あまん きみこ 死去。 【死因は病気?】上野紀子(絵本作家)が死去 ねずみくんの絵本シリーズ

「ねずみくんの絵本」作者、上野紀子さん死去→素敵な絵本ありがとうございました。

あまん きみこ 死去

2019年3月16日 9:21 午前 絵本作家の上野紀子(うえの・のりこ=本名:中江紀子)さんが2月28日、病気のため死去しました。 78歳。 埼玉県出身。 葬儀・告別式は近親者で済ませました。 喪主は夫で絵本作家のなかえよしを(中江嘉男)さん。 上野紀子さんは、日本大学芸術学部美術科卒業。 大学の同級生・中江さんと結婚。 1973年、アメリカで出版した『ELEPHANT BUTTONS』(邦題:ぞうのボタン)でデビュー。 夫のなかえよしを(中江嘉男)さん・文、上野さん・絵による『ねずみくんのチョッキ』で1975年に講談社出版文化賞絵本賞、1987年に『いたずらララちゃん』で絵本にっぽん賞、2005年になかえさんとともに巌谷小波文芸賞を受賞。 『ねずみくんのチョッキ』に始まる「ねずみくんの絵本」シリーズは35巻で累計400万部のロングセラーとなっています。 夫の中江さんとの合作が多いですが、あまんきみこさんの『ちいちゃんのかげおくり』や舟崎靖子さんの『いさむのかばん』の絵も担当。 著書に『わたしと魔術師』『扉の国』『こころのえほん』『ことりとねこのものがたり』『だーれだ』など。

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あまんきみこのおすすめの絵本5選!『おにたのぼうし』の作者

あまん きみこ 死去

もう1ヶ月程前のことでしょうか。 「ちいさいおうち」という本屋さんの主催で あまんきみこさんの講演会がありました。 あまんきみこさんの本は、こどもの頃読んだことがありますし、 小学校の教科書にもよく載っていますので、 いくつかのお話を知っていました。 温かい、夢のあるすてきなお話ばかりです。 「あまんきみこさん」いったいどんな人なのか ドキドキしながら、会場に向かいました。 初めて会場でお会いした あまんきみこさんは小柄な方でした。 そして、少女のような感性を持った方でした。 声も 話し方も、とってもすてきな方でした。 あまんきみこさんが女学校の時に、黒板に先生が書かれた詩の お話をされました。 その時の詩を紹介します。 「一粒の砂に 世界を見 一輪の花に 天国を見る 掌(たなごころ)の内に 無限をつかみ 一瞬に 永遠を知る」 この4行の詩を聞いたあまんきみこさんは「はっ!」 とされたそうです。 私も「はっ!」としました。 魂が揺さぶられ、謎が解けたような・・・・ あまんきみこさんの書かれた物語のすべての意味が、 この詩の中に・・・ そして、私も何かふっきれず、 なかなかお話が書けなかったヒントがこの中に・・・・ 衝撃を受けました。 ・・・・・しばらく、時間が止まってしまいました。 あまんきみこさんのお話されたことを もっともっと ここに書きたいのですが、 あまりにもすてきなことばかりで、書ききれません。

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星のタクシ- / あまん きみこ【作】/北田 卓史【絵】

あまん きみこ 死去

児童文学作家あまんきみこさんの講演会「おはなしが生まれるとき」が、2012年6月24日(日) 14:00〜開催された。 募集人数70名に対し、会場最大収容人数120名に迫る100名を超える聴衆を迎えることになり主催者としてはありがたい悲鳴に駆け回ることになった。 寝物語は面白いと困る。 祖父は、偉人伝だったし、母は、自分とそっくりの困った女の子が良い子になる話を聞かせてくれた。 子どもには平衡感覚があるのか、どの人が面白いから、どの人の話を聞きたいという思いはなく、まんべんなく6人の部屋を訪れていたと思う。 物語の子守唄だったと思う。 体を成さない寝物語は、その人のぬくもりの中で、その人の声で聞くことに意味があったのだと思う。 その他には謡本。 父の所蔵の高価な和紙の謡曲の本を読んだ。 難しかったけれど、声を出して読めば「解る」という経験をした。 病弱な自分にとって、窓に切り取られた空は最高の「絵本」だった。 最初の作品は、『車のいろは空のいろ』の「くましんし」だが、はじめは、外の景色が映る位ピカピカの黒い車だった。 しかし、後に空のいろになる。 そのほかにも、舞台として空を選んでいる作品も多い。 古田足日さん編集のおはなしのピースウォークに収録されている『空はつながっている』は、あまんさんには珍しく、満州から引き上げてくる人々に配られた青酸カリのことなどが題材になっており、直接的な物語になっているが・・・。 目隠しを取られ、ぐるぐる回るような思いで迎えた終戦。 テレビドラマでは、終戦のキーワードとして、青い空と、空襲がなくなったことでの夜の灯りが描かれることが多い。 青い空は同感だが、終戦後は、夜の灯りはすぐにはともせなかった。 満州は真っ暗で、第二の怖さ・・・ソ連兵に家に踏み込まれる経験。 しかし、子どもであった自分は、怖くはなかったとも言えるのかもしれない。 親が側にいたから。 保護者の力を信じているのが子どもかもしれない。 戦争中、満州の人とは分離した場所で暮らしていた。 子どもだった自分には、中国の人のことを慮ることができなかった。 自分たちは、日向の場所を歩いていた。 そして、そのせいで日陰を作っていることに気付かなかった。 私は、そのツケを払っていない。 私と戦争は切り離せないものとして、一生のテーマである。 あまんさんの作品には、温かなお母さんとの心のやり取りが多く描かれており、実際にもそういう濃密な時間を過ごされたのだろうと想像していた。 43歳という若さでお母さんは亡くなられたということ。 早くにお母さんを亡くされていたことは意外な思いで読んだ。 お母さんが大好きだったというご主人との結婚。 私はお母さんの好きな人と結婚したのよとあまんさんはおっしゃった。 そして、婚約が整い、その披露の夜、家庭についての心得など多くのことをあまんさんと語り、ガンを患っていたお母さんは意識不明になり亡くなったというエピソードをあかされた。 死者は生者の中に生きる。 私の中に母がいる。 私が生きていることで、母が生きて行く。 生きているということは、たくさんの死者を大切にすることでもある。 『ちいちゃんのかげおくり』について 自分の中では、ちいちゃんは、「かげおくり」がつなぐ女三代の物語の真ん中に位置するはずの女の子だった。 おばあさん は なみこさん おかあさん は ちいちゃん 子どもは せんこちゃん 一年間くらい、ずっと考えたけれど、ちいちゃんは、生きて母になることはなく、死んでしまった。 未来を奪うのが戦争なのだ・・・そう、考えている。 私は、自分の描きたい世界をずっと思っている。 それは、物語に恋をしているような気持ち。 どんな画家さんと仕事がしたいとかいう思いはなく、自分の描きたい世界を書くだけだ。 今、書きたいものは、竹林の光と風。 たけのこが伸びるとき、親竹が枯れる。 「竹の秋」は、春の季語・・・。

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