親父 の 番屋。 いやし神成 東京 上野浅草系親父マッサージ【個室・出張サロン】

祖父母と親父の秘密

親父 の 番屋

俺の父親はスポーツジムのトレーナー&貸倉庫+アパート経営。 母親は栄養士。 離婚したのは俺が小学校に上がる前。 でも月に1回は親父と遊んでいた。 中学2年生の時、水泳教室の大会で1位になった日。 父親が焼き肉(食い放題)をご馳走してくれた。 帰り道、親父の家まで200mくらい手前の公園で、当時流行ってた親父狩りに遭った。 父親は身長165cmくらいで、当時でも俺の方が身長だけは高かったけど、全身筋肉+古武道みたいなのやってて全身凶器。 5人組は、スーツ姿の禿げた親父見て勘違いしたんだと思う。 親父は10秒もかからず、5人を半殺し。 その内の2人だけを、両肩に担いで倉庫へ連れて行った。 「こいつら、ちょいとお仕置きして警察につきだしてやろうと思ってな、お前はもう帰れよ」 とタクシー呼んでくれた。 一度は家に帰ったけど、気になって夜中自転車で5㌔離れた親父のとこへ行くと、隣の倉庫で明かりと物音がする。 怖いモノ見たさでスレート扉の隙間から覗くと、親父と同じくらいの年齢の素っ裸の男3人が、親父が担いで帰った親父狩りの不良2人を後ろ手に縛ってガンガン尻穴掘ってたwww 猿ぐつわかなんかされてたのか、不良二人は 「うぇおpgcfgfjhgっfgjkjfgjhkj~~~」 と、訳わかんない声出してた。 しかも、親父の友達のマッチョさん(当時の俺の一番の仲良し)がすんげぇデカいチンコを左手でシゴきながらビデオ撮影してた。 驚いて見てたのは2~3分だったろうと思うけど、怖くて自転車に飛び乗り全速力で帰った。 その夜は怖くて、布団の中で震えてた。 書き忘れたけど、親父とお袋が離婚したのは、ある日親父が母親に 「自分に嘘はつけない、君を不幸にしたくない。 」 と、ガチホモで有ることを告白。 絶対に不自由させないとの約束で離婚したそうだ。 まぁ確かに、母子家庭だけど良い生活させて貰ってた。 母親が、俺の成人式の前の日に教えてくれたけど 「息子が20才になったら教えてやってくれ」 と約束してたそうで、このときの事を親父に話すと驚いてたけれど、俺が逃げ帰った後のことも話してくれた。 (聞きたくなかったけど) けれど、気持ち悪いから書きたくないw.

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ガチムチ親父

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祖父母と親父の秘密 今まで書こうか迷ってたけど書くわ 結構昔の話。 俺の父方の祖母は三階建ての日本家屋に 祖父と二人で住んでて、盆とか正月には家族で帰省してた。 そんで、五年前の盆に帰省した時に祖父が 俺の親父になんか縁側で話してるのを俺が偶然聞いたんだよ。 祖父は親父に真面目な相談してたみたいだったんだけど、その時は詳しく聞き取れなかった。 結局その帰省中と、暫く(四ヶ月くらいかな)は何にも無かったんだけど、 急に祖母から電話が掛かってきて「祖父が死んだ」と知らされた。 その時の状況がまた妙で、三階にある五畳ぐらいの 部屋のど真ん中でまんま土下座のような体制で死んでたらしい。 死因は心筋梗塞だったんだけど、祖父も祖母も生活に使ってるのは一階と二階だけだったんだよね。 「何で三階の部屋のど真ん中にいたんだ」って皆不思議がってた。 ただその後、葬式の通夜の時に祖母に親父が 何かをこそこそ話してるのを俺がまた見つけたんだ。 その瞬間に「あー、前の盆にじいちゃんが親父になんか相談してたな、 関係あるんだろうな」と直感して、深く考えずに祖母に「ねえ何話してたの」って聞いたんだ。 そしたら祖母が「何でもない、知らんでいい知らんでいい」って 明らかに何か隠してるような答え方をした。 「ばあちゃんが教えてくんなかったんだから親父も無理かな」と思ってその場は諦めた。 でも、その二ヵ月後に祖母も死んでしまった。 祖父と全く同じ場所で土下座の体勢で脳溢血。 流石に親戚も「なんかおかしい」と思ったらしく、 長男だった俺の親父に「何か知らんか」って聞いたりしてた。 親父はその時は「知らん」と言ってたんだけど、 祖母の葬式が終わった後に俺も含めて親戚の男を全員集めて話し始めた。 その話によると、祖父母には親父の前に一人、娘を生んでいたらしい。 ただ、娘が七歳の時に高所から落ちて頭を打って死んでしまった。 祖父母は「娘が死んだのはお前らの過失だ」とか親戚に言われまくって、 逃げる様に引っ越してくだんの日本家屋に入居したそうだ。 それからは長年時に何も無かったが、丁度俺が親父と祖父が話してるのを 見た盆の頃から、祖父母は三階に上がると「とうちゃん、かあちゃん、高いとこ怖い。 一緒にいて」 って声が聞こえてたらしい。 (祖父が親父に相談してたのはその話だった) その話を聞いた親戚の男の人たちは皆「声が聞こえた三階で土下座って…」みたいな空気だった。 それから親父の取り仕切りで坊さん連れてきて三階で供養? みたいな儀式をして、家は売った。 それ以来親戚や俺にも変な出来事は無し。 ただ、三階で供養してた真っ最中に部屋の外の階段で足音がしたのは皆聞いてビビってた。 長くなってごめん。 おわり。

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親父 の 番屋

私の子供の頃、近所には食料品から文房具まで扱う「雑貨屋」さんがありました。 今で言うコンビニみたいなもので、朝早くから夜は10:00過ぎまで開いていましたので近所の人は重宝していました。 昔はこのような雑貨屋さんが集落に一軒はありました。 私が小学生高学年の頃ですから、もう40年ほど前になります。 そこには、当時50代後半の中肉ですががっちりした薄い白髪頭の男っぽい親父さんと子供(といっても娘は30代でちょっと精神状態が悪く、季節の変わり目には必ず1ヶ月程入院していましたし息子は20代でしたが仕事が忙しいらしくあまり家にいなかったような気がします。 )が居ました。 奥さんは以前からずっと精神病院に入っており、姿を見たことはありませんでした。 噂では、「親父さんが好きもので、女に片っ端から手を出して奥さんが入院した。 」だの「娘にまで手を出したから娘も奥さんもおかしくなった。 」だのと大人たちは噂していたようです。 大人たちの会合の席で、親父さんのちんぽがかなり大きいことも大人たちは笑いながら喋っていました。 ちょうどその頃、町の名士だった私の祖父は亡くなりました。 祖父は私が末っ子だったこともあって、私を殊のほか可愛がってくれ風呂などはいつも一緒でした。 私が風呂の中で潜り、祖父のちんぽを悪戯しても笑って許してくれる優しい人でした。 私はそんな祖父の面影を求めて、厳格な実の父より優しかった祖父に近い雑貨屋の親父さんにいつもくっついていました。 親父さんは小さい子が好きで、私も含めて近所の子供達を「カブ号」(昔のポケバイ)の後ろや前に乗せて春になると花見に、夏は川へ泳ぎに連れて行ってくれました。 その頃は暢気なもので、お店を開けっ放しにしたまま子供達と遊んでいたものです。 裏山へハイキングのようにおにぎりを持って行ったときのことです。 私のほかにもう一人近所の女の子が一緒でした。 女の子はカブの前のカゴに、私は後ろに乗って揺れるカブから振り落とされないよう親父さんの後ろから手を廻して親父さんの下半身をしっかり掴み落とされないようにしていました。 山でひとしきり遊んだ後、親父さんが叢に向かって立ちションをし始めました。 私と女の子は、他人の大人のちんぽを見るのは初めてだったので、親父さんがおしっこしている傍に立ってきゃあきゃあ言いながら覗きました。 親父さんのちんぽはだらりと大きく垂れ下がり、陽光に反射して金色の小水が迸っていました。 親父さんは私達が覗いているのを意識して、ゆらりと大きなちんぽを片手で抱え見せつけるようにぶらんぶらんと長い間揺すって見せてくれましたが、だんだん芯が入ってきたようで作業ズボンにそそくさと仕舞いました。 私の祖父の陰茎も太かったのですが、その時の親父さんのちんぽはもっと大きく感じました。 子供心に私は年配の親父さんが好きなんだ。 これは普通じゃないんだ。 と悩んだ頃もその頃です。 しかし、女の子には興味がなく私の対象はやはり学校の年配教師や近所の親父さんたちでした。 そんな雑貨屋の親父さんのちんぽを「もっと見たい。 」「触ってみたい。 」「出来れば舐めてみたい。 」とまで思い始めました。 子供とはいえ、今思えば危険な行動をしていたなと思うようなことを記します。 小5のある夜、母から雑貨屋まで遣い走りを頼まれ、畑の中を通り雑貨屋の裏口まで来た時、裏の風呂場からザーザーと誰か風呂に入っている気配がしました。 といってもその時娘は入院していたし、息子は家に寄り付かなかった頃なので風呂に入っているのは親父さんであることに間違いありません。 私はドキドキしましたが、そっと風呂場に近づきました。 昔の風呂場は家の外側にくっついており、板張りでしたので節穴だらけで、風呂場の明かりが縞模様のように外の土間を照らしていました。 大きな節穴から中を覗くと、親父さんが風呂の外に立って体を洗っているところでした。 その時に見た親父さんのちんぽに釘付けになりました。 股の下から腹にかけてタオルを遣っているそのちんぽは臍に届きそうなくらい長いもので、亀頭がくっきりくびれたそれは別の生き物のようにぶらんぶらんと揺れていました。 親父さんは体を拭きながら屈伸運動をしていましたが、私の目前で屈伸をしている真中に大きなものがぶら下がっているのを食い入るように見ている私のちんぽは小学生のくせにもう勃起していました。 (当時は近所の子供達も、ませていたので私は小5の時には精通を経験していました。 ) 親父さんは風呂から上がり隣の寝室に移動しました。 寝室の方に廻ると、障子の下の硝子越しに親父さんが褌をつけているところが見えました。 腰に紐を廻し、股の下から布を廻し前に持ってくるとき自分のちんぽを握り、蛍光灯の下でしばらくしげしげと眺めていました。 その様子を見ながら私はすっかり興奮し、その夜は一人布団の中で堅くなったちんぽを握り親父さんの裸を想像しながらパンツの中に射精しました。 ある初夏の日の朝早く六時半頃、文房具を買いに行った私は、寝ぼけまなこの褌姿で出てきた親父さんがおつりを渡そうと座っていたその緩んだ褌の間から、赤黒く大きなちんぽが覗いているの見てゾクっときました。 その場面に味をしめた私は、翌日もわざと朝六時前にお店に行き、買い物をしながら親父さんの褌からはみ出したちんぽを見ているうちに我慢ができなくなり、褌の上からそっと握ってしまいました。 親父さんは、「何しよるとかい。 」と寝ぼけ顔の低い声で諭しましたが、私は黙ってゆっくりと揉みはじめました。 親父さんは最初、「するな」と言っていましたが、私は止めようとはしませんでした。 そのうち、暫くの間私のするままに触らせてくれましたが、段々堅くなって勃起してきたので「学校に遅れるゾ」と言いながら立ち上がりました。 それからというもの、親父さんは特に私に対して意識し始めたような気がします。 皆が一緒の時はなるべく距離を置いていましたが、二人だけの時に、時々作業ズボンの上から触ったりしても黙って触らせてくれました。 いつものように朝早く登校の際にお店に寄った時のことです。 相変わらず親父さんは、褌一丁で出てきました。 その時私は、今日こそきちんと触ろうと決めていました。 お釣りを渡そうと屈んだ親父さんのユル褌の間に素早く手を入れ、ちんぽ全体をしっかり握り、やわやわと揉みはじめました。 その日も親父さんは黙っていましたが、ちんぽが大きくなり始めるとゆっくりとあお向けになりました。 たっぷりとした睾丸は股の間に窮屈にしています。 私は小躍りしながら、褌を緩め、片手では握りきれなくなったちんぽを両手を使って、自分がせんずりする時のように揉んだり、亀頭をやわやわと撫でたりしているうちに堅くそそり立ったちんぽが目の前に突き出され、先端から透明な先走りがぷっくりと流れ始めました。 親父さんは、片腕を顔の前に掲げ「ふうう〜っ... 」と気持ちよさを押し殺した溜息を吐いています。 子供だろうとちんぽをどうすれば気持ちよくさせるか人に聞かなくても分かるものです。 先走りがだらだら流れ始めたのを掬い取って、亀頭に塗しグリグリと捏ね回しました。 親父さんは、「ああああーっ」と言いながら腰を浮かしてきました。 そのがっちりした腰に抱きつき、有り余る大きさの亀頭をゆっくりと喉の奥に入れ、しゃぶり始めた時、外から人の来る足音が近づいてきました。 親父さんは慌てて、「もうするな。 」と言いながら勃起したちんぽを褌の中に仕舞い、私を押しのけるようにして立ち上がって奥にズボンを穿きに行ってしまいました。 ガッカリした私は、そのまま登校しましたが気の抜けたような一日でした。 その後暫くの間、親父さんは私が近づいても避けるようになり、私はてっきり嫌われたと思い、無理に近づくのをやめました。 中学生になった頃でした。 土曜日の午後買い物にお店に寄った時、いつになく機嫌のいい親父さんが「今日山に蕨取りに行かんか?」と誘ってくれました。 もちろん私は行く返事をし、お昼を取ったあとお店に行きました。 親父さんは、「今日は閉めよう。 」と店の玄関に鍵をかけ、二人でカブに跨りちょっと離れた山の奥に蕨を取りに行きました。 山の斜面に行くと、蕨は群生しており瞬く間に籠一杯になりました。 少し休憩した後、親父さんが「ちょっと小便してくる。 」と言い、叢の方に歩いて行きました。 私は当然のように後をつけ、親父さんが小便し始めた横から覗くように近づきました。 親父さんは笑いながら小便をしていましたが、終わる頃になるとちんぽを持ってぶるんぶるんと見せつけるようにしました。 ちんぽにくっつくように近づいた私に良く見えるように、体をこちら向きにしたままちんぽをゆっくり扱いています。 降り注ぐ明るい陽光の中で見るちんぽは鎌首をもたげ、ゆらーっと勃起し始めました。 山奥の人気のない場所という余裕からか、親父さんは私に「太かろうが、大人のちんぽはこげんなってるんゾ」と、握ったちんぽをゆらゆら揺すったりぶるんぶるん扱いたりしていました。 我慢できなくなった私は、 「おいちゃん、しゃぶらせて。 」と言いながら咥え込みました。 暖かいが硬質ゴムのように堅くなったちんぽが私の口の中にあります。 味わい尽くすようにしゃぶったり舐めたり、苦しいのを承知で喉の奥に咥えていると、親父さんが座って横になりました。 親父さんは、作業ズボンを膝まで下ろし、褌をゆっくりと解きました。 がっちりした筋肉質の身体に、聳え立つみごとな年配の勃起したちんぽは、目が眩むような形と色をしていました。 これが私の欲しかった年配のちんぽです。 私も横になり、思い切ってしゃぶり始めました。 口腔の中に広がる先走りの味を味わっていると親父さんは、「んんんんーーっ」「はああ〜っ」と言いながら腰を突き上げてきます。 私は、濡れて光る大きな亀頭に唾をたっぷりまぶし、ねちゃねちゃと音がするくらい捏ねてやりました。 そのうちに、親父さんが「ちょっと待て、いかん、行きそうになってきた、ちょっとやめろ。 」と逃げようとするのを、私はこれでもかと言うように全身を口にして尺八を続けました。 またこの前のように、途中で止めさせられたりしたらこんなチャンスは巡ってこないような気がしたからです。 親父さんは「やめんか、こら、出てしまうゾ、ううううっ…」と言いながら、「ああああーーっ、行ってしまううー」と声を上げると、咥え難いほど大きくなった亀頭がさらに太くなった瞬間、口腔で親父さんの精液が噴射し始めました。 その量が多く口の中で収まりきれなくだらだらとちんぽを伝わり、陰毛に垂れました。 女日照りの親父さんは暫く出していなかったのでしょう。 さすがに飲み込めなく、叢に吐き出しました。 そんな私を親父さんは、「すまんな。 」と言い「お前も気持ち良くしてやらんとな…」と言いながら、私のズボンを下ろし、パンツの中からイキリ立ったちんぽを出して、眺めていましたが、「お前も親父さん(祖父のこと)に似て、よかちんぽしとるなあ。 太か、太か。 」と誉めてくれました。 そして、私のちんぽをゆっくり扱き始めましたが、数回揉んで貰っただけですぐに絶頂が来て、叢めがけて2,3メートルほど精液を飛ばしました。 親父さんは、「若いもんは、元気のよか。 」と言いながらズボンを上げてくれました。 私はまだ数回したかったのですが、そのまま山を降りました。 いつもそんな事があるわけではなく、幼かった私なりに悶々としていた雨のひどいある晩のことでした。 中2になっていた私は、友人の家に泊まったり勉強だと称して、夜友人の部屋で遊んだりしても親からは咎められない年齢になっていました。 その夜いつものように雑貨屋に買い物に行くと、親父さんは一人で風呂に入っていました。 私は、(今夜、親父さんは一人でいるんだ)と確認しました。 夜12:00過ぎに私は、傘をさして雑貨屋の裏口に来ました。 今夜部屋に忍び込んでちんぽを咥えてやろうと思ったからです。 それでも、一応他人の家に勝手に忍び込もうとしているのですから不安はありました。 硝子障子の敷居に、水を流し音を立てないようにしながら、そっと障子を開けました。 雨音が大きいこともあって、部屋の中へはすんなりと入れました。 畳の上を静かに布団に向かって近寄っていくと、親父さんの布団の端にたどり着きゆっくりしゃがみました。 雨がうるさいのですが、親父さんの鼾も大きく、小さな豆電球一個の下で親父さんは夏布団一枚で横向きで寝ていました。 布団の横に近づき、まず夏布団の上からそっとちんぽの上を撫でてみました。 相変わらず、手に余る極太ちんぽが横たわっています。 布団の中に手を入れ、褌の上からゆっくり擦り始めました。 鼾は相変わらずですが、ちんぼに、ゆらーっと芯が入り始めます。 ぶるんとした鰓がみるみる堅くなり、ちんぽの胴の部分ががっちりと堅くなって来ました。 そんなふうにいじり、扱いたり揉んだりしているうちに、「うううーん」と言いながら仰向けになりました。 私は下の方に周り、夏布団をそっと上げ下半身を露出させると、豆電球の下で親父さんの下半身が妖しく上下しているのを見ていると我慢が出来なくなりました。 親父さんの褌の紐をゆっくりと解き、ちんぽをぶるんと出しました。 私もズボンを脱ぎ、態勢を整え、親父さんの上に覆い被さるように乗りかかり、親父さんのちんぽと私のちんぽ握り、ゆっくり捏ねまわし始めました。 私はすぐに絶頂が来て、持参していたタオルに思いっきり噴射しました。 なおも、親父さんの勃起したちんぽに近づき、口をあんぐりと開け、亀頭をずるーっと咥えこむと、親父さんの鼾が止まりました。 私は気付かれてもいい気持ちで、なおも尺八を続けていました。 が、突然がばっと親父さんが跳ね起き、「誰かっ!、何しよるかお前は!」と私の手を掴み電気を点けました。 私は、その勢いに仰天してしまいガタガタと震えていました。 「なんや、おまえか。 こげん夜中になにしに来たか!どろぼうでもする気やないか!」 と言われたので、 「おいちゃんのちんぽをしゃぶりたかっただけ。 嘘やない!」と必死で弁解しました。 親父さんは段々冷静になり始め、「こげん夜中に忍び込んでくるな。 間違って殴り倒すとこやったゾ。 」と静かに諭し、「もう帰れ。 」と私に言いました。 私は「ごめんなさい。 」と詫びながら帰りましたが、今にして思えばケでもない(?かどうか分からないまま)普通の親父さんだった人に対してずいぶん強引なことをしていたのだなあとつくづく思います。 しかし、この親父さんのお陰で、私は女性だけではない素晴らしいこの世界を経験できたと感謝しています。 その親父さんも、20年程前に老人ホームに入ったと聞いたっきり、音沙汰を聞きません。 私は、相変わらず50代以上のがっちり、太め、男っぽい顔つきの年配男性を見るたびに心の奥底が疼きはじめるのです。 PREVIOUS NEX [PR].

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