家庭 用 ゲーム 機 歴史。 ゲーム機

テレビテニスから始まった国内家庭用ゲーム機の移り変わり

家庭 用 ゲーム 機 歴史

2000年~2014年までの本体 、、に引き続き、今日は後編! 2000年から2014年までに発売された家庭用ゲーム機を紹介します。 このあたりになってくると若い人でも普通に持っていたりプレイしたことがあるはず。 では、サクッといってみましょー! 2000年~2009年 プレイステーション2 2000年 SCE PS1で任天堂の牙城を崩した後に発売されたPS2。 下位互換を持たせることでPS1の豊富なソフト資産をそのまま遊べるようにしたのと、DVD再生機能があったことで、ちょうどビデオからDVDへの普及期にあった時代にピッタリ合致。 結果、世界で一番売れたゲーム機となりました(2013年時点:1億5360万台) 個人的にも大活躍した本体ですね。 DVD再生にもお世話になりました。 上にモノが置ける作りも意外に便利だったり、完成度の高い1台です。 ワンダースワンカラー 2000年 バンダイ ワンダースワンのカラー版として発売されました。 白黒からカラーになったものの、使っている液晶がSTN液晶(ゲームギアと同じタイプ)だったため残像などの問題がありました。 後にTFT液晶に変えたスワンクリスタルが出ました。 ゲームボーイアドバンスに先行していましたが、その有利を生かせず差を付けられてしまいました。 下位互換も持っていたことから買い替えしやすいため、お子さんを持っている親御さんも買いやすかったみたいです。 なにげに隠れた名作が多かった印象があります。 ゲームキューブ 2001年 任天堂 開発コードネームは『ドルフィン』。 ソフト開発がむずかしかったNINTENDO64の反省を踏まえ、開発しやすいことを念頭に作られた本体です。 ROMカセットからも決別し、ディスクドライブを採用したことも本気度合いが見て取れます。 市場に投入したのがまた後手 PS2の1年半後 だったこと、下位互換が無かったこと、DVD再生機能がない、などの欠点もあり、PS2の牙城を崩すまでには至りませんでした。 おしょ~もゲームキューブはほとんど興味が無かったんですよね。 とにかくPS2が強かった時代でした。 XBOX 2002年 マイクロソフト OSメーカーだったマイクロソフトがゲーム機市場に殴りこみ! ただ日本の住宅事情に合わない大きな本体や、『ディスクメディアに傷が付く』という問題が発生。 特に後者はリアルタイムで騒動を体験しています。 あれは各所でネタにされてしまうぐらい相当強烈なイメージダウンでしたね…。 発売されるゲームも洋ゲーが多く、今ほど一般的ではなかったため、日本のゲームユーザーから支持を集めることはできませんでした。 ゲームボーイアドバンス SP 2003年 任天堂 ゲームボーイアドバンスの上位機種。 本体を折りたためるようにしたことで持ち運びがしやすくなりました。 見た目的にも進化度合いがわかりやすかったため、買い替え需要を含みヒットを飛ばしました。 ハードディスクレコーダーがまだ高かった時代に、ある程度実勢価格が安めとなったため、ある程度売れたみたいです。 いや、お店であまり売れた印象が無いんですよね。 新しい携帯機として、PSPと同時期に市場に投入されました。 当初はソフト不足があったものの、『nintendogs』に代表されるタッチジェネレーションシリーズの登場、脳トレのブームもあり、数多くのライトユーザーが買っていく状態にまでなりました。 DSと同じく、初期はソフトラインナップに乏しかったものの、『モンスターハンターポータブル』の登場から本体も大きく躍進。 結果的に国内で1600万台を売り上げました。 ただ、世界ではぜんぜんシェアを取れず、DSに席巻されたまま牙城を崩すことはできませんでした。 日本でのイメージと世界の実情がかなり違うゲーム機ですね。 ゲームボーイミクロ 2005年 任天堂 ゲームボーイアドバンスをメチャメチャ小型化。 もちろんソフトも同じものを使うことができました。 ただ小型化したため、画面も2インチ&価格も13,800円と高額に。 実際購入してマリオを遊んだところ…目が疲れる! 画面の発色は良かったものの、いかんせん画面が小さすぎるためこれメインで遊ぶ、という状態にはなりませんでした。 すでにDSやPSPも出ていたので、新しいものが好きだったり、小さいことに魅力を感じるユーザーがメインでしたね。 XBOX360 2005年 マイクロソフト 黒船再び! マイクロソフトが投入したXbox360は日本ではソフト不足に悩み、世界に比べると売り上げは芳しくありませんでした。 『ブルードラゴン』『テイルズオブヴェスペリア』などの投入で販売状況が一時的に改善したものの、長続きせず長期で売り上げを安定させることはできませんでした。 スクエニもラストレムナント、スターオーシャン4、インフィニットアンディスカバリーなどを投入したんですけどね。 ニンテンドーDS Lite 2006年 任天堂 ニンテンドーDSの後継機。 小型化、軽量化が図られたことで購入希望者が殺到。 国内でしばらくの間売り切れになるほどの人気が出ました。 初代DSに比べ、スタイリッシュな見た目になったことも人気の一因でしょう。 プレイステーション3 2006年 SCE ゲーム機としての性能を追求したPS3。 内部で使われているCPUの『Cell』は開発費&生産の設備投資として3000億円とも言われる巨額を投入して生産されました。 そのため、初期の価格は実売で6万円を超える高価格となりました。 また、高性能ですがそのためにゲーム開発がしにくい環境もあり、ソフトが揃ってくるまでに数年を要すことに。 ただ、結果的には現在でもソフトが発売されるなど、息の長い本体になりました。 ただ、お店側としてはなかなか初期は厳しかったです。 ソフトが売れないと利益が取れないため、メタルギア4の登場でようやくなんとかなるかなーといった感じでしたね。 Wii 2006年 任天堂 Wiiリモコンとヌンチャク、というまったく新しいコントローラを引っさげて登場した本体。 上手に販促展開したWiiFitでヒットを飛ばし、大乱闘スマッシュブラザーズX、マリオカートWiiなどの投入で販売台数はNINTENDO64をサクッと超えました。 その後はモンスターハンター3 トライ がミリオンヒットを飛ばしたものの、サードパーティのソフトが不足。 自社ソフトはクオリティの高いものが多かったものの、PS3の隆盛に合わせて販売台数は落ち、結果的に大きく水をあけられることになりました。 ニンテンドーDSi 2008年 任天堂 ニンテンドーDSiLL 2009年 任天堂 DS、DSiの上位機種として発売されたDSiは30万画素のカメラを搭載。 SDカードスロットもあったため、撮影した画像を保存することができました。 GBAの下位互換は撤廃されるなど、多岐に渡るマイナーチェンジが行われた本体です。 一方のDSiLLは販売のテコ入れとして2009年に投入。 画面サイズが大きくなり視野角も広がりました。 年配層も意識して作られており、販促などでも実際に年配層向けのものが実施されましたね。 PSP go 2009年 SCE PSPからUMDドライブを取っ払い、ダウンロードソフトに特化した本体がこれ。 発売したときはまだ大容量のダウンロードをする環境が整っていおらず、既存のPSPソフトを持っている場合もそれを使うすべがなかったり、ソフトが実際に販売する小売店の反発もあり、実売は14万台にとどまりました。 現在はDLソフトが普通に販売されていますが、時代が早すぎました。 2010年~2014年 ニンテンドー3DS 2011年 任天堂 裸眼での立体視をひっさげて登場した、DSの後継機。 下位互換もあることから買い替え人気を含め当初から人気となりました。 DSから引き続き、サードパーティの引き込みにも成功しています。 ただ、現在は立体視を使っているユーザーはかなり少ない印象です。 後述するNewニンテンドー3DSでは立体視がより見やすくなっています。 PS VITA 2011年 SCE PSPの後継機種であり、ソニー初の両面タッチパネルを搭載したゲーム機でもあります。 ただ後に3G機能は取り除かれ、有機ELから液晶ディスプレイに変更されました。 現在はコアユーザーを中心のソフトラインナップになっており、 狩りゲーはかなりの売れ行きを誇っています。 しかし海外では売れ行きが芳しくなく、日本と海外のゲーム文化の差を感じられますね。 PS VITA TV 2013年 SCE TVにつなげて遊べる、据置型VITA本体。 本体としてはかなりコアですが、 大画面でVITAソフトが遊べるのは利点です。 据え置き機派、家でしかゲームを遊ばない、という人にはVITA本体よりこちらのVITATVのほうが向いていますね。 販売台数は6万台程度とかなり少ないですが、使われる状況を考えれば妥当? WiiU 2013年 任天堂 こちらはWiiの後継機。 液晶ディスプレイを搭載したコントローラ『WiiU GamePad』が特徴です。 去年はかなり悲惨な売り上げ状況でしたが、今年に入ってマリオカート8、ゼルダ無双、ベヨネッタ2、零~濡鴉の巫女~、そして12月6日発売予定の大乱闘スマッシュブラザーズ for WiiUと、魅力的なタイトルが投入されてきています。 ただ、いかんせんサードパーティ製のソフトが大変少ない状況は変わっていません。 ゲームユーザーのコア化も進みつつあるので、スマブラが出たあと、来年が勝負の年になるでしょう。 PS4 2013年 SCE PS3での反省を経て、ゲームが開発しやすいことを再優先にされて出来上がったゲーム機のPS4。 プレイ動画や画像を公開するための『SHEREボタン』がコントローラに搭載されるなど、 ネットワークを介した体験の共有にも重点が置かれています。 海外では発表当初から好意的に受け止められ、実際に売り上げもXboxOneに数百万台の差をつけているなど健闘しています。 逆に日本ではまだ100万台に届いていない(注:2014年11月19日現在)という状況です。 ソフトの充実スピードはPS3に比べるとかなり良く、このペースだとこの世代の覇権を握りそうな予感がします。 海外で強いのはメーカーとしても利点ですしね。 内部的な性能も上がっていますが、次世代機ではありません。 ゲームボーイの時代から任天堂の携帯機は マイナーチェンジで鮮度を出し、ユーザー需要を新たに掘り起こしていますね。 3DSは国内で1700万台近くが普及している中、発売してから両機種合計で51万台 2014年11月19日現在 売れているのはさすがです。 XboxOne 2014年 マイクロソフト 二度ある事は三度ある。 マイクロソフトがまたまたゲーム業界に挑戦です。 Windows8との互換性があったり、進化したKinectにも対応しています。 現在 2014年11月 の国内販売台数は3. 6万台。 PS4の21分の1、WiiUの54分の1。 Xbox360以上に厳しすぎる戦いです。 発売は海外では2013年11月、日本では2014年9月。 日本市場を重視しない姿勢は明らかにもなっており、抜本的な施策もとっていないので、 日本で普及するのはほぼ不可能でしょう。 実際買ってみて遊んでいる人間としては、けっこういい本体だと思うんですけどね。 フォルツァホライゾン2メッチャ面白いですよ…。 日本の家庭用ゲーム機は、来年で40年目 40年。 1つの文化として考えると、 まだまだ短いように思えます。 現在はスマホやタブレットなどの隆盛もありゲームのプラットフォームはじょじょに移り変わりつつあります。 いずれは『家庭用ゲーム機』が無くなる日がくるのかもしれません。 ファミコン世代としては残念ですが、時代の流れには逆らえません。 もし自分が生きているときにその日が来たら、今日書いた記事を 記録として書きなおしてみたいですね。 長くなりましたが、ここまで読んでくれてありがとうございます。

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懐かしすぎて泣ける!家庭用ゲーム機の歴史を思い出のゲームソフトと振り返る。ファミコンからPS4までの年表一覧。

家庭 用 ゲーム 機 歴史

家庭用ゲーム機の歴史は、1972年に米国マグナボックス社から発売された「オデッセイ」から始まった。 オデッセイは四角形のキャラクターとボールのような物などしか表示することしかできなかったが、オーバレイと呼ばれる半透明のカラーフィルムを静電気でテレビに貼り付けることで、12種類のゲームを遊べた。 光線銃によるゲームもこの時から存在していたというのだから少し驚きである。 1975年には、エポック社から国内初の家庭用TVゲーム機「テレビテニス」が発売され、「スーパービジョン8000」「カセットビジョン」「ぴゅう太」や、ゲーム機の元祖も日本向けに50種類以上のゲームを楽しめる「オデッセイ-2」が、1982年に49,800円という価格で日本上陸を果たした。 しかし、任天堂から「ファミリーコンピュータ」が発売されたことでそれらは消え、前哨戦とも言える最初のゲーム戦国時代の決着を迎えることとなる。 そして私はファミコンの誕生から現代にいたるまでのゲームの移り変わりを、ほぼリアルタイムで体験してきたわけだ。 その長い流れの中でも様々なコンセプトのゲーム機が登場し、その都度胸を躍らせていた。 しかし、PS3世代になると「この先は、似たようなハードの焼きまわし体験になるだろうな」と、ゲーム全体のアイデアの枯渇を感じるようになっていた。 しかし、仮想空間を疑似体験できるVRや、世代途中で性能を引き上げた「PS4 Pro」も登場し、来年3月には据え置きと携帯機を合わせたような「Nintendo Switch」の発売が予定されており、その興奮が蘇ってきた事は実に喜ばしいことだ。 この調子なら、今後も様々なゲームが出てくると期待を持てるが、それを想像するのは少し難しい。 そこで新たなハードが登場するのを前に、私と同世代の読者の方々には懐かしさに浸ってもらい、新世代の読者の方々には今と昔の違いを知ることで、新たなゲームの楽しさを発見してもらえればと思う。 国内市場ではファミコンからPS4までは6世代に分けられるが、それらは大きく3つの世代に分けることができると考える。 ドットとスプライトで駆け抜けたビット世代の創造期 ドットやスプライトを駆使したビット世代の代表格といえば、「ファミコン」「スーパーファミコン」「メガドライブ」「ネオジオ」「PCエンジン」だろう。 この世代は、今では考えられないほどの制約の中、知恵を駆使して作られたドットゲームは、色あせることなく今もゲーマーを魅了し続けている。 キャラクターは8x8ドットなどのスプライトと呼ばれるアイコンのような画像で描かれ、非力なハードで高速に多くのキャラクターを表示していた。 しかしファミコンでは、ハードの制約で横方向にスプライトが一定数並ぶと表示しきれないため、それを点滅させ交互に表示を切り替えて対処していた。 今の世代のユーザーに遊ばせたら「ナニコレ!バグ?故障?」驚きそうだが、かく言う筆者もスーファミに世代が交代した際、「キャラが点滅しない!」と無邪気に感動していたものだ。 またこの世代の特徴として、FCのディスクシステム、SFCのサテラビュー、メガドライブのメガCDや32X、PCエンジンの「コア構想」やスーパーCDロムロムなど、様々な形でハードウェアの拡張が積極的に行われ、わずかな投資でパワーアップしていくハードを見て目を輝かせていた。 しかも、ゲームソフト(カセット)に拡張チップを搭載することで、FCではサウンドの拡張を、SFCではポリゴンゲームを実現するという、今では考えられない曲芸飛行を平然とやってのけていた。 今ではハードの拡張は難しくなってしまったのは少し寂しいが、それを力業で再現したのが「PS4 Pro」や「XB1 Project Scorpio」と言えるだろう。 正直変化の実感は微妙だが、その存在意義は大きい。 そして、幼いながらも「技術面で凄い!」と初めて感じたゲームはファミコン時代に発売されたFC「メタルスレイダーグローリー」。 8Mbit 1MB という破格の容量に加え、雑誌に掲載された広告で「ファミコンでアニメーションってマジ!?」と驚愕し、キャラクターも可愛かったので欲しくなった。 だが、ファミコン末期で当時メジャーなジャンルでも無かったため出荷も少なく、店頭で見かけること無く途方に暮れていた……。 今では通販やDL版が当たり前になり、実に素晴らしい時代になったものだが、当時はおもちゃ屋でゲームを購入していた。 予約というシステムすら無く、小学生の自分にレアゲームの入手は余計と無理ゲーであった……。 ゲームタイトルに目を向けると、この時代は、アクション・シューティング・RPGを主力に、ボードゲームの「桃鉄」・シミュレーション「大戦略」「シムシティ」・育成「プリンセスメーカー」・恋愛「ときめきメモリアル」・落ちものパズル「テトリス」「ぷよぷよ」など、今も通用する様々なゲームの基礎を築くジャンルが生み出され、まさにビデオゲームの創造期と呼ぶに相応しい時代と言えるだろう。 この世代の中~後期には、任天堂やセガはハード拡張によるポリゴンの実装。 ハドソンはMPEG-1がベースと思われるHuVIDEOと名付けられたアニメ動画を、8ビットマシンのPCエンジンにソフトウェアで実装。 そしてアーケード筐体をほぼそのまま家庭用機にした、存在が異質のネオジオのROM容量は716MBitに達するなど、それぞれの曲芸飛行は究極の域に到達した後に、世代交代の波に飲まれることとなる。 解像度が低く色数も少ないが、8ビット機で滑らかなアニメの再生には驚いた。 商業的に成功を収めたのは、新規参入のソニー「PlayStation」「PlayStation2」、セガ「SEGA Saturn」「Dream Cast」、任天堂「NINTENDO64」「GAME Cube」。 サービス内容や技術面で延長上にある世代なので、これらを統一のグループのように筆者は考える。 この世代はいい意味で競争が激しく、国内におけるゲーム全盛期と言えた。 特に1999年には、PS1向けに年627本(同一内容の廉価タイトルを含まず)ものタイトルがリリースされ、合計3,290タイトルのゲームが誕生。 豊作と言われる今年発売されたPS4のパッケージタイトルだけで120本のリリースとなる。 価格やゲームボリュームなど状況はかなり異なるが、これら数値から如何に当時のゲーム業界全体が盛り上がっていたかがうかがい知れる。 それらを盛り上げた要因は、ユーザーを震撼させたポリゴンによるゲームだ。 その衝撃はすさまじく、表現の幅も一気に広がったことで「バーチャファイター」や「リッジレーサー」など、従来から有るジャンルに新たな風を吹き込んだと共に、「ビートマニア」や「パラッパラッパー」などのリズムゲームや、「どこでもいっしょ」「どうぶつの森」「シーマン」などNPCとのコミュニケーションゲームなど、これまでに無かった新ジャンルも次々と生み出された。 それらは一大ムーブメントを巻き起こす事となり、個人的にも最も楽しかった時代と言いたいところだが、非常に複雑な時代でもあった。 そんな懐かしのパラッパラッパーが20周年を記念しPS4版の発売が決定したのは、レトロゲーマー的に最高のニュースと言える。 その筆頭は、業界全体が不慣れで手探り状態だった3Dキャラクター。 最新作でも若干名残が特徴として残っているが、「鉄拳」のキャラクターは異様に不気味で濃いキャラデザインをしており、ゲームとしては面白かったがそのインパクトはすさまじい物だった。 インパクトで負けていなかったのは、セクシーな唇が特徴の「レイラ・クロフト」(国内版での名前)が登場する「トゥームレイダー」で、国内では発売当初は色物的にも話題となっていたように記憶するが、そういった個性有るキャラだったからこそ、今も残る人気作になり得た要因の一つかもしれない。 それをリアルタイムで経験していただけに、2013年に新たにリブート作として登場した「TOMB RAIDER」の美しく生まれ変わった「ララ・クロフト」を見て、本編の内容そっちのけで驚かされたのは記憶に新しい。 とはいえ、洋ゲーでは好まれるセンスが異なることもあり、国内でそのデザインが広く受け入れられるところに来るまでには少し時間が掛かった。 一方国内ではアニメ文化も手伝い、比較的速い速度でモデルの造形は美しくなり、技術的にもアニメ調のトゥーンシェーダーなども生み出されていった。 技術の急速な進化と共にハード競争もより一層激しい物になっていった。 その最たる物は、ドリームキャストを最後にセガがハード事業から撤退をしたことだろう。 インターネット機能など「早すぎたハード」などとよく形容されるが、巨額を投じた広告戦略で勝負に出た立ち上げ時に、搭載チップの歩留まりの悪さで製造が十分に間に合わず、ハード不足に陥ったのが致命的だったと思う。 もし計画通りの生産ができていたら、歴史は変わっていただろうか? コントローラーの進化は今も続くが、ファミコンのコントローラーで基礎が完成し、そこからもう一段進化したのが、PS1の立体的な作りのグリップ型コントローラーだろう。 L2R2ボタンは今では無くてはならない物となり、後期にはスティックや振動機能が追加されていった。 シューターにはやや不向きだが、その形状により前後左右斜めの入力が正確に行えるため、復活してくれないかな?と密かに思いを寄せていたりする。 DCも中々独特で、セーブデータの保存やミニゲームを単体で楽しめるビジュアルメモリと、それを装着できる機構は非常に面白い物だった。 だが、メモリの電池切れ時の電源投入時に発生するビープ音に悩まされ、スピーカーの配線をカットしたのは筆者だけでは無いはずだ……。 ソフトメーカーによるソフトウェア開発競争も凄まじく、PS2では開発の難しさからユーザーにも悲鳴の声が聞こえてきたが、環境が整うにつれて毎年のように目覚ましい進化を遂げていった。 モニター側の性能が技術に追いついた結果、今になり新技術のようにもてはやされているHDRも擬似的な物ではあったが、「ワンダと巨像」や「ヴァルキリープロファイル2」などで実装されていたのだから驚きだ。 しかし、規模の拡大や激しい競争など様々な理由から、2003年に国内最大手「スクウェア」と「エニックス」が合併したのも、この時代を象徴する出来事だった。 新たなアプローチやネットワークなど、混乱と迷走の世代 最後は、「Wii」と「Wii U」。 マイクロソフトの「Xbox360」と「Xbox One」。 「PlayStation 3」と「PlayStation4」の世代だ。 SDとHDの転換期では、大半のメーカーが何らかの混乱に陥った「大パニック紀」で、選択プラットフォームからゲーム品質や内容に至るまで、中々ひどい有様だった。 しかし、それも1~2年で落ち着きを見せ、徐々に真のMade in Japanタイトルの復活を見せた。 その頃には、フレンドやネット対戦などネットサービスが本格的に普及し、今ではフリープレイやクラウドサービスなど、天井知らずでサービスが拡充している。 また、これまでは強い癖が感じられた「洋ゲー」という枠は死語となりつつあり、海外の幅広いタイトルが自然に受け入れられるようになった。 もし国内業界で不変な物があるとすれば、時折審査基準の意味が分からないCEROによるレーティングぐらいだろう(変化されても困るが)。 FPSやTPSなどのシューティングも、今では十分市場ができあがった。 プラットフォームに目を向けると、「Wii」は他機種より性能を低く抑えたことでコアゲーマーからの不評の声があったものの、リモコンやWii Fit等による新鮮かつ分かりやすいアプローチで、離れていたライトユーザーを大きく取り戻した。 この功績はもっと評価されるべき事で、幅広いゲームを楽しめた名機と言っていいだろう。 しかし、HD転換期と重なることで失速も早く、6年で次の「Wii U」へにバトンタッチすることとなった。 だが売りであるはずのGamePadを、任天堂自信もユーザーに楽しさを示す形に消化することができず、性能面でも中途半端に。 そのためコアユーザーの囲い込みも叶わなかったが、そんな苦境の国内ですら軽々とミリオンソフトやフレッシュなイカを生み出すことに成功した任天堂の人気と驚異的な底力を忘れてはならない。 国際的に見れば大きなシェアの獲得で、ある意味勝者とも言えるマイクロソフトの「Xbox360」。 本体の不具合に足を引っ張られる面もあったが、保守的な国内市場に向け、JRPGを投入するなど大規模な投資を行う事で一定の市場形成に成功。 しかし、シェア獲得を急ぎすぎた反動は大きく中期以降で息切れし、勢いを落とす結果となってしまった。 そんな中でも最新世代の「Xbox One」につなげることができればよかったが、発表当時のサービス内容は多くのファンを落胆させ、特にパッケージ版もオンライン認証が必要なDRMに批判が集中。 だが、パッケージ購入派の筆者は逆に半分肯定派だったりする。 流石に有無を言わさないDRMはやり過ぎだと思うが、システムを少し簡素化し、DRMも任意で選択できれば、中古を利用しないユーザーにとって、一度インストールすればディスクレスでプレイできるのは非常に魅力的だからだ。 「PS3」は、開発の難しさと高すぎたハード価格で苦戦し、国内市場の混乱の引き金になった。 特にPS3の開発の難しさは深刻で、ソニー自身は1stタイトルでこそ素晴らしいクオリティを見せたが、ハードコストやOSの拡張で最後まで苦しむ事に。 サードに至っては「仁王」「FFヴェルサスXIII(現FFXV)」「人食いの大鷲トリコ」など、完成が次の世代に持ち越されるタイトルも続出し、それらは奇しくもPS4で同時期の発売に。 そして、それらの反省点を徹底的に生かして作られたのが「PS4」だ。 やり過ぎと思えるほどゲームに特化し、インディの囲い込みの成功や、分かりやすいシェア機能の提案などで一気に大ブレイク。 ただ、国内的には「PS3」世代から続く問題も残り、それは「昔ながらのジャパンスタジオ産1stタイトル」だ。 実質的に生き残っているのは「グランツーリスモ」と「みんゴル」のみで、かつての名作がスマートフォン向けにリリースされようとしているが、コンシューマー向けには難しいだろう……。 他にも各社それぞれが様々な問題を抱えているが、PlayStation Plusから始まった有料会員向けの旧作配布や、各種クラウドサービスなど、しのぎを削りながらサービスを発展させている。 成功したハードの成功の共通点は「楽しさのわかりやすさ」で、「Wii」のインターフェイスや「PS4」の徹底したゲーム戦略等が、ユーザーに上手く伝わり大ブレイクとなった。 そういった意味で「PSVR」は大成功を収めることに成功し、次に控える「Nintendo Switch」はそれを示すことができるのか? 任天堂は2017年1月13日に全貌を示すプレゼンテーションを実施予定なので、まずはそれを楽しみにしておこう。

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【歴史】日本で発売した歴代の家庭用ゲーム機 後編

家庭 用 ゲーム 機 歴史

家庭用ゲーム機の歴史は、1972年に米国マグナボックス社から発売された「オデッセイ」から始まった。 オデッセイは四角形のキャラクターとボールのような物などしか表示することしかできなかったが、オーバレイと呼ばれる半透明のカラーフィルムを静電気でテレビに貼り付けることで、12種類のゲームを遊べた。 光線銃によるゲームもこの時から存在していたというのだから少し驚きである。 1975年には、エポック社から国内初の家庭用TVゲーム機「テレビテニス」が発売され、「スーパービジョン8000」「カセットビジョン」「ぴゅう太」や、ゲーム機の元祖も日本向けに50種類以上のゲームを楽しめる「オデッセイ-2」が、1982年に49,800円という価格で日本上陸を果たした。 しかし、任天堂から「ファミリーコンピュータ」が発売されたことでそれらは消え、前哨戦とも言える最初のゲーム戦国時代の決着を迎えることとなる。 そして私はファミコンの誕生から現代にいたるまでのゲームの移り変わりを、ほぼリアルタイムで体験してきたわけだ。 その長い流れの中でも様々なコンセプトのゲーム機が登場し、その都度胸を躍らせていた。 しかし、PS3世代になると「この先は、似たようなハードの焼きまわし体験になるだろうな」と、ゲーム全体のアイデアの枯渇を感じるようになっていた。 しかし、仮想空間を疑似体験できるVRや、世代途中で性能を引き上げた「PS4 Pro」も登場し、来年3月には据え置きと携帯機を合わせたような「Nintendo Switch」の発売が予定されており、その興奮が蘇ってきた事は実に喜ばしいことだ。 この調子なら、今後も様々なゲームが出てくると期待を持てるが、それを想像するのは少し難しい。 そこで新たなハードが登場するのを前に、私と同世代の読者の方々には懐かしさに浸ってもらい、新世代の読者の方々には今と昔の違いを知ることで、新たなゲームの楽しさを発見してもらえればと思う。 国内市場ではファミコンからPS4までは6世代に分けられるが、それらは大きく3つの世代に分けることができると考える。 ドットとスプライトで駆け抜けたビット世代の創造期 ドットやスプライトを駆使したビット世代の代表格といえば、「ファミコン」「スーパーファミコン」「メガドライブ」「ネオジオ」「PCエンジン」だろう。 この世代は、今では考えられないほどの制約の中、知恵を駆使して作られたドットゲームは、色あせることなく今もゲーマーを魅了し続けている。 キャラクターは8x8ドットなどのスプライトと呼ばれるアイコンのような画像で描かれ、非力なハードで高速に多くのキャラクターを表示していた。 しかしファミコンでは、ハードの制約で横方向にスプライトが一定数並ぶと表示しきれないため、それを点滅させ交互に表示を切り替えて対処していた。 今の世代のユーザーに遊ばせたら「ナニコレ!バグ?故障?」驚きそうだが、かく言う筆者もスーファミに世代が交代した際、「キャラが点滅しない!」と無邪気に感動していたものだ。 またこの世代の特徴として、FCのディスクシステム、SFCのサテラビュー、メガドライブのメガCDや32X、PCエンジンの「コア構想」やスーパーCDロムロムなど、様々な形でハードウェアの拡張が積極的に行われ、わずかな投資でパワーアップしていくハードを見て目を輝かせていた。 しかも、ゲームソフト(カセット)に拡張チップを搭載することで、FCではサウンドの拡張を、SFCではポリゴンゲームを実現するという、今では考えられない曲芸飛行を平然とやってのけていた。 今ではハードの拡張は難しくなってしまったのは少し寂しいが、それを力業で再現したのが「PS4 Pro」や「XB1 Project Scorpio」と言えるだろう。 正直変化の実感は微妙だが、その存在意義は大きい。 そして、幼いながらも「技術面で凄い!」と初めて感じたゲームはファミコン時代に発売されたFC「メタルスレイダーグローリー」。 8Mbit 1MB という破格の容量に加え、雑誌に掲載された広告で「ファミコンでアニメーションってマジ!?」と驚愕し、キャラクターも可愛かったので欲しくなった。 だが、ファミコン末期で当時メジャーなジャンルでも無かったため出荷も少なく、店頭で見かけること無く途方に暮れていた……。 今では通販やDL版が当たり前になり、実に素晴らしい時代になったものだが、当時はおもちゃ屋でゲームを購入していた。 予約というシステムすら無く、小学生の自分にレアゲームの入手は余計と無理ゲーであった……。 ゲームタイトルに目を向けると、この時代は、アクション・シューティング・RPGを主力に、ボードゲームの「桃鉄」・シミュレーション「大戦略」「シムシティ」・育成「プリンセスメーカー」・恋愛「ときめきメモリアル」・落ちものパズル「テトリス」「ぷよぷよ」など、今も通用する様々なゲームの基礎を築くジャンルが生み出され、まさにビデオゲームの創造期と呼ぶに相応しい時代と言えるだろう。 この世代の中~後期には、任天堂やセガはハード拡張によるポリゴンの実装。 ハドソンはMPEG-1がベースと思われるHuVIDEOと名付けられたアニメ動画を、8ビットマシンのPCエンジンにソフトウェアで実装。 そしてアーケード筐体をほぼそのまま家庭用機にした、存在が異質のネオジオのROM容量は716MBitに達するなど、それぞれの曲芸飛行は究極の域に到達した後に、世代交代の波に飲まれることとなる。 解像度が低く色数も少ないが、8ビット機で滑らかなアニメの再生には驚いた。 商業的に成功を収めたのは、新規参入のソニー「PlayStation」「PlayStation2」、セガ「SEGA Saturn」「Dream Cast」、任天堂「NINTENDO64」「GAME Cube」。 サービス内容や技術面で延長上にある世代なので、これらを統一のグループのように筆者は考える。 この世代はいい意味で競争が激しく、国内におけるゲーム全盛期と言えた。 特に1999年には、PS1向けに年627本(同一内容の廉価タイトルを含まず)ものタイトルがリリースされ、合計3,290タイトルのゲームが誕生。 豊作と言われる今年発売されたPS4のパッケージタイトルだけで120本のリリースとなる。 価格やゲームボリュームなど状況はかなり異なるが、これら数値から如何に当時のゲーム業界全体が盛り上がっていたかがうかがい知れる。 それらを盛り上げた要因は、ユーザーを震撼させたポリゴンによるゲームだ。 その衝撃はすさまじく、表現の幅も一気に広がったことで「バーチャファイター」や「リッジレーサー」など、従来から有るジャンルに新たな風を吹き込んだと共に、「ビートマニア」や「パラッパラッパー」などのリズムゲームや、「どこでもいっしょ」「どうぶつの森」「シーマン」などNPCとのコミュニケーションゲームなど、これまでに無かった新ジャンルも次々と生み出された。 それらは一大ムーブメントを巻き起こす事となり、個人的にも最も楽しかった時代と言いたいところだが、非常に複雑な時代でもあった。 そんな懐かしのパラッパラッパーが20周年を記念しPS4版の発売が決定したのは、レトロゲーマー的に最高のニュースと言える。 その筆頭は、業界全体が不慣れで手探り状態だった3Dキャラクター。 最新作でも若干名残が特徴として残っているが、「鉄拳」のキャラクターは異様に不気味で濃いキャラデザインをしており、ゲームとしては面白かったがそのインパクトはすさまじい物だった。 インパクトで負けていなかったのは、セクシーな唇が特徴の「レイラ・クロフト」(国内版での名前)が登場する「トゥームレイダー」で、国内では発売当初は色物的にも話題となっていたように記憶するが、そういった個性有るキャラだったからこそ、今も残る人気作になり得た要因の一つかもしれない。 それをリアルタイムで経験していただけに、2013年に新たにリブート作として登場した「TOMB RAIDER」の美しく生まれ変わった「ララ・クロフト」を見て、本編の内容そっちのけで驚かされたのは記憶に新しい。 とはいえ、洋ゲーでは好まれるセンスが異なることもあり、国内でそのデザインが広く受け入れられるところに来るまでには少し時間が掛かった。 一方国内ではアニメ文化も手伝い、比較的速い速度でモデルの造形は美しくなり、技術的にもアニメ調のトゥーンシェーダーなども生み出されていった。 技術の急速な進化と共にハード競争もより一層激しい物になっていった。 その最たる物は、ドリームキャストを最後にセガがハード事業から撤退をしたことだろう。 インターネット機能など「早すぎたハード」などとよく形容されるが、巨額を投じた広告戦略で勝負に出た立ち上げ時に、搭載チップの歩留まりの悪さで製造が十分に間に合わず、ハード不足に陥ったのが致命的だったと思う。 もし計画通りの生産ができていたら、歴史は変わっていただろうか? コントローラーの進化は今も続くが、ファミコンのコントローラーで基礎が完成し、そこからもう一段進化したのが、PS1の立体的な作りのグリップ型コントローラーだろう。 L2R2ボタンは今では無くてはならない物となり、後期にはスティックや振動機能が追加されていった。 シューターにはやや不向きだが、その形状により前後左右斜めの入力が正確に行えるため、復活してくれないかな?と密かに思いを寄せていたりする。 DCも中々独特で、セーブデータの保存やミニゲームを単体で楽しめるビジュアルメモリと、それを装着できる機構は非常に面白い物だった。 だが、メモリの電池切れ時の電源投入時に発生するビープ音に悩まされ、スピーカーの配線をカットしたのは筆者だけでは無いはずだ……。 ソフトメーカーによるソフトウェア開発競争も凄まじく、PS2では開発の難しさからユーザーにも悲鳴の声が聞こえてきたが、環境が整うにつれて毎年のように目覚ましい進化を遂げていった。 モニター側の性能が技術に追いついた結果、今になり新技術のようにもてはやされているHDRも擬似的な物ではあったが、「ワンダと巨像」や「ヴァルキリープロファイル2」などで実装されていたのだから驚きだ。 しかし、規模の拡大や激しい競争など様々な理由から、2003年に国内最大手「スクウェア」と「エニックス」が合併したのも、この時代を象徴する出来事だった。 新たなアプローチやネットワークなど、混乱と迷走の世代 最後は、「Wii」と「Wii U」。 マイクロソフトの「Xbox360」と「Xbox One」。 「PlayStation 3」と「PlayStation4」の世代だ。 SDとHDの転換期では、大半のメーカーが何らかの混乱に陥った「大パニック紀」で、選択プラットフォームからゲーム品質や内容に至るまで、中々ひどい有様だった。 しかし、それも1~2年で落ち着きを見せ、徐々に真のMade in Japanタイトルの復活を見せた。 その頃には、フレンドやネット対戦などネットサービスが本格的に普及し、今ではフリープレイやクラウドサービスなど、天井知らずでサービスが拡充している。 また、これまでは強い癖が感じられた「洋ゲー」という枠は死語となりつつあり、海外の幅広いタイトルが自然に受け入れられるようになった。 もし国内業界で不変な物があるとすれば、時折審査基準の意味が分からないCEROによるレーティングぐらいだろう(変化されても困るが)。 FPSやTPSなどのシューティングも、今では十分市場ができあがった。 プラットフォームに目を向けると、「Wii」は他機種より性能を低く抑えたことでコアゲーマーからの不評の声があったものの、リモコンやWii Fit等による新鮮かつ分かりやすいアプローチで、離れていたライトユーザーを大きく取り戻した。 この功績はもっと評価されるべき事で、幅広いゲームを楽しめた名機と言っていいだろう。 しかし、HD転換期と重なることで失速も早く、6年で次の「Wii U」へにバトンタッチすることとなった。 だが売りであるはずのGamePadを、任天堂自信もユーザーに楽しさを示す形に消化することができず、性能面でも中途半端に。 そのためコアユーザーの囲い込みも叶わなかったが、そんな苦境の国内ですら軽々とミリオンソフトやフレッシュなイカを生み出すことに成功した任天堂の人気と驚異的な底力を忘れてはならない。 国際的に見れば大きなシェアの獲得で、ある意味勝者とも言えるマイクロソフトの「Xbox360」。 本体の不具合に足を引っ張られる面もあったが、保守的な国内市場に向け、JRPGを投入するなど大規模な投資を行う事で一定の市場形成に成功。 しかし、シェア獲得を急ぎすぎた反動は大きく中期以降で息切れし、勢いを落とす結果となってしまった。 そんな中でも最新世代の「Xbox One」につなげることができればよかったが、発表当時のサービス内容は多くのファンを落胆させ、特にパッケージ版もオンライン認証が必要なDRMに批判が集中。 だが、パッケージ購入派の筆者は逆に半分肯定派だったりする。 流石に有無を言わさないDRMはやり過ぎだと思うが、システムを少し簡素化し、DRMも任意で選択できれば、中古を利用しないユーザーにとって、一度インストールすればディスクレスでプレイできるのは非常に魅力的だからだ。 「PS3」は、開発の難しさと高すぎたハード価格で苦戦し、国内市場の混乱の引き金になった。 特にPS3の開発の難しさは深刻で、ソニー自身は1stタイトルでこそ素晴らしいクオリティを見せたが、ハードコストやOSの拡張で最後まで苦しむ事に。 サードに至っては「仁王」「FFヴェルサスXIII(現FFXV)」「人食いの大鷲トリコ」など、完成が次の世代に持ち越されるタイトルも続出し、それらは奇しくもPS4で同時期の発売に。 そして、それらの反省点を徹底的に生かして作られたのが「PS4」だ。 やり過ぎと思えるほどゲームに特化し、インディの囲い込みの成功や、分かりやすいシェア機能の提案などで一気に大ブレイク。 ただ、国内的には「PS3」世代から続く問題も残り、それは「昔ながらのジャパンスタジオ産1stタイトル」だ。 実質的に生き残っているのは「グランツーリスモ」と「みんゴル」のみで、かつての名作がスマートフォン向けにリリースされようとしているが、コンシューマー向けには難しいだろう……。 他にも各社それぞれが様々な問題を抱えているが、PlayStation Plusから始まった有料会員向けの旧作配布や、各種クラウドサービスなど、しのぎを削りながらサービスを発展させている。 成功したハードの成功の共通点は「楽しさのわかりやすさ」で、「Wii」のインターフェイスや「PS4」の徹底したゲーム戦略等が、ユーザーに上手く伝わり大ブレイクとなった。 そういった意味で「PSVR」は大成功を収めることに成功し、次に控える「Nintendo Switch」はそれを示すことができるのか? 任天堂は2017年1月13日に全貌を示すプレゼンテーションを実施予定なので、まずはそれを楽しみにしておこう。

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