け テ ぶれ。 けテぶれ〜学習力を伸ばす宿題革命〜

けテぶれやって!

け テ ぶれ

こんばんは~! つつです。 今日は、G日特の保護者会へ行ってきたので、内容の覚え書きです。 もちろん行ってきたのはあ~るで子です。 入試まで100日を切りました。 本番まではあと少しです。 保護者会では、 目標である入試までに 身につけておかなければならない重要な事を教えてもらいました。 要するに、 言ってしまえば 「テストの点の取り方」です。 後100日を切った今、重要なのは、 新しい知識を付けるよりも 「身につけた知識を100%以上テストに出力できるようにする事」です。 これが出来るか出来ないかで、偏差値がぜんぜん変わってきます。 出来る子は知識だけではなく、点の取り方が上手です。 重要なのは「けテぶれ」です。 「けテぶれ」知らない人もいると思うので解説。 け・・・計画 テ・・・テスト ぶ・・・分析 れ・・・練習 製造業で言う所のですね。 の考え方を教育に持ち込んだのが「けテぶれ」です。 「け」・・・計画 自分が〇〇ができていないから、〇〇をする。 これを決めるのが「け」です。 今見えている目標に対して具体的な方法を自分で設定することです。 塾にはカリキュラムがあるので、 計画の部分は大まかな部分は塾にお任せです。 細かい部分は自分のちからで計画が出来ると強いですね、 例えば・・・ 僕は漢字が苦手なので、皆は3回で良いかもしれないけど。 僕は15回やろうかな。 自分の特性に合った計画を立てないと失敗します。 塾ではカリキュラムにそった宿題が出ます。 どうしても、ある程度画一的な課題が出るので、個人個人でベストな計画ではない場合もあります。 全ての宿題は100%やる必要はなく、 得意な部分は80%、不得意な部分は150%ちからを入れる事が大事です。 テ・・・テスト 育成テスト、実践テスト、公開模試、合格判定模試 それぞれに目的は違うけれど、 今やれていないことを洗い出すためにテストを受けています。 成績に一喜一憂するのではなくて、一番の目的は分らないところを発見する事です。 計画通りにいったのか、いかなかったのかを判定します。 子供にありがちなのは 後から言われれば分った問題を、本当は知ってたから実質〇だ!と考えてしまいます。 ぶ・・・分析 「けテぶれ」の中でも一番大事な項目です。 「なぜ間違ったのか」を分析することです。 他人にやれと言われてやっている子は、この「自分で分析」が出来ていません。 子供は自分で分析することが苦手です。 なかなか育たないのが「分析」です。 要求されるレベルは学校によって違います。 G講座においては2回見た問題は出来るようにしよう。 2回同じ方法で解く問題を見たら典型題と分類しましょう。 問題をどうこなすのかを一番最初に方略を立てましょう。 簡単に見える難問をはじくちからと、取れる問題を確実に取るちからになります。 算数においては間違い方には限られたパターンしかない。 読み間違いにもパターンがあります。 ・リンゴの数を聞かれているのに、ミカンの数を書いてしまった。 ・総数を聞かれているのに個別の数を書いてしまった。 ・単位が違っている。 ・数字があっているか。 ・問題の読み間違い( あてはまらないものをえらべ等 読み間違えをと捉えてしまうのではなく、同じパターンのミスを繰り返さないようにする事が重要です。 単純に、誘導問題と言う意味ではなく。 一問学習したときに、ポイント、考え方を覚えることが大事 なぜその解き方をするのか、解き方の理由を考える。 例えば・・・ 違いが一定だから線分図で左側を合わせる。 同じ解き方で、後に続くほかの問題にも応用できるのではないか?と考える。 この解き方で、この問題にも使える、あの問題にも使える。 逆に 同じ問題でも、この解き方でも解ける、あの解き方も出来る。 色々な引き出しを持つことが応用力である。 最終的には 自分で分析して課題をこなしていけるようになる事が大事です。 間違えをストックしてパターンをつかむ。 自分でテスト結果を分析すること=主体的に勉強することになるのです。 れ・・・練習 分析して、足りなかった部分を練習する事です。 自分で分析することによって、練習にも身が入ります。 何が足りなかったのか? なぜ間違えたのか? 理解しているか否かが、練習の効果を大きく左右します。 この「けテぶれ」が出来る子が、 高い偏差値を取る子なのです。 自分で計画し 自分でテストを受けて 自分で分析し 自分で練習する。 逆を言えば、そういった事が出来ない子は難関校には合格できません。 中学受験イメージにある「無理矢理詰め込む」とは全く違った、 本当のちからが中学受験には必要なのです。 まったね~ バイ tutukun.

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「けテぶれ」をやってみる。

け テ ぶれ

けテぶれ学習法とは? けテぶれ学習法とは、 簡単に言うと「 効率的な勉強方法」のことです。 これを子どもたちに手渡してやることで子どもたちは「自己学習」つまり「独学」ができるようになります。 そしてけテぶれを元にした「自己学習」に取り組む中で、自分なりの勉強方法を見つけ「自立した学習者」へと育っていきます。 この学習方法は、小学校教諭のが考案した学習方法です。 「けテぶれ」は けいかく、 テスト、 ぶんせき、 れんしゅう の頭文字を取っています。 目標に向けて学習計画を立て(計画) 自身の実力を測り(テスト) 実力を上げるためにはどうすればいいかを考え(分析) 学習を積み重ねる(練習) というサイクルを回します。 このサイクルは PDCAサイクルに似ています。 Plan(計画)• Do(実行)• Check(評価)• Action(改善) 葛原先生は、PDCAサイクルをベースに考案されました。 言わば 子ども版のPDCAサイクルです。 まずは自学の漢字で。 自立した学び手になることは大事。 はじめは何パターンかこちらがモデルを示し、ある程度浸透してきたら、段々と枠を飛び出し始めた子ども達のノートをコピーするなどして、広げていきます。 — U-teacher yuuyuuyuu21 私も1年生でやってみた。 まずは、一緒に。 大体この量で10分ほど。 楽しい• 成果が出る 1. 簡単 まずは簡単であることが理由として挙げられます。 子どもが宿題をするときに 一人でも実践できるように簡単で、シンプルに構成されています。 その字のごとく、けいかくして、テストして、ぶんせきして、れんしゅうをすればいいので、 「次は何をすればいいか忘れてしまった」が防げます。 楽しい 「楽しい!」という子どもも多いようです。 簡単だから楽しいのかもしれませんが、他にもキャラクターを書いたりして 自分なりにアレンジできるところが楽しいポイントのようです。 楽しいから続けられるのだと思います。 月曜日にレクチャーした の板書。 勉強する目的を理解してもらった上で、勉強が「楽しい」「面白い」と感じたいよね?って問うと、「うんうん」と頷く子がちらほら。 成果が出る テストの点数が上がったという報告が多いようです。 成果が上がればモチベーションが上がって続けることができます。 しかし、子どもによっては点数が上がるまでに時間がかかります。 そんな時は、先生が生徒のけテぶれノートのよい部分をピックアップして、 匿名で学級通信に載せて、やる気を向上させている例もありました。 けテぶれ学習法が重視される背景 昨今の教育や学習に関する主要な議論の一つに、 「何を学ぶかから、どのように学ぶか」へのシフトがあります。 人生100年時代を迎える今の子どもたちにとっては、学習は学校だけで終わりません。 社会に出てからも学び続けます。 大人も同様です。 生涯学び続ける子どもを育てるためには、学ぶ 内容よりも学ぶ 方法の方が重要です。 このような背景から、「アクティブ・ラーニング」のような 方法に関する議論が盛んで、けテぶれも学習法も重要視されるのです。 けテぶれ学習法は簡単に楽しく実践でき、成果が出る学習法です。

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自分の成長に目を向ける|けテぶれ〜学習力を伸ばす宿題革命〜|note

け テ ぶれ

その中で、教科特有の学びはどれほど子どもたちの中に深く根付いているでしょうか。 確かに深い教材理解に基づく教科専門性を生かした授業も必要ですが、その一方で学びを大きくとらえ、「学ぶこと」は具体的に何をする行為なのかを見極め、子どもたちに 「学び方」を学ばせる必要があるのではないでしょうか。 毎日学ぶという行為を繰り返している子どもたちにとって、その行為自体を客観的にとらえ、学ぶという行為そのものの質を上げようとする意識を持たせてあげることは、多岐にわたる学びを1つにまとめる視点として有効に働くのではないでしょうか。 そしてその中で 「自分なりの学び方」を探求することは、子どもたちの生涯にわたって役に立つ思考となりえるのではないでしょうか。 私はそう考えて学ぶという行為を「自分の外側にある知識や技能を自分の内側に定着させようとする行為」と定義し、「 計画、テスト、分析、練習」という4過程を繰り返すサイクルであるとしました。 その頭文字をとって「 けテぶれ」というキーワードで子どもたちと共有しています。 けテぶれ学習法 こうすることによって子どもたちは自らの学びを段階的にとらえ、自分の力で進められるようになります。 「勉強しなさい」では何をしていいかわからない子も、「まず計画を立てなさい。 その次に自分の実力をテストしてみましょう。 」と具体的な行動を段階的に示してやることで、自分の力で自分の学びを進めることができるようになるのです。 子どもたちがそういう状況になればまず、何を任せることができるか。 それが「宿題」です。 自分で学ぶことができるようになった子どもたちにとって 「宿題」はもう、教師から与えられる必要がなくなるのです。 私のクラスの子どもたちは、自分の必要に応じて必要な勉強を必要な分だけ、学習してきます。 そういう学びは子どもたちにとって新鮮で、充実感があり、とても楽しそうに「自分なりの学び方」を探求しながら、学びを積み上げる姿が見られています。 しかし、知的活動とは、それだけではありませんね。 答えが1つではない問いに対して、自分なりの答えを模索し、探求し続けることも大切な知的活動です。 そういう行為のことをここでは「学ぶこと」に対して端的に「考えること」と表現することにします。 すると、先ほどの問いを同じ問いが浮かび上がります。 「考えるって何だろう」という問いです。 私はその問いに対して、考えることを「「自分の内側にある知識や技術を自分の外側に再構築する行為」と定義し、 「抜き出し、組み立て、整理する」という3過程を繰り返すサイクルであるとしました。 その頭文字をとって「 NKS」というキーワードで子どもたちと共有しています。 世の中の事象は「要素」と「構造」で成り立っています。 「文章」とは単語を文法によって構造化したものですし、「机」は4本の足と天板から構成されていますし、「水」は水素原子と酸素原子が一定の構造をもったときに出来上がる物質ですね。 そう考えると「思考」もいくつかのアイディアが自分なりの論理という構造をとって存在しているものと考えられます。 そう考えると「思考」を形作るプロセスは、まずアイディアを「抜き出し」、アイディア同士の関係性を見ながら論理を「組み立て」ていき、最終的に要素と構造を他者に伝わるように「整理する」という流れであることが分かります。 なので、私の学級では「考える」ことは「抜き出し組み立て整理する」ことだと定義し、その頭文字をとって「NKS」として子どもたちと共有しています。 NKS思考法 こうすることで子どもたちは 自分の思考を、自分の力で形作ることができるようになります。 するとまず、作文ができるようになります。 考えを抜き出して、つないでいけば自然に文章が出来上がってきますので。 同時に、文章を着実に読解することができるようにもなります。 文章の大切なキーワードを抜き出し、そのキーワード同士の関係性に注意しながら論理構造を組み立て、整理していくと、「要約文」を書くことができるようになるのです。 さらにこれのいいところは、教科書に載っている論理構造を意識しながら読み解くことで、序論の書き方、本論の具体例の並べ方、結論の導き方など、文章を高い抽象度で見ることができ、「読むこと」が子どもたちの「書く力」に直結するようになります。 その結果、「優しさって何だろう」「友情ってなんだろう」「人を疑うこととはどういうことだろう」といった哲学的な問いに対して向かい合う姿を見せてくれるようになります。 こういう事を言うと、驚かれるかもしれませんが、子どもたちの頭の中は疑問でいっぱいで、こういう姿のほうが自然なのです。 ただ問いが頭に浮かんだ時、その問いに対してどう考えていけばわからなければ、問いは問いのまま消え去ってしまいます。 問いが出た後には、アイディアを抜き出し、組み立て、整理すれば思考が続くと知って入れさえすれば、思考活動をどんどんと楽しむことができるようになっていくのです。 「忘れ物はなくしなさい」「廊下は歩きなさい」「友だちには優しくしなさい」「あいさつをしなさい」…学校には「あるべき姿」という目に見えない何かがあって、多くの先生がその姿に子どもたちを向かわせようとします。 しかし「あるべき姿」は目に見えないので、先生によって微妙にいうことが多くあります。 更に悪い場合には同じ先生でも気分によっていうことも…。 目に見えない価値の基準は可視化し、子どもたちと共有することで先生も子どもも共に大切にし合うことができるようになります。 この発想は前述の「けテぶれ」や「NKS」の考え方と同じです。 「当たり前のこと」という言葉で隠されてしまう物事の姿を言葉にして、目に見える形にするということは、人と人が高め合ううえでは本当に大切なのです。 知的活動よりももっと広い範囲について根本的に問うときに出会う問いこそが「よりよく生きるって何だろう」という問いです。 かなり深い問いへと入ってきました。 私はその問いに対する答えとして、下の様な図を作りました。 名前を 「心 しん マトリクス」と言います。 心マトリクス ここでは一つ一つ詳しくは説明できませんが、簡単に言うと縦軸は「自分に厳しく」という基準で、横軸は「人にやさしく」という基準で立てています。 クラスの子どもたちとはこの図を共有し、クラスで起こる様々な出来事をこの図をもとに考え合っています。 私の実践は学校で求められることを大きくとらえ、根本的に考えて、子どもたちと共有することで対話の土台を作り、子どもたちがよりよい姿を目指して高め合えるように環境を作っています。 大切なことは先生の考えを押し付けるのではなく、「学ぶこととは、考えることとは、よりよく生きることとは」という問いを子どもたちとシェアし、ともに考え合えるような仕掛けを作ることです。 そういうことをしようとした時、問いとともに一つの答えも共有すると思考の土台ができ、考えやすくなるのです。 大きい子向けのアプローチは「必要性を発生させる」です。 何のために丸付けをしなければならないかにピンときていないから、やらない。 じゃあ、その必要性が出たときに、語ってやれば変わります。 それがいつかといえば、テストで失敗したときです。 その瞬間まで待つのです。 適当に丸付けをし続けて、テストを受けたらたくさん間違えた。 そのときの大分析でノートを振り返らせ、丸付けに原因があるよね?と言う。 そこでピンとくれば、その次からその子は丸付けをするようになります。 まだ習慣化までは行かないので、忘れることもあるでしょう。 しかし、そのときは、「こうやって丸付けを適当にして、前のテストで失敗したんだよね?」と言ってやれば、また頑張り始めます。 なぜなら、丸付けの意義にピンと来ているからです。 いえばやるという状態はこうして生まれます。 西洋哲学ではテーゼに対してアンチテーゼがあり、その2つを折衷したものをとする。 折衷することは「」という。 相反するテーマに対してその両方を併せ持つ点を見出そうとする。 東洋哲学では陰に対して、陽があり、その2つを折衷したものは中庸。 折衷することを「中する」という。 ここで注意したいのが、後者の陰陽思想では「中」という一点を想定していない。 全ては陰の中にも陽があり、陽の中にも印がある。 陰陽は流転し、どちらかに偏らないように動き続けることを中庸とする。 この東西の哲学は相反するものではない。 たとえば「けテぶれ」。 系統主義と経験主義という2つの相反する主張を両方含む1点が「けテぶれ」である。 この意味では、けテぶれは西洋的にされた答えである。 しかしけテぶれはあくまでインプット。 それに対するアウトプットを想定しなければならない。 それがNKS思考法。 陰のけテぶれ、陽のNKS思考法である。 この陰陽の間を、どちらかに偏らないように動き続けることが必要。 つまりこれこそが中庸。 こうしてされた答えの対なるものを想定し、その間を流転する。 この流転の中からまた、された一点が見出されるかもしれない。 そうすればまたその一点から対なるものを見出す。 ちょうど2重螺旋が収束して一点になり、その点からまた、新たな2重螺旋が始まるようなイメージである。 これは何を表しているのかというと、西洋哲学と東洋哲学の間を動く「中庸」である。 思考活動とはこうして連綿と続けられるのだと思う。 その中で、教科特有の学びはどれほど子どもたちの中に深く根付いているでしょうか。 確かに深い教材理解に基づく教科専門性を生かした授業も必要ですが、その一方で学びを大きくとらえ、「学ぶこと」は具体的に何をする行為なのかを見極め、子どもたちに 「学び方」を学ばせる必要があるのではないでしょうか。 毎日学ぶという行為を繰り返している子どもたちにとって、その行為自体を客観的にとらえ、学ぶという行為そのものの質を上げようとする意識を持たせてあげることは、多岐にわたる学びを1つにまとめる視点として有効に働くのではないでしょうか。 そしてその中で 「自分なりの学び方」を探求することは、子どもたちの生涯にわたって役に立つ思考となりえるのではないでしょうか。 私はそう考えて学ぶという行為を「自分の外側にある知識や技能を自分の内側に定着させようとする行為」と定義し、「 計画、テスト、分析、練習」という4過程を繰り返すサイクルであるとしました。 その頭文字をとって「 けテぶれ」というキーワードで子どもたちと共有しています。 けテぶれ学習法 こうすることによって子どもたちは自らの学びを段階的にとらえ、自分の力で進められるようになります。 「勉強しなさい」では何をしていいかわからない子も、「まず計画を立てなさい。 その次に自分の実力をテストしてみましょう。 」と具体的な行動を段階的に示してやることで、自分の力で自分の学びを進めることができるようになるのです。 子どもたちがそういう状況になればまず、何を任せることができるか。 それが「宿題」です。 自分で学ぶことができるようになった子どもたちにとって 「宿題」はもう、教師から与えられる必要がなくなるのです。 私のクラスの子どもたちは、自分の必要に応じて必要な勉強を必要な分だけ、学習してきます。 そういう学びは子どもたちにとって新鮮で、充実感があり、とても楽しそうに「自分なりの学び方」を探求しながら、学びを積み上げる姿が見られています。 しかし、知的活動とは、それだけではありませんね。 答えが1つではない問いに対して、自分なりの答えを模索し、探求し続けることも大切な知的活動です。 そういう行為のことをここでは「学ぶこと」に対して端的に「考えること」と表現することにします。 すると、先ほどの問いを同じ問いが浮かび上がります。 「考えるって何だろう」という問いです。 私はその問いに対して、考えることを「「自分の内側にある知識や技術を自分の外側に再構築する行為」と定義し、 「抜き出し、組み立て、整理する」という3過程を繰り返すサイクルであるとしました。 その頭文字をとって「 NKS」というキーワードで子どもたちと共有しています。 世の中の事象は「要素」と「構造」で成り立っています。 「文章」とは単語を文法によって構造化したものですし、「机」は4本の足と天板から構成されていますし、「水」は水素原子と酸素原子が一定の構造をもったときに出来上がる物質ですね。 そう考えると「思考」もいくつかのアイディアが自分なりの論理という構造をとって存在しているものと考えられます。 そう考えると「思考」を形作るプロセスは、まずアイディアを「抜き出し」、アイディア同士の関係性を見ながら論理を「組み立て」ていき、最終的に要素と構造を他者に伝わるように「整理する」という流れであることが分かります。 なので、私の学級では「考える」ことは「抜き出し組み立て整理する」ことだと定義し、その頭文字をとって「NKS」として子どもたちと共有しています。 NKS思考法 こうすることで子どもたちは 自分の思考を、自分の力で形作ることができるようになります。 するとまず、作文ができるようになります。 考えを抜き出して、つないでいけば自然に文章が出来上がってきますので。 同時に、文章を着実に読解することができるようにもなります。 文章の大切なキーワードを抜き出し、そのキーワード同士の関係性に注意しながら論理構造を組み立て、整理していくと、「要約文」を書くことができるようになるのです。 さらにこれのいいところは、教科書に載っている論理構造を意識しながら読み解くことで、序論の書き方、本論の具体例の並べ方、結論の導き方など、文章を高い抽象度で見ることができ、「読むこと」が子どもたちの「書く力」に直結するようになります。 その結果、「優しさって何だろう」「友情ってなんだろう」「人を疑うこととはどういうことだろう」といった哲学的な問いに対して向かい合う姿を見せてくれるようになります。 こういう事を言うと、驚かれるかもしれませんが、子どもたちの頭の中は疑問でいっぱいで、こういう姿のほうが自然なのです。 ただ問いが頭に浮かんだ時、その問いに対してどう考えていけばわからなければ、問いは問いのまま消え去ってしまいます。 問いが出た後には、アイディアを抜き出し、組み立て、整理すれば思考が続くと知って入れさえすれば、思考活動をどんどんと楽しむことができるようになっていくのです。 「忘れ物はなくしなさい」「廊下は歩きなさい」「友だちには優しくしなさい」「あいさつをしなさい」…学校には「あるべき姿」という目に見えない何かがあって、多くの先生がその姿に子どもたちを向かわせようとします。 しかし「あるべき姿」は目に見えないので、先生によって微妙にいうことが多くあります。 更に悪い場合には同じ先生でも気分によっていうことも…。 目に見えない価値の基準は可視化し、子どもたちと共有することで先生も子どもも共に大切にし合うことができるようになります。 この発想は前述の「けテぶれ」や「NKS」の考え方と同じです。 「当たり前のこと」という言葉で隠されてしまう物事の姿を言葉にして、目に見える形にするということは、人と人が高め合ううえでは本当に大切なのです。 知的活動よりももっと広い範囲について根本的に問うときに出会う問いこそが「よりよく生きるって何だろう」という問いです。 かなり深い問いへと入ってきました。 私はその問いに対する答えとして、下の様な図を作りました。 名前を 「心 しん マトリクス」と言います。 心マトリクス ここでは一つ一つ詳しくは説明できませんが、簡単に言うと縦軸は「自分に厳しく」という基準で、横軸は「人にやさしく」という基準で立てています。 クラスの子どもたちとはこの図を共有し、クラスで起こる様々な出来事をこの図をもとに考え合っています。 私の実践は学校で求められることを大きくとらえ、根本的に考えて、子どもたちと共有することで対話の土台を作り、子どもたちがよりよい姿を目指して高め合えるように環境を作っています。 大切なことは先生の考えを押し付けるのではなく、「学ぶこととは、考えることとは、よりよく生きることとは」という問いを子どもたちとシェアし、ともに考え合えるような仕掛けを作ることです。 そういうことをしようとした時、問いとともに一つの答えも共有すると思考の土台ができ、考えやすくなるのです。 human154 大分析って何を書かせてよいか、どういうことに注意させればよいか迷われている方もいると思います。 今日、ちょうどそんな話を子どもたちにしたのでその内容をまとめます。 大分析の助言〜陰陽の視点から〜 陰陽論の視点から学習を見た時の分類(下表) この話の前提となるのでさっと見てください。 この話をする前にはこの表を黒板に書きました。 陽は「横、広がり、やりたいこと、浅く広く」 陰は「立て、深まり、やるべきこと、狭く深く」といったイメージがあります。 テスト返しが終わりました。 間違い直しもだいたいできましたね。 ではここからは大分析です。 勉強内容ではなく、勉強方法を振り返る。 今まで自分が積み上げてきた学習はどうだったか。 自分に厳しく、冷静に分析し、成長につなげましょう。 まず質と量の視点でみるとどうだろう。 質は月、量は太陽に対応しているんだったよね。 質が低かった場合は、自分で深く考えることが足りなかった。 何を考える? 勉強方法については、自分の苦手は何か、それを乗り越えるためには何が必要かということを考える。 勉強内容については、なぜその答えになるのかと考える。 whyは月の道具ですね。 量が足りなかった場合はこう分析しよう。 まず、心に勝つことができていない。 これは学習力ABCのA。 「いいやまだまだ」と自分に厳しくできていないから量が足りなくなるんだよね。 そしてそれはにもつながる。 わかっているのに間違えた。 なぜだ?慣れていないから。 見直しはその次の話だ。 まずは本番の状況にどれだけ慣れていたか。 これが大切。 そのためには本番のような状況でたくさん練習しなきゃならない。 みんなでやる勉強は、量を確保するときに役立つよね。 集中してがーー!っとやる。 反対に、思考を深めるときにはまず月。 自分で深く考える月の学習が前提にないと、ただおしゃべりして終わる。 こんなことよくあるよね。 マンダラに目を移しましょう。 ここにもがあるね。 どこだろう? そう。 左上のこのゾーンは月だ。 左下のこのゾーンは太陽。 そして賢くなるのはこのゾーンだ。 考える力ゾーン。 ここにどれだけ長くいることができるか。 これがきみたちの学力を決定する。 教えてもらう前に、自分でよく考えなくてはいけないんだ。 教えて上げる前には、説明をしあわなければならないんだ。 では学校と家、どちらのステージでどういう勉強をすればいいか。 学校はみんながいるので太陽の属性が強いね。 家は一人なので月。 月は家でできる。 注意点はマンダラの月4つの内、上2つで止まらないこと。 下2つに行けるかどうかが勝負。 月の努力。 質につながる。 ナゼ?と掘り下げる。 なぜその答えになるのか。 自分の苦手は何か、どうすればいいか。 と掘り下げる 太陽は学校でできる。 注意点はマンダラの太陽4つの内、上2つで止まらないこと。 上2つに行けるかが勝負。 太陽の努力。 量につながる。 心に勝つために、仲間と勉強するんだ。 大量に問題を解く。 大量に説明をする。 大量にああでもないこうでもないと思考を巡らせる。 どうしても一人では乗り越えられない壁をのりこえるために仲間と勉強をするんだ。 こうして質と量を確保する。 さらに、この考える力ゾーンを回転させることもまた大切。 一人で考えたら、誰かと関わる。 誰かと関わったら、そこで考えたことをまた一人でまとめる。 こういうの回転が大切です。 なぜなら、月に止まりすぎると、停止するからです。 太陽に止まりすぎると、分解するからです。 よくわかるよね。 一人で考えすぎるとしんどくなってきて頭が止まっちゃうこと。 そしてみんなでワイワイやっているとだんだん遊びが始まって集中力が分解してしまうこと。 だから回転が必要。 こういう視点を持って勉強をしていきましょう。 両方を高めなければなりません。 バランスをたもって、回転させなければなりません。 ではこの視点を持って、自分の学習はどうだったかな? 家での勉強は?学校での勉強は? よく思い出して、大分析をしてみましょう。

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