亡くなる 前 バイタル サイン。 医者には患者の死が見えている!でも本当のことは言いません…(週刊現代)

終末期の人のバイタルサインの変化について知りたい|ハテナース

亡くなる 前 バイタル サイン

ご質問ありがとうございます。 私自身も長年、介護施設で勤務しています。 何人もの入居者さんを看取ってきましたので、ご参考になればと思い、質問にお答えさせていただきます。 看取りが必要な方がおられると、通常の業務に加えて、定期的にバイタルサインのチェックや観察のために何度も居室を訪問することになり落ち着きませんね。 しかし、終の棲家としてこの施設を選んでいただいた入居者さんのお気持ちに少しでもお答えできるよう、気持ちを引き締めて看取り看護にあたるように心がけています。 施設で入居者さんの看取りを行う場合、どのような状態になったら医師に連絡をして、ご家族あるいは施設の責任者に連絡を取るかといった取り決めのようなものがあると思います。 私が勤務している施設では、訪室したら呼吸が止まってしまっていたということがない看取りを目指しています。 最期は医師の立ち合いのもとでご家族に看取っていただけるようにしたいというのが、看取りに関わる全ての職種の人の思いです。 日中は人手もあり、人の目もあります。 しかし、夜間帯は限られた人数で他の入居者さんの対応もしなければなりません。 夜間帯でもスムーズに医師やご家族への連絡ができるように、一人一人の役割を決めて体制を整えておくことが大切です。 終末期のバイタルサインの変化は人それぞれ 終末期の方のバイタルサインや容態の変化は人によって異なります。 実際、私が施設で看取った方でも、1時間前までは血圧も脈拍もその人の通常のレベルでしたが、1時間後に観察に行くと呼吸停止していたという例が実際にありました。 また、亡くなる1週間位前から徐々に意識レベルが低下し、尿量が減少し、血圧や酸素飽和度が低下して最後に呼吸が停止するという経過をたどる方もいらっしゃいました。 終末期のバイタルサインの変化は同じではなく、人それぞれに違っていることを頭に入れておきましょう。 今、正常な呼吸をしていても、1時間後には大きく変化している場合もあります。 もしくは、今にも呼吸停止しそうな状態に見えても、3日位同じような状態で経過する場合もあります。 一般的な変化がどのようなものかについてお話してみたいと思います。 死期が近づいている人は、亡くなる前の3日間でバイタルサインの大きな変化がみられるとされています。 ・体温はやや上昇する ・血圧の低下(収縮期、拡張期ともに) ・酸素飽和度は徐々に低下し90%以下となる ・呼吸数の大きな変化はない(多くなったり減少したり一定しない) ・強い刺激に対しては反応があったり開眼されることがある そして、死の直前、心停止が起こる8時間以内のバイタルサインは更に悪化し最期を迎えます。 ・下顎呼吸やチェーンストークス呼吸などがみられ、呼吸回数も減る ・血圧が低下し収縮期血圧が50mmHg以下を示し、測定不可能となる ・酸素飽和度が減少し、SpO2が70%を切り徐々に低下する ・四肢にチアノーゼが出現、足の裏などにもみられる ・橈骨動脈が触知不能になる ・強い刺激に対し、反応がなくなる 施設での看取りの場合、数値上は血圧や酸素飽和度の数値が状態を把握するうえで一つの目安になります。 そこで、呼吸状態と意識レベルの状態に応じて、必要な所へ連絡するタイミングを医師に判断してもらいましょう。 死の間際になってご家族を呼ぶよりも、ある程度の時間的余裕を持って最期を看取っていただくのが理想だと思います。 遠くに住んでおられるご家族やご親戚の方には、早めに連絡をしていただくように配慮することも大切です。 おわりに.

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下顎呼吸になる状態について|ハテナース

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これは、子どもの成長と逆と考えればわかりやすいでしょう。 生まれたばかりの子どもは自分で寝返りを打つこともできません。 介護保険で言えば要介護5ですね。 これが次第に食事量が増えていき、起きている時間が長くなる。 成長と共に介護度が減っていくわけです。 人間の終末期はこの逆です。 なぜ、亡くなる前に食べられなくなるかというと、水分を体内で処理できなくなるからです。 このような状態で強制的に水分や栄養を取り入れていくと、身体がむくんだり、腹水がたまったり、痰がたまったりとかえって本人をしんどくさせてしまうのです。 ですから、私は「身体で処理できなくなったら、できるだけ脱水状態にして自然に看ていくのが最期を楽にする方法ですよ」と説明しています。 死は病気ではないので、身体の状態にあったちょうどよい傾眠、ADL、そして食事があれば、呼吸も穏やかに最期を迎えることができると考えています。 それまでは、私も病院勤務しかしたことがなく、食べられなくなったら点滴をする、状態が悪ければ入院をさせるということしか頭にありませんでした。 当時、地域で最高齢の102才のおばあさんのところに、在宅医療にお伺いしていました。 もう長年、脳梗塞で寝たきりでしたが、長男夫婦の手厚い介護を受け、自宅で療養されていました。 徐々に状態が悪化し、食事がとれなくなってきました。 長男夫婦は高齢でもあり、入院は望みませんでしたが、食事がとれないことを心配し、点滴を希望されました。 私は本人に食事が摂れないから点滴をするように告げましたが、本人は「食事が摂れないようになったら終わりだから、絶対に点滴はしてくれるな」と言いました。 その後も、何度も家族の依頼を受けて本人に点滴を勧めましたが、頑として受け付けませんでした。 家族も私もどうすべきか悩みましたが、私は患者さんを押さえつけてまで点滴をすることはできませんでした。 患者さんがこれまで生きてきた102年間の最期を汚してしまう気がして・・・。 おばあさんの希望通り点滴をせず、自然に看ていきました。 点滴をしないとむくみもなく、痰も出ず、楽そうでした。 私は、最期に点滴も何も医療処置をせず、自然に看ていくことはこのときが初めてでした。 おばあさんは、約2週間後に息をひきとりました。 おばあさんの顔はむくみもなく、とても穏やかで凛としていました。 もし、本人の意志に反して点滴をしていたら、むくみや痰が出て、吸引をしたり、本人を苦痛にしたりしていたことでしょう。 本人の天寿を全うすることを医療が邪魔をしない・・・そんな自然な看取りも選択肢にあるんだということを教わりました。 これまで、日本の医療はとにかく治すことを主眼に発展してきました。 最期まで治すことを追求して、長寿を目指してきたのです。 しかし、多死社会を迎え、どんなに素晴らしい医療を持ってしても、いつか必ず人間は亡くなるということにしっかりと向き合った上で、自然の死を受け入れることが必要になっていくと思います。 「亡くなるまでどう生きるか」を追求して、天寿を全うする生き方も選択肢としてあると思います。 老衰死とは、高齢の方で死因と特定できる病気がなく、加齢に伴って自然に生を閉じることです。 今の日本では、食事が摂れなくなったら「病院で検査を」となります。 すると、がんなどの病気が見つかることもあります。 そうなると、手術や抗がん剤などの治療の選択肢を提示されることが多いと思います。 しかし、在宅医療では、無理に積極的な治療を行わず、楽な治療を優先し、できる限り輸液を制限していくので、老衰死の確率は高くなります。 在宅医療では、無理な延命措置を行わず、あくまで自然に看ていきますので、苦痛を伴わず、呼吸も穏やかに枯れるように亡くなる老衰死に出会うことが多いです。 その時、私たちは死亡診断書の死亡原因の欄に、長年生きてこられ、介護をされてきたご本人とご家族への敬意を払い、自分自身の在宅医としての誇りを持って「老衰」と書くのです。 親戚のお葬式に参列した時のことです。 その方は肝がんが肺に転移し、長年入院して亡くなられたそうです。 お別れとなり遺体のお顔を見たとき、とてもむくんでいたので、「最期まで点滴をされたんだな」とすぐに理解できました。 遺族にお聞きすると、体全体がむくんでいて、安置している間も遺体から水分が滴るように出ていたそうです。 介護力もある家庭だったので、病院から在宅医療の選択肢もあることを提示されていれば、おそらく自宅で看取ることもできたのではないかとも思いましたが、その気持ちは、自分の中で押し殺しました。 映画『おくりびと』誕生のきっかけとなった、青木新門の著書『納棺夫日記』1 にはこう書かれています。 青木さんが納棺の仕事を始めた1970 年代前半は、自宅で亡くなる人が半数以上で、「枯れ枝のような死体によく出会った」そうです。 ところがその後、病院死が大半になり、「点滴の針跡が痛々しい黒ずんだ両腕のぶよぶよ死体」が増え、「生木を裂いたような不自然なイメージがつきまとう。 晩秋に枯れ葉が散るような、そんな自然な感じを与えないのである」と記しています。 死も人の大切な営みの一つです。 ですから、その時が来たら、人の身体は楽に逝けるよう、死の準備をはじめるのです。 身体はどうすれば楽に逝けるのかを知っています。 それは、草や木と同じ、枯れるように逝くことです。 前と同じように、食べられなくなったからといって、無理に食べなくてもいいのです。 身体は楽に逝くために体内の水分をできるだけ減らそうとしていきます。 そんなとき、無理に水分や栄養を入れると、体に負担を欠けることになります。 むくみが出たり腹水がたまったり、痰も多くなってしまうのです。 死は人の最後の営みです。 その時が近づいたら、体が求めるままにうとうとと眠り、食べたいものを食べたいだけ口にしてください。 その穏やかな寝息を聞きながら、家族はお別れのときが近づいていることを静かに覚悟することでしょう。 引用文献 1)青木新門:納棺夫日記、文藝春秋、1996.

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人生の最後の数日間から数時間(8):がんナビ

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「がん性髄膜炎という病気では、死期が迫ると性格が変わります。 とても温和だった人でも、仲の良かった伴侶に『お前のせいで苦しい人生を送るはめになった』『がんにかかったのもお前のせいだ』といった辛辣な言葉を浴びせるようになる。 これは、がん細胞が脳や髄膜の表面にまで増殖してくることで起こる変化。 ここまできたら、死期が近いなと判断します。 痛みの訴え方もチェックポイントですね。 『痛い痛い』と大騒ぎしているうちはまだ大丈夫。 本当に重篤になると、声も出せずにうずくまり、じっと痛いところを押さえている。 こうなったら注意が必要です」 医大系病院腫瘍内科医 食事の摂り方にも変化が出てくる。 新田医師が語る。 「高齢者の場合、口から食事を摂ることが一切できなくなったら、死が近い。 点滴を全くしないと1週間で死を迎えます」 これらの噦余命を測る物差し器を知れば、我々一般人でも、ある程度真実に近い余命判断ができるようになるだろう。 だが、医療現場にあるのは悪意あるウソばかりではない。 患者を守り、励ますためのウソがあることも、また事実だ。 「病気を甘く考えて、まるで危機感を抱いてくれない患者さんも中にはいます。 そうした患者さんに対しては、『このまま放っておくと命にかかわるよ』と、わざと深刻に病状を伝えます。 また、『治療しなければ余命は1年だけれど、治療をすれば3年、5年と長引かせることができます。 だから頑張りましょう』といった言い方をすることもあります。 ただし、その場合でも必ずそうなるという保証はできない。 ウソはウソですが、私は方便のウソだと思っています」 都内の総合病院外科医 本当のステージは言えない また、終末期医療に携わるベテラン医師も明かす。 「余命宣告では、あと何ヵ月などといった具体的な数字は、直接患者さんに話さないことが多い。 あくまでケースバイケースですが、数字を伝えることは一般的ではないのです」.

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