日本語 韻。 ふと思ったんですがラップで韻を踏むのって英語だと相当難しくな...

韻を踏む例が分かりやすい曲と歌詞構成の解説

日本語 韻

Contents• 韻が固いのはラップのリリックを見れば一目瞭然 個人的に【韻が固い】と聞くと真っ先に思い浮かぶラッパーはK-DUB-SHINE(ケーダブ)です。 ケーダブが出している音源のほとんどは英語がなく、日本語の押韻を徹底して使いこなしています。 良い悪いではなく、元祖日本語ラップといった感じですね。 ビーフにもなった故DEV LARGEは逆にフローで聴かせるタイプでしたが、アルバム【空からの力】の段階で既に押韻を使いこなしています。 クラシックで分かりやすい曲• ZEEBRA・・・・Mr. DYNAMITE 当時、この曲にはHIPHOPの全てが詰まっていると言われたほどキレイな小節で踏んだ押韻が分かりやすい曲です。 KREVA・・・・音色 クラシックというにはちょっと新しいですが、音色も韻をキレイに踏んでいる代表的な作品です。 ラップ初心者の人が韻を理解するのにかなりオススメ。 メロディックなので歌うのも可。 K-DUB-SHINE・・・・Save The Children 当時少なかった社会派系ラップの中でも特に韻に関してはキレイに踏んでいる曲。 内容もカッコいい。 Lamp Eye・・・・証言 ブッダ、カミナリ、ZEEBRAなどの超豪華メンバーによるクラシック。 当時のフロー重視と押韻重視のメンバーが同時に参加しているので比較的分かりやすいのが特徴。 とりあえずサッとピックアップした感じだと上記のような曲が良いですかね。 AKLOとケーダブは結構ガッツリ踏むスタイルで、SALUは言葉を上手くフローで溶かすタイプ。 最近はこういうスタイルの方が多いです。

次の

韻文

日本語 韻

よくわかる漢詩の知識(五)押韻、「韻を踏む」とは?• 「よくわかる漢詩の知識(五)押韻、「韻を踏む」とは?」です。 過去配信分 「韻」とは? 本日は漢詩の「韻」についてです。 韻を踏む、というと、何も漢詩に限ったことではなくて、和歌でも、広告のキャッチコピーでも、歌謡曲の歌詞でもふつうに行われていますね。 インテル、入ってる うまい、安い、早い こういうヤツです。 響きをそろえることで印象が強くなります。 七言絶句の場合、第一句・第二句・第四句(=起句・承句・結句)の七文字目で韻を踏むという決まりがあります。 有名な李白の「早発白帝城」で見てみましょう。 早発白帝城 李白 朝辞白帝彩雲間 千里江陵一日還 両岸猿声啼不住 軽舟已過万重山 早に白帝城を発す 李白 朝に辞す白帝彩雲の間 千里の江陵一日にして還る 両岸の猿声啼いて住(や)まざるに 軽舟已に過ぐ万重の山 朝焼けの空に五色の雲が美しくたなびく中、白帝城を出発し、 千里先の江陵まで一日がかりで戻ってきた。 両岸から聞こえる寂しげな猿の声がなりやまぬうちに、 私の小さな舟はもう幾万にも重なった山々を通り過ぎてしまう。 地図をご覧ください。 白帝城から江陵までは実際には千里どころか千二百里(600キロ)あり、しかも直線ではなくヘアピン状に蛇行しています。 とても一日では行き着けないのですが、そこを「一日で行った」と言い切るところにスピード感があります。 第一句・第二句・第四句それぞれの最後の文字が、 間(カン)・還(カン)・山(サン)。 響きがそろってるのがわかりますね。 ローマ字で書くと、 Kan,Kan,San 母音が"an"で揃っていますね。 このように言葉の響きを揃えることを、 「韻を踏む」もしくは「押韻(おういん)」 といいます。 次に日本漢詩から有名な例を挙げます。 題不識庵撃機山図 頼山陽 鞭聲粛粛夜過河 暁見千兵擁大牙 遺恨十年磨一剣 流星光底逸長蛇 不識庵機山を撃つの図に題す 頼山陽 鞭聲粛々夜河を過る 暁に見る千兵の大牙を擁するを 遺恨十年一剣を磨き 流星光底長蛇を逸す 有名な川中島の詩です。 永禄4年(1561)第四次川中島合戦において、上杉謙信が武田信玄をすんでの所で討ち漏らしてしまった件を歌っています。 鞭聲粛粛夜過河 馬に当てる鞭の音も静かに、 夜中、上杉軍は千曲川を渡り、川中島にたどり着く。 暁見千兵擁大牙 明け方になって武田軍が気づくと、 目の前に千万の敵兵が旗を擁して迫ってくる。 遺恨十年磨一剣 謙信はこの十年の間、 信玄を討とうと一心に剣を磨いてきたのだ。 そしてあわやとおどりかかる瞬間、 剣の閃光がきらめく。 流星光底逸長蛇 だが信玄は咄嗟にその剣を避け、逃げ延びる。 またしても討てなかったのだ。 その時の謙信の無念を思うと、 なんとも心苦しい。 起句「河」、承句「牙」、結句「蛇」。 Ga-Ga-Daで韻を踏んでいます。 ここで、起句の「過河」を「過川」としてしまうとSen-Ga-Gaとなり、韻を踏まないことになってしまいます。 このように、文字の選択にも韻ということが関わってくるわけです。 日本語で読むときの罠 李白の「早発白帝城」も頼山用の「不識庵機山を撃つの図に題す」も、きれいに日本語の音読みで響きがそろいました。 しかし、必ずしも日本語の読みでは響きが揃わない場合があります。 たとえば張継の「楓橋夜泊」。 楓橋夜泊 張継 月落烏啼霜滿天 江楓漁火對愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘聲到客船 楓橋夜泊 張継 月落ち烏啼きて霜天に満つ、 江楓の漁火愁眠に対す。 姑蘇城外の寒山寺、 夜半の鐘声客船に到る。 七言絶句は起句・承句・結句の末尾で韻を踏むのがルールです。 張継の「楓橋夜泊」では、 天、眠、船 で韻を踏んでいます。 これをローマ字にすると、 Ten,Min,Sen ん? 母音が揃っていませんね。 なぜでしょうか?実は「睡眠」の「眠Min」は慣用音です。 慣用音とは呉音・漢音・唐音のどれでもないが慣用的に使われている読み方のことです。 漢音とは唐の時代の長安付近で使われていた読み方。 呉音は遣隋使によって漢音が持ち込まれる前に日本で読まれていた読み方です。 漢詩では漢音を基準にしますので、MinではなくBenを用います。 だから、 Ten,Ben,Sen と、ちゃんと母音は揃っているんです。 このように日本語で読んでも必ずしもあてにならない場合があります。 韻を調べる つまり「韻を踏む」「押韻」とは、響きの同じ言葉でそろえること=母音を揃えること。 それも「漢音で」母音を揃えることです。 そして漢詩では母音のことを「韻母(いんぼ)」といいます。 たとえば起句の七文字目を「この字でいこう」と決めたら、その漢字がどの「韻母」を持つか調べて、同じ韻母を持つ同じグループに属する漢字を承句の七文字目、結句の七文字目に持って来れば詩としての形式は整うわけです。 ここで注意すべきことは、漢詩における「韻母」は現代中国語における「韻母」とはまったく別物だ、ということです。 中国では長い年月にわたって詩における韻が体系づけられ整理され、13世紀に106の韻に分類されました。 この106韻のうちのどの韻に属するかを、まずは調べるんです。 「げえっ!106も!」 「ややこしい…」 そう思いましたか。 しかし、調べ方はカンタンです。 漢和辞典を引きます。 すると、題目となる漢字「親字 おやじ 」の下に、音読み・訓読みがあって、その下に四角形が書いてあります。 よく見るとこの四角形の一つの角に、印がついています。 この印が「四声」の区別をあらわすことは先日お話ししました。 左下から時計回りに、平声 ひょうしょう ・上声 じょうしょう ・去声 きょしょう ・入声 にっしょう です。 そして四角の中の漢字が「韻目 いんもく)」です。 漢字を「韻 音 」でグループ分けした時のボスになる漢字です。 李白「早発白帝城」の起句について調べると、図のようになります。 この四角の中の漢字が「韻目」で、韻によって漢字をグループ分けした時のボス(代表選手)となる漢字です。 韻目表 ここで「韻目表」の登場です。 韻目表は、106の韻目を一覧にしたものです。 平声・上声・去声・入声と四声ごとに分類しています。 ただし平声に属する韻目は多いので、さらに上平声と下平声に分けます。 この韻目表によって、ある漢字がどの韻母に属しているか。 調べることができるんです。 といっても、「仄」で韻を踏むことは滅多に無いので実際に使うのは上平声と下平声がほとんどになります。 さて李白「早発白帝城」ですが。 起句「朝辞白帝彩雲間」のうち、韻に関係するのは七文字目の「間」だけです。 なのでまず漢和辞典で「間」という字を引きましょう。 すると、四角の左下角にマークがついており、四角の中の漢字は「刪(サン)」です。 これで「間」という漢字の平仄は「平」であり「刪」という韻目に属する、という情報が得られました。 韻目表の「十五刪」の欄を確認してください。 韻字表 あとは、同じく「刪」のグループに属する漢字を選んで承句・転句・結句の七文字目に置けば、いちおう詩の形式が調うことになります。 では、「刪」のグルーブに属する漢字には他にどんな字があるのか? 調べてみましょう。 それには「韻字表」を使います。 「韻字表」は漢和辞典に載ってます。 「韻字表」には同じ韻目・四声に属する漢字がずらーっと並んでます。 この中から「韻を踏む」のに使う字を選べばいいわけです。 関閑環姦艱菅顔頑山刪班攀蛮湾患間還 イタズラしてみる ためしに李白の詩にイタズラして、一文字入れ替えてみましょう。 朝辞白帝彩雲間 千里江陵一日 患 両岸猿声啼不住 軽舟已過万重山 朝に辞す白帝彩雲の間 千里の江陵一日 患(うれ)ふ 両岸の猿声啼いて住(や)まざるに 軽舟已に過ぐ万重の山 一字入れ替えるだけで、そうとうダメな詩になりました。 承句が「患ふ」では早くも承句の段階で憂鬱な雰囲気が出ており、転句の「両岸猿声啼不住」の意外性が死んでしまいます。 このようにちょっといじると、李白の詩がいかにすぐれているか、身に染みて実感できますね。 しかし同じ「韻目」に属する漢字を使う限り、韻はちゃんと踏んでいるし、「平仄」のルールにものっとっています。 だからこれはいちおう「漢詩」になっています。 漢詩を一から自分で作るのは大変ですが、このように有名漢詩の言葉をちょこっといじってイタズラしてるうちに、平仄や韻のルールが覚えられ、名作がなぜ名作たりえているのか?そのすごさがわかります。 おすすめです。 まとめます ・七言絶句では起句・承句・結句の七文字目で韻を踏む「押韻」すべし。 ・「韻を踏む」「押韻」とは、響きの同じ言葉でそろえること=母音を揃えること。 それも「漢音で」母音を揃えること。 ・ある文字で韻を踏む時は、漢和辞典を引いて「韻目」を調べる。 ・そして同じ「韻目」に属する漢字を「韻字表」を使って調べる。 次回は「」。 お楽しみに。 発売中です。 中国語朗読つき 杜甫 詩と生涯 杜甫の代表的な詩28篇を日本語書き下し・現代語訳・中国語で朗読し、解説を加えたCD-ROMです。 膨大な杜甫の詩の中でも、 ・日本でも愛唱されて馴染み深いもの ・あまり難解でなく、背景説明の必要が無いもの ・言葉の抑揚が美しいもの を中心に28篇を選びました。 杜甫の名作といわれる詩は、 ほぼ網羅できているはずです。 早期お申込み特典は諸葛亮孔明の「出師の表」の 漢文・中国語・現代語訳による朗読です。 6月25日までの早期お申込み特典です。 お申込みはお早目にどうぞ。 本日も左大臣光永がお話ししました。 ありがとうございます。 ありがとうございました。

次の

【2020】おすすめの日本語ラップ26選【ラップ好き必見】

日本語 韻

ぱっと書いてみてます。 まだ研究中の分野で随時変更あり。 私的研究の範疇だが大きくまちがっていないだろうと思う。 (だから書いてんだろってか) 外国の詩って語尾に韻を踏んだりしますね。 ですが、日本語の詩っていうのは和歌だの俳句だの文字数を重視するわけです。 なんででしょう? 拙者の考えでは 主に下記、日本語特有の二つの要素が効いていると思います。 日本語っていうのは世界でもまれな発音数の少ない言語です。 おかげで表音文字で表すのに発音を一文字づつにわりあてても50文字くらいですんじゃうんです。 一方、英語とか他言語は発音数が多くてそんな芸当できないから2文字、3文字で1音表すわけです。 次に、これが大きいが日本語には「母音調和」という発音上の規則があります。 たとえば「か、き、く、け、こ」 ローマ字であらわせば「KA,KI,KU,KE,KO」で語尾は必ずA,I,U,E,Oの5種類の母音どれかで終わっているのです。 しかも各発音は母音、または子音1ヶに母音1ヶ、同じリズムなわけです。 それを踏まえて…… 外国の言語の発音ってのは、発音数も多く、もちろん母音調和なんてない。 文を組み立てれば、発音の区切りもバラバラ、単語はかすれた子音で終わりまくり。 韻をふまずに自由気ままに作文すると、きれいなリズムにならないのです。 ところが、日本語は、発音数も少ない上に母音調和がある。 自由作文しても語尾は基本5つの母音に収束する。 普通に書いても汚く聞こえる発音は少ない。 一音ずつの長さも同じ。 ならば、意識すべきは韻よりも文章全体のリズムの方であって そこで、例えば 5、7、5や5、7、5、7、7のように 「文章に使用する発音数を制御するだけである種のリズムができる」 事を重視して日本語の詩は発展したのだと思います。 (ここで、すでに書いたとおり、 日本語の発音は1音=1文字ですので、結果的にリズムを文字数で制御しているように見えます。 もっとも、最初は大陸の七言絶句みたいな詩の形式の影響などあったかもしれません。 日本の事情にマッチした形式になったのがこれ、という事では) 古代の和歌から俳句や現代詩まで韻がそれほど重要視されないのは、上記のような理由だと考えています。 いや、歌や詩も韻を意識したの多いよ?ってご意見あるかもしれませんが、 それはむしろ近代になって外国の歌や詩が入ってきて、それに影響されているかと。 韻を踏むのは日本語では表現の幅が増えるだけですが、 外国の詩だとそもそも韻を踏まないと、詩として成立しなかったり……という事なのではないかと。 追記===== 同じような理由で、 「なぜ英米人はダジャレばかりいうのか」 も説明できると思います。 おそらく英語では発音数が多いためにダジャレをいうのは知的なパズル遊びのような?比較的高度なジョークなのでしょう。 (「不思議の国のアリス」なんてダジャレだらけと聞きます。 英語の原作、読んでないけど) ところが日本ではダジャレなんて簡単にできるような(酔っ払ったおじさんが好むような)低レベルギャグ。 デーブ・スペクターも登場したころは自分のギャグがウケなくて、さぞ心外だったでしょう。 (最近、デーブはジョーク自体言わなくなったような) 佑村河内攻さん、中国語は発音数すごい多いみたいですから韻のふみがいがあると思います。 きむらしんいちさん、拙者もwiki見ましたが言語のリズムって音だけじゃなくて文法とかそういうのも影響ある気もします。 井野葵さん、あんまりやると違和感でちゃうかもですね。 後ほど本文に追記しますがだじゃれっぽくなっちゃうと間抜けだし。 きよみさん、歌詞とかもリフレインとかはあるけど韻ってあんまり使わないと思います。 拙者もぱっと思い浮かんだのはおごうさんと同じく日本語ラップですね おごうさん、日本語ラップの人は韻にこだわっている?感じですね。 韻を踏んでないとただの文を節つけて読んでるだけみたいになっちゃうかな(ラップと気づいてもらえないw)。

次の