本塁打。 本塁打

満塁本塁打

本塁打

まず、ナゴヤドームで中日のが延長10回裏、広島・フランスアの4球目をとらえ、左中間スタンドへ2試合連発となる7号ソロ。 続いて京セラドームで、オリックスのアデルリン・ロドリゲスが9回裏、日本ハム・秋吉亮の4球目を弾丸ライナーでレフトスタンドへ運ぶ4号3ラン。 最後にPayPayドームで、ソフトバンクのが延長10回裏、楽天・シャギワの4球目をフルスイングして左中間スタンドに放り込む7号ソロ。 1日に3本のサヨナラ本塁打は、ヤクルト・、DeNA・、ロッテ・がマークした昨年9月4日以来3度目。 ようやく球場を訪れることができたファンを喜ばせるのに十分なサヨナラ劇だった。 これまで最も多くのサヨナラ本塁打を放った打者は誰だろうか。 ベスト10は表の通り。 1位は12本を放った清原和博。 通算本塁打数で上回る王貞治や野村克也をも凌ぐのは、天性の勝負強さと強運の持ち主ということか。 11本で2位の野村克也と8本で4位の王貞治に挟まれ、3位にランキングされているのが中村紀洋。 通算404本塁打のうち10本がサヨナラアーチと、清原に負けない勝負強さを誇っている。 王と並んで4位タイに若松勉が入っているのは意外だ。 小柄な巧打者タイプで通算本塁打も220本とベスト10で最も少ないが、8本ものサヨナラアーチをかけている。 7本で6位タイに豊田泰光、長嶋茂雄、藤井康雄、井口資仁、阿部慎之助が並んだ。 1959年6月25日の天覧試合、長嶋が現役時代最大のライバルだった阪神・村山実から後楽園球場のレフトスタンドに放り込んだ一発は今も語り継がれている。 満塁本塁打は中村剛也がダントツの20発 では、満塁本塁打はどのようなランキングになっているだろうか。 通算20本でダントツトップは西武の中村剛也。 世界の王をはるかに上回っており、まだまだ数字を伸ばす可能性も十分だ。 王に次ぐ3位タイには中村紀洋と並んでオリックスの藤井康雄が入っている。 代打での満塁本塁打は史上1位の4本と無類の勝負強さが持ち味だった。 13本の5位タイには駒田徳広、江藤智、小久保裕紀、井口資仁の4人が並んだ。 「満塁男」と呼ばれた駒田徳広は、桜井商時代に満塁で敬遠された逸話を持ち、巨人時代の1983年4月10日の大洋戦ではプロ初打席満塁本塁打という衝撃デビューを飾った。 9位タイには12本の野村克也と江藤慎一が並んでいる。 ホームランは野球の華。 打球の描く放物線が美しいからこそ、長距離打者は「アーチスト」と呼ばれるのだ。 新型コロナで楽しむ機会が少ないからこそ、劇的なホームランでファンを楽しませてほしい。

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プロ初安打が本塁打! オリックスの高卒2年目・太田椋の〝愛され〟素顔

本塁打

2010年以降にパ・リーグで40本塁打以上を記録した本塁打王は、わずかに2人のみ 現在のパ・リーグにおいて最高のホームランバッターを一人選出するとすれば、埼玉西武の山川穂高選手の名を挙げる人が多いことだろう。 山川選手は2018年に47本、2019年に43本と2年続けて40本を超える本塁打を放ち、本塁打王も2年連続で受賞。 2010年以降のパ・リーグで40本以上の本塁打を放って本塁打王になったのは2012年の中村剛也選手と、2018年と2019年の山川選手のみ。 その長打力は、近年では傑出していると言えるだろう。 2年連続で40本塁打を超えるというだけでもかなり高いハードルではあるが、3年連続で40本塁打以上を記録した選手となると、70年以上の長さを誇る日本プロ野球の歴史の中でもわずか8人しか存在しない。 2020年のパ・リーグにおいて、その記録に対する挑戦権を手にしているのは、山川選手ただ一人となっている。 さて、過去に3年連続で40本塁打を記録した8人の選手たちと、その活躍ぶりはどのようなものだったのだろうか。 今回はその条件に該当する過去の強打者たちの業績を振り返っていくとともに、史上9人目の偉業に挑戦する山川選手の新シーズンの活躍に、あらためて期待を寄せていきたい。 ・王貞治氏(元巨人) 2831試合 2786安打 868本塁打 2170打点 打率. 301 長打率. 634 本塁打王獲得回数:15回 13年連続本塁打王(1962年〜1974年) 40本塁打達成年:1963年〜1970年(8年連続)、1972年〜1974年(3年連続)、1976〜1977年(2年連続) 言わずと知れた「世界のホームラン王」である王氏は、通算本塁打数の記録のみならず、NPB史上最多となる通算15度の本塁打王獲得という記録も保持している。 1962年から1974年まで13年連続で本塁打王に輝いただけでなく、16年間で15度という驚異的なペースで同タイトルを獲得。 1962年から引退する1980年まで、実に19年連続で30本塁打以上を記録しており、積み重ねてきた数字は数々の偉大な強打者たちの中でも群を抜いている。 本塁打だけでなく、通算13度の打点王、通算2170打点、9度のMVPもそれぞれ歴代最多。 1967得点、5862塁打、2390四球、427個の故意四球、長打率. 634という、長距離砲としての能力を示す数字も軒並みNPB史上最高で、1973年から2年連続で三冠王を獲得し、通算打率は. 300超えと確実性も兼ね備えていた。 長嶋茂雄氏と共にV9時代の巨人で国民的な人気を博した王氏は、NPB史上最高のホームランバッターと呼ぶに相応しい存在だろう。 ・山本浩二氏(元広島) 2284試合 2339安打 536本塁打 1475打点 打率. 290 長打率. 542 本塁打王獲得回数:4回 2年連続本塁打王(1980年〜1981年) 40本塁打達成年:1977年〜1981年(5年連続) 4番打者として広島の黄金期を支え「ミスター赤ヘル」と呼ばれた広島出身の山本氏は、本塁打王4度、打点王3度、首位打者1度に加えて、MVPを2回、ベストナインとダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)もそれぞれ10度ずつ受賞。 1970年から11年連続で2桁盗塁も記録し、走攻守の全てに優れた名手として、18年間にわたって地元のチームで躍動を続けた。 30歳で迎えた1977年から5年連続で40本塁打、6年連続で全試合出場と、ベテランの域に差し掛かってから山本氏のバッティングはさらに凄みを増した。 5年連続40本塁打は王氏に次ぐNPB史上2番目の長さであり、「世界の鉄人」衣笠祥雄氏と共に広島打線の中心として長きにわたって活躍。 広島カープ史上最高の選手の一人であることに疑いの余地はなく、現役時代の背番号「8」は、球団史上初の永久欠番となっている。 ・野村克也氏(元南海、ロッテ、西武) 3017試合 2901安打 657本塁打 1988打点 打率. 277 長打率. 508 本塁打王獲得回数:9回 8年連続本塁打王(1961年〜1968年) 40本塁打達成年:1962年〜1965年(4年連続)、1970年 野村氏は引退後に監督としても大きな成功を収めた人物だが、現役時代に残した数々の数字もまさに伝説といっていいものだ。 守備の負担が大きい捕手というポジションを務めながら、8年連続、9度の本塁打王という、いずれもパ・リーグ最多の記録を樹立。 1965年にはNPB史上2人目かつ、戦後初となる三冠王も獲得し、南海、そしてパ・リーグを象徴する選手として、攻守にわたって比類なき成績を記録し続けた。 野村氏が残した業績の驚異的な点は、捕手というだけでなく、兼任監督という立場にありながら優れた打撃成績を残したところにもある。 1973年には監督としてチームをリーグ優勝に導き、打率. 309、28本塁打、96打点でリーグMVPを受賞。 南海退団後も45歳まで現役を続け、通算11970打席、10472打数、113犠飛はいずれも歴代最多。 間違いなく、捕手としてNPB史上最高の打撃を見せた選手だったと言えるだろう。 ・タフィー・ローズ氏(元近鉄、巨人、オリックス) 1674試合 1792安打 464本塁打 1269打点 打率. 286 長打率. 559 本塁打王獲得回数:4回 2年連続本塁打王(2003年〜2004年) 40本塁打達成年:1999年、2001年〜2004年(4年連続)、2007〜2008年(2年連続) 1996年に来日したローズ氏はNPB初年度から日本球界に適応してチームの主軸打者となると、1999年には初の40本塁打を記録して本塁打王と打点王の2冠に輝く。 近鉄が最後のリーグ優勝を果たした2001年には強力打線の中心として驚異的なペースで本塁打を積み重ね、当時の日本タイ記録となる55本塁打を記録。 2003年にも51本塁打を放つと、巨人に移籍した2004年にも45本塁打。 リーグをまたいで2年連続本塁打王という快挙を達成した。 2005年に巨人を退団して一旦は日本球界を去ったローズ氏だが、2007年にオリックスと契約してNPBに復帰。 稀代の長距離砲は1年のブランクと39歳という年齢をものともせず、42本塁打を放ってそのパワーに衰えはないことを証明した。 40歳で迎えた2008年には40本塁打、118打点で自身3度目の打点王に輝くなど、大ベテランとなってからも圧巻の打棒を披露し続け、外国人選手としては歴代最多の464本塁打を積み上げた。 ・長池徳士氏(元阪急) 1449試合 1390安打 338本塁打 969打点 打率. 285 長打率. 534 本塁打王獲得回数:3回 2年連続本塁打王(1972年〜1973年) 40本塁打達成年:1969年、1971年〜1973年(3年連続) 阪急ブレーブスにとって第1回のドラフト1位指名選手でもある長池氏は、当時のパ・リーグを代表する強打者の一人として阪急打線をけん引した存在だ。 プロ2年目の1967年から9年連続20本塁打以上、11年連続で2桁本塁打を記録。 タイトルの面でも本塁打王と打点王を3度ずつ受賞し、100打点超えを記録した回数は4度。 4番打者として長打力と勝負強さを発揮し、「ミスターブレーブス」と呼ばれる存在になっていった。 長打力のみならず4度の打率3割、6年連続打率. 290以上と確実性も兼ね備え、リーグMVPも2度受賞。 盗塁数日本記録保持者の福本豊氏や、2度の首位打者と3度の打点王を獲得した加藤英司氏といった名選手たちの後を打つ4番打者としてチームをけん引し、在籍時に9度のリーグ優勝を経験。 ケガの影響で35歳で現役を退いたが、後に黄金時代を迎えるチームの礎を築き上げた長池氏が球団史に残る強打者だったのは論をまたないところだ。 ・大杉勝男氏(元東映、ヤクルト) 2235試合 2228安打 486本塁打 1507打点 打率. 287 長打率. 519 本塁打王獲得回数:2回 2年連続本塁打王(1970年〜1971年) 40本塁打達成年:1970年〜1972年(3年連続) 大杉氏は張本勲氏と共に東映打線の中軸を担い、1968年から6年連続で30本塁打を記録。 1969年からは6年連続で全試合に出場し、打率. 339、44本塁打、129打点で本塁打と打点の2冠に輝いた1970年には、今もなおNPB記録として残っているシーズン15犠飛を記録している。 続く1971年にも打率. 315、41本塁打、104打点とハイレベルな成績で2年連続の本塁打王を獲得し、先述の長池氏と共にパ・リーグを代表する強打者として活躍を続けた。 1975年にヤクルトに移籍してからも活躍を続け、1978年には打率. 327、30本塁打、97打点の活躍で、球団史上初のリーグ優勝に貢献するとともに、日本シリーズでは4本塁打、10打点でMVPに輝いた。 1983年には両リーグで通算1000本安打達成という史上初の記録を達成。 ヤクルトで記録した本塁打は199本と、史上初の両リーグ通算200本塁打まであと1本に迫りながらも惜しまれつつ引退したが、まさに記憶にも、記録にも残る名選手だった。 ・秋山幸二氏(元西武、ダイエー) 2189試合 2157安打 437本塁打 1312打点 打率. 270 長打率. 491 本塁打王獲得回数:1回 40本塁打達成年:1985年〜1987年(3年連続) 西武黄金時代の中心的な存在として長きにわたって活躍した秋山氏は、走攻守の全てにおいて傑出したプレーを披露してスターダムを駆け上がった。 外野守備の名手として11度のゴールデングラブ賞に輝いただけでなく、1991年には51盗塁で盗塁王も獲得。 華のあるプレーとホームラン後のバック宙でもファンの人気を博した。 もちろん秋山氏は打撃面でも抜群の才能を有しており、勝負強さと一発長打を武器に常勝軍団の3番打者として活躍した。 初めて規定打席に到達した1985年から3年連続40本塁打、9年連続30本塁打を記録。 センターという運動量の多いポジションながら6年連続で全試合に出場するタフさも兼ね備え、1994年にダイエーに移籍してからもチームリーダーとして低迷していたチームをけん引。 1999年にはダイエーとしての初優勝にも貢献し、史上初となる2球団での日本シリーズMVPを受賞。 80年代から90年代にかけてのパ・リーグを代表する名選手だった。 ・アレックス・カブレラ氏(元埼玉西武、オリックス、福岡ソフトバンク) 1239試合 1368安打 357本塁打 949打点 打率. 303 長打率. 592 本塁打王獲得回数:1回 40本塁打達成年:2001年〜2003年(3年連続) カブレラ氏は来日1年目の2001年にいきなり49本塁打を放って自らの実力を証明すると、続く2002年には先述のローズ氏に続いて当時のシーズンタイ記録となる55本塁打を記録。 翌2003年にも50本塁打を記録し、3年間で154本塁打という驚異的なペースで本塁打を量産した。 ローズ選手の存在もあって本塁打王の獲得数は2002年の1度にとどまったものの、バットを担ぎ上げる独特のフォームも相まって、その存在感は抜群だった。 その後もライオンズの主砲としてプレーを続け、2004年の日本一にも貢献した。 オリックスに移籍した2008年にも打率. 315、36本塁打、104打点と活躍し、12年間にわたって日本球界でプレーを続けた。 豪快な打撃のイメージが強いが、規定打席に到達した8年間のうち、打率. 300以上を記録した回数は6度を数え、NPBでの通算打率も. 303。 1度の打点王、2度の最高出塁率も獲得しており、打者としてのトータルバランスに優れた選手だった。 「3年連続40本塁打」を達成したのは、いずれも球史に残る名選手ばかり 以上の顔ぶれをみてもわかるとおり、3年連続で40本塁打を記録した人物は、いずれも球史にその名を刻むレベルの名選手ばかり。 山川選手は28歳と選手としてこれから脂が乗ってくる年齢であり、山本浩二氏のように30歳を過ぎてからさらに成績を伸ばしていった選手も過去には存在。 今後のさらなる飛躍にも期待がかかる。 山川選手は昨年5月に321試合目という日本人史上最速のペースで通算100号の大台に乗せており、近年の活躍ぶりは目を見張るものがある。 直近2年間のような活躍を今後も続けられれば、後世においても球史に名を残す偉大なホームランバッターとして記憶される可能性もあるはずだ。 ちなみに、元祖「おかわり君」こと中村剛也選手は2008年、2009年、2011年と40本塁打を3度記録しているが、2010年にはケガの影響で85試合の出場にとどまって25本塁打に終わり、惜しくも4年連続40本塁打は逃している。 2年連続40本塁打というだけでも、中村選手と山川選手の間に達成した選手が一人もいなかった快挙だが、山川選手は、NPB歴代3位となる6度の本塁打王を獲得した偉大な先輩を上回る記録に挑戦することにもなる。 2年連続でリーグ最多の本塁打を放った獅子の主砲は、現代の枠を飛び越え、球史の中でも傑出したパワーヒッターの一人として認められる存在になれるか。 3年連続40本塁打という偉業を達成できるか否かは、いわばその第一歩を踏み出せるかどうかの試金石となりそうだ。 文・望月遼太 関連リンク.

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プロ初安打が本塁打! オリックスの高卒2年目・太田椋の〝愛され〟素顔

本塁打

同日に一軍昇格を果たし、『7番・ライト』でスタメン出場すると、3回のプロ初打席、楽天の先発・永井怜が投じた初球の124キロの変化球を振り抜くと、打球はマリーンズファンの待つライトスタンドに吸い込まれた。 加藤は第2打席、第4打席に内野安打を放ち、猛打賞と最高のデビューを飾った。 さらにフレッシュオールスターでは、本塁打を含む3安打2打点の活躍を見せMVPを獲得。 この年ファームでは、打率イースタン・リーグ4位の. 324をマーク。 西武とのクライマックス・シリーズでも、初打席初本塁打という離れ業を見せた。 毎年レギュラーと期待されるも… 2年目以降は毎年のようにレギュラー獲得を期待されながら、定位置確保に至っていない。 ここ数年はファームでは圧倒的な成績を残し、一軍でもレギュラーを奪いそうな活躍を見せるときが何度もあった。 18年のシーズン終盤の取材で「自分の中で迷ってしまった部分があるので、去年(17年)良かった部分を色々とやってきたことであったり、毎日続けてきたこと、色んな引き出しを空けてみても全部空っぽだったというか、何をやってもマッチしてくるものが全然なかった。 例えばそれがマッチしたとしても、短期間で終わったりの繰り返しだった。 まだ残りの試合がありますけど、ここまではひどいもんだなという感じです」とおだやかな口調で話していたが、言葉からは自身への怒りが伝わってきた。 結果を残すべく、オフの取り組みを変えた。 18年までは鈴木大地、柿沼友哉らと合同自主トレを行なっていたが、19年シーズンに向けた自主トレからは、自分でやることが明確にあったため、ロッテ浦和球場やZOZOマリンスタジアムを中心に一人で課題に向き合った。 春季キャンプ初日に行われた紅白戦でチーム唯一のマルチ安打を放つと、オープン戦でも打率. 406(32-13)と好調を維持。 シーズンが開幕してからも、3月29日の楽天との開幕戦では『2番・右翼』で先発出場し、「昨年9月に二軍落ちしてから約半年長かったなという思いと、半年間待った一軍の舞台だった。 1打席目で結果を残せたのはよかった」と初打席でライトスタンドへ飛び込む第1号ソロを放った。 3月31日の楽天戦から4月11日のオリックス戦にかけて9試合連続安打を放つなど、4月11日が終了時点で、打率. 356(45-16)、4本塁打、5打点と今度こそレギュラー定着するかと思われた。 「早めに仕上げたというのもありますし、自主トレを1人でやったことは間違いではなかったと思います」。 「開幕直後に打てていたというのも、たまたまであのバッティングはできないと思います。 ただそこを自分のなかで継続できなかった。 もちろんいろんな怪我をした部分もありますし、みんな怪我を抱えているので、言い訳にはできない」。 「結局は活躍する、しないのも全部自分の責任。 そこは自分の力不足だと思います」。 19年は開幕から好調を維持も、故障も重なり、本来の力を発揮できず、終わってみれば前年を下回る60試合の出場にとどまった。 打率も. 202と成績自体は納得のいくものではなかったが、開幕までに取り組んできた準備が春先の好結果に繋がったことは間違いない。 「オープン戦、開幕直後は良かった。 そこに関しての持っていき方は間違っていなかったと思うので、大きく変える必要はないです。 ただ、意識の問題を含めて変えなきゃいけない部分は変えなきゃいけないかなと思います」。 課題がわかったうえで、オフシーズンに入った。 今季に向けて一人で1月は自主トレ 今季に向けた1月の自主トレも、一人で行った。 昨年の自主トレでは、体幹が弱ってくると打撃フォームから全て崩れることから例年以上に体幹トレーニングに取り組んでいたが、「去年は結構多めにやりましたけど、体幹を固めすぎて、シーズン中に脇腹の肉離れとかもおこしていた。 固めたうえで、柔軟性を出さなきゃいけないと思う。 今年は体幹をやるだけではなく、そのあとの柔軟性のことも多めにはやってはいます。 シーズン通してやろうと思います」と昨年の反省を活かしトレーニングを積んだ。 1月の自主トレ中には今季に向けて「1年間のトータルで考えないといけない年齢にはなっている。 開幕だけとか1ヶ月くらいしか良い状態が続いていなかったので、そこをやるためには、オフシーズンもそうですけど、キャンプとかそこからの振り込みが大事」と意気込んでいた。 春季キャンプは一軍スタートを切ったが、『右肩のコンディション不良』のため、キャンプ途中から二軍でリハビリを行った。 3月に入ってからファームの春季教育リーグに出場したが、3月15日以降の練習試合には出場していない。 外野手は福田秀平、荻野貴司、マーティン、角中勝也、清田育宏、岡大海、藤原恭大などライバルが多い激戦区。 昨年は自主トレから取り組んできたことが春先に結果として現れている。 心技体を充実させ、いかにシーズン通して安定感を継続できるかーー。 いつ開花してもおかしくない状態が何年も続いている。 加藤は今年プロ8年目の29歳。 プロ野球の歴史を振り返れば、30代から花を咲かせた選手は何人もいる。 枠を争うライバルは増えたが、今季こそ安定したパフォーマンスを披露し、大ブレイクしたいところだ。 文=岩下雄太.

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