春からレギュラーに定着し、関西六大学リーグでの通算成績は88試合出場、299打数68安打、打率. 227、4本塁打、25打点。 ベストナイン3回受賞。 2010年10月28日に行われたドラフト会議にて巨人から育成8位指名を受ける。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2011 巨人 — — — — — — — — 2012 — — — — — — — — 2013 — — — — — — — — 2014 オリックス 1 0 0 0 0 0 0. 000 2015 — — — — — — — — 通算5年 1 0 0 0 0 0 0 0 高島毅 内野手 大阪桐蔭高-青山学院大-オリックス ドラフト4位 大阪府大阪市出身。 大阪桐蔭高では、3年春に甲子園に出場。 2回戦でダルビッシュ有擁するに2-3で敗退。 3年夏は大阪府予選決勝でと4-4で引き分け、再試合の末7-13で敗退し準優勝に終わった。 高校卒業後は、青山学院大学に進学。 3年秋の東都大学野球リーグ戦で二塁手としてベストナインを獲得。 4年次には小窪哲也の後を継ぎ主将を務めた。 秋には首位打者とベストナインを獲得。 また、2008年の世界大学野球選手権日本代表の主将も務めた。 リーグ通算68試合出場、213打数57安打、打率. 268、2本塁打、26打点。 2013年に現役引退。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2009 オリックス — — — — — — — — 2010 — — — — — — — — 2011 — — — — — — — — 2012 — 現役続行を決断して浪人 2013 バーンストーマーズ 米・独立リーグのランカスター・バーンストーマーズに入団するが6月19日に解雇 通算3年 一軍公式戦出場なし 浅村栄斗 打点王 内野手 大阪桐蔭高-西武 ドラフト3位 大阪府大阪市出身。 大阪桐蔭高では1年秋からベンチ入り。 春の甲子園ではベンチ入り出来なかったものの、2年夏からは二塁手で背番号14ながらもレギュラーとして出場。 最高学年となった新チームになるとショートを守るようになり、2008年の夏の甲子園に出場。 1番・遊撃手として全6試合に出場、29打数16安打 2本塁打 、守備でも好プレーと攻守に渡る活躍で大阪桐蔭高の優勝に貢献。 高校通算22本塁打。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2009 西武 — — — — — — — — 2010 30 42 11 2 9 2 8. 262 2011 137 437 117 9 45 7 52. 268 2012 114 404 99 7 37 13 63. 245 2013 144 543 172 27 110 14 88. 317 2014 118 440 120 14 55 3 100. 273 2015 141 537 145 13 81 12 136. 270 2016 143 557 172 24 82 8 108. 309 2017 143 574 167 19 99 5 96. 291 2018 143 565 175 32 127 4 105. 310 2019 楽天 143 529 139 33 92 1 162. 広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打。 2年時は肩の故障で投手としては活躍が出来なかったが、四番・右翼手として出場し、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、更に秋季近畿大会では推定飛距離170メートルの本塁打を打つ。 高校通算87本塁打、甲子園でも歴代7位となる4本塁打を打った。 2007年のプロ野球ドラフト会議 高校生対象 においては、佐藤由規、唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、日本ハム、阪神、オリックス、ソフトバンクに1位で指名され、抽選で交渉権を獲得した日本ハムに入団。 高卒新人としては史上5人目となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円 推定 で契約。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2008 日本ハム — — — — — — — — 2009 22 36 10 0 1 0 15. 278 2010 65 210 49 9 22 0 61. 233 2011 143 527 125 18 91 4 133. 237 2012 144 547 131 24 77 5 101. 239 2013 108 407 124 28 73 1 77. 305 2014 144 531 143 27 100 0 89. 269 2015 143 539 142 30 102 1 120. 263 2016 141 569 142 25 110 2 126. 250 2017 129 472 102 16 67 0 103. 216 2018 140 540 143 25 106 0 81. 265 2019 124 450 109 24 80 0 83. 二回戦の藤代戦では大会タイ記録となる19奪三振を記録。 辻内自身も1大会における通算奪三振で板東英二の83奪三振に次いで当時歴代2位の65奪三振を記録した。 2013年に現役引退。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 2006 巨人 — — — — — — — — 2007 — — — — — — — — 2008 — — — — — — — — 2009 — — — — — — — — 2010 — — — — — — — — 2011 — — — — — — — — 2012 — — — — — — — — 2013 — — — — — — — — 通算8年 一軍公式戦出場なし 平田良介 外野手 大阪桐蔭高-中日 高校生ドラフト1位 大阪府大阪市出身。 大阪桐蔭高では1年夏から6番でレギュラー、秋から4番を任され、落合博満ばりの神主打法で高校通算70本塁打を放つ。 高校時代は辻内崇伸と同期で、2学年後輩に中田翔がいた。 平田、辻内に加えての鶴直人、の岡田貴弘らの4人は浪速の四天王とも呼ばれ、全員がドラフトの目玉として注目された。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2006 中日 2 2 0 0 0 0 1. 000 2007 3 12 4 0 3 0 4. 333 2008 59 97 26 1 9 0 25. 268 2009 42 85 23 2 9 0 19. 271 2010 6 12 1 0 0 0 4. 083 2011 113 330 84 11 38 1 72. 255 2012 91 269 58 11 32 1 59. 216 2013 118 367 106 15 55 1 54. 289 2014 119 429 119 11 65 7 65. 277 2015 130 491 139 13 53 11 86. 283 2016 118 416 103 14 73 4 89. 248 2017 66 238 58 6 29 4 60. 244 2018 138 493 162 9 55 8 69. 329 2019 95 360 100 8 32 3 53. 大阪桐蔭高では2年秋からエースとなり秋季府大会で準優勝して近畿大会でも8強入りしたが、同年の冬に風邪を引いた際のウイルス感染が元で1型糖尿病を発症。 3年時にはエースナンバーを背負っていたが、腰の故障で登板機会はなかった。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 2006 阪神 1 0 1 0 0 3. 0 1 9. 00 2007 4 0 1 0 0 13. 1 6 5. 40 2008 27 10 10 0 0 159. 1 101 3. 28 2009 16 7 5 0 0 110. 2 103 2. 68 2010 — — — — — — — — 2011 25 9 13 0 0 169. 0 133 2. 29 2012 25 8 14 0 0 153. 1 107 3. 52 2013 9 2 5 0 0 43. 2 25 4. 95 2014 22 9 8 0 0 148. 2 116 2. 54 2015 27 8 10 0 0 170. 1 119 3. 22 2016 6 0 3 0 0 20. 1 14 8. 85 2017 10 3 2 0 0 53. 0 39 4. 25 2018 6 0 4 0 0 30. 2 29 3. 23 2019 14 3 4 0 0 77. 2 43 4. 大阪桐蔭高では後にチームメイトとなる岩田稔が1年後輩にいた。 高校卒業後は新日本製鐵広畑硬式野球部に入社。 投法をスリー・クォーターに変えたことで制球が安定し球速も増した。 同年秋のドラフト会議で阪神から4位で指名され入団。 2012年引退。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 2004 阪神 44 2 0 2 — 54. 1 52 3. 48 2005 26 1 0 0 1 39. 1 35 3. 66 2006 15 1 0 0 2 17. 0 19 3. 18 2007 17 1 0 0 0 17. 2 20 4. 58 2008 — — — — — — — — 2009 15 0 1 0 0 19. 0 21 1. 89 2010 6 0 1 0 0 7. 0 8 6. 43 2011 — — — — — — — — 2012 西武 — — — — — — — — 通算9年 123 5 2 2 3 154. 1 155 3. 56 三島輝史 投手 大阪桐蔭高-ロッテ ドラフト5位 大阪府交野市出身。 2002年、夏の甲子園は二回戦敗退。 2003年、夏の大阪府野球大会六回戦敗退。 同年のドラフト会議にて、千葉ロッテマリーンズから5位指名を受けて入団。 2008年10月1日、球団から戦力外通告を受ける。 その後12球団合同トライアウトに参加するも獲得を申し出る球団はなく現役引退。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 2004 ロッテ — — — — — — — — 2005 — — — — — — — — 2006 — — — — — — — — 2007 — — — — — — — — 2008 — — — — — — — — 通算5年 一軍公式戦出場なし 北川利之 内野手 大阪桐蔭高-法政大-川崎製鉄水島-横浜 ドラフト6位 大阪府東大阪市出身。 大阪桐蔭高校では3番を打ち活躍。 法政大学へ進学する。 川崎製鉄水島を経て、2002年のドラフト6位で横浜ベイスターズに入団。 社会人時代から好守の遊撃手として名を馳せ、堅実な打撃も評価された。 2003年、二軍ではルーキーながらチームトップの打率. 323、8本塁打、11盗塁を記録するが、一軍では結果を残すことができなかった。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2003 横浜 8 6 0 0 0 0 4. 000 2004 8 16 4 0 0 0 5. 250 2005 5 3 1 0 0 0 1. 333 2006 11 13 2 0 0 0 2. 154 2007 2 0 0 0 0 0 0 — 2008 — — — — — — — — 2009 19 44 10 1 4 0 13. 227 2010 — — — — — — — — 通算8年 53 82 17 1 4 0 25. 207 森本学 内野手 大阪桐蔭高-福井工大-シダックス-ダイエー ドラフト6位 大阪府大阪市出身。 大阪桐蔭高3年生の夏には、三木肇のいるに敗れた。 高校時代、投手以外のポジションはすべて経験したという。 福井工大時代は2年生からレギュラーを獲得し、3年生時には全日本大学野球選手権大会に出場。 4年時にはベストナインにも選ばれた。 その後、シダックスに入社。 2年目からショートのポジションを獲得。 3年目には補強選手として都市対抗野球に出場、ベスト4入りしている。 2002年のドラフト会議で、ダイエーから6位指名を受けた。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2003 ソフトバンク — — — — — — — — 2004 — — — — — — — — 2005 6 4 1 0 1 0 2. 250 2006 93 73 15 0 3 2 21. 205 2007 41 105 21 0 8 2 27. 200 2008 54 133 32 0 8 1 31. 241 2009 95 242 62 0 20 8 56. 256 2010 71 105 24 1 12 2 19. 229 2011 15 5 1 0 0 0 1. 200 通算9年 375 667 156 1 52 15 157. 234 西岡剛 首位打者 最多安打 盗塁王 内野手 大阪桐蔭高-ロッテ ドラフト1位 大阪府大東市出身。 奈良市立平城東中学校時代に郡山シニアで全国大会出場。 当時からずっとで野球をすることを望んでいたが、PL学園のセレクションに落選。 本人曰く「来てもいいよ」とは言われていたが、丁重に断り、その後、大阪桐蔭から熱烈な誘いがあったことから大阪桐蔭に進学。 3年時に主将・4番打者として夏の甲子園に出場するが初戦のに敗退。 高校通算42本塁打。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2003 ロッテ 7 9 3 0 1 0 1. 333 2004 63 212 54 6 35 8 37. 255 2005 122 447 120 4 48 41 51. 268 2006 115 426 120 4 27 33 61. 282 2007 130 494 148 3 40 27 73. 300 2008 116 473 142 13 49 18 68. 300 2009 120 454 118 14 41 26 76. 260 2010 144 596 206 11 59 22 96. 346 2011 ツインズ 68 221 50 0 19 2 43. 226 2012 3 12 0 0 1 0 1. 000 2013 阪神 122 497 144 4 44 11 65. 290 2014 24 38 9 0 4 0 6. 237 2015 50 172 45 2 14 1 21. 262 2016 55 190 56 0 15 6 25. 295 2017 32 92 21 0 5 3 17. 228 2018 25 40 5 0 1 0 10. 125 2019 栃木 独立リーグ・栃木ゴールデンブレーブスでプレー 2020 NPB14年 1125 4140 1191 61 383 196 607. 288 MLB2年 71 233 50 0 20 2 44. 215 谷口悦司 投手 大阪桐蔭高-日本生命-近鉄 ドラフト4位 大阪府大阪市出身。 大阪桐蔭高校を卒業後、日本生命に入社。 2001年のドラフト会議4位で近鉄から指名を受け入団。 2005年、球団合併に伴う選手分配ドラフトにより、オリックスに移籍。 同年、肘の怪我などもあり球団から戦力外通告を受け、一軍での登板経験がないまま現役引退。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 2002 近鉄 — — — — — — — — 2003 — — — — — — — — 2004 — — — — — — — — 2005 オリックス — — — — — — — — 通算:4年 一軍公式戦出場なし 中村剛也 本塁打王 打点王 内野手 大阪桐蔭高-西武 ドラフト2位 大阪府大東市出身。 高校時代は大阪桐蔭高校の4番打者として活躍。 進学した理由は自宅から高校まで徒歩5分という立地条件であったという。 高校時代の通算本塁打83本は大島裕行に次ぎ、鈴木健と並ぶ当時の史上2位タイ。 3年夏は歴代2位となる大阪府予選6本塁打を放ち、浪速のカブレラと呼ばれ注目を集める。 岩田稔は高校時代の同期、西岡剛は一年後輩にあたる。 2001年のドラフト会議で西武ライオンズから2位指名を受け入団。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2002 西武 — — — — — — — — 2003 4 12 2 0 2 1 6. 167 2004 28 33 9 2 5 0 10. 273 2005 80 237 62 22 57 0 62. 262 2006 100 283 78 9 29 4 78. 276 2007 98 226 52 7 32 2 71. 230 2008 143 524 128 46 101 2 162. 244 2009 128 501 143 48 122 3 154. 285 2010 85 304 71 25 57 1 111. 234 2011 144 525 141 48 116 4 134. 269 2012 123 432 100 27 79 2 125. 231 2013 26 96 20 4 15 0 38. 208 2014 111 382 98 34 90 0 124. 257 2015 139 521 145 37 124 1 172. 278 2016 108 387 92 21 61 2 125. 238 2017 115 415 90 27 79 1 118. 217 2018 97 355 94 28 74 1 112. 265 2019 135 496 142 30 123 2 123. 大阪桐蔭高校では水田圭介やゴルファー宮里優作と同級生で、3年春には速球派のエースとして府大会で優勝、近畿大会でも準優勝。 夏の府大会では優勝候補に挙げられていたが3回戦でに敗れた。 高校卒業後は水田とともにプリンスホテルに進んだが、2年目の2000年に野球部の廃部が決まったため特例措置で規定より1年早くプロ入りする事になった。 同年のドラフト会議で同僚の大沼幸二や水田ともに西武から指名を受け入団。 契約金と年俸はそれぞれ3,000万円、720万円 推定。 プロ入り後は、サイドスローから多彩な変化球を繰り出す変則左腕として期待されたが、2003年フレッシュオールスターゲームに出場するも結果を残せず2004年に現役引退。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 2001 西武 — — — — — — — — 2002 — — — — — — — — 2003 — — — — — — — — 2004 — — — — — — — — 通算4年 一軍公式戦出場なし 水田圭介 内野手 大阪桐蔭高-プリンスホテル-西武 ドラフト7位 大阪府大阪市出身。 大阪桐蔭高校から社会人野球のプリンスホテルを経て、2000年のドラフト会議で西武ライオンズに7位で指名され入団。 ちなみに大阪桐蔭高では、同級生に福井強 西武・2000年ドラフト8位 ・宮里優作 プロゴルファー がいる。 高校時代は高校通算55本塁打を放つ長距離砲だったが、プロ入り後は打撃ではなく、内野の3ポジション 二塁・三塁・遊撃 を守る器用さと俊足を武器に、守備固めや代走として出場することがほとんどだった。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 2001 西武 3 2 0 0 0 0 2. 000 2002 2 2 0 0 0 0 0. 000 2003 6 7 0 0 1 0 2. 000 2004 18 14 2 0 1 1 2. 143 2005 23 6 0 0 0 0 2. 000 2006 23 15 1 1 2 0 5. 067 2007 19 10 2 0 0 1 2. 200 2008 17 0 0 0 0 0 0 — 2009 7 11 2 0 0 0 2. 182 阪神 12 5 0 0 0 2 1. 000 2010 — — — — — — — — 2011 中日 14 15 2 0 0 0 1. 133 2012 ヤクルト 2 3 0 0 0 0 2. 000 通算12年 146 90 9 1 4 4 21. 100 川井貴志 投手 大阪桐蔭高-城西大-ロッテ ドラフト3位 大阪府大阪市出身。 1992年に競合校の大阪桐蔭高校へ進学するが甲子園出場は叶わなかった。 1995年、城西大学へ進学。 1998年のドラフト会議にて、千葉ロッテマリーンズより3位指名を受けて入団。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 1999 ロッテ 7 0 1 0 — 8. 0 5 14. 63 2000 22 4 3 0 — 49. 2 21 4. 71 2001 25 2 2 0 — 42. 2 24 3. 38 2002 51 4 1 0 — 78. 1 75 2. 76 2003 54 4 0 0 — 75. 1 65 4. 42 2004 47 2 3 0 — 49. 1 36 7. 11 2005 11 0 0 0 1 13. 1 3 8. 10 2006 楽天 13 2 1 0 0 19. 2 11 4. 12 2007 3 0 0 0 0 3. 2 3 9. 82 2009 14 0 2 0 1 32. 2 17 3. 58 2010 17 3 7 0 0 66. 2 28 4. 59 2011 11 1 4 0 0 50. 2 29 3. 38 2012 8 2 1 0 1 28. 2 10 2. 83 通算13年 283 24 25 0 3 518. 2 327 4. 42 大西崇之 外野手 大阪桐蔭中退-鹿児島商工-亜大中退-天城BC-ヤオハンJ-中日 ドラフト6位 大阪府東大阪市出身。 ヤオハンジャパンから1994年のドラフト会議で中日ドラゴンズに6位で指名され入団。 暫く2軍生活が続いていたが、4年目の1998年から代走・守備固めとして数多く起用され1軍に定着した。 その後は打撃面では伸び悩み、守備の人というイメージが強かったが、2002年に打撃面でもブレイク。 翌2003年シーズンも規定打席には満たなかったものの2年連続で3割を越える打率を残し、スーパーサブとしての確固たる地位も確立する。 落合博満監督就任の2004年は、開幕からレフトのポジションには打撃好調の井上一樹が起用され、出場機会は大幅に減少。 2005年も出場機会には恵まれず、シーズン終了後に金銭トレードで読売ジャイアンツに移籍する。 2006年に現役引退。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 1995 中日 — — — — — — — — 1996 48 11 3 1 2 5 5. 273 1997 6 8 2 0 0 2 3. 250 1998 95 94 25 1 8 16 22. 266 1999 55 27 5 0 2 2 5. 185 2000 49 50 11 1 5 5 9. 220 2001 87 105 24 0 6 1 22. 229 2002 115 215 66 2 23 9 36. 307 2003 119 332 104 9 35 5 56. 313 2004 80 132 32 4 15 1 23. 242 2005 49 65 16 0 12 0 14. 246 2006 巨人 20 30 4 0 0 0 1. 133 通算12年 723 1069 292 18 108 46 196. 273 渕脇芳行 内野手 大阪桐蔭高-近鉄 ドラフト6位 大阪府寝屋川市出身。 大阪桐蔭高校から1992年ドラフト会議で近鉄バファローズに6位指名で入団。 入団して6年間は1軍の試合に出場できなかった。 1999年に1軍初出場するが出場試合はこの1試合だけに留まり、同年に引退した。 2012年より履正社ベースボールクラブで監督を務める。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 1993 近鉄 — — — — — — — — 1994 — — — — — — — — 1995 — — — — — — — — 1996 — — — — — — — — 1997 — — — — — — — — 1998 — — — — — — — — 1999 1 2 0 0 0 0 1. 000 通算7年 1 2 0 0 0 0 1. 000 背尾伊洋 投手 大阪桐蔭高-近鉄 ドラフト5位 大阪府大阪市出身。 大阪桐蔭高では1991年夏の甲子園に出場し優勝。 当時は控え投手だったが、決勝戦でも登板した。 1991年のドラフト5位で近鉄バファローズに入団。 大型投手として期待されていたが、1996年に一軍登板を飾ると、初勝利を完封勝利で飾るなど18試合に登板し、斎藤雅樹ばりのサイドスローのフォームが話題となる。 1998年途中に大森剛との交換トレードで南真一郎とともに読売ジャイアンツへ移籍するも故障で1軍登板は無かった。 2000年に引退。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 1992 近鉄 — — — — — — — — 1993 — — — — — — — — 1994 — — — — — — — — 1995 — — — — — — — — 1996 18 1 2 0 — 49. 0 40 3. 67 1997 4 0 0 0 — 6. 1 1 0. 00 1998 — — — — — — — — 1998 巨人 — — — — — — — — 1999 — — — — — — — — 2000 — — — — — — — — 通算9年 22 1 2 0 — 55. 1 41 3. 25 萩原誠 内野手 大阪桐蔭高-阪神 ドラフト1位 大阪府大東市出身。 ボーイズリーグ・大東畷ではキャプテンとして全国大会で優勝。 ちなみに副キャプテンは谷口功一投手 1991年巨人ドラフト1位。 大阪桐蔭時代には4番として、3年春と3年夏に甲子園出場。 春は準々決勝で敗退したが、夏は打率. 688・3本塁打という驚異的な記録を残し、同校の初出場初優勝に貢献。 高校通算58本塁打。 1991年、阪神に1位指名され、背番号31、ポジションも同じ三塁手ということで「掛布2世」として期待された。 2軍では1993年に打点王、1996年に首位打者を獲得するなど活躍したが、1軍では結果を残せなかった。 さらに三塁手以外にも一塁手・二塁手・外野手などで出番増加を狙ったが、結果には結びつかなかった。 1997年オフに江坂政明とのトレードで近鉄に入団、2002年からは社会人野球の日本IBM野洲に移籍、翌年のチーム活動休止をもって現役を引退。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 1992 阪神 — — — — — — — — 1993 15 17 5 0 1 0 5. 294 1994 20 24 2 0 0 1 7. 083 1995 54 117 23 4 11 0 30. 197 1996 12 12 2 0 0 0 4. 167 1997 3 2 0 0 0 0 2. 000 1998 近鉄 4 6 1 0 0 0 1. 167 2000 11 15 4 0 2 0 6. 267 2001 5 5 1 0 0 0 1. 200 通算9年 124 198 38 4 14 1 56. 192 桐山明佳 捕手 大阪産業大学高-大阪桐蔭高-日本ハム ドラフト外 京都府京都市出身。 3年生の時、学校が大阪産業大学高から分離独立し大阪桐蔭高となる。 甲子園出場経験は無し。 1988年年オフにドラフト外で日本ハムに入団するが、一軍出場を果たせないまま1992年オフに戦力外通告を受けて現役を引退。 その後、日本ハムのブルペン捕手を1996年まで務めた。 年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率 1989 日本ハム — — — — — — — — 1990 — — — — — — — — 1991 — — — — — — — — 1992 — — — — — — — — 通算4年 一軍公式戦出場なし 今中慎二 最多勝利 最多奪三振 沢村賞 投手 大阪桐蔭高-中日 ドラフト1位 大阪府門真市出身。 3歳年上の兄の影響で浜町小2年生の時に野球を始めた。 門真第一中に進むと門真シニアへ入団して1年目からエースになる。 その後、左投手として関心を持った大阪産大高 大阪桐蔭高 から誘われ、野球部の強化を進めていた同校に進学した。 1年夏の大阪府大会からベンチ入りを果たし、秋の府大会では準々決勝の戦に登板した。 この試合は0対1で敗れたものの、立浪和義や野村弘を擁して翌年に春夏連覇を果たす強豪をよく抑え、NPBのスカウトらから注目を集めるようになった。 3年夏の大阪府大会では15個の三振を奪いながら延長戦の末に1回戦で敗退し、甲子園に出場することはなかったが、1988年のドラフト会議では中日ドラゴンズに1位指名を受けて入団。 契約金と年俸それぞれ6,000万円、480万円 推定。 年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率 1989 中日 10 1 4 0 — 40. 2 30 6. 86 1990 31 10 6 1 — 144. 2 85 3. 86 1991 36 12 13 0 — 193. 0 167 2. 52 1992 11 8 2 0 — 76. 1 66 1. 77 1993 31 17 7 1 — 249. 0 247 2. 20 1994 28 13 9 3 — 197. 0 156 2. 88 1995 25 12 9 0 — 189. 0 150 3. 29 1996 25 14 8 0 — 179. 2 153 3. 31 1997 10 2 2 0 — 44. 2 18 4. 03 1998 14 2 8 0 — 62. 1 50 5. 34 1999 5 0 1 0 — 8. 0 6 7. 88 2001 7 0 0 0 — 11. 0 1 3. 27 通算12年 233 91 69 5 — 1395. 1 1129 3.

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