こども 店長。 【こども店長の現在】加藤清史郎が進学する都内の大学はどこ?専攻や学部は文学系?

“こども店長”2代目は加藤清史郎の実弟・憲史郎くん

こども 店長

18歳にして芸歴17年。 時代劇やCMで愛らしい笑顔を見せていた「清史郎くん」も、この春大学生になったそう。 そんな加藤清史郎さんも今や18歳。 この数年は仕事をセーブしているように見えたが、ここへきて映画の主演や舞台への出演が相次いでいる。 実は、2020年の3月までの3年間、ロンドンの高校に留学していたんです。 日本の学校の付属校なので生徒は日本人だけだったのですが、寮母さんや食堂のシェフはイギリス人。 週末はウェストエンドにミュージカルを観に行ったり、現地の演劇学校に通って、英語のプログラムに悪戦苦闘しながら(笑)、お芝居の勉強もしてきました。 留学しようと決めたのは、小学校6年生のときに『レ・ミゼラブル』の舞台に出演したことがきっかけです。 新演出ということで、イギリスから本場のスタッフが訪れて、英語で指導を受けながら稽古をしました。 もちろん、すべて通訳さんを介してコミュニケーションしていたんですけど、通訳さんなしでダイレクトに会話ができたら、自分が演じる役ももっといいものにしていけるんじゃないかって。 それで、英語を喋れるようになりたいと、そのときからずっと思っていたんです。 もうひとつの理由は、中学2年生のときに、「これからも俳優として生きていく」と覚悟を決めたから。 今、10代の僕が70代、80代まで続けていける仕事です。 だったら、今のうちにいろいろな勉強をして、役者としての土台作りをしようと。 中学生になって声変わりが始まり、子役時代と比べ、顔つきや体形も変わっていくので、役者としても中途半端な時期。 じゃあ、この期間に知識や経験を蓄えておこうと考えました。 ロンドンでは本場のお芝居やミュージカルが観られるのはもちろんのこと、数々の名画が見られる美術館や博物館もたくさんあります。 そんな環境の中で、芸術的センスを磨きたいと思ったんです。 役者かプロ野球選手か迷った時期も 正直な話、中学生になったばかりの頃は、「プロ野球の選手になりたい」と迷ったこともありました。 もともとスポーツが好きで、特に球技が大好き。 幼稚園の頃に将来なりたかったものは「警察官、野球選手、忍者」の三択。 小学生の頃から阪神ファン。 ずっと野球をやりたかったけど、テレビや舞台の仕事をしながらクラブチームに入って練習するのは無理でした。 クラブチームの活動って週末に集中しますよね。 僕の場合、平日は学校にきちんと行きたかったので、土日はお仕事のスケジュールがビッシリ入っていたんです。 それでも中学に入ったときにどうしても野球をやりたくて、でも、その学校には野球部がなかったので、自分で部を作りました。 結局、部員は5人しか集まらなかったんですけどね。 (笑) そんな状態ですから、本気でプロを目指せるはずもなかったんですが、市川海老蔵さんが座長を務める舞台に出演させていただいたとき、「将来、野球選手になるか、俳優になるか迷っているんです」と、海老蔵さんに相談したんです。 そうしたら、「13年も役者をやっているのに、そのキャリアを捨ててまで野球をやるのか?」とおっしゃって。 その一言で、役者として生きていく覚悟を決めました。 僕にとって、お芝居をするのは何より楽しいことなので、俳優という仕事を自分の軸にして、スポーツは趣味で楽しもうって。 スポーツといえば、ロンドン留学中はサッカー部にも入って、とっても楽しかったですね。 現地の高校にはサッカーコースがあったので、サッカー部に所属していたのは将来プロの選手やプロのトレーナーを目指している人たちばかり。 その中に、普通科コースの僕が入ったわけですから、本当に大変で。 みんなとあまりにもレベルが違うので、最初の頃は、僕だけボールを触る練習に参加できず、ひとりで黙々とトレーニングを続けて。 つらいなぁ、やめようかなぁと思ったときもあったけど、がむしゃらにくらいついて、最後まで続けることができました。 それができたのは、やっぱり楽しかったから。 後半は、平均身長185センチの、パワーサッカーで知られるイギリス人チームとの試合にも参加させてもらえました。 そんなワクワクする経験、この先の人生でもう2度とできませんからね。 子どもの頃から「楽しい」という一心で俳優活動を続けてきた僕ですが、「何事も、楽しい限りはずっと続けていける!」って、この経験を通じてあらためて再確認することができました。 イギリスの食べ物は僕にはあまり合いませんでしたが(笑)、寮生活はすごく楽しかったですね。 それぞれに将来の夢を持ったクラスメイトたちと、朝から晩まで寝食を共にする生活。 みんなとワイワイおしゃべりしながら、かけがえのない友人にも出会えて。 まさに「ザ・青春」! 思い描いていた通りの学園生活を過ごすことができたんです。 休みの日にロンドンの劇場に通ったことで、イギリスと日本のお客さんたちの違いを肌で感じることもできました。 イギリスの観客は、日本よりずっと自由。 立ちたいときには立つし、叫びたいときには叫ぶ。 芸術というものを、日本人よりもっと身近に感じているんだなって。 じゃあ、日本のお客さんたちにもっと自由にお芝居を楽しんでもらうためにはどうしたらいいんだろう? と。 帰国してもその思いは続いていて、それを勉強するために、日本の大学に進学しました。 僕と同世代の役者さんでも、大学には行かず、俳優一本で行こうと頑張っている人も大勢います。 そういう人たちは退路を断って強いなって思うけど、僕の場合は、イギリスで得たことをもっと深く学びたい。 この先も、絶対に俳優として生きていくと決めたからこそ、大学できちんと勉強し、自分の基礎固めをしたいと思っています。 「人気子役」の実感はぜんぜんなかった そんな新たな一歩を踏み出した加藤さんが主演した最新映画が『#ハンド全力』(7月31日公開)。 熊本地震を機にハンドボール部をやめ、閉塞感を持っていた高校生のマサオが、SNSに投稿した昔のハンドボールの写真が偶然バズる。 今回は、僕にとってはほぼ初めての主演という感覚だったので、撮影が始まるまではすごく心が重かったんですよ。 主演は、小学校3年生のときに映画『忍たま乱太郎』で経験しているんですけど、そのときは主演ということを意識していなかったので楽にやれたんですね。 でも、今回の場合は、「主演の立場って?」「みんなを引っ張っていくには、どうしたらいいんだろう?」って、あれこれ悩んじゃって。 同世代の役者さんもたくさんいるし、安達祐実さん、田口トモロヲさんといった先輩方の中で主演を張るなんて、どれだけ責任重大なんだろう? と……。 でも、撮影に入るときに松居大悟監督が「清史郎がカラを破って楽しむことが今回の重要な鍵だから、気負わずに楽しもうぜ」と言ってくださって。 いざ撮影に入ってみたら、みんなでワイワイ。 本当の学校で過ごしているみたいな感じで、ヘンな主演意識はとっぱらわれて、映画の中でも自然に青春できてよかったです。 僕が演じたマサオは、それまでごく普通の高校生だったのが、突然、人気者になって舞い上がっちゃう、少しムカつくところもあるヤツなんです(笑)。 僕自身は、子役として活動していたとき、自分が人気者になったという実感はあまりありませんでした。 小さい頃からお芝居をすることが楽しくて、その楽しいことをずっと続けてきただけなので、環境が少し変わっても、自分の感覚はまったく変わらなかったんですね。 もちろん、道を歩いていると声をかけていただくこともありましたが、「こども店長」としてCMに出ていたときも学校には毎日ちゃんと通っていたし、友達もそれまでと同じように普通に接してくれていました。 子役として有名になると、学校でいじめられたりするという話も聞くと思います。 僕の場合も、授業を早退して撮影に行くと、「ズル休み」と言われたことも。 でも、そのたびに「僕は好きなことをやっているんだ」と。 みんなが放課後に、野球やサッカーのクラブに通うように、僕もお芝居が好きなので、テレビや舞台に出ているだけだから一緒でしょって答えて。 そもそも、小学生の頃は、お芝居をすることを「仕事」とはとらえていなくて、「習い事」のひとつという感覚でした。 僕がそういう姿勢だったので、最初の頃はこの芸能活動に違和感を持っていたクラスメイトも、僕がテレビや映画に出ていることを必要以上に意識しなくなって、「今日は、何の撮影なの?」「映画? いってらっしゃい」って、普通に送り出してくれるようになりました。 両親にも、「やめたかったら、いつでもやめていい」って、ずっと言われてきました。 幼稚園に上がるとき、小学校に入学するときなどの節目には、「どうする? これからも続ける?」って必ず聞かれて。 でも、そのたびに、僕は「お芝居が好きだから、やめない」と答えてきました。 僕にとっては、何をするにも、「自分が楽しいか楽しくないか」が一番重要。 逆にいえば、楽しくなくなったら、やめてしまうかもしれません。 母と祖母に支えられ、家族のみんなにも感謝して そんな僕をこれまで支えてきてくれた家族と事務所の方には、本当に感謝しています。 「学校にはちゃんと行きたい」と事務所に無理を言って、放課後や土日に集中してスケジュールを入れてもらっていたおかげで、毎日登校することができました。 家族の中では、やっぱり母に一番感謝しています。 撮影で早退するときは、母が車で学校まで迎えにきてくれて、車の中でランドセルと仕事の荷物を交換し、現場まで送ってもらったり。 2歳下に妹、6歳下に弟もいるので、本当に大変だったと思います。 母が僕に付き添わなければいけないときは、祖母がうちに来て留守番をしてくれていたので、妹や弟にもきっと寂しい思いをさせたかもしれない。 反対に、地方公演で僕が何日も家を離れなきゃいけないときは、祖母が一緒に泊まってくれて、舞台の袖まで付き添ってくれた。 おかげで、僕が舞台で共演した方からは、「おばあちゃん、元気?」っていまだに言われたりしています。 ロンドンから帰って来てからは、実家で家族と一緒に暮らしています。 休みの日にはきょうだい3人でゲームをしたり、弟の憲史郎がオーディションを受けるときは練習相手をすることも。 弟の舞台を僕が観に行くと、緊張して怖がるんですよ。 「ダメ出しはしないで。 ヘコんじゃうから」って(笑)。 弟は弟で好きにやればいいと思っているので、先輩風を吹かせてアドバイスするつもりなんて、ぜんぜんないんですけどね。 これから目指しているのは、「なんでもできる役者」です。 舞台でも映像でも、どんなジャンルの役でもその役柄をきちんとつかんで芝居ができる役者になりたい。 憧れている先輩は堤真一さん。 堤さんのように、凄みのある任侠作品にも出れば、いいお父さんやコミカルな役も似合うような役者です。 「え、今度はこんな役をやるのか」と、毎回、みなさんに新鮮に感じてもらえるような役者になりたい。 これからも、「楽しいから全力で頑張る」気持ちを大切に、ひとつひとつの作品としっかり向き合っていきたいと思います。

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「こども店長」だった加藤清史郎 人気子役の実感はなし

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18歳にして芸歴17年。 時代劇やCMで愛らしい笑顔を見せていた「清史郎くん」も、この春大学生になったそう。 そんなさんも今や18歳。 この数年は仕事をセーブしているように見えたが、ここへきて映画の主演や舞台への出演が相次いでいる。 実は、2020年の3月までの3年間、ロンドンの高校に留学していたんです。 日本の学校の付属校なので生徒は日本人だけだったのですが、寮母さんや食堂のシェフはイギリス人。 週末はウェストエンドにミュージカルを観に行ったり、現地の演劇学校に通って、英語のプログラムに悪戦苦闘しながら(笑)、お芝居の勉強もしてきました。 留学しようと決めたのは、小学校6年生のときに『レ・ミゼラブル』の舞台に出演したことがきっかけです。 新演出ということで、イギリスから本場のスタッフが訪れて、英語で指導を受けながら稽古をしました。 もちろん、すべて通訳さんを介してコミュニケーションしていたんですけど、通訳さんなしでダイレクトに会話ができたら、自分が演じる役ももっといいものにしていけるんじゃないかって。 それで、英語を喋れるようになりたいと、そのときからずっと思っていたんです。 もうひとつの理由は、中学2年生のときに、「これからも俳優として生きていく」と覚悟を決めたから。 今、10代の僕が70代、80代まで続けていける仕事です。 だったら、今のうちにいろいろな勉強をして、役者としての土台作りをしようと。 中学生になって声変わりが始まり、子役時代と比べ、顔つきや体形も変わっていくので、役者としても中途半端な時期。 じゃあ、この期間に知識や経験を蓄えておこうと考えました。 ロンドンでは本場のお芝居やミュージカルが観られるのはもちろんのこと、数々の名画が見られる美術館や博物館もたくさんあります。 そんな環境の中で、芸術的センスを磨きたいと思ったんです。 役者かプロ野球選手か迷った時期も 正直な話、中学生になったばかりの頃は、「プロ野球の選手になりたい」と迷ったこともありました。 もともとスポーツが好きで、特に球技が大好き。 幼稚園の頃に将来なりたかったものは「警察官、野球選手、忍者」の三択。 小学生の頃から阪神ファン。 ずっと野球をやりたかったけど、テレビや舞台の仕事をしながらクラブチームに入って練習するのは無理でした。 クラブチームの活動って週末に集中しますよね。 僕の場合、平日は学校にきちんと行きたかったので、土日はお仕事のスケジュールがビッシリ入っていたんです。 それでも中学に入ったときにどうしても野球をやりたくて、でも、その学校には野球部がなかったので、自分で部を作りました。 結局、部員は5人しか集まらなかったんですけどね。 (笑) そんな状態ですから、本気でプロを目指せるはずもなかったんですが、市川海老蔵さんが座長を務める舞台に出演させていただいたとき、「将来、野球選手になるか、俳優になるか迷っているんです」と、海老蔵さんに相談したんです。 そうしたら、「13年も役者をやっているのに、そのキャリアを捨ててまで野球をやるのか?」とおっしゃって。 その一言で、役者として生きていく覚悟を決めました。 僕にとって、お芝居をするのは何より楽しいことなので、俳優という仕事を自分の軸にして、スポーツは趣味で楽しもうって。 スポーツといえば、ロンドン留学中はサッカー部にも入って、とっても楽しかったですね。 現地の高校にはサッカーコースがあったので、サッカー部に所属していたのは将来プロの選手やプロのトレーナーを目指している人たちばかり。 その中に、普通科コースの僕が入ったわけですから、本当に大変で。 みんなとあまりにもレベルが違うので、最初の頃は、僕だけボールを触る練習に参加できず、ひとりで黙々とトレーニングを続けて。 つらいなぁ、やめようかなぁと思ったときもあったけど、がむしゃらにくらいついて、最後まで続けることができました。 それができたのは、やっぱり楽しかったから。 後半は、平均身長185センチの、パワーサッカーで知られるイギリス人チームとの試合にも参加させてもらえました。 そんなワクワクする経験、この先の人生でもう2度とできませんからね。 子どもの頃から「楽しい」という一心で俳優活動を続けてきた僕ですが、「何事も、楽しい限りはずっと続けていける!」って、この経験を通じてあらためて再確認することができました。 イギリスの食べ物は僕にはあまり合いませんでしたが(笑)、寮生活はすごく楽しかったですね。 それぞれに将来の夢を持ったクラスメイトたちと、朝から晩まで寝食を共にする生活。 みんなとワイワイおしゃべりしながら、かけがえのない友人にも出会えて。 まさに「ザ・青春」! 思い描いていた通りの学園生活を過ごすことができたんです。 休みの日にロンドンの劇場に通ったことで、イギリスと日本のお客さんたちの違いを肌で感じることもできました。 イギリスの観客は、日本よりずっと自由。 立ちたいときには立つし、叫びたいときには叫ぶ。 芸術というものを、日本人よりもっと身近に感じているんだなって。 じゃあ、日本のお客さんたちにもっと自由にお芝居を楽しんでもらうためにはどうしたらいいんだろう? と。 帰国してもその思いは続いていて、それを勉強するために、日本の大学に進学しました。 僕と同世代の役者さんでも、大学には行かず、俳優一本で行こうと頑張っている人も大勢います。 そういう人たちは退路を断って強いなって思うけど、僕の場合は、イギリスで得たことをもっと深く学びたい。 この先も、絶対に俳優として生きていくと決めたからこそ、大学できちんと勉強し、自分の基礎固めをしたいと思っています。 「人気子役」の実感はぜんぜんなかった そんな新たな一歩を踏み出した加藤さんが主演した最新映画が『#ハンド全力』(7月31日公開)。 熊本地震を機にハンドボール部をやめ、閉塞感を持っていた高校生のマサオが、SNSに投稿した昔のハンドボールの写真が偶然バズる。 今回は、僕にとってはほぼ初めての主演という感覚だったので、撮影が始まるまではすごく心が重かったんですよ。 主演は、小学校3年生のときに映画『忍たま乱太郎』で経験しているんですけど、そのときは主演ということを意識していなかったので楽にやれたんですね。 でも、今回の場合は、「主演の立場って?」「みんなを引っ張っていくには、どうしたらいいんだろう?」って、あれこれ悩んじゃって。 同世代の役者さんもたくさんいるし、安達祐実さん、田口トモロヲさんといった先輩方の中で主演を張るなんて、どれだけ責任重大なんだろう? と……。 でも、撮影に入るときに松居大悟監督が「清史郎がカラを破って楽しむことが今回の重要な鍵だから、気負わずに楽しもうぜ」と言ってくださって。 いざ撮影に入ってみたら、みんなでワイワイ。 本当の学校で過ごしているみたいな感じで、ヘンな主演意識はとっぱらわれて、映画の中でも自然に青春できてよかったです。 僕が演じたマサオは、それまでごく普通の高校生だったのが、突然、人気者になって舞い上がっちゃう、少しムカつくところもあるヤツなんです(笑)。 僕自身は、子役として活動していたとき、自分が人気者になったという実感はあまりありませんでした。 小さい頃からお芝居をすることが楽しくて、その楽しいことをずっと続けてきただけなので、環境が少し変わっても、自分の感覚はまったく変わらなかったんですね。 もちろん、道を歩いていると声をかけていただくこともありましたが、「こども店長」としてCMに出ていたときも学校には毎日ちゃんと通っていたし、友達もそれまでと同じように普通に接してくれていました。 子役として有名になると、学校でいじめられたりするという話も聞くと思います。 僕の場合も、授業を早退して撮影に行くと、「ズル休み」と言われたことも。 でも、そのたびに「僕は好きなことをやっているんだ」と。 みんなが放課後に、野球やサッカーのクラブに通うように、僕もお芝居が好きなので、テレビや舞台に出ているだけだから一緒でしょって答えて。 そもそも、小学生の頃は、お芝居をすることを「仕事」とはとらえていなくて、「習い事」のひとつという感覚でした。 僕がそういう姿勢だったので、最初の頃はこの芸能活動に違和感を持っていたクラスメイトも、僕がテレビや映画に出ていることを必要以上に意識しなくなって、「今日は、何の撮影なの?」「映画? いってらっしゃい」って、普通に送り出してくれるようになりました。 両親にも、「やめたかったら、いつでもやめていい」って、ずっと言われてきました。 幼稚園に上がるとき、小学校に入学するときなどの節目には、「どうする? これからも続ける?」って必ず聞かれて。 でも、そのたびに、僕は「お芝居が好きだから、やめない」と答えてきました。 僕にとっては、何をするにも、「自分が楽しいか楽しくないか」が一番重要。 逆にいえば、楽しくなくなったら、やめてしまうかもしれません。 母と祖母に支えられ、家族のみんなにも感謝して そんな僕をこれまで支えてきてくれた家族と事務所の方には、本当に感謝しています。 「学校にはちゃんと行きたい」と事務所に無理を言って、放課後や土日に集中してスケジュールを入れてもらっていたおかげで、毎日登校することができました。 家族の中では、やっぱり母に一番感謝しています。 撮影で早退するときは、母が車で学校まで迎えにきてくれて、車の中でランドセルと仕事の荷物を交換し、現場まで送ってもらったり。 2歳下に妹、6歳下に弟もいるので、本当に大変だったと思います。 母が僕に付き添わなければいけないときは、祖母がうちに来て留守番をしてくれていたので、妹や弟にもきっと寂しい思いをさせたかもしれない。 反対に、地方公演で僕が何日も家を離れなきゃいけないときは、祖母が一緒に泊まってくれて、舞台の袖まで付き添ってくれた。 おかげで、僕が舞台で共演した方からは、「おばあちゃん、元気?」っていまだに言われたりしています。 ロンドンから帰って来てからは、実家で家族と一緒に暮らしています。 休みの日にはきょうだい3人でゲームをしたり、弟の憲史郎がオーディションを受けるときは練習相手をすることも。 弟の舞台を僕が観に行くと、緊張して怖がるんですよ。 「ダメ出しはしないで。 ヘコんじゃうから」って(笑)。 弟は弟で好きにやればいいと思っているので、先輩風を吹かせてアドバイスするつもりなんて、ぜんぜんないんですけどね。 これから目指しているのは、「なんでもできる役者」です。 舞台でも映像でも、どんなジャンルの役でもその役柄をきちんとつかんで芝居ができる役者になりたい。 憧れている先輩は堤真一さん。 堤さんのように、凄みのある任侠作品にも出れば、いいお父さんやコミカルな役も似合うような役者です。 「え、今度はこんな役をやるのか」と、毎回、みなさんに新鮮に感じてもらえるような役者になりたい。 これからも、「楽しいから全力で頑張る」気持ちを大切に、ひとつひとつの作品としっかり向き合っていきたいと思います。 外部サイト.

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18歳にして芸歴17年。 時代劇やCMで愛らしい笑顔を見せていた「清史郎くん」も、この春大学生になったそう。 そんな加藤清史郎さんも今や18歳。 この数年は仕事をセーブしているように見えたが、ここへきて映画の主演や舞台への出演が相次いでいる。 実は、2020年の3月までの3年間、ロンドンの高校に留学していたんです。 日本の学校の付属校なので生徒は日本人だけだったのですが、寮母さんや食堂のシェフはイギリス人。 週末はウェストエンドにミュージカルを観に行ったり、現地の演劇学校に通って、英語のプログラムに悪戦苦闘しながら(笑)、お芝居の勉強もしてきました。 留学しようと決めたのは、小学校6年生のときに『レ・ミゼラブル』の舞台に出演したことがきっかけです。 新演出ということで、イギリスから本場のスタッフが訪れて、英語で指導を受けながら稽古をしました。 もちろん、すべて通訳さんを介してコミュニケーションしていたんですけど、通訳さんなしでダイレクトに会話ができたら、自分が演じる役ももっといいものにしていけるんじゃないかって。 それで、英語を喋れるようになりたいと、そのときからずっと思っていたんです。 もうひとつの理由は、中学2年生のときに、「これからも俳優として生きていく」と覚悟を決めたから。 今、10代の僕が70代、80代まで続けていける仕事です。 だったら、今のうちにいろいろな勉強をして、役者としての土台作りをしようと。 中学生になって声変わりが始まり、子役時代と比べ、顔つきや体形も変わっていくので、役者としても中途半端な時期。 じゃあ、この期間に知識や経験を蓄えておこうと考えました。 ロンドンでは本場のお芝居やミュージカルが観られるのはもちろんのこと、数々の名画が見られる美術館や博物館もたくさんあります。 そんな環境の中で、芸術的センスを磨きたいと思ったんです。 役者かプロ野球選手か迷った時期も 正直な話、中学生になったばかりの頃は、「プロ野球の選手になりたい」と迷ったこともありました。 もともとスポーツが好きで、特に球技が大好き。 幼稚園の頃に将来なりたかったものは「警察官、野球選手、忍者」の三択。 小学生の頃から阪神ファン。 ずっと野球をやりたかったけど、テレビや舞台の仕事をしながらクラブチームに入って練習するのは無理でした。 クラブチームの活動って週末に集中しますよね。 僕の場合、平日は学校にきちんと行きたかったので、土日はお仕事のスケジュールがビッシリ入っていたんです。 それでも中学に入ったときにどうしても野球をやりたくて、でも、その学校には野球部がなかったので、自分で部を作りました。 結局、部員は5人しか集まらなかったんですけどね。 (笑) そんな状態ですから、本気でプロを目指せるはずもなかったんですが、市川海老蔵さんが座長を務める舞台に出演させていただいたとき、「将来、野球選手になるか、俳優になるか迷っているんです」と、海老蔵さんに相談したんです。 そうしたら、「13年も役者をやっているのに、そのキャリアを捨ててまで野球をやるのか?」とおっしゃって。 その一言で、役者として生きていく覚悟を決めました。 僕にとって、お芝居をするのは何より楽しいことなので、俳優という仕事を自分の軸にして、スポーツは趣味で楽しもうって。 スポーツといえば、ロンドン留学中はサッカー部にも入って、とっても楽しかったですね。 現地の高校にはサッカーコースがあったので、サッカー部に所属していたのは将来プロの選手やプロのトレーナーを目指している人たちばかり。 その中に、普通科コースの僕が入ったわけですから、本当に大変で。 みんなとあまりにもレベルが違うので、最初の頃は、僕だけボールを触る練習に参加できず、ひとりで黙々とトレーニングを続けて。 つらいなぁ、やめようかなぁと思ったときもあったけど、がむしゃらにくらいついて、最後まで続けることができました。 それができたのは、やっぱり楽しかったから。 後半は、平均身長185センチの、パワーサッカーで知られるイギリス人チームとの試合にも参加させてもらえました。 そんなワクワクする経験、この先の人生でもう2度とできませんからね。 子どもの頃から「楽しい」という一心で俳優活動を続けてきた僕ですが、「何事も、楽しい限りはずっと続けていける!」って、この経験を通じてあらためて再確認することができました。 イギリスの食べ物は僕にはあまり合いませんでしたが(笑)、寮生活はすごく楽しかったですね。 それぞれに将来の夢を持ったクラスメイトたちと、朝から晩まで寝食を共にする生活。 みんなとワイワイおしゃべりしながら、かけがえのない友人にも出会えて。 まさに「ザ・青春」! 思い描いていた通りの学園生活を過ごすことができたんです。 休みの日にロンドンの劇場に通ったことで、イギリスと日本のお客さんたちの違いを肌で感じることもできました。 イギリスの観客は、日本よりずっと自由。 立ちたいときには立つし、叫びたいときには叫ぶ。 芸術というものを、日本人よりもっと身近に感じているんだなって。 じゃあ、日本のお客さんたちにもっと自由にお芝居を楽しんでもらうためにはどうしたらいいんだろう? と。 帰国してもその思いは続いていて、それを勉強するために、日本の大学に進学しました。 僕と同世代の役者さんでも、大学には行かず、俳優一本で行こうと頑張っている人も大勢います。 そういう人たちは退路を断って強いなって思うけど、僕の場合は、イギリスで得たことをもっと深く学びたい。 この先も、絶対に俳優として生きていくと決めたからこそ、大学できちんと勉強し、自分の基礎固めをしたいと思っています。 「人気子役」の実感はぜんぜんなかった そんな新たな一歩を踏み出した加藤さんが主演した最新映画が『#ハンド全力』(7月31日公開)。 熊本地震を機にハンドボール部をやめ、閉塞感を持っていた高校生のマサオが、SNSに投稿した昔のハンドボールの写真が偶然バズる。 今回は、僕にとってはほぼ初めての主演という感覚だったので、撮影が始まるまではすごく心が重かったんですよ。 主演は、小学校3年生のときに映画『忍たま乱太郎』で経験しているんですけど、そのときは主演ということを意識していなかったので楽にやれたんですね。 でも、今回の場合は、「主演の立場って?」「みんなを引っ張っていくには、どうしたらいいんだろう?」って、あれこれ悩んじゃって。 同世代の役者さんもたくさんいるし、安達祐実さん、田口トモロヲさんといった先輩方の中で主演を張るなんて、どれだけ責任重大なんだろう? と……。 でも、撮影に入るときに松居大悟監督が「清史郎がカラを破って楽しむことが今回の重要な鍵だから、気負わずに楽しもうぜ」と言ってくださって。 いざ撮影に入ってみたら、みんなでワイワイ。 本当の学校で過ごしているみたいな感じで、ヘンな主演意識はとっぱらわれて、映画の中でも自然に青春できてよかったです。 僕が演じたマサオは、それまでごく普通の高校生だったのが、突然、人気者になって舞い上がっちゃう、少しムカつくところもあるヤツなんです(笑)。 僕自身は、子役として活動していたとき、自分が人気者になったという実感はあまりありませんでした。 小さい頃からお芝居をすることが楽しくて、その楽しいことをずっと続けてきただけなので、環境が少し変わっても、自分の感覚はまったく変わらなかったんですね。 もちろん、道を歩いていると声をかけていただくこともありましたが、「こども店長」としてCMに出ていたときも学校には毎日ちゃんと通っていたし、友達もそれまでと同じように普通に接してくれていました。 子役として有名になると、学校でいじめられたりするという話も聞くと思います。 僕の場合も、授業を早退して撮影に行くと、「ズル休み」と言われたことも。 でも、そのたびに「僕は好きなことをやっているんだ」と。 みんなが放課後に、野球やサッカーのクラブに通うように、僕もお芝居が好きなので、テレビや舞台に出ているだけだから一緒でしょって答えて。 そもそも、小学生の頃は、お芝居をすることを「仕事」とはとらえていなくて、「習い事」のひとつという感覚でした。 僕がそういう姿勢だったので、最初の頃はこの芸能活動に違和感を持っていたクラスメイトも、僕がテレビや映画に出ていることを必要以上に意識しなくなって、「今日は、何の撮影なの?」「映画? いってらっしゃい」って、普通に送り出してくれるようになりました。 両親にも、「やめたかったら、いつでもやめていい」って、ずっと言われてきました。 幼稚園に上がるとき、小学校に入学するときなどの節目には、「どうする? これからも続ける?」って必ず聞かれて。 でも、そのたびに、僕は「お芝居が好きだから、やめない」と答えてきました。 僕にとっては、何をするにも、「自分が楽しいか楽しくないか」が一番重要。 逆にいえば、楽しくなくなったら、やめてしまうかもしれません。 母と祖母に支えられ、家族のみんなにも感謝して そんな僕をこれまで支えてきてくれた家族と事務所の方には、本当に感謝しています。 「学校にはちゃんと行きたい」と事務所に無理を言って、放課後や土日に集中してスケジュールを入れてもらっていたおかげで、毎日登校することができました。 家族の中では、やっぱり母に一番感謝しています。 撮影で早退するときは、母が車で学校まで迎えにきてくれて、車の中でランドセルと仕事の荷物を交換し、現場まで送ってもらったり。 2歳下に妹、6歳下に弟もいるので、本当に大変だったと思います。 母が僕に付き添わなければいけないときは、祖母がうちに来て留守番をしてくれていたので、妹や弟にもきっと寂しい思いをさせたかもしれない。 反対に、地方公演で僕が何日も家を離れなきゃいけないときは、祖母が一緒に泊まってくれて、舞台の袖まで付き添ってくれた。 おかげで、僕が舞台で共演した方からは、「おばあちゃん、元気?」っていまだに言われたりしています。 ロンドンから帰って来てからは、実家で家族と一緒に暮らしています。 休みの日にはきょうだい3人でゲームをしたり、弟の憲史郎がオーディションを受けるときは練習相手をすることも。 弟の舞台を僕が観に行くと、緊張して怖がるんですよ。 「ダメ出しはしないで。 ヘコんじゃうから」って(笑)。 弟は弟で好きにやればいいと思っているので、先輩風を吹かせてアドバイスするつもりなんて、ぜんぜんないんですけどね。 これから目指しているのは、「なんでもできる役者」です。 舞台でも映像でも、どんなジャンルの役でもその役柄をきちんとつかんで芝居ができる役者になりたい。 憧れている先輩は堤真一さん。 堤さんのように、凄みのある任侠作品にも出れば、いいお父さんやコミカルな役も似合うような役者です。 「え、今度はこんな役をやるのか」と、毎回、みなさんに新鮮に感じてもらえるような役者になりたい。 これからも、「楽しいから全力で頑張る」気持ちを大切に、ひとつひとつの作品としっかり向き合っていきたいと思います。

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