谷村 新司。 谷村新司 群青 歌詞&動画視聴

谷村新司 風姿花伝 歌詞&動画視聴

谷村 新司

この にはなが不足しています。 の提供に協力をお願いします。 存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的にあるいは有害となるものは すぐに除去する必要があります。 ( 2013年5月) 谷村新司 出生名 谷村新司 別名 チンペイ 生誕 1948-12-11 (71歳) 出身地 ・ 学歴 中退 ジャンル () 職業 常任教授 担当楽器 活動期間 - 現在 公式サイト 谷村 新司(たにむら しんじ、 - )は、の、、、、。 の出身で、生まれの桑津育ち。 愛称は チンペイ。 はAB型 ABO。 シスAB型というAB型の9千分の1という珍しい血液型。 3人兄姉の次男(兄1人、姉1人)。 娘は歌手の。 歴にはなど。 来歴 [ ] アリス結成前 [ ] 両親がの最中にので親族が営んでいた旅館に疎開していたことから、大戦後のに同市内で出生。 3歳まで生活した 後に、大阪市内へ転居した。 、、大阪府立大和川高等学校(現:)卒業。 少年時代は肥満体型で、「ブタ」と渾名され傷つく。 特に音楽に興味があった訳ではないが、『』でギターを弾くの姿を見て一念発起。 「女にモテたい一心で」(本人談)ギターを練習し始め、やがてバンド活動も開始した。 、高校在学中に、とスタイルのフォーク・グループ「」を結成。 グループ名は「氷砂糖」の意。 とで絶大な人気を誇り、神戸のアマチュア・バンド・サークル「」の看板グループであった。 、シングル「どこかに幸せが」で東芝レコードよりデビュー。 には唯一のアルバム『讃美歌』を発表している。 、の会場で、後にアリスの所属事務所「」社長となると知り合う。 細川の音頭取りで実行したアメリカ・コンサート・ツアーで「ロック・キャンディーズ」や「」らと共に参加していたソウル・バンド「」のドラマーと知り合い意気投合。 帰国したら一緒にグループを組もうと約束する。 このとき谷村の頭の中には、新グループ「アリス」の構想ができつつあった。 このアメリカ・ツアー中にのステージを観る機会があり、の独特のギター・プレイに圧倒されたという。 同じく訪米中にのライブを観る機会にも恵まれ、「当時彼女の生演奏に触れることのできた数少ない日本人として幸運」と谷村本人が語っている。 帰国した谷村は、アマチュア・ロック・バンド「」のボーカルをアリスに勧誘。 堀内は「ポート・ジュビリー」で、既に谷村とは知り合いだった。 アリス在籍期 [ ] 、谷村新司、堀内孝雄の2名で「」結成。 の実家の蔵で練習を重ねる。 、シングル「走っておいで恋人よ」でデビュー。 同年、が正式に合流し、現在のアリスとなった。 2ギター&ボーカル、1パーカッションという特異な編成と色の強い演奏については、の影響を少なからず受けているとのことである。 デビュー当初はヒット曲もなく、鳴かず飛ばずであった。 なんとか打開策を見出そうと、の帝王を初来日させるが、当時の日本ではマイナーなアーティストだったこともあって、来日公演は不入り。 この際、3000人を収容できる大阪フェスティバルホールに観客が約200人しか集まらなかった。 ライブを盛り上げるため観客席でスタッフらと共に歓声を上げていた谷村は、ジェームス・ブラウンのライブでは恒例のマントショーの最中、舞台袖で舞台監督に「もうだめだ、やりたくない」と言っているジェームス・ブラウンの姿が見えたという。 借金返済のためへのクルージング・ツアーを企画するが、これもまた成功には至らず借金をこじらせる結果となる。 挙句は帰国途中に谷村が当事者となった騒動までもが起こった。 (後にコレラでないと判明するまで船底に一時隔離されていた)谷村の著書での回想によれば当時人気絶頂だったガロが同行したがスケジュールの都合で途中で帰国してしまったという。 困った谷村達は懸命にアリスで盛り上げようとしたという。 しかしアリスは、地道なライブ活動(には年間303ステージという記録が残っている)との「」のヒットを契機に、「」、「涙の誓い」、「ジョニーの子守唄」、「チャンピオン」、「狂った果実」等のヒット曲を連発する。 には日本人アーティストとして初めて3日間公演を成功させるなど、一時代を築いた。 アリスの活動と並行して、ソロ活動も開始。 コンサート活動はなかった(シャンソン歌手とのジョイント・コンサートを除く)ものの、のアルバム『蜩(ひぐらし)』を皮切りに、ソロ名義でのアルバムやシングル製作、他の歌手への楽曲提供(の「」など)を精力的に行う。 アリスとは異なる音楽世界は、の「陽はまた昇る」を経て、の「」で一定の完成をみる。 にはシングル「群青」が映画『』の主題歌となる。 、北京・にて日中共同コンサート「ハンド・イン・ハンド北京」開催。 中国におけるロック・ポップス系コンサートとしては、前年10月に工人文化宮で開催された「第一回中日友好音楽祭」に出演したに次ぐものだが、単独公演としてはアリスが初めてであった。 この公演がやら多くの若手ミュージシャンに影響を与え、中国にポップスが根付く礎となった。 またソロになった谷村が、本格的にアジアに目を向けた活動を始めるきっかけにもなった。 同年、アリス活動停止。 ソロ活動期 [ ] 、シングル「スーパースター-MY SUPERSTAR-」、アルバム『JADE-翡翠-』をリリースして、本格的にソロ活動をスタート。 の『EMBLEM』、の『抱擁』『刺-とげ-』など、は年に1〜2枚のハイペースでアルバムを発表。 いずれもアルバム毎に明確なコンセプトをもった意欲作である。 またその間1983年の「」や、翌1984年もとのデュエット曲「」のシングル曲をそれぞれヒットさせている。 毎年のコンサート・ツアーとは別に、、、らとジョイント・コンサートも実施。 からは系アーティストでは初めてのディナーショーもスタート。 また親友である 、と共に、アジアのミュージシャンを集めたイベント「」をスタート。 のでの公演を皮切りに、年に1回アジア各地で開催され、現在も続いている。 ちなみに、映画『』撮影中に瀕死の重傷を負ったが、復活した姿を初めて聴衆の前に現したのも、香港コロシアムでの公演のステージ上であった。 、完成したばかりの東京・で1ヶ月のロングラン・リサイタル『CORAZON』を開催。 この公演は年末の恒例行事となり、の『LA STRADA VI -宝石心-』まで続いた。 、「アリス」としての活動も再開。 シングル「BURAI」、アルバム『ALICEX』をリリースし健在をアピール。 ただし、この時はコンサート・ツアーは行わず、数本のテレビ番組出演をするにとどまった。 その後アリスは再び長い活動休止期間に入る。 、と共演した大作アルバム『獅子と薔薇』を発表。 1989年の『輪舞-ロンド-』(と共演)、の『Price of Love』(と共演)と合わせ、「ヨーロッパ三部作」を完成させる。 のアルバム『I・T・A・N』ではプロデューサーにとを起用するなど、80年代後半から90年代前半にかけては欧米のミュージシャン、プロデューサーとの仕事が多かった。 12月、父・新蔵が死去。 『』で「」を追悼曲として歌った。 、と連名でシングル「」を発表。 『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングとして使用され、現在でも番組を代表する曲として歌い継がれている。 、の商業用ソフトであるライブDVD『シンジ ラ ムニタ』を発表。 このことは、に放送された『』の水曜コーナー『クイズ! メイクダウト』でも取り上げられた。 リリースしたシングルは「ハーヴェスト」1曲のみであった。 同年末の『』でアリスの活動を再開。 、のでのコンサートを皮切りに、14年ぶりのニュー・アルバム『ALICE 0001』のリリース、全国ツアーと活躍した。 、アルバム『半空』を発表。 やといった旧友に混じって、元のギタリストが参加した。 、・で教授を務めている。 同年、中国の歌手のアルバム『我』をプロデュース。 、日本国際博覧会「」NHKテーマソング『ココロツタエ』(歌=・作詞=谷村新司・作曲=谷村新司)。 、『NHK紅白歌合戦』に、アリスとして2度目の出場を果たす。 、に移籍、6年ぶりのMaxiシングル「風の暦」をリリース。 、『半空』以来5年ぶりのオリジナル・アルバム『オリオン13』を発売。 NHKの番組『にっぽん 心の仏像』に出演した。 番組のテーマ曲は本人の歌『カノン』。 『オリオン13』に収録されてある「ココロツタエ」には作曲・編曲共「」によるソロバージョン。 、テーマソング「ムジカ」(歌・作詞・作曲=谷村新司) 、「夢人〜ユメジン〜」(avex ioから2枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「今ありて」(avex ioから3枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「ツバメ」(avex ioから4枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「ロード・ソング」(avex ioから5枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「十三夜/マカリイ」(avex ioから6枚目)のMaxiシングルをリリース。 「マカリイ」という楽曲は、「昴」の曲に対するアンサーソング。 、「桜は桜/夢になりたい」(avex ioから7枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「風の子守唄〜あしたの君へ〜」(avex ioから8枚目)のMaxiシングルをリリース。 前の作品「メシアふたたび」()に次ぐ「東日本大震災」で2作品目となる支援団体への印税全額寄贈物。 、「はじまりの物語/伴奏」(avex ioから9枚目)のMaxiシングルをリリース。 、・(大衆芸能部門)を受賞。 、を受章。 人物・エピソード [ ]• の元副大統領に顔が似ているとしても知られている。 顔の2大特徴のうち、後退気味の額は初期アリス時代からで当時はを被ることが多かった。 は、自身と谷村およびを「フォーク界御三毛(ごさんけ)」と呼んだことがある。 口髭は1980年代に入ってから蓄えている。 『』などのタレント活動も行っていて、「家に2000本近くのがある」ことはあまりにも有名。 「ファッションヘルス」などと書かれたTシャツを着てテレビに出演することもある。 と並ぶニューミュージック界の二大マニアとして知られ、ビニ本専用倉庫もあり、そこにを呼んだこともあるらしい。 このビニ本専用倉庫のTV取材に訪れた野沢直子に対し、ハードなスカトロ本を見せつけ、あまりの気持ち悪さに嘔吐した野沢を見て、谷村は満面の笑みを浮かべていた(この取材は実際にTV放映されている)。 またアリスの武道館コンサート終演後すぐさま行き着けのビニ本屋に向かい、食事で席を外した店長の代わりに店番を務めていたところ、店に立ち寄ったコンサート帰りのファンが谷村がレジに座っているのを見て驚愕したという逸話もある。 さらに「何でこんな所にいるんですか! 僕たちの感動を返してください!」と激高したファンに対して「これも一つのハンド・イン・ハンドや」と切り返したというエピソードを後年本人が語っている。 深夜のラジオ番組にて洋物スカトロ系ビニ本のモデルについて解説をしたり、「ベッドの上にはタブーはありません」と主張を繰り返すなど、男女のありかたについて一家言を持つ。 なお、歌舞伎町の店に通っていた際には、在籍時代にバイトとして働いていた世を忍ぶ仮の姿のと対面したことがあり、後に「あのときの受付は、我輩だ! 」とカミングアウトされたこともある。 『』は最初ピンで、のちにの共演で火曜日を担当していたがピン時代からの名物コーナー 『』は現在のでは放送できないのオンパレードでこれが元で今でも谷村=スケベというイメージで見られている。 また当時の女優との噂がリスナーの中で広がったが、本人は「自分が一方的にファンなだけ。 鳥居さんには迷惑なこと」と完全否定した。 しかし数年後実は付き合っていたと告白した。 谷村の浮いた噂は後にも先にもこれ一つである。 や、ら若手ミュージシャンとの交流も積極的である。 が谷村のコンサートにゲスト出演したこともある。 また、のコンサート『THE MAN』のバック・メンバーの中には、元のベーシストがいた。 アメリカのロックバンドのとは、プライベートでも交流がある。 の檀徒でもある。 2007年5月15日、16日にはで開かれた、「梅花流創立55周年記念奉讃大会」の清興に出演。 2009年、2010年にはの広報ポスターに写っている。 仕事を休業する決意をした矢先に上海からの誘いがあり、受けたとライブで本人談。 2001年の『』出演時、本番中舞台袖の布をカーテンとしたスペースで着替えをしていた紅組司会の()に対し、「うどちゃん頑張ってね」と布をめくって着替えを覗いた。 着替えに集中していた有働は「ありがとうございます」と普通に返したが、その時はの以外一糸纏わぬ姿だったという。 が苦手。 「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「食わず嫌い王決定戦」内では「唾液を吸い取られるような物がダメ」と語っている。 2017年、68歳で自動車の運転免許を取得した。 NHK紅白歌合戦出場歴 [ ]• ソロとして通算16回出場し、白組トリおよび大トリを一度務めている。 この他にも、2000年、2005年、2009年はアリスとして出場している。 (に楽曲提供。 (に楽曲提供)• (に詞を提供)• (作詞は横須賀恵、山口百恵の)• (に楽曲提供。 公演『』主題歌)• (、映画『』主題歌)• (のアルバム収録曲。 (作詞は横須賀恵、高田みづえに楽曲提供)• (に楽曲提供。 アニメ『』エンディング)• (に楽曲提供)• (レスリー・チャンの曲)(楽曲提供)p. (オユンナに楽曲提供)p. (「」 hyacinth と読ませる。 (、バンダイ ミュージカル『大草原の小さな家』テーマソング)• 感傷紀行()• 昭和恋唄(へ曲を提供。 作詞は。 (1993年4月 - 1993年9月、よみうりテレビ) - 司会• シリーズ(新、黄金、家族そろって)(1997年4月 - 1998年9月、フジテレビ) - 司会• (1997年4月 - 1998年9月、TBS) - 司会• (1998年10月 - 1999年3月、フジテレビ) - 司会• 「編」(2008年6月7日放送、日本テレビ)、「編」(2008年8月30日放送)、「・編」(2008年12月13日) 、「・編」(2009年3月7日放送)- 旅人• (2010年2月25日、)- と共に冬の・等を巡る。 (2011年4月〜、NHK BSプレミアム)• (2014年4月 - 2018年3月、BS日テレ) - ツタエビト(司会)• 谷村新司の心花伝~しまなみ・尾道・倉敷をゆく~(2020年3月、BS日テレ)• タビムラシンジ(2020年3月、BSフジ) テレビドラマ [ ]• 花も嵐も踏み越えて 西条八十の愛と歌(1980年6月12日、読売テレビ) ドキュメンタリー [ ]• 開局10周年記念番組 谷村新司 ココロの巡礼 「昴」30年目の真実(2010年9月、BSジャパン)• 第4集 心臓病〜高性能ポンプの落とし穴〜(2013年10月27日、NHK) - ナビゲーター ラジオ番組 [ ]• (文化放送)• 火曜日(1978年4月 - 1980年3月、文化放送)- と共演• (文化放送)• 水曜日(2001年10月 - 2002年3月、2002年10月 - 2003年3月、文化放送) - ばんばひろふみと共演• (毎日放送)• (毎日放送)• (文化放送)• NHK80周年・深夜便15周年スペシャル シンガーソングライターの時代(2005年3月21日放送、NHK) - ゲストパネリストとして出演• (MBSラジオ)2007年度• (2009年1月 - 2012年3月、ニッポン放送)• (2010年11月 - 2011年3月、文化放送・ニッポン放送) - と共演• (2012年1月、) - 1月の月間ゲストとして出演• 日本の名湯シリーズ(1994年、湯船に浸かりながら、自身のヒット曲である「昴-すばる-」を熱唱していた。 (初代) ものまねをする人物 [ ]• () 他 その独特な風貌と歌い方(特にソロ)での格好のとなっており、谷村のものまねをする芸人は多い。 ただし、非常に落ち着いた歌い方になっているソロになってからの谷村はもちろんのこと、堀内のものまねをするタレントとともに「全盛期のアリス(の谷村)」のものまねもよくされていた。 しかし、にアリスが再始動したために「現在のアリス(としての谷村)」のものまねに切り替えたものまねタレントも多い。 脚注 [ ] [] 1. - 2. - 3. - 4. - 5. - 6. - 7. - 8. - 9. - 10. - 11. - 12. - 13. - 14. - 15. - 16. - 17. - 18. - 19. - 20. - 21. - 22. - 23. - 24. - 25. - 26. - 27. - 28. - 29. - 30. - 31. - 32. - 33. - 34. - 35. - 36. - 37. - 38. - 39. - 40. - 41. - 42. - 43. - 44. - 45. - 46. - 47. - 48. - 49. - 50. - 51. - 52. - 53. - 54. - 55. - 56. - 57. アルバム• 第9回:• 第13回:• 第15回:• 第27回:• 第33回:•

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谷村 新司

この にはなが不足しています。 の提供に協力をお願いします。 存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的にあるいは有害となるものは すぐに除去する必要があります。 ( 2013年5月) 谷村新司 出生名 谷村新司 別名 チンペイ 生誕 1948-12-11 (71歳) 出身地 ・ 学歴 中退 ジャンル () 職業 常任教授 担当楽器 活動期間 - 現在 公式サイト 谷村 新司(たにむら しんじ、 - )は、の、、、、。 の出身で、生まれの桑津育ち。 愛称は チンペイ。 はAB型 ABO。 シスAB型というAB型の9千分の1という珍しい血液型。 3人兄姉の次男(兄1人、姉1人)。 娘は歌手の。 歴にはなど。 来歴 [ ] アリス結成前 [ ] 両親がの最中にので親族が営んでいた旅館に疎開していたことから、大戦後のに同市内で出生。 3歳まで生活した 後に、大阪市内へ転居した。 、、大阪府立大和川高等学校(現:)卒業。 少年時代は肥満体型で、「ブタ」と渾名され傷つく。 特に音楽に興味があった訳ではないが、『』でギターを弾くの姿を見て一念発起。 「女にモテたい一心で」(本人談)ギターを練習し始め、やがてバンド活動も開始した。 、高校在学中に、とスタイルのフォーク・グループ「」を結成。 グループ名は「氷砂糖」の意。 とで絶大な人気を誇り、神戸のアマチュア・バンド・サークル「」の看板グループであった。 、シングル「どこかに幸せが」で東芝レコードよりデビュー。 には唯一のアルバム『讃美歌』を発表している。 、の会場で、後にアリスの所属事務所「」社長となると知り合う。 細川の音頭取りで実行したアメリカ・コンサート・ツアーで「ロック・キャンディーズ」や「」らと共に参加していたソウル・バンド「」のドラマーと知り合い意気投合。 帰国したら一緒にグループを組もうと約束する。 このとき谷村の頭の中には、新グループ「アリス」の構想ができつつあった。 このアメリカ・ツアー中にのステージを観る機会があり、の独特のギター・プレイに圧倒されたという。 同じく訪米中にのライブを観る機会にも恵まれ、「当時彼女の生演奏に触れることのできた数少ない日本人として幸運」と谷村本人が語っている。 帰国した谷村は、アマチュア・ロック・バンド「」のボーカルをアリスに勧誘。 堀内は「ポート・ジュビリー」で、既に谷村とは知り合いだった。 アリス在籍期 [ ] 、谷村新司、堀内孝雄の2名で「」結成。 の実家の蔵で練習を重ねる。 、シングル「走っておいで恋人よ」でデビュー。 同年、が正式に合流し、現在のアリスとなった。 2ギター&ボーカル、1パーカッションという特異な編成と色の強い演奏については、の影響を少なからず受けているとのことである。 デビュー当初はヒット曲もなく、鳴かず飛ばずであった。 なんとか打開策を見出そうと、の帝王を初来日させるが、当時の日本ではマイナーなアーティストだったこともあって、来日公演は不入り。 この際、3000人を収容できる大阪フェスティバルホールに観客が約200人しか集まらなかった。 ライブを盛り上げるため観客席でスタッフらと共に歓声を上げていた谷村は、ジェームス・ブラウンのライブでは恒例のマントショーの最中、舞台袖で舞台監督に「もうだめだ、やりたくない」と言っているジェームス・ブラウンの姿が見えたという。 借金返済のためへのクルージング・ツアーを企画するが、これもまた成功には至らず借金をこじらせる結果となる。 挙句は帰国途中に谷村が当事者となった騒動までもが起こった。 (後にコレラでないと判明するまで船底に一時隔離されていた)谷村の著書での回想によれば当時人気絶頂だったガロが同行したがスケジュールの都合で途中で帰国してしまったという。 困った谷村達は懸命にアリスで盛り上げようとしたという。 しかしアリスは、地道なライブ活動(には年間303ステージという記録が残っている)との「」のヒットを契機に、「」、「涙の誓い」、「ジョニーの子守唄」、「チャンピオン」、「狂った果実」等のヒット曲を連発する。 には日本人アーティストとして初めて3日間公演を成功させるなど、一時代を築いた。 アリスの活動と並行して、ソロ活動も開始。 コンサート活動はなかった(シャンソン歌手とのジョイント・コンサートを除く)ものの、のアルバム『蜩(ひぐらし)』を皮切りに、ソロ名義でのアルバムやシングル製作、他の歌手への楽曲提供(の「」など)を精力的に行う。 アリスとは異なる音楽世界は、の「陽はまた昇る」を経て、の「」で一定の完成をみる。 にはシングル「群青」が映画『』の主題歌となる。 、北京・にて日中共同コンサート「ハンド・イン・ハンド北京」開催。 中国におけるロック・ポップス系コンサートとしては、前年10月に工人文化宮で開催された「第一回中日友好音楽祭」に出演したに次ぐものだが、単独公演としてはアリスが初めてであった。 この公演がやら多くの若手ミュージシャンに影響を与え、中国にポップスが根付く礎となった。 またソロになった谷村が、本格的にアジアに目を向けた活動を始めるきっかけにもなった。 同年、アリス活動停止。 ソロ活動期 [ ] 、シングル「スーパースター-MY SUPERSTAR-」、アルバム『JADE-翡翠-』をリリースして、本格的にソロ活動をスタート。 の『EMBLEM』、の『抱擁』『刺-とげ-』など、は年に1〜2枚のハイペースでアルバムを発表。 いずれもアルバム毎に明確なコンセプトをもった意欲作である。 またその間1983年の「」や、翌1984年もとのデュエット曲「」のシングル曲をそれぞれヒットさせている。 毎年のコンサート・ツアーとは別に、、、らとジョイント・コンサートも実施。 からは系アーティストでは初めてのディナーショーもスタート。 また親友である 、と共に、アジアのミュージシャンを集めたイベント「」をスタート。 のでの公演を皮切りに、年に1回アジア各地で開催され、現在も続いている。 ちなみに、映画『』撮影中に瀕死の重傷を負ったが、復活した姿を初めて聴衆の前に現したのも、香港コロシアムでの公演のステージ上であった。 、完成したばかりの東京・で1ヶ月のロングラン・リサイタル『CORAZON』を開催。 この公演は年末の恒例行事となり、の『LA STRADA VI -宝石心-』まで続いた。 、「アリス」としての活動も再開。 シングル「BURAI」、アルバム『ALICEX』をリリースし健在をアピール。 ただし、この時はコンサート・ツアーは行わず、数本のテレビ番組出演をするにとどまった。 その後アリスは再び長い活動休止期間に入る。 、と共演した大作アルバム『獅子と薔薇』を発表。 1989年の『輪舞-ロンド-』(と共演)、の『Price of Love』(と共演)と合わせ、「ヨーロッパ三部作」を完成させる。 のアルバム『I・T・A・N』ではプロデューサーにとを起用するなど、80年代後半から90年代前半にかけては欧米のミュージシャン、プロデューサーとの仕事が多かった。 12月、父・新蔵が死去。 『』で「」を追悼曲として歌った。 、と連名でシングル「」を発表。 『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングとして使用され、現在でも番組を代表する曲として歌い継がれている。 、の商業用ソフトであるライブDVD『シンジ ラ ムニタ』を発表。 このことは、に放送された『』の水曜コーナー『クイズ! メイクダウト』でも取り上げられた。 リリースしたシングルは「ハーヴェスト」1曲のみであった。 同年末の『』でアリスの活動を再開。 、のでのコンサートを皮切りに、14年ぶりのニュー・アルバム『ALICE 0001』のリリース、全国ツアーと活躍した。 、アルバム『半空』を発表。 やといった旧友に混じって、元のギタリストが参加した。 、・で教授を務めている。 同年、中国の歌手のアルバム『我』をプロデュース。 、日本国際博覧会「」NHKテーマソング『ココロツタエ』(歌=・作詞=谷村新司・作曲=谷村新司)。 、『NHK紅白歌合戦』に、アリスとして2度目の出場を果たす。 、に移籍、6年ぶりのMaxiシングル「風の暦」をリリース。 、『半空』以来5年ぶりのオリジナル・アルバム『オリオン13』を発売。 NHKの番組『にっぽん 心の仏像』に出演した。 番組のテーマ曲は本人の歌『カノン』。 『オリオン13』に収録されてある「ココロツタエ」には作曲・編曲共「」によるソロバージョン。 、テーマソング「ムジカ」(歌・作詞・作曲=谷村新司) 、「夢人〜ユメジン〜」(avex ioから2枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「今ありて」(avex ioから3枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「ツバメ」(avex ioから4枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「ロード・ソング」(avex ioから5枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「十三夜/マカリイ」(avex ioから6枚目)のMaxiシングルをリリース。 「マカリイ」という楽曲は、「昴」の曲に対するアンサーソング。 、「桜は桜/夢になりたい」(avex ioから7枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「風の子守唄〜あしたの君へ〜」(avex ioから8枚目)のMaxiシングルをリリース。 前の作品「メシアふたたび」()に次ぐ「東日本大震災」で2作品目となる支援団体への印税全額寄贈物。 、「はじまりの物語/伴奏」(avex ioから9枚目)のMaxiシングルをリリース。 、・(大衆芸能部門)を受賞。 、を受章。 人物・エピソード [ ]• の元副大統領に顔が似ているとしても知られている。 顔の2大特徴のうち、後退気味の額は初期アリス時代からで当時はを被ることが多かった。 は、自身と谷村およびを「フォーク界御三毛(ごさんけ)」と呼んだことがある。 口髭は1980年代に入ってから蓄えている。 『』などのタレント活動も行っていて、「家に2000本近くのがある」ことはあまりにも有名。 「ファッションヘルス」などと書かれたTシャツを着てテレビに出演することもある。 と並ぶニューミュージック界の二大マニアとして知られ、ビニ本専用倉庫もあり、そこにを呼んだこともあるらしい。 このビニ本専用倉庫のTV取材に訪れた野沢直子に対し、ハードなスカトロ本を見せつけ、あまりの気持ち悪さに嘔吐した野沢を見て、谷村は満面の笑みを浮かべていた(この取材は実際にTV放映されている)。 またアリスの武道館コンサート終演後すぐさま行き着けのビニ本屋に向かい、食事で席を外した店長の代わりに店番を務めていたところ、店に立ち寄ったコンサート帰りのファンが谷村がレジに座っているのを見て驚愕したという逸話もある。 さらに「何でこんな所にいるんですか! 僕たちの感動を返してください!」と激高したファンに対して「これも一つのハンド・イン・ハンドや」と切り返したというエピソードを後年本人が語っている。 深夜のラジオ番組にて洋物スカトロ系ビニ本のモデルについて解説をしたり、「ベッドの上にはタブーはありません」と主張を繰り返すなど、男女のありかたについて一家言を持つ。 なお、歌舞伎町の店に通っていた際には、在籍時代にバイトとして働いていた世を忍ぶ仮の姿のと対面したことがあり、後に「あのときの受付は、我輩だ! 」とカミングアウトされたこともある。 『』は最初ピンで、のちにの共演で火曜日を担当していたがピン時代からの名物コーナー 『』は現在のでは放送できないのオンパレードでこれが元で今でも谷村=スケベというイメージで見られている。 また当時の女優との噂がリスナーの中で広がったが、本人は「自分が一方的にファンなだけ。 鳥居さんには迷惑なこと」と完全否定した。 しかし数年後実は付き合っていたと告白した。 谷村の浮いた噂は後にも先にもこれ一つである。 や、ら若手ミュージシャンとの交流も積極的である。 が谷村のコンサートにゲスト出演したこともある。 また、のコンサート『THE MAN』のバック・メンバーの中には、元のベーシストがいた。 アメリカのロックバンドのとは、プライベートでも交流がある。 の檀徒でもある。 2007年5月15日、16日にはで開かれた、「梅花流創立55周年記念奉讃大会」の清興に出演。 2009年、2010年にはの広報ポスターに写っている。 仕事を休業する決意をした矢先に上海からの誘いがあり、受けたとライブで本人談。 2001年の『』出演時、本番中舞台袖の布をカーテンとしたスペースで着替えをしていた紅組司会の()に対し、「うどちゃん頑張ってね」と布をめくって着替えを覗いた。 着替えに集中していた有働は「ありがとうございます」と普通に返したが、その時はの以外一糸纏わぬ姿だったという。 が苦手。 「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「食わず嫌い王決定戦」内では「唾液を吸い取られるような物がダメ」と語っている。 2017年、68歳で自動車の運転免許を取得した。 NHK紅白歌合戦出場歴 [ ]• ソロとして通算16回出場し、白組トリおよび大トリを一度務めている。 この他にも、2000年、2005年、2009年はアリスとして出場している。 (に楽曲提供。 (に楽曲提供)• (に詞を提供)• (作詞は横須賀恵、山口百恵の)• (に楽曲提供。 公演『』主題歌)• (、映画『』主題歌)• (のアルバム収録曲。 (作詞は横須賀恵、高田みづえに楽曲提供)• (に楽曲提供。 アニメ『』エンディング)• (に楽曲提供)• (レスリー・チャンの曲)(楽曲提供)p. (オユンナに楽曲提供)p. (「」 hyacinth と読ませる。 (、バンダイ ミュージカル『大草原の小さな家』テーマソング)• 感傷紀行()• 昭和恋唄(へ曲を提供。 作詞は。 (1993年4月 - 1993年9月、よみうりテレビ) - 司会• シリーズ(新、黄金、家族そろって)(1997年4月 - 1998年9月、フジテレビ) - 司会• (1997年4月 - 1998年9月、TBS) - 司会• (1998年10月 - 1999年3月、フジテレビ) - 司会• 「編」(2008年6月7日放送、日本テレビ)、「編」(2008年8月30日放送)、「・編」(2008年12月13日) 、「・編」(2009年3月7日放送)- 旅人• (2010年2月25日、)- と共に冬の・等を巡る。 (2011年4月〜、NHK BSプレミアム)• (2014年4月 - 2018年3月、BS日テレ) - ツタエビト(司会)• 谷村新司の心花伝~しまなみ・尾道・倉敷をゆく~(2020年3月、BS日テレ)• タビムラシンジ(2020年3月、BSフジ) テレビドラマ [ ]• 花も嵐も踏み越えて 西条八十の愛と歌(1980年6月12日、読売テレビ) ドキュメンタリー [ ]• 開局10周年記念番組 谷村新司 ココロの巡礼 「昴」30年目の真実(2010年9月、BSジャパン)• 第4集 心臓病〜高性能ポンプの落とし穴〜(2013年10月27日、NHK) - ナビゲーター ラジオ番組 [ ]• (文化放送)• 火曜日(1978年4月 - 1980年3月、文化放送)- と共演• (文化放送)• 水曜日(2001年10月 - 2002年3月、2002年10月 - 2003年3月、文化放送) - ばんばひろふみと共演• (毎日放送)• (毎日放送)• (文化放送)• NHK80周年・深夜便15周年スペシャル シンガーソングライターの時代(2005年3月21日放送、NHK) - ゲストパネリストとして出演• (MBSラジオ)2007年度• (2009年1月 - 2012年3月、ニッポン放送)• (2010年11月 - 2011年3月、文化放送・ニッポン放送) - と共演• (2012年1月、) - 1月の月間ゲストとして出演• 日本の名湯シリーズ(1994年、湯船に浸かりながら、自身のヒット曲である「昴-すばる-」を熱唱していた。 (初代) ものまねをする人物 [ ]• () 他 その独特な風貌と歌い方(特にソロ)での格好のとなっており、谷村のものまねをする芸人は多い。 ただし、非常に落ち着いた歌い方になっているソロになってからの谷村はもちろんのこと、堀内のものまねをするタレントとともに「全盛期のアリス(の谷村)」のものまねもよくされていた。 しかし、にアリスが再始動したために「現在のアリス(としての谷村)」のものまねに切り替えたものまねタレントも多い。 脚注 [ ] [] 1. - 2. - 3. - 4. - 5. - 6. - 7. - 8. - 9. - 10. - 11. - 12. - 13. - 14. - 15. - 16. - 17. - 18. - 19. - 20. - 21. - 22. - 23. - 24. - 25. - 26. - 27. - 28. - 29. - 30. - 31. - 32. - 33. - 34. - 35. - 36. - 37. - 38. - 39. - 40. - 41. - 42. - 43. - 44. - 45. - 46. - 47. - 48. - 49. - 50. - 51. - 52. - 53. - 54. - 55. - 56. - 57. アルバム• 第9回:• 第13回:• 第15回:• 第27回:• 第33回:•

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谷村新司

谷村 新司

この にはなが不足しています。 の提供に協力をお願いします。 存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的にあるいは有害となるものは すぐに除去する必要があります。 ( 2013年5月) 谷村新司 出生名 谷村新司 別名 チンペイ 生誕 1948-12-11 (71歳) 出身地 ・ 学歴 中退 ジャンル () 職業 常任教授 担当楽器 活動期間 - 現在 公式サイト 谷村 新司(たにむら しんじ、 - )は、の、、、、。 の出身で、生まれの桑津育ち。 愛称は チンペイ。 はAB型 ABO。 シスAB型というAB型の9千分の1という珍しい血液型。 3人兄姉の次男(兄1人、姉1人)。 娘は歌手の。 歴にはなど。 来歴 [ ] アリス結成前 [ ] 両親がの最中にので親族が営んでいた旅館に疎開していたことから、大戦後のに同市内で出生。 3歳まで生活した 後に、大阪市内へ転居した。 、、大阪府立大和川高等学校(現:)卒業。 少年時代は肥満体型で、「ブタ」と渾名され傷つく。 特に音楽に興味があった訳ではないが、『』でギターを弾くの姿を見て一念発起。 「女にモテたい一心で」(本人談)ギターを練習し始め、やがてバンド活動も開始した。 、高校在学中に、とスタイルのフォーク・グループ「」を結成。 グループ名は「氷砂糖」の意。 とで絶大な人気を誇り、神戸のアマチュア・バンド・サークル「」の看板グループであった。 、シングル「どこかに幸せが」で東芝レコードよりデビュー。 には唯一のアルバム『讃美歌』を発表している。 、の会場で、後にアリスの所属事務所「」社長となると知り合う。 細川の音頭取りで実行したアメリカ・コンサート・ツアーで「ロック・キャンディーズ」や「」らと共に参加していたソウル・バンド「」のドラマーと知り合い意気投合。 帰国したら一緒にグループを組もうと約束する。 このとき谷村の頭の中には、新グループ「アリス」の構想ができつつあった。 このアメリカ・ツアー中にのステージを観る機会があり、の独特のギター・プレイに圧倒されたという。 同じく訪米中にのライブを観る機会にも恵まれ、「当時彼女の生演奏に触れることのできた数少ない日本人として幸運」と谷村本人が語っている。 帰国した谷村は、アマチュア・ロック・バンド「」のボーカルをアリスに勧誘。 堀内は「ポート・ジュビリー」で、既に谷村とは知り合いだった。 アリス在籍期 [ ] 、谷村新司、堀内孝雄の2名で「」結成。 の実家の蔵で練習を重ねる。 、シングル「走っておいで恋人よ」でデビュー。 同年、が正式に合流し、現在のアリスとなった。 2ギター&ボーカル、1パーカッションという特異な編成と色の強い演奏については、の影響を少なからず受けているとのことである。 デビュー当初はヒット曲もなく、鳴かず飛ばずであった。 なんとか打開策を見出そうと、の帝王を初来日させるが、当時の日本ではマイナーなアーティストだったこともあって、来日公演は不入り。 この際、3000人を収容できる大阪フェスティバルホールに観客が約200人しか集まらなかった。 ライブを盛り上げるため観客席でスタッフらと共に歓声を上げていた谷村は、ジェームス・ブラウンのライブでは恒例のマントショーの最中、舞台袖で舞台監督に「もうだめだ、やりたくない」と言っているジェームス・ブラウンの姿が見えたという。 借金返済のためへのクルージング・ツアーを企画するが、これもまた成功には至らず借金をこじらせる結果となる。 挙句は帰国途中に谷村が当事者となった騒動までもが起こった。 (後にコレラでないと判明するまで船底に一時隔離されていた)谷村の著書での回想によれば当時人気絶頂だったガロが同行したがスケジュールの都合で途中で帰国してしまったという。 困った谷村達は懸命にアリスで盛り上げようとしたという。 しかしアリスは、地道なライブ活動(には年間303ステージという記録が残っている)との「」のヒットを契機に、「」、「涙の誓い」、「ジョニーの子守唄」、「チャンピオン」、「狂った果実」等のヒット曲を連発する。 には日本人アーティストとして初めて3日間公演を成功させるなど、一時代を築いた。 アリスの活動と並行して、ソロ活動も開始。 コンサート活動はなかった(シャンソン歌手とのジョイント・コンサートを除く)ものの、のアルバム『蜩(ひぐらし)』を皮切りに、ソロ名義でのアルバムやシングル製作、他の歌手への楽曲提供(の「」など)を精力的に行う。 アリスとは異なる音楽世界は、の「陽はまた昇る」を経て、の「」で一定の完成をみる。 にはシングル「群青」が映画『』の主題歌となる。 、北京・にて日中共同コンサート「ハンド・イン・ハンド北京」開催。 中国におけるロック・ポップス系コンサートとしては、前年10月に工人文化宮で開催された「第一回中日友好音楽祭」に出演したに次ぐものだが、単独公演としてはアリスが初めてであった。 この公演がやら多くの若手ミュージシャンに影響を与え、中国にポップスが根付く礎となった。 またソロになった谷村が、本格的にアジアに目を向けた活動を始めるきっかけにもなった。 同年、アリス活動停止。 ソロ活動期 [ ] 、シングル「スーパースター-MY SUPERSTAR-」、アルバム『JADE-翡翠-』をリリースして、本格的にソロ活動をスタート。 の『EMBLEM』、の『抱擁』『刺-とげ-』など、は年に1〜2枚のハイペースでアルバムを発表。 いずれもアルバム毎に明確なコンセプトをもった意欲作である。 またその間1983年の「」や、翌1984年もとのデュエット曲「」のシングル曲をそれぞれヒットさせている。 毎年のコンサート・ツアーとは別に、、、らとジョイント・コンサートも実施。 からは系アーティストでは初めてのディナーショーもスタート。 また親友である 、と共に、アジアのミュージシャンを集めたイベント「」をスタート。 のでの公演を皮切りに、年に1回アジア各地で開催され、現在も続いている。 ちなみに、映画『』撮影中に瀕死の重傷を負ったが、復活した姿を初めて聴衆の前に現したのも、香港コロシアムでの公演のステージ上であった。 、完成したばかりの東京・で1ヶ月のロングラン・リサイタル『CORAZON』を開催。 この公演は年末の恒例行事となり、の『LA STRADA VI -宝石心-』まで続いた。 、「アリス」としての活動も再開。 シングル「BURAI」、アルバム『ALICEX』をリリースし健在をアピール。 ただし、この時はコンサート・ツアーは行わず、数本のテレビ番組出演をするにとどまった。 その後アリスは再び長い活動休止期間に入る。 、と共演した大作アルバム『獅子と薔薇』を発表。 1989年の『輪舞-ロンド-』(と共演)、の『Price of Love』(と共演)と合わせ、「ヨーロッパ三部作」を完成させる。 のアルバム『I・T・A・N』ではプロデューサーにとを起用するなど、80年代後半から90年代前半にかけては欧米のミュージシャン、プロデューサーとの仕事が多かった。 12月、父・新蔵が死去。 『』で「」を追悼曲として歌った。 、と連名でシングル「」を発表。 『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングとして使用され、現在でも番組を代表する曲として歌い継がれている。 、の商業用ソフトであるライブDVD『シンジ ラ ムニタ』を発表。 このことは、に放送された『』の水曜コーナー『クイズ! メイクダウト』でも取り上げられた。 リリースしたシングルは「ハーヴェスト」1曲のみであった。 同年末の『』でアリスの活動を再開。 、のでのコンサートを皮切りに、14年ぶりのニュー・アルバム『ALICE 0001』のリリース、全国ツアーと活躍した。 、アルバム『半空』を発表。 やといった旧友に混じって、元のギタリストが参加した。 、・で教授を務めている。 同年、中国の歌手のアルバム『我』をプロデュース。 、日本国際博覧会「」NHKテーマソング『ココロツタエ』(歌=・作詞=谷村新司・作曲=谷村新司)。 、『NHK紅白歌合戦』に、アリスとして2度目の出場を果たす。 、に移籍、6年ぶりのMaxiシングル「風の暦」をリリース。 、『半空』以来5年ぶりのオリジナル・アルバム『オリオン13』を発売。 NHKの番組『にっぽん 心の仏像』に出演した。 番組のテーマ曲は本人の歌『カノン』。 『オリオン13』に収録されてある「ココロツタエ」には作曲・編曲共「」によるソロバージョン。 、テーマソング「ムジカ」(歌・作詞・作曲=谷村新司) 、「夢人〜ユメジン〜」(avex ioから2枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「今ありて」(avex ioから3枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「ツバメ」(avex ioから4枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「ロード・ソング」(avex ioから5枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「十三夜/マカリイ」(avex ioから6枚目)のMaxiシングルをリリース。 「マカリイ」という楽曲は、「昴」の曲に対するアンサーソング。 、「桜は桜/夢になりたい」(avex ioから7枚目)のMaxiシングルをリリース。 、「風の子守唄〜あしたの君へ〜」(avex ioから8枚目)のMaxiシングルをリリース。 前の作品「メシアふたたび」()に次ぐ「東日本大震災」で2作品目となる支援団体への印税全額寄贈物。 、「はじまりの物語/伴奏」(avex ioから9枚目)のMaxiシングルをリリース。 、・(大衆芸能部門)を受賞。 、を受章。 人物・エピソード [ ]• の元副大統領に顔が似ているとしても知られている。 顔の2大特徴のうち、後退気味の額は初期アリス時代からで当時はを被ることが多かった。 は、自身と谷村およびを「フォーク界御三毛(ごさんけ)」と呼んだことがある。 口髭は1980年代に入ってから蓄えている。 『』などのタレント活動も行っていて、「家に2000本近くのがある」ことはあまりにも有名。 「ファッションヘルス」などと書かれたTシャツを着てテレビに出演することもある。 と並ぶニューミュージック界の二大マニアとして知られ、ビニ本専用倉庫もあり、そこにを呼んだこともあるらしい。 このビニ本専用倉庫のTV取材に訪れた野沢直子に対し、ハードなスカトロ本を見せつけ、あまりの気持ち悪さに嘔吐した野沢を見て、谷村は満面の笑みを浮かべていた(この取材は実際にTV放映されている)。 またアリスの武道館コンサート終演後すぐさま行き着けのビニ本屋に向かい、食事で席を外した店長の代わりに店番を務めていたところ、店に立ち寄ったコンサート帰りのファンが谷村がレジに座っているのを見て驚愕したという逸話もある。 さらに「何でこんな所にいるんですか! 僕たちの感動を返してください!」と激高したファンに対して「これも一つのハンド・イン・ハンドや」と切り返したというエピソードを後年本人が語っている。 深夜のラジオ番組にて洋物スカトロ系ビニ本のモデルについて解説をしたり、「ベッドの上にはタブーはありません」と主張を繰り返すなど、男女のありかたについて一家言を持つ。 なお、歌舞伎町の店に通っていた際には、在籍時代にバイトとして働いていた世を忍ぶ仮の姿のと対面したことがあり、後に「あのときの受付は、我輩だ! 」とカミングアウトされたこともある。 『』は最初ピンで、のちにの共演で火曜日を担当していたがピン時代からの名物コーナー 『』は現在のでは放送できないのオンパレードでこれが元で今でも谷村=スケベというイメージで見られている。 また当時の女優との噂がリスナーの中で広がったが、本人は「自分が一方的にファンなだけ。 鳥居さんには迷惑なこと」と完全否定した。 しかし数年後実は付き合っていたと告白した。 谷村の浮いた噂は後にも先にもこれ一つである。 や、ら若手ミュージシャンとの交流も積極的である。 が谷村のコンサートにゲスト出演したこともある。 また、のコンサート『THE MAN』のバック・メンバーの中には、元のベーシストがいた。 アメリカのロックバンドのとは、プライベートでも交流がある。 の檀徒でもある。 2007年5月15日、16日にはで開かれた、「梅花流創立55周年記念奉讃大会」の清興に出演。 2009年、2010年にはの広報ポスターに写っている。 仕事を休業する決意をした矢先に上海からの誘いがあり、受けたとライブで本人談。 2001年の『』出演時、本番中舞台袖の布をカーテンとしたスペースで着替えをしていた紅組司会の()に対し、「うどちゃん頑張ってね」と布をめくって着替えを覗いた。 着替えに集中していた有働は「ありがとうございます」と普通に返したが、その時はの以外一糸纏わぬ姿だったという。 が苦手。 「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「食わず嫌い王決定戦」内では「唾液を吸い取られるような物がダメ」と語っている。 2017年、68歳で自動車の運転免許を取得した。 NHK紅白歌合戦出場歴 [ ]• ソロとして通算16回出場し、白組トリおよび大トリを一度務めている。 この他にも、2000年、2005年、2009年はアリスとして出場している。 (に楽曲提供。 (に楽曲提供)• (に詞を提供)• (作詞は横須賀恵、山口百恵の)• (に楽曲提供。 公演『』主題歌)• (、映画『』主題歌)• (のアルバム収録曲。 (作詞は横須賀恵、高田みづえに楽曲提供)• (に楽曲提供。 アニメ『』エンディング)• (に楽曲提供)• (レスリー・チャンの曲)(楽曲提供)p. (オユンナに楽曲提供)p. (「」 hyacinth と読ませる。 (、バンダイ ミュージカル『大草原の小さな家』テーマソング)• 感傷紀行()• 昭和恋唄(へ曲を提供。 作詞は。 (1993年4月 - 1993年9月、よみうりテレビ) - 司会• シリーズ(新、黄金、家族そろって)(1997年4月 - 1998年9月、フジテレビ) - 司会• (1997年4月 - 1998年9月、TBS) - 司会• (1998年10月 - 1999年3月、フジテレビ) - 司会• 「編」(2008年6月7日放送、日本テレビ)、「編」(2008年8月30日放送)、「・編」(2008年12月13日) 、「・編」(2009年3月7日放送)- 旅人• (2010年2月25日、)- と共に冬の・等を巡る。 (2011年4月〜、NHK BSプレミアム)• (2014年4月 - 2018年3月、BS日テレ) - ツタエビト(司会)• 谷村新司の心花伝~しまなみ・尾道・倉敷をゆく~(2020年3月、BS日テレ)• タビムラシンジ(2020年3月、BSフジ) テレビドラマ [ ]• 花も嵐も踏み越えて 西条八十の愛と歌(1980年6月12日、読売テレビ) ドキュメンタリー [ ]• 開局10周年記念番組 谷村新司 ココロの巡礼 「昴」30年目の真実(2010年9月、BSジャパン)• 第4集 心臓病〜高性能ポンプの落とし穴〜(2013年10月27日、NHK) - ナビゲーター ラジオ番組 [ ]• (文化放送)• 火曜日(1978年4月 - 1980年3月、文化放送)- と共演• (文化放送)• 水曜日(2001年10月 - 2002年3月、2002年10月 - 2003年3月、文化放送) - ばんばひろふみと共演• (毎日放送)• (毎日放送)• (文化放送)• NHK80周年・深夜便15周年スペシャル シンガーソングライターの時代(2005年3月21日放送、NHK) - ゲストパネリストとして出演• (MBSラジオ)2007年度• (2009年1月 - 2012年3月、ニッポン放送)• (2010年11月 - 2011年3月、文化放送・ニッポン放送) - と共演• (2012年1月、) - 1月の月間ゲストとして出演• 日本の名湯シリーズ(1994年、湯船に浸かりながら、自身のヒット曲である「昴-すばる-」を熱唱していた。 (初代) ものまねをする人物 [ ]• () 他 その独特な風貌と歌い方(特にソロ)での格好のとなっており、谷村のものまねをする芸人は多い。 ただし、非常に落ち着いた歌い方になっているソロになってからの谷村はもちろんのこと、堀内のものまねをするタレントとともに「全盛期のアリス(の谷村)」のものまねもよくされていた。 しかし、にアリスが再始動したために「現在のアリス(としての谷村)」のものまねに切り替えたものまねタレントも多い。 脚注 [ ] [] 1. - 2. - 3. - 4. - 5. - 6. - 7. - 8. - 9. - 10. - 11. - 12. - 13. - 14. - 15. - 16. - 17. - 18. - 19. - 20. - 21. - 22. - 23. - 24. - 25. - 26. - 27. - 28. - 29. - 30. - 31. - 32. - 33. - 34. - 35. - 36. - 37. - 38. - 39. - 40. - 41. - 42. - 43. - 44. - 45. - 46. - 47. - 48. - 49. - 50. - 51. - 52. - 53. - 54. - 55. - 56. - 57. アルバム• 第9回:• 第13回:• 第15回:• 第27回:• 第33回:•

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