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響(艦隊これくしょん) (ひびき)とは【ピクシブ百科事典】

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:やどかり、: 嚮導駆逐艦・タシュケント、はるばる来てみたよ! 「」にて新規追加された。 (または)に所属するとしては、、ガングートに次いで3人。 ただし、生の艦ということで数えるならば2人となる。 名前はの「タシュ」にちなむものであるが、17年から12年にかけて起こった内戦での殊勲艦を記念する意味合いもある。 開始時からでできることがめかされていたが、するのは最後から2番の域である。 にこの域は3体を倒さねばならないトリプルであるうえ、その最後のかしない設定となっている。 低で周回し、が倒れそうになったらしてまた周回という方法は、第一のからやり直さなければならないという労苦を強いられるために闊に用いることができない。 に甲に至っては、第3のそのものにたどり着くことすら容易ではないなとなっている。 そのため数々のに「を落として一旦し、また捜索しに来るか」「での中にすることに賭けるか」という選択を強いている。 その後、『 』で再度できるがあることが側よりされ、同の第三域を撃破することで獲得できる可性が出た。 こちらの域はほどではないが、最後のに辿り着くために第一のを倒し、さらにいくつかのを解除しなければならないため、りに戦は必要となる。 ちなみに、未のの間では「 タシュを助」(「 タシュをたしゅ」とも)という よりも寒いがとなっている。 なお、一応補足しておくと、この自体はやなどよりもタシュが先にされていた艦船もののの間では以前から頻繫に使われており、 初出のではないのでにする際は注意すること。 略歴は大事だよね。 いつだってそうさ。 艦種の「嚮導」とは、隊を揮する役割を持った大をす。 この嚮導として、1(級)に続き設計・建造されたのが、20I計画タシュである。 当時、と動乱を経たの軍関係技術は遅れており、これを取り戻すべく副でおなじみOTO社のリヴォルノ造船所で建造された。 兵装はmm連装3基などを搭載、基準は3tで、これはのと同等(というかが小さいのだが)。 その最大の特徴は、の推進から発せられる43. 5を誇る最大速であった。 同艦3隻がで建造予定だったが、計画段階で中止されている。 に工しオデッサで軍に引き渡されたタシュだったが、折同年にはが勃発。 不穏を極める洋を経由して本来所属予定であった艦隊への編入はとなり、そのまま艦隊への所属となった。 11年にはがはじまったが、枢軸諸はモント条約により艦をに投入不可、沿の軍も以下の艦艇しかもたないという状況下では積極的な戦は発生せず、もっぱらオデッサやセヴァストーポリの防衛のため対地や船団護衛に従事した。 翌12年、セヴァストーポリの補給との脱出援護にあたっていたところ襲を受け損傷する。 にはノヴォロスク寄港中の再によって直撃弾を受けて着底し、放棄された。 、解体。 嚮導駆逐艦・タシュケント、抜錨! さあ同志、行こうか! の地・のらしく、いターックシャツの上にい長袖シャツ、その上にいコート、さらに色のケープを着用し、かなりの厚着である。 頭にはャンカ(毛皮で出来たつばしの)をかぶり、両手はを着けている。 瞳の色はガングートと同じく。 このようにいかにも人らしい格好をしたであるが、前述の通り実はの生まれではなく、 ・ーナで建造されたという経歴を持つ。 建造計画当時は「I」と呼ばれていたが、これは「輸入品」を意味する他に、の「I 」から取って「製」という意味を持っていた。 この経歴から、「イタリヤーン(人)」というあだ名も持っていた。 性格は特に癖のなさそうな素直なであるが、艦隊のを「諸君」と呼ぶなど、言動の所々が い。 )」という鬨のも、ガングートやがそのまま「!」という発音なのに対し、タシュのそれは「 ァァァァァァ!」というような、見事なの入った気合の入りようである。 や装のところどころに色が用いられているが、これはが「色の」とあだ名されていたことに由来する。 と呼ばれてはいるものの 基準て越え、満載ならよりも大きいのだから「」呼ばわりも納得だが 、あくまでもは「 大きい」である。 それを現すかのように が大きめであることが中破時ので見てとれる。 それだけではなく、初期段階で装備を3つ持っていることも大きな特徴である 一応も初期からは3つになっている。 L0で「タシュ」に装可となるが、なんと としては史上初の4つの装備を獲得する。 が1つ上のでさえ、4を持つのは、といったごく限られた艦でしかないことを考えると、が如何にとしては規格外であるかがおわかりいただけるだろう。 さらに運も43あり、も十分に狙える。 確かにというよりである 汗 基本的にはで本領発揮だが、はほぼ例外とえる戦で全発揮出来るとえる。 としては初の 射程「中」となっている。 にもにもなりうるなので、どのように生かしていくかしっかり考えて運用しよう。 一応他のも射程「中」になるがタシュの場合は装備で可な上に4なのでテージは減ったものの、装備選択の幅ではやはり他のの追従を許さない。 したには強な戦となるであろうことは間違いないため、再のには資と時間の許す限り狙っていきたい。 外部出演 、刊号にて連載開始されたミキ氏による 『』にとと共に演。 開設の発起人である。 の姿に扮したの姿 先の2人とべてな に「が意外と長い」との感想が相次いだ 中破時に確認できるが、通常のだとャンカをそのまま被っている上にかなり後ろに流れる感じなので視認らい に関する知識は豊富だがテング自体は経験がく、まだまだ勉強中の様子。

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「いらっしゃいませ。 甘味処『間宮』へようこそ!」 お疲れ様です。 給糧艦概要です。 甘いものでもいかがですか? の「間宮」(詳細は後述)をにしたサブ。 の、という点で間宮もに分類されると思われるが、他の艦娘達とは違って戦線に出すことはできない。 「編成」画面で、消費である 『給糧艦「間宮」』(通称「間宮券」)を使用すると登場し、選択したに所属している艦娘全員の疲労度を回復してくれる。 間宮券は課金アイテム(300ポイント)としてで売られているほか、特定の任務(クエスト)を達成すれば無償で入手できる。 特定のアイテムを使用しないと登場しないキャラクターである為、プレイすれば必ずお目にかかるやなどに比べると当初は認知度は低めであったが、などのスピンオフで度々登場するようになってから次第に注目を集めるようになった。 などの時報によると、鎮守府内ではを営んでいる様子である。 以降、新規に実装された海外艦を中心に、艦娘たちが彼女の食事処を日常的に利用していることが、一部の艦娘の時報ボイスで確認できる。 また、一部の海外艦娘からは「マミーヤン」「マミーヤ」などと呼ばれているが、恐らくは間宮の食堂の通称なのだろう。 (突入時や勝利判定で敗北となった時にも僅かながら疲労が溜まるとの考察あり。 詳細は攻略wiki等を参照されたし) この状態で出撃すると命中や回避が下がったり、する可能性が高まったりといったリスクがあり、普通に回復する手段は基本的には時間経過による自然回復のみとなるので、それを瞬時に回復してくれるのはなかなか便利。 命中・回避・遠征の「大成功」率が上昇)になることもある。 間宮が振る舞っているものはであることが公式サイドからアナウンスされている。 主になど、比較的年齢層の低い艦娘に戦意高揚の効果が出るが、の艦娘たちにも効果が出る模様。 1分1秒でも時間が惜しいには重宝される反面、のんびりプレイしている提督には無用の長物となり、提督のプレイスタイルによって必要度が変わってくるお方である。 そのほか期間限定で、ゲージ付きを回復させずに短時間で陥落したい場合に、最後の駄目押しとして彼女を呼び出す提督も多い。 その為、 「使うつもりはなかったのに間違って使ってしまった」という提督もちらほら。 そんな声に対してはだいぶ遅くなったが、2013年10月23日のメンテナンスで使用時の確認画面が追加実装された。 また、このアイコンは本来は確認できない 「隠れ疲労」(またはアイコン点滅から「間宮疲労」とも)を探知して点滅する特性があり、艦娘たちの微細な疲労の蓄積を察知する『』としても機能してくれる。 なお、入念に疲労を抜く場合には、点滅終了から更に10分待つのがベストとされる。 余談だが公式四コマ20話では、と曰く「間宮休憩」の由来は 「疲労状態になると間宮さんが心配して様子を見にくるから」で、 「しばらく休憩して疲れが取れると安心して帰っていく」とのこと。 その後40話でも北上が小走りで向かう間宮の姿を見て艦隊の帰投を察知し、に知らせている。 また、節分には巨大な恵方巻きを作る習慣があり、2014年には「46cm三連装砲巻き」、2016年には「51cm連装砲巻き」を作って、前者は、後者はに「幾らなんでも食べきれない」と抗議された。 しかし、「46cm三連装砲巻き」はが食べてしまった。 容姿大丈夫? さあ、頑張りましょうね。 以前はアイテムを使用しても一瞬しか姿を拝めなかったが、現在では先述のアップデートによる確認画面でその姿を見る事が出来るようになっている。 右手にはアイス、左手には様々なや食材が入ったバスケットを持ち、特に「」なる羊羹が目を引く。 これらのお菓子を振る舞うことで艦娘達の疲れを癒しているらしい。 あと、背中のにはなぜかのようなものが引っ掛かっているが、恐らく元ネタの給糧艦「間宮」が艦内でこんにゃくを作れたためか。 ちなみにこんにゃくだけでなくや、、なども製造できたほか、前述の羊羹を始めアイス、最中、饅頭などの甘味も製造していた。 機材だけでなく、各専門の職人が軍属として働いていた本格ぶり。 2014年以降の期間限定で、と共に姿を拝む事ができるようになった。 露出度がほぼゼロだった普段の衣装とは打って変わって、は曝け出すわ、いつもより顔が赤いわで。 水着mode 2016年7月にはと共にmodeが期間限定で実装。 上下黒のに着替え、素晴らしいスタイルを惜しげもなく曝してくれる。 色んな意味で ボイス実装 CV: ことやこととは異なり、間宮には当初ボイスが無かった。 史実・給糧艦「間宮」 元々八八艦隊計画内で能登呂型給油艦の1艦として予算が成立していたが、海軍の強い要望で随伴用の給糧艦として、予算枠を流用する形で建造された。 艦名の由来は間宮海峡による。 それでも、兵科士官からはいい顔をされず、主計科の士官達はバツの悪い思いをしたという。 予算だけでなく、上記の通り機関には廃艦予定の(と、同じく建造中止になった天城型4番艦の愛宕)のボイラーが流用されるはずであったが、震災によって先代建造が頓挫し、加賀がその代わりに空母に改装されたことで、「流用の代用」という経緯で先代天城のボイラーが流用されている。 しかし、巡洋戦艦のボイラーを流用したとは言え、主機はタービンではなくレシプロ機関であり、平均速力は20ノットに達しない軍艦としてはかなりの低速で、後年は老朽艦ともあって激戦区である南方への輸送作戦には四苦八苦したという。 斯様に誕生当時はぎみの少々哀しい扱いだったが、艦隊支援艦としての能力は一級品だった。 ちなみに、やが乗っていない駆逐艦等の搭乗員の衣服の洗濯に応じることもあったという。 食料のみならず、限定的ながら病院船や給油艦、工作艦の機能も持ち合わせていたというから、何その圧倒的…… ただし、ただ甘いばかりでなく、間宮は不要な電波送信等を監視する通信管制艦としての機能と任務も持ち合わせていた(現状の『』ではその機能は採用していないようだが) ちなみに入港すると新鮮な食料が各艦に補給される為、姿が見えれば「間宮がきた」と歓声が上がるほど人気も高かった。 その中でも羊羹や饅頭などの菓子類は、老舗和菓子屋から直伝のレシピを受け継いだため、味・質ともに上質で、兵士たちに絶大な人気を誇った。 どちらも数に限りがあったために先着順となり、間宮を見つけることに長けた見張り員は重宝されたという。 これは後続のも同じで、あるいはこの独特の艦影が目印になったかもしれない) あるとき間宮の搭乗員が、さる軍艦の主計と食糧の分配量の相談をしに出向いたところ 「そんなことよりさっさと菓子を出せっ!! 」と怒鳴られたとか。 就役当初は普通の食糧だけを運んでいたのだが、艦長が「食糧は健康を維持し、嗜好品は元気を維持します。 士気高揚のためにお菓子などの嗜好品も運びましょう」と進言したことが受け入れられてこうなった。 「戦場で菓子を振る舞う」というこの発想はからの受け売りで、実際これによる士気高揚効果は大きなものだった。 そのため間宮の食品生産施設には、本格的な菓子工房と製造ラインが存在した。 当時の軍上層部は。 ただし、これはあくまで「お偉方」の間での話で、現場では絶えず後続艦の要望が上げられていた。 当初はいい顔をしていなかった兵科も、羊羹にほだされたか 手のひらを180度回頭し、後続の給糧艦を「熱望」していたという。 ただし、米軍の方もその重要性は重々承知しており、 「間宮とは見つけたら最優先で沈めろ」と厳命していた(給糧艦にせよ工作艦にせよ、米海軍は前線に一桁多い数を投入しており、その重要性を身をもって知っていたのである) その為、間宮は何度もの雷撃に遭っており、1944年(昭和19年)、サイゴンからマニラ方面へ糧食輸送に従事中に海南島東方の南シナ海での潜水艦「」(過去になども沈めている)の雷撃を受けて戦没。 生存者僅か6名であった。 ただでさえ希少かつ重要な給糧艦が撃沈されたことに加え、年末年始の祝い時間近なこともあり、数多の将兵がその報告にしたと思われる。 また、間宮や伊良湖に限らず、多くの補給艦が1944年に沈没・航行不能となっている。 かの先生が体験したような、飢餓ととに耐え続ける戦争末期の悲哀の先触れともいえる出来事といえよう。 第二次世界大戦当時、日本海軍の将兵に最も人気があった艦、それは連合艦隊旗艦・長門でも、最強の戦艦・大和でもなく、新進気鋭の空母・赤城でもなければ那珂ちゃんでもなく、貴重な甘いお菓子を供給してくれる給糧艦、間宮だった。 そんな間宮の史実は2015年12月2日総合の「」で特集された。 その他 実装、待ってます by 間宮提督 サービス開始当初から 本実装を望まれる艦娘でもあり、がに、がとして本実装された経緯もあって、今なおプレイアブル化を望む声は絶えない。 特にクリスマスmodeと夏服modeの実装で、その声は一段と強くなっており、実際に前線勤務で戦列に加わった場合の特殊能力についても話題に上がる。 なお、2019年1月4日に開催された新春鎮守府JAZZ祭りでは艦娘に扮したダンサー(公式ダンス艦隊2YB)がダンスを踊っているが、 何故か間宮までその中にいた。 キャラクターについて NPC扱いでキャラクター像が判然としないのため詳しい性格については不明だが、公式メディア化や二次創作では「給糧艦」「を営んでいる」という設定から、 「鎮守府の料理番」「烹炊所を取り仕切る 食堂のおばちゃん 」的なポジションで通っている。 ボイス実装後は先のイメージが反映され、「包容力に溢れるお姉さん」としての地位を固めている。 ただ「」ポジジョンでは、としてが早くから認知されているため、若干後れを取りがちなところもある。 二次創作ではその鳳翔との共演も少なくなく、二人で提督や艦娘たちへ料理の振る舞う姿が良く描かれる。 ここにやなど、のたちが加わることも多い。 提督との関係も、単なる「お得意様」から「秘密の恋人」まで様々。 NPC扱いゆえには出来ないため、「艦娘たちの恋を後押しする」になることもあれば、自分がカッコカリできないことを密かに悔やむ意地らしさをみせたり、場合によってはシステムの壁を越えて結ばれたりと、十人十色の間宮さん像が拝める。 しかし夏服modeの実装と同時に 「伊良湖の彼氏をイケないお姉さんor伊良湖の」という斜め上の も受けており、方面でも伊良湖とセットにされる率が増えている。 ご想像は自由だが、やはりを忌避するファンは少なくないため、時間と場所を弁えてネタにしましょう。

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8 m 全幅 13. 7 m 喫水 4. 0 m 機関 4 基 オルランド式2 基 102000 計画 130000 馬力 公試 推進 2推進 速力 最大速度 42. 5 43. 5 kn 公試 42. 7 mm 6 基 533 mm3連装 3 基 :80 - 100 個 :68 - 76 個 武装 1941年初 50口径130 mm連装砲 3 基 37 mm単装高角砲 6 基 12. 艦名は元はの首都に因んだものであるが、直接的には時の殊勲船の名称を記念したものである。 ソ連では、における勝利のために大きな功績のあった的な艦として記憶されている。 概要 [ ] 開発 [ ] 、、、、、では高性能の大型駆逐艦を巡る建艦競争が巻き起こっていた。 一方、に参加しなかったソ連では、この時期にはに着手しており、海軍力の増強を図っていた。 そうした中、世界の潮流を見て、ソ連でもこうしたクラスの艦艇の保有が戦術上の課題として考えられるようになった。 そこで、ソ連では最初の嚮導艦となるおよびを開発し、合わせて6隻の同型が建造された。 その後、ソ連は嚮導艦の戦術的価値のさらなる向上のため、42. 5 以上の高速力と20 knで5000の航続力の実現を根幹とした非装甲型嚮導偵察艦の基本計画を立案した。 「I」とは、旧来クラスの艦艇にによる名称をつけてきたソ連・ロシア海軍の伝統に則り、「インポールトヌイ」 輸入の 、あるいは「イタリヤーンスキイ」 イタリアの という語のであるとされた。 また、この艦はこれも駆逐艦風の名称で「イタリヤーネツ」 とも渾名された。 建造 [ ] 1939年、公試を実施するタシュケント 計画書を提出したイタリアの造船会社3社のうち、社の計画が最も優れていると判断された。 ソ連と契約を結んだオート社は、計画に基づいた新型艦をに造船所で起工した。 起工に伴い、「I型」は正式に タシュケントと名付けられた。 、、などの首都名を戴いた他の嚮導艦と違い、「イタリヤーネツ」に対してはロシア内戦中に戦没したの 旧称第7号曳船 に因んでの命名がなされた。 タシュケントの起工に伴い、ソ連では3隻の同型艦を建造することが決定された。 建艦はからにかけて行われることが予定された。 その内2隻の建造は、ので行われるはずであった。 レニングラートのではこのクラスの嚮導艦の建造のために準備が整えられた。 しかしこのプランは実現せず、計画は1937年下半期に中止された。 ソ連ではイタリア式の技術による建艦の十分な経験がなく、特に方式の異なる動力機関のための資材の入手には大きな困難があることが予想されたためであった。 結局、姉妹艦なしの「一人っ子」となることが運命付けられたタシュケントは、同年に、には竣工した。 その後、タシュケントはソ連の海軍拠点のひとつであった沿の港まで回航され、ここでに受領された。 には、で実戦配備に就いた。 タシュケントは、当初の予定ではに配属されるはずであったが、のためを迂回してまで回航することは実質的に不可能となっており、やむなくイタリアから近い黒海方面に押し留められたものであった。 兵装 [ ] 単装砲を搭載した初期の艦容 オデッサに到着した時、タシュケントは未武装の状態であった。 その後、タシュケントはソ連仕様の武装を施されることとなっていた。 当初はおよび用の130mm単装砲 () 3基を搭載したが、すぐに用に開発された ()連装砲 3基に換装された。 射程は13. 9 25. 7 km 強 で、重量は33. こうした大規模な改装は本来の性能を与えるためのもので、タシュケントには初めから連装砲塔の搭載が予定されており、イタリアでの完成時に連装砲塔が未完成であったために単装砲を搭載していた。 改修作業はその後ニコラーエフに回航されて継続された。 砲撃はガリレオ社製「ドゥプレクス」によって統禦された。 これは、2基の4メートルを装備した主要指揮測距儀と1基の4メートル測距儀を装備した予備測距儀からなるシステムであった。 艦には主砲の他にも多くの武装が搭載された。 当初搭載された45 mm 半自動 ()は、1941年に37 mm 自動高角砲 ()に換装された。 また、艦には6基の12. 7 mm や3基の533 mm 3連装も搭載されていた。 これに加えて、赤色海軍艦艇では定番となった2基のが搭載され、これからは型式に拘らずを投射することができた。 また、艦には最大100個のが搭載された。 また、1941年には建造が中断されていた駆逐艦から降ろされた76 mm 連装高角砲 () 砲塔1組が装備された。 このほか戦時中にはマストを改修しての装備も実施された。 しかし戦時中の改修作業については不明な点も多く、残された写真などから判断されている。 従って、その全貌については今以て明らかではない。 実戦 [ ] 6月に始まった大祖国戦争において、タシュケントはやに積極的に参加した。 タシュケントはV・Ye・エロシェーンコ3等によって指揮された。 最初の戦闘は、1941年にオデッサで経験した。 しかし、、オデッサにてのにより損傷を受け、10月からは修理に入った。 からにかけて、タシュケントは駆逐艦およびとともに船団護衛の任に当たった。 3隻は、からに向かう、、、の4隻からなるを護送し、船団が危険なを無事に通り抜けるまで見届けた。 セヴァストーポリの戦い [ ] における戦闘では、黒海艦隊で行われた数々の重要作戦に指揮艦として関わった。 輝かしく、また悲劇的でもある大きな活躍を残したタシュケントの名は、その舷側からセヴァストーポリに降り立ったの兵士たち、一度ならず艦砲射撃で支援を受けた沿岸部隊、そしてその護衛によって命を救われた多くの船舶の指揮官に記憶されている。 セヴァストーポリの陸上防衛部隊は、増援部隊、火砲、弾薬、燃料、そして食料の継続的な供給を必要としていた。 タシュケントは、その高速性能と高い機動力、そして強力な対空兵装で敵機から身を守った。 また、1170トンという燃料搭載能力は、毎回その半分をセヴァストーポリに供給した。 また、艦内空間が比較的広かったため多くの物資を積載することができた。 ある支援作戦の際には最下甲板にを30輌近くも搭載したことがあった。 これは重量で言えば700トンにも及ぶ過載であった。 艦はに遭った際に波を越えることができず、艦上に襲い掛かる水の重量が第1最下甲板区画の甲板をへこませてしまった。 裂け目が生じそこからは海水が流れ込んだ。 しかし事故処理班はすぐさまこれを処理した。 のセヴァストーポリ攻撃の第二波が行われた時期、主要基地にあったタシュケントは絶えず防衛部隊への援護射撃を行った。 からにかけて、タシュケントは800発のを消費した。 南ロシアへの脱出 [ ] 、タシュケントは艦上に2300名の負傷者と、そして ()のパノラマ画「 ()」を載せ、母港セヴァストーポリを捨てのを目指す艦隊の最後尾を進んでいた。 86機のドイツ空軍機が1時間余りに渡り艦を追撃し、336発のを投下した。 巧みな機動によりタシュケントは直撃弾から逃れることに成功した。 しかし至近弾の爆発によりが動かなくなり、第1室が水没した。 艦の支援のため、司令部は1組のを派遣した。 この2機の高速はドイツ空軍機を駆逐し、その間に駆逐艦ソオブラジーテリヌイとがノヴォロシースクからの脱出に成功した。 これらの艦に傷病兵や難民を移したタシュケントは、自力でノヴォロシースクのツェメスカヤ・ブーフタまで到達した。 この英雄的行為に対し、のちにタシュケントの全乗員にが送られ、指揮官エロシェンコとG・A・コノヴァーロフ1等大佐にはが与えられた。 1942年、タシュケントはの指揮官の訪問を受けた。 将軍は、乗員の前で「このような戦士たちこそ、我々の軍の誇りである」と演説した。 そして、将軍は「」の名誉称号をタシュケントに与えることを自ら申請しておこうと約束した。 しかしその翌日、艦の命運は突如として尽きることとなった。 正午近く、エレヴァートルヌイ係船場に停泊中であったタシュケントを敵機が不意打ちしたのである。 から投下された2発の命中弾が、タシュケントの息の根を止めることとなった。 乗艦していた344名のうち、76名が戦死、77名が負傷した。 そして、艦は埠頭脇に着底した。 復帰 [ ] タシュケントの戦列復帰は叶わなかった。 は、艦からすべての儀装を取り去った。 76 mm 高角砲も撤去され、完成させることになった元のオグネヴォイに戻された。 タシュケントの艦体自体は、そのまま桟橋に放置された。 タシュケントの浮揚はのノヴォロシースク奪還まで待たねばならなかった。 タシュケントはこの年のに浮揚されたが、調査の結果、艦の損傷は修復するにはあまりにひどく、艦の再生はならないとの判定が下った。 タシュケントはニコラーエフまで曳航され、戦後、からにかけて解体された。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (ロシア語)• (ロシア語)• (ロシア語)• (ロシア語)• (ロシア語)• (ロシア語)• (ロシア語)• (ロシア語)• (ロシア語)• (ロシア語).

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