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現代の大衆演劇ブームを語る 「劇団花車」姫京之助、姫錦之助インタビュー | ガジェット通信 GetNews

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江戸時代以前にまでルーツを遡ることができ、見方によっては日本最古のエンターテイメントとも言える大衆演劇。 その大衆演劇がいま関西を中心に活況を呈しているという。 たしかに早乙女太一さんのブレイクなど、大衆演劇出身スターの活躍は記憶に新しい。 このブームを当の役者たちはどう見ているのだろうか。 1986年の立ち上げ以来、大衆演劇の旗手として業界を牽引してきた 『劇団花車』の 姫京之助さん、 姫錦之助さん親子にお話をうかがった。 筆者:昨今テレビ等のメディアで大衆演劇がブームだととりあげられる機会が増えていますが、 実感としてはいかがでしょうか? 京之助:ここ3年ほど関西ではいくつも新しい劇場が出来ていますし、新しい層のお客さまも増えているように感じます。 十代や学生服の方もいらっしゃいますね。 筆者:劇団花車では関西の劇場で公演される機会は多いのでしょうか? 京之助:年間4ヶ月ほどは関西に来ているのではないでしょうか。 特に新開地劇場 兵庫県神戸市 などは、毎年恒例のようになっています。 筆者:なぜこのブームは関西中心なのでしょうか。 また関西は大阪を中心に神戸や奈良も交通の便が良いので、お客さまが移動しやすいということも大きいでしょうね。 近々にはプロジェクションマッピングの技術を導入することも検討しています。 筆者:古くからの伝統的なイメージが根強い大衆演劇ですが、現代的な総合エンターテイメントとしても進化しているわけですね。 錦之助:そうですね。 伝統的な部分は守っていかなくてはいけないと思いますが、その一方で新しいチャレンジは絶対に必要だと思っています。 また、うち以外にもそういう前向きな方針を持つ劇団が多いからこそ今の盛り上がりがあるのかなと。 ただ、業界全体を見渡すとダメな方向にチャレンジしてしまっている例もあります。 筆者:と言いますと? 錦之助:ほんの少しですが、お客さまへのサービスが過剰になってしまっている若手がいるんですね。 終演後のお見送りではお客さまと役者で写真撮影させていただく機会があるんですが、ほっぺたをくっつけたり、後ろから抱きつくようなポーズで写真を撮らせたり……距離が近すぎるんです。 ノリでたまたまそうなることもあるでしょうし、全てが駄目だというつもりはありませんが僕たちは役者であってホストではありませんから。 筆者:距離が近いことも大衆演劇の一つの魅力ではありますが、それをはきちがえてしまう方がいるわけですね。 錦之助:親父の若い頃もお見送りはありましたが、たとえば握手をするにしても片手でするのが普通だったそうです。 それが今は両手ですよね。 そこまでなら理解できるけど、最近はどんどんエスカレートしておかしな方向にいってる場合があるみたいです。 筆者:芸事はどんな業界でも一部にそんな人が出てきてしまいますが、そういう手段でファンを獲得しようとしても長続きはしませんよね。 錦之助:浮ついて目先の利益を追うんじゃなくて、役者なんだから演技や踊りを学んで芸を磨くべきなんですよ。 芸に深みのある役者が育っていかないと10年後、20年後のの大衆演劇業界は危なくなってくるんじゃないかと思います。 たしかに関西を中心に新しいお客さんや劇場は少し増えましたが、全国的に見ると大衆演劇ファンは確実に減っています。 20年位前、僕が十代の頃に感じていた盛り上がりにくらべると寂しいくらいです。 京之助:それは言えると思いますね。 昔はいい席を取るために劇場の前で一晩野宿するような人がたくさんいましたよ。 沖縄からも北海道からも遠征で来てくれるお客さまも珍しくなかったです。 筆者:京之助さんは1980年代の一大ブーム期も体験されていますね。 京之助:あの頃こそ本当のブームでしたね。 梅沢富美男さんの『夢芝居』 1982年リリース が大ヒットした時期で、全国どこの劇場にも大衆演劇ファンが押しかけました。 僕が公演した東京の劇場なんか定員250人のところを無理やり400人入れて、昼夜2回公演。 通路にも階段にもお客さまが座ってました。 それが日常だったんです。 筆者:そういう時代を経験されているから「今がブーム」と言われてもピンとこない部分があるわけですね。 京之助:そうですね。 全然違います。 筆者:今後の大衆演劇業界にとって必要な取り組みとは何でしょうか? 京之助:僕たちの仕事はお芝居や踊りを通して人に夢をあたえることなんです。 このままじゃダメになります。 今が正念場ですね。 錦之助:そうですね。 もっと多くの方に大衆演劇を知っていただき、愛していただけるように芸を突きつめていかなくてはいけないと思います。 従来のファンが本格的な高齢化を迎えつつある今、大衆演劇業界が大きな岐路に立っていることは間違いないだろう。 その中で、目先のブームに浮かれることなくしっかり地に足をつけて役者の本分を全うしたいという二人の声は実にすがすがしい自信に満ち溢れていた。 姫京之助 ひめ きょうのすけ 1958年生。 福岡県出身。 役者の家に生まれ、15歳から大衆演劇の世界へ。 昭和を代表する喜劇役者・藤山寛美に才能を愛され、松竹新喜劇での活動を経て1986年に『劇団花車』を創立。 以来、各地での公演を通し、現在の大衆演劇界を代表するスターとしての地位を築き上げた。 近年は映画出演や鳥羽一郎とのデュエットシングル『男の流転』リリースなど大衆演劇以外のシーンでも活躍している。 姫錦之助 ひめ きんのすけ 1981年生。 福岡県出身。 姫京之助の長男として生まれ、6歳から『劇団花車』と生活を共にする。 1990年代半ばには若手役者を選抜したイベント『若竹会』で大川良太郎、恋川純弥らと競演。 品格と色気を兼ね備えた高い演技力は大きな注目を受け、現在に至る人気を築き上げた。 2007年に座長襲名。 以来、父とともに看板役者として劇団を支えている。 進取の気性に富み、『電飾花魁ショー』の考案などでも知られるアイデアマン。 shinkaichigekijou. atpages.

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江戸時代以前にまでルーツを遡ることができ、見方によっては日本最古のエンターテイメントとも言える大衆演劇。 その大衆演劇がいま関西を中心に活況を呈しているという。 たしかに早乙女太一さんのブレイクなど、大衆演劇出身スターの活躍は記憶に新しい。 このブームを当の役者たちはどう見ているのだろうか。 1986年の立ち上げ以来、大衆演劇の旗手として業界を牽引してきた 『劇団花車』の 姫京之助さん、 姫錦之助さん親子にお話をうかがった。 筆者:昨今テレビ等のメディアで大衆演劇がブームだととりあげられる機会が増えていますが、 実感としてはいかがでしょうか? 京之助:ここ3年ほど関西ではいくつも新しい劇場が出来ていますし、新しい層のお客さまも増えているように感じます。 十代や学生服の方もいらっしゃいますね。 筆者:劇団花車では関西の劇場で公演される機会は多いのでしょうか? 京之助:年間4ヶ月ほどは関西に来ているのではないでしょうか。 特に新開地劇場 兵庫県神戸市 などは、毎年恒例のようになっています。 筆者:なぜこのブームは関西中心なのでしょうか。 また関西は大阪を中心に神戸や奈良も交通の便が良いので、お客さまが移動しやすいということも大きいでしょうね。 近々にはプロジェクションマッピングの技術を導入することも検討しています。 筆者:古くからの伝統的なイメージが根強い大衆演劇ですが、現代的な総合エンターテイメントとしても進化しているわけですね。 錦之助:そうですね。 伝統的な部分は守っていかなくてはいけないと思いますが、その一方で新しいチャレンジは絶対に必要だと思っています。 また、うち以外にもそういう前向きな方針を持つ劇団が多いからこそ今の盛り上がりがあるのかなと。 ただ、業界全体を見渡すとダメな方向にチャレンジしてしまっている例もあります。 筆者:と言いますと? 錦之助:ほんの少しですが、お客さまへのサービスが過剰になってしまっている若手がいるんですね。 終演後のお見送りではお客さまと役者で写真撮影させていただく機会があるんですが、ほっぺたをくっつけたり、後ろから抱きつくようなポーズで写真を撮らせたり……距離が近すぎるんです。 ノリでたまたまそうなることもあるでしょうし、全てが駄目だというつもりはありませんが僕たちは役者であってホストではありませんから。 筆者:距離が近いことも大衆演劇の一つの魅力ではありますが、それをはきちがえてしまう方がいるわけですね。 錦之助:親父の若い頃もお見送りはありましたが、たとえば握手をするにしても片手でするのが普通だったそうです。 それが今は両手ですよね。 そこまでなら理解できるけど、最近はどんどんエスカレートしておかしな方向にいってる場合があるみたいです。 筆者:芸事はどんな業界でも一部にそんな人が出てきてしまいますが、そういう手段でファンを獲得しようとしても長続きはしませんよね。 錦之助:浮ついて目先の利益を追うんじゃなくて、役者なんだから演技や踊りを学んで芸を磨くべきなんですよ。 芸に深みのある役者が育っていかないと10年後、20年後のの大衆演劇業界は危なくなってくるんじゃないかと思います。 たしかに関西を中心に新しいお客さんや劇場は少し増えましたが、全国的に見ると大衆演劇ファンは確実に減っています。 20年位前、僕が十代の頃に感じていた盛り上がりにくらべると寂しいくらいです。 京之助:それは言えると思いますね。 昔はいい席を取るために劇場の前で一晩野宿するような人がたくさんいましたよ。 沖縄からも北海道からも遠征で来てくれるお客さまも珍しくなかったです。 筆者:京之助さんは1980年代の一大ブーム期も体験されていますね。 京之助:あの頃こそ本当のブームでしたね。 梅沢富美男さんの『夢芝居』 1982年リリース が大ヒットした時期で、全国どこの劇場にも大衆演劇ファンが押しかけました。 僕が公演した東京の劇場なんか定員250人のところを無理やり400人入れて、昼夜2回公演。 通路にも階段にもお客さまが座ってました。 それが日常だったんです。 筆者:そういう時代を経験されているから「今がブーム」と言われてもピンとこない部分があるわけですね。 京之助:そうですね。 全然違います。 筆者:今後の大衆演劇業界にとって必要な取り組みとは何でしょうか? 京之助:僕たちの仕事はお芝居や踊りを通して人に夢をあたえることなんです。 このままじゃダメになります。 今が正念場ですね。 錦之助:そうですね。 もっと多くの方に大衆演劇を知っていただき、愛していただけるように芸を突きつめていかなくてはいけないと思います。 従来のファンが本格的な高齢化を迎えつつある今、大衆演劇業界が大きな岐路に立っていることは間違いないだろう。 その中で、目先のブームに浮かれることなくしっかり地に足をつけて役者の本分を全うしたいという二人の声は実にすがすがしい自信に満ち溢れていた。 姫京之助 ひめ きょうのすけ 1958年生。 福岡県出身。 役者の家に生まれ、15歳から大衆演劇の世界へ。 昭和を代表する喜劇役者・藤山寛美に才能を愛され、松竹新喜劇での活動を経て1986年に『劇団花車』を創立。 以来、各地での公演を通し、現在の大衆演劇界を代表するスターとしての地位を築き上げた。 近年は映画出演や鳥羽一郎とのデュエットシングル『男の流転』リリースなど大衆演劇以外のシーンでも活躍している。 姫錦之助 ひめ きんのすけ 1981年生。 福岡県出身。 姫京之助の長男として生まれ、6歳から『劇団花車』と生活を共にする。 1990年代半ばには若手役者を選抜したイベント『若竹会』で大川良太郎、恋川純弥らと競演。 品格と色気を兼ね備えた高い演技力は大きな注目を受け、現在に至る人気を築き上げた。 2007年に座長襲名。 以来、父とともに看板役者として劇団を支えている。 進取の気性に富み、『電飾花魁ショー』の考案などでも知られるアイデアマン。 shinkaichigekijou. atpages.

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江戸時代以前にまでルーツを遡ることができ、見方によっては日本最古のエンターテイメントとも言える大衆演劇。 その大衆演劇がいま関西を中心に活況を呈しているという。 たしかに早乙女太一さんのブレイクなど、大衆演劇出身スターの活躍は記憶に新しい。 このブームを当の役者たちはどう見ているのだろうか。 1986年の立ち上げ以来、大衆演劇の旗手として業界を牽引してきた 『劇団花車』の 姫京之助さん、 姫錦之助さん親子にお話をうかがった。 筆者:昨今テレビ等のメディアで大衆演劇がブームだととりあげられる機会が増えていますが、 実感としてはいかがでしょうか? 京之助:ここ3年ほど関西ではいくつも新しい劇場が出来ていますし、新しい層のお客さまも増えているように感じます。 十代や学生服の方もいらっしゃいますね。 筆者:劇団花車では関西の劇場で公演される機会は多いのでしょうか? 京之助:年間4ヶ月ほどは関西に来ているのではないでしょうか。 特に新開地劇場 兵庫県神戸市 などは、毎年恒例のようになっています。 筆者:なぜこのブームは関西中心なのでしょうか。 また関西は大阪を中心に神戸や奈良も交通の便が良いので、お客さまが移動しやすいということも大きいでしょうね。 近々にはプロジェクションマッピングの技術を導入することも検討しています。 筆者:古くからの伝統的なイメージが根強い大衆演劇ですが、現代的な総合エンターテイメントとしても進化しているわけですね。 錦之助:そうですね。 伝統的な部分は守っていかなくてはいけないと思いますが、その一方で新しいチャレンジは絶対に必要だと思っています。 また、うち以外にもそういう前向きな方針を持つ劇団が多いからこそ今の盛り上がりがあるのかなと。 ただ、業界全体を見渡すとダメな方向にチャレンジしてしまっている例もあります。 筆者:と言いますと? 錦之助:ほんの少しですが、お客さまへのサービスが過剰になってしまっている若手がいるんですね。 終演後のお見送りではお客さまと役者で写真撮影させていただく機会があるんですが、ほっぺたをくっつけたり、後ろから抱きつくようなポーズで写真を撮らせたり……距離が近すぎるんです。 ノリでたまたまそうなることもあるでしょうし、全てが駄目だというつもりはありませんが僕たちは役者であってホストではありませんから。 筆者:距離が近いことも大衆演劇の一つの魅力ではありますが、それをはきちがえてしまう方がいるわけですね。 錦之助:親父の若い頃もお見送りはありましたが、たとえば握手をするにしても片手でするのが普通だったそうです。 それが今は両手ですよね。 そこまでなら理解できるけど、最近はどんどんエスカレートしておかしな方向にいってる場合があるみたいです。 筆者:芸事はどんな業界でも一部にそんな人が出てきてしまいますが、そういう手段でファンを獲得しようとしても長続きはしませんよね。 錦之助:浮ついて目先の利益を追うんじゃなくて、役者なんだから演技や踊りを学んで芸を磨くべきなんですよ。 芸に深みのある役者が育っていかないと10年後、20年後のの大衆演劇業界は危なくなってくるんじゃないかと思います。 たしかに関西を中心に新しいお客さんや劇場は少し増えましたが、全国的に見ると大衆演劇ファンは確実に減っています。 20年位前、僕が十代の頃に感じていた盛り上がりにくらべると寂しいくらいです。 京之助:それは言えると思いますね。 昔はいい席を取るために劇場の前で一晩野宿するような人がたくさんいましたよ。 沖縄からも北海道からも遠征で来てくれるお客さまも珍しくなかったです。 筆者:京之助さんは1980年代の一大ブーム期も体験されていますね。 京之助:あの頃こそ本当のブームでしたね。 梅沢富美男さんの『夢芝居』 1982年リリース が大ヒットした時期で、全国どこの劇場にも大衆演劇ファンが押しかけました。 僕が公演した東京の劇場なんか定員250人のところを無理やり400人入れて、昼夜2回公演。 通路にも階段にもお客さまが座ってました。 それが日常だったんです。 筆者:そういう時代を経験されているから「今がブーム」と言われてもピンとこない部分があるわけですね。 京之助:そうですね。 全然違います。 筆者:今後の大衆演劇業界にとって必要な取り組みとは何でしょうか? 京之助:僕たちの仕事はお芝居や踊りを通して人に夢をあたえることなんです。 このままじゃダメになります。 今が正念場ですね。 錦之助:そうですね。 もっと多くの方に大衆演劇を知っていただき、愛していただけるように芸を突きつめていかなくてはいけないと思います。 従来のファンが本格的な高齢化を迎えつつある今、大衆演劇業界が大きな岐路に立っていることは間違いないだろう。 その中で、目先のブームに浮かれることなくしっかり地に足をつけて役者の本分を全うしたいという二人の声は実にすがすがしい自信に満ち溢れていた。 姫京之助 ひめ きょうのすけ 1958年生。 福岡県出身。 役者の家に生まれ、15歳から大衆演劇の世界へ。 昭和を代表する喜劇役者・藤山寛美に才能を愛され、松竹新喜劇での活動を経て1986年に『劇団花車』を創立。 以来、各地での公演を通し、現在の大衆演劇界を代表するスターとしての地位を築き上げた。 近年は映画出演や鳥羽一郎とのデュエットシングル『男の流転』リリースなど大衆演劇以外のシーンでも活躍している。 姫錦之助 ひめ きんのすけ 1981年生。 福岡県出身。 姫京之助の長男として生まれ、6歳から『劇団花車』と生活を共にする。 1990年代半ばには若手役者を選抜したイベント『若竹会』で大川良太郎、恋川純弥らと競演。 品格と色気を兼ね備えた高い演技力は大きな注目を受け、現在に至る人気を築き上げた。 2007年に座長襲名。 以来、父とともに看板役者として劇団を支えている。 進取の気性に富み、『電飾花魁ショー』の考案などでも知られるアイデアマン。 shinkaichigekijou. atpages.

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