1960 年代 ヒット 曲 洋楽。 【1960年代ヒット曲】邦楽・洋楽歌謡曲おすすめ人気ランキング10

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1960 年代 ヒット 曲 洋楽

「太陽がいっぱい」、「避暑地の恋」、「黒いオルフェ」など映画のテーマ曲 がヒットするのがこの頃の大きな特徴です。 「恋の片道切符」は日本語版として、ミッキーカーチス、平尾昌章などでま した。 僕は「ちゅーちゅーちゅーたこかいなー」ってまだ幼稚園の友達と歌っ てました。 *「谷間に3つの鐘がなる」も懐かしいけれど、この年のヒット「マック・ザ・ナイフ」「星を求め て」なども60年代のラジオ番組のテーマに使われることが多かったように思います。 後年、リバ イバル、映画などでも使われる「ラスト・ダンスは私に」。 トニーザイラーの「白銀は招くよ」は涙 が出るほど懐かしい。 この時期日本歌謡へのポップの流入時期で、この年洋楽としてヒットし た「パイナップル・プリンセス」(田代みどり1961年)、「ベイビーフェイス」など。 峠の幌馬車のビリー・ヴォーンはカバーでして、ストリングス・ア・ロングスが オリジナル・ヒット。 ムーン・リバーはヘンリーマンシーニ。 おなじみ中尾ミエがカバー。 「バケーション」は中尾ミエはじめ5種のカバ ーがあったとか。 *越路吹雪の「サン・トワ・マミー」のヒットは1967年。 TV番組ルート66の テーマなどもヒットした。 「白い渚のブルース」も後年洋楽ラジオ番組のテーマ になった。 「大脱走」「史上最大の作戦」・・・これは渋 谷のジオラマにかかってましたよね。 戦争ものが多い。 「悲しき雨音」は雨・ 雷の効果音入りでちょっと切ない。 「ヘイ・ポーラ」は日本では田辺靖雄と梓 みちよで。 バイバイ・バーディーは中尾ミエがカバー。 ドミニクはペギー葉山 やザ・ピーナッツで。 ス トーリーは全く忘れてしまいましたが、コメディーだったらしいです。 「夢みる 思い」「ほほにかかる涙」は子供心にせつなく響いたものです。 「太陽のかな たに」は「ノッテケ、ノッテケ」。 この他、日本でも沢山の曲がカバーされました ので子供たち僕らにも曲の意味がある程度わかったのがこの時代かと思い ます。 ベンチャーズが人気でした。 「テケテケ・・・」ですね。 「ダン ス天国」のような激しい曲や「バス・ストップ」のようなちょっと悲しい曲もどん どんしみこんでいった頃。 日本語カバーが減った反面、おそらくリバイバル率 はぐっと高くなった時期ではないでしょうか。 この64年、65年、66年は非常 に沢山のヒット曲が生成されています。 例えば、「アンチェインド・メロディー」は1990年映画「ゴースト、ニューヨークの幻」で取り上げられ再ヒットするなどに代表されるように、この時期の曲の暖かさ、せつなさは時代を超えて生きていると思います。 ビター・ スィートサンバは深夜番組「オールナイト・ニッポン」のテーマとして長く親しま れました。 日本 はGSブームでしたね。 GSによる外国もののカバーもいろいろありましたね。 洋楽というと、土曜午後TV番組「ビート・ポップス」が伝説的です。 スタジオで ヒット曲を流し、若者が踊るという当時新しいスタイルの番組でした。 土曜の 午後、番組を見るために走って帰った・・・という方もいるのではないでしょう か。 番組では曲に合わせてステップの講習があったり、音楽は耳からだけで なく目からも入って来た。 そんな時代の走りであったのでしょう。 「青い影」と言えば、あのユーミンが強く影響を受けた曲でもありますが、他 にも日本のポップを語るには避けては通れないところでもあります。 ビートルズ、S&G、ビージーズ、 ローリング・ストーンズと有力グループがヒット曲を出し、ベスト・テン・ランキ ングも華やかでした。 ラジオ番組にリクエストをしたり、リクエストが流れた り、受験勉強や期末テスト対策でラジオを聞きながら勉強をした・・・という方 もこの頃から急激に増えたのではないでしょうか、丁度日本のGSと洋楽ポッ プスがオーバーラップし、日本の歌謡曲にも吸収されて行きました。 あの殿 様キングスでさえ、TV番組では裃風の衣装で「マサチューセッツ」をこぶしを 利かせ歌っておりました。 ビートルズが 終焉に向かう中、70年代の新しい音楽の流れも生まれてくるわけで、このコ ーナーもここで終わらせるのちょっと惜しいような感じが致しますが、とりあえ ず「60年代宝箱」としてのまとめと致します。 機会を改め自由研究などでま た展開させて頂ければと思います。 60年代の歌と言えばやはり「みんなのうた」 もちろん歌謡曲もあります。 洋楽も。 けれどやはりTVから流れて来た 漫画の主題歌(アニメとは簡単に言えない、やはりマンガ)。 そして61年からTVから流行っていったNHK「みんなのうた」。 放送曲 データの公開を!と言っていたら、リバイバル放送が1年だけありまし た。 そしてDVDも発売ただし60年代分は12巻中の一部です。 収録・再 放送されていない曲が大半です。 「思い出して歌いたい!」そんな方も 多いのではないでしょうか。 今も続く「みんなのうた」広い世代が対象になるのでしょうが、一部の マニアを除けば、「マイみんなのうた」があるわけです。 おそらく、それは 小〜(中学生)であった時期とお子さんがそれと同じ時期にいっしょに TV見、歌を歌った時期かと思います。 自分の場合は60年代、それも66年頃まで、自分は生まれ年の関係 で 60年代の1の桁=小学校の学年(4〜12月) という方程式がなりたつ便利年代です。 それ以降の音楽は?、GSが 洋楽が有り、歌謡曲そしてフォークと60年代は音楽ジャンルも華やか でした。 同世代の方はビートルズをリアルタイムに学校で友人と語れた 方々でしょう。 でも反面、当時の僕なんかには他の音楽といっしょに仲 良く聞けたものでした。 「みんなうた」と同じようにね。 ということで をつくりました。 「若いってすばらしい」はやはり懐かしい! もう一度聞きたいと思いながら聞けなかった曲です。 歌詞が判明、おもわず歌ってしまいました。 歌っていたのは「槇 みちる」か と・・ ということで数年前にCDを入手しました。 アレンジが違うな?と思ってたら、 他にもあったんですね、スクールメイツ。 一番ヒットしたのがペギーマーチの 日本語バージョンのものだそうで掲示板で教えて頂きました。 槙 みちるは「可愛いマリア」(画像)の後、この歌をだしているようで66年 となっています。 60年代中ごろ、日清食品「ちびっ子ノド自慢」(桂 小金次司 会)で九ちゃんの「明日があるさ」と並んで、出場「ちびっ子」がよく歌った曲で はなかったでしょうか。 その当時、小生は小学校高学年でした。 両曲とも爽 やかで、設定もちょっと切ないところが似ています。 「明日があるさ」はリメイクされて近年ヒットしましたが、「若いって素晴らし い」もリバイバルヒットしても不思議ないと思ってます。 ドラマの曲、やはりCM とかの設定ものにはぴったりかと。 CMの企画担当者様、狙い目ですよ。 作 編曲は宮川泰先生。 うん名作です。 「あなたに声かけたら、そよ風が返ってくる、だから一人でも寂しくない・・ ちょっと悲しいですよね。 本当に若いって素晴らしいですよ。 声をかけたら、今度は歌声が返ってきて、涙がすぐ乾くのだから 「明日があるさ」もこの曲も、その昔の遥かな片思いのテーマ曲のため か今でも心が痛みます。 「あなたかがいつか言ってた誰にでも明日がある だから、あの空を見るの・・・ 「若いって・・」に再会できた頃は、丁度30年ぶりに同窓会であこれがれの 人に再会した頃で、その人は意外にも自分を覚えていてくれてこの歌たちも 昔に比べ少しは明るく響いたものでした。 (あくまで過去型なのがやはり寂し い) そして、スクールメイツも懐かしい、聞いてみたいですね。 あの頃の歌謡曲はナツメロとして意外と聞く機会が多い中、爽やか系の 曲は案外聞くことが難しく「みんなの歌」「歌のメリーゴーランド」などで流れた 曲集めも最近の課題となっています。 ところで後者は土曜の夜6時頃、NHK にて「ケペル先生」が終わると「まわーれくるくるまわれ・・で始ったような」で 始まりました。 GS グループ・サウンズ の隆盛で 1967年と言えば中一でしたが、GSの最盛期をリアルタイムで体験したひとりで あります。 当時を偲ぶ資料はいろいろあるのでしょうが、最近会社の同僚と楽しく 当時を回顧できる資料が身近に発見しております。 月刊「少年」昭和43年新年 号の付録(もちろん復刻ですが)の「グループサウンズ手帳」であります。 子供用 に書かれているために妙に言いきっていて「ジャッキで持っているブルーコメッ ツ」「人気上昇中、ザ・タイガース」とい言った具合ですが、メンバー別に作られた データベースが妙に詳しいことと、個人ごとの逸話がいかにも芸能ニュース的で 当時らしく・・「少年」の「手帳」ものでさえGSであった訳ですが、この年3月号では 休刊となってしまうのは全く時代の流れと言えましょう。 GSに対する男子生徒の冷ややかな目はあったように思いますが、30年ぶりに 話した憧れの人は「やはりモンキーズよ」と言っていたので、GSにも海外派、国 内派があったのかもしれません。 沢田研二の「君をのせて」は宮川泰さん名曲でありますが、沢田研二のソロデ ビュー曲でもありました。 70年台前半はGS後の影響が音楽の世界であった訳 ですが、番外編としてそのあたりもお許し頂けると嬉しく思います。 「君をのせて」は曲の頭の「ピン」から始るストリングスはウルトラ・イントロ・ドンにし ても良いような曲で、ポプコンの参加曲だったとはすっかり忘れておりました。 当 時より好きな曲であったのでそれなりヒットした曲と勝手に記憶の中で整理してお りました。 「君をのせて」(1971. 1,岩谷時子詞、宮川泰曲、ポリドール)ジャケットと「GS 手帳」表紙画像(上)。 GS手帳はザ・タイガースの表紙で集録は前出のほか、 ザ・スパイダース、ザ・ワイルドワンズ、ザ・ヴィレッジシンガーズ、ザ・カーナビー ツ、バニーズの各メンバー の本名、生年月日、出身地、身長、学歴、住所、家族構成、ニックネームと由 来、担 当楽器、近況が掲載されています。 GSの補足です。 1968年学研「中学2年」コース4月号特大号付録 こう言うの難しいですね。 資料的には雑誌なんですが。 1968年学研「中学2年」コース4月号特大号付録に「GO!! フレッシュオール スター、Teen's Handy Books」があることを発見いたしました。 巻頭の沢田研二の 特別手記から始まって、「グループ・サウンズのすべて」です。 ザ・スパイダース2ページ、他は各1ページでブルコメ、ヴィレッジ・シンガーズ、 ワイルド・ワンズ、ザ・タイガースについて、メンバー・近況などデータが掲載され ています。 この号、この付録は小生にとってはリアルタイムでして、もちろんこの実物は後 年入手したものではありますので、私のあの付録どこへいったのでしょう? という 状態ではあります。 こうした学習誌にも付録で扱われたということなんです。 5大グループ以降は、「ちょいと名前の知れたものでも40〜50はヘイキで上 げられる。 その中で有望なものを紹介しよう。 しかしこの本が出るころはにはそん なGSはないかもしれない・・・」としています。 データを掲載されたグループは、テ ンプターズ、カーナビーツ、ジャガーズ、バニーズ、4・9・1、ゴールデンカップス、 ランチャーズ、ダイナマイツ、モップス、サベージ、シャープ・ホークス、シェリー ズ。 60年代からの欧風洋楽のしらべ ジリオラ・チンクエッティの「雨」は今聴くとマッチの「ブルージーンブルース」にそ っくりですが、洋楽サウンドとして欧風サウンドの代表でしょう。 この欧風サウンド があの当時の日本人をシビレさせたようです。 遡ると「アイドルを探せ」シルビーバルタン、同名の映画は小学生5年の時 (1965年)ウィン少年合唱団の出てくる映画との2本立てで見ました。 音楽というと ころがキーワードだったんでしょうか。 「イザベル」シャルルアズナブール、 「恋は水色」ヴィッキー、 「雪が降る」アダモ、から始って、 「オー、シャンゼリゼ」ダニエル・ビダル、 「二人の天使」ダニエルリカーリ と言った具合です。 70年代に入るとポップなものとしては「青春に乾杯」ミッシェル・デルペッシュ、 歌謡曲に近いところで(日本語も有り?) 「バタフライ」ダニエル・ジェラール、「夕映えの二人」ウドユルゲンスは、ペドロ& カプリシャスの「別れの朝」。 日本語の歌詞では夕が朝に、コーヒーが紅茶になる んですね。 競作も多い中では「マミーブルー」ポップトップスもヒットしました。 1970年代になりますが欧風ポップスで私にとって謎なのは「さよならを教えて」フ ランソワアルディーは日本語で「悲しみが涙にかわるまで」?という曲がカバーさ れていた?、それとも似た曲だったのか?・・FMの深夜では盛んに聴いた気がす るのですが。 歌手も真偽のほども記憶の闇の中です。 1970年代に入る話題で甚だ恐縮ですが、 懐かしや「サイモンセッズ」うーん懐かしい。 「魔法」リー・クリスティー 「ウィンディー」アソシエイション 「シュガーシュガー」アーチーズ 「イエローリバー」クリスティーなんかも。 「夢のカリフォルニア」ママス&パパスは 高校の学園祭でも良く聴きました。 ママス&パパスは「マンデー・マンデー」もありますが、私は「ミスターマンデー」オ リジナルキャストが軽く調子で大好きでした。 逆に重く好きだったのは「スーパー バード」ニールセダカ「雨を見たかい」CCRのも好きだったです。 「男の世界」ジェ リーウォレスは「うーんマンダム」でした。 「ヴィーナス」ショッキング・ブルー、「悲し き鉄道員」いい曲でしたね。 「ナオミの夢」ヘドバとダビデ、レターメンの「涙のくちづけ」「ラブ」、「ミスターロン リー」「ビコーズ」、ブレッド「イフ」、ジャクソンファイブ「ABC」・・インストではハー ブ・アルパート「マルタ島の砂」にわかポップスファンであった小生ですが70年代 前半だけでもいろいろあって止まりせん。 高校受験に破れすべり止めの男子校へ行き(今は全然違う、東大合格率全国 ベスト10に入るような学校になりましたが)、その頃憧れていた人とは別れを言う こともなく別れ、ただただ哀しい日々を送る小生には甘く哀しく響く曲ばかりであり ました。 しかし、それも今思えば人生の機微というもの。 そんな寂しさも、音楽の優し さ、そして人の心の暖かさを知るプロセスに過ぎなかったのかもしれません。 それを教えてくれた曲たちに感謝。 それにしてもこの頃の音楽は、今でも自分 の心に甘く響くのです。 「マサチューセッツ」の前後の自由研究 2006. 22再更新 68年は洋楽としては 「サウンド・オブ・サイレンス」サイモンとガーファンクル「ヘイ・ジュード」「レディ・マ ドンナ」ビートルズなどもありました。 「雨に消えた初恋」カウシルズ、「ハローグッバイ」ビートルズ、「ホリデー」ビー ジーズ、そして「シーイズ・ア・レインボウ」ローリングストーンズは後に色鮮やかな Macが転がるCMとなって再来するとは知る由も無かった訳でありまして・・。 多くは伝説のTV番組「ビートポップス」で得る情報でしたが、土曜は慌てて家に 帰って見た方も多かったことでしょう。 後年、身を捨て話題を提供してくれる友人 のY君は「スポンサーがトリンプだったので好んで見ていた」としみじみ語ってくれ ました。 当時同番組で「振り付け師」していた藤村俊二さんが最近のNHK番組でミリア ムマケバの「パタパタ」のステップ踏んでいたシーンは正にに30年の時間を超え た瞬間・・・と目頭を熱くしたのは小生だけではなかったと思います。 ラインナップを見ますと日本だけのヒット曲とも言われる曲も多く日本人の血の 騒ぐとでも申しますか、「殿キンのコブシ」さながらの何か訴えるものがなにかあっ たのかもしれません。 「マサチューセッツ」に関して言えば、ビージーズ、と言って後年のディスコナン バーを思い出す方、「小さな恋のメロディー」の「メロディーフェア」を思い出す方も おられるといる中、「ホリデー」「ニューヨーク炭坑の悲劇」「ジョーク」と言った60年 代のヒット曲がまず浮かぶ同年代の方々には涙なくして語れない曲ではないでし ょうか。 そして、美しいメロディー、計算しつくされたサウンド、そしてクセのないボーカ ル(だからこそ、殿キンのコブシが面白い訳ですが)と当時の日本の音楽特に与 えた影響は少なくないと思います。 歌謡曲ファンであった小生も少なからず洋楽カブレした60年代後期の音楽に は郷愁に増幅されるだけでない日本人受けする何かがあったのではと思ってお ります。 そして70年代初頭はポップなポップの時代を迎えるのですがそれはまた の今後の番外研究メールとすることにいたしましょう。 それにしても小生はCCR(クリーデンス・クォーター・リバイバル)、GFR(グラ ンドファンクレイルロード)、1910(ナインティーンテン)フルーツガム・カンパニーな ど舌を噛みそうなアーティスト名を言うことで何か優越感を感ずる生意気なニワカ 洋楽ファンであった訳です。 エンゲルベルト・フンパーディンクやミッシェル・デル ペッュ、ウドユルゲンスと言ったアーティスト名もそうした好材料であった訳で、今 も洗濯を干す妻にホセ・フェリシアーノと言ったら馬鹿されてしまいました。 さて、本項ならび60年代のヒット曲をまとめるにあたりまして、松江のI様 より多大なご協力をいただきました。 ご厚意に感謝致しますとともにホーム ページを更新させて頂きます。 大変お忙しい中、ご協力ありがとうございまし た、この場を借りましてお礼を申し上げます。 ゲストの佐野史郎さんがオールナイトニッポンの放送開始した1967年当時番組を聞いていたことを回想しています。 (当時12歳、島根在住であったが) 「60年代はラジオから流れるビートルズ、クルセーダースをはじめフォーク、ロックの音楽があふれて・・・特に1967〜69年、洋楽はジミヘンドリックス、ドアーズ、ピンクフロイドなど、和製ではザ・タイガース、ザ・テンプターズ、モップス・・・またラジオ番組も1967年10月に始まったオールナイトニッポン、同年3月に始まったパックインミュージック(TBS)、1969年に始まったセイヤングと深夜の音楽番組・・・」同い年で東京在住の自分も同じ経験、所感を持っています。 60年代 懐かしの宝箱.

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60年代、70年代、80年代、90年代 洋楽の名曲

1960 年代 ヒット 曲 洋楽

「太陽がいっぱい」、「避暑地の恋」、「黒いオルフェ」など映画のテーマ曲 がヒットするのがこの頃の大きな特徴です。 「恋の片道切符」は日本語版として、ミッキーカーチス、平尾昌章などでま した。 僕は「ちゅーちゅーちゅーたこかいなー」ってまだ幼稚園の友達と歌っ てました。 *「谷間に3つの鐘がなる」も懐かしいけれど、この年のヒット「マック・ザ・ナイフ」「星を求め て」なども60年代のラジオ番組のテーマに使われることが多かったように思います。 後年、リバ イバル、映画などでも使われる「ラスト・ダンスは私に」。 トニーザイラーの「白銀は招くよ」は涙 が出るほど懐かしい。 この時期日本歌謡へのポップの流入時期で、この年洋楽としてヒットし た「パイナップル・プリンセス」(田代みどり1961年)、「ベイビーフェイス」など。 峠の幌馬車のビリー・ヴォーンはカバーでして、ストリングス・ア・ロングスが オリジナル・ヒット。 ムーン・リバーはヘンリーマンシーニ。 おなじみ中尾ミエがカバー。 「バケーション」は中尾ミエはじめ5種のカバ ーがあったとか。 *越路吹雪の「サン・トワ・マミー」のヒットは1967年。 TV番組ルート66の テーマなどもヒットした。 「白い渚のブルース」も後年洋楽ラジオ番組のテーマ になった。 「大脱走」「史上最大の作戦」・・・これは渋 谷のジオラマにかかってましたよね。 戦争ものが多い。 「悲しき雨音」は雨・ 雷の効果音入りでちょっと切ない。 「ヘイ・ポーラ」は日本では田辺靖雄と梓 みちよで。 バイバイ・バーディーは中尾ミエがカバー。 ドミニクはペギー葉山 やザ・ピーナッツで。 ス トーリーは全く忘れてしまいましたが、コメディーだったらしいです。 「夢みる 思い」「ほほにかかる涙」は子供心にせつなく響いたものです。 「太陽のかな たに」は「ノッテケ、ノッテケ」。 この他、日本でも沢山の曲がカバーされました ので子供たち僕らにも曲の意味がある程度わかったのがこの時代かと思い ます。 ベンチャーズが人気でした。 「テケテケ・・・」ですね。 「ダン ス天国」のような激しい曲や「バス・ストップ」のようなちょっと悲しい曲もどん どんしみこんでいった頃。 日本語カバーが減った反面、おそらくリバイバル率 はぐっと高くなった時期ではないでしょうか。 この64年、65年、66年は非常 に沢山のヒット曲が生成されています。 例えば、「アンチェインド・メロディー」は1990年映画「ゴースト、ニューヨークの幻」で取り上げられ再ヒットするなどに代表されるように、この時期の曲の暖かさ、せつなさは時代を超えて生きていると思います。 ビター・ スィートサンバは深夜番組「オールナイト・ニッポン」のテーマとして長く親しま れました。 日本 はGSブームでしたね。 GSによる外国もののカバーもいろいろありましたね。 洋楽というと、土曜午後TV番組「ビート・ポップス」が伝説的です。 スタジオで ヒット曲を流し、若者が踊るという当時新しいスタイルの番組でした。 土曜の 午後、番組を見るために走って帰った・・・という方もいるのではないでしょう か。 番組では曲に合わせてステップの講習があったり、音楽は耳からだけで なく目からも入って来た。 そんな時代の走りであったのでしょう。 「青い影」と言えば、あのユーミンが強く影響を受けた曲でもありますが、他 にも日本のポップを語るには避けては通れないところでもあります。 ビートルズ、S&G、ビージーズ、 ローリング・ストーンズと有力グループがヒット曲を出し、ベスト・テン・ランキ ングも華やかでした。 ラジオ番組にリクエストをしたり、リクエストが流れた り、受験勉強や期末テスト対策でラジオを聞きながら勉強をした・・・という方 もこの頃から急激に増えたのではないでしょうか、丁度日本のGSと洋楽ポッ プスがオーバーラップし、日本の歌謡曲にも吸収されて行きました。 あの殿 様キングスでさえ、TV番組では裃風の衣装で「マサチューセッツ」をこぶしを 利かせ歌っておりました。 ビートルズが 終焉に向かう中、70年代の新しい音楽の流れも生まれてくるわけで、このコ ーナーもここで終わらせるのちょっと惜しいような感じが致しますが、とりあえ ず「60年代宝箱」としてのまとめと致します。 機会を改め自由研究などでま た展開させて頂ければと思います。 60年代の歌と言えばやはり「みんなのうた」 もちろん歌謡曲もあります。 洋楽も。 けれどやはりTVから流れて来た 漫画の主題歌(アニメとは簡単に言えない、やはりマンガ)。 そして61年からTVから流行っていったNHK「みんなのうた」。 放送曲 データの公開を!と言っていたら、リバイバル放送が1年だけありまし た。 そしてDVDも発売ただし60年代分は12巻中の一部です。 収録・再 放送されていない曲が大半です。 「思い出して歌いたい!」そんな方も 多いのではないでしょうか。 今も続く「みんなのうた」広い世代が対象になるのでしょうが、一部の マニアを除けば、「マイみんなのうた」があるわけです。 おそらく、それは 小〜(中学生)であった時期とお子さんがそれと同じ時期にいっしょに TV見、歌を歌った時期かと思います。 自分の場合は60年代、それも66年頃まで、自分は生まれ年の関係 で 60年代の1の桁=小学校の学年(4〜12月) という方程式がなりたつ便利年代です。 それ以降の音楽は?、GSが 洋楽が有り、歌謡曲そしてフォークと60年代は音楽ジャンルも華やか でした。 同世代の方はビートルズをリアルタイムに学校で友人と語れた 方々でしょう。 でも反面、当時の僕なんかには他の音楽といっしょに仲 良く聞けたものでした。 「みんなうた」と同じようにね。 ということで をつくりました。 「若いってすばらしい」はやはり懐かしい! もう一度聞きたいと思いながら聞けなかった曲です。 歌詞が判明、おもわず歌ってしまいました。 歌っていたのは「槇 みちる」か と・・ ということで数年前にCDを入手しました。 アレンジが違うな?と思ってたら、 他にもあったんですね、スクールメイツ。 一番ヒットしたのがペギーマーチの 日本語バージョンのものだそうで掲示板で教えて頂きました。 槙 みちるは「可愛いマリア」(画像)の後、この歌をだしているようで66年 となっています。 60年代中ごろ、日清食品「ちびっ子ノド自慢」(桂 小金次司 会)で九ちゃんの「明日があるさ」と並んで、出場「ちびっ子」がよく歌った曲で はなかったでしょうか。 その当時、小生は小学校高学年でした。 両曲とも爽 やかで、設定もちょっと切ないところが似ています。 「明日があるさ」はリメイクされて近年ヒットしましたが、「若いって素晴らし い」もリバイバルヒットしても不思議ないと思ってます。 ドラマの曲、やはりCM とかの設定ものにはぴったりかと。 CMの企画担当者様、狙い目ですよ。 作 編曲は宮川泰先生。 うん名作です。 「あなたに声かけたら、そよ風が返ってくる、だから一人でも寂しくない・・ ちょっと悲しいですよね。 本当に若いって素晴らしいですよ。 声をかけたら、今度は歌声が返ってきて、涙がすぐ乾くのだから 「明日があるさ」もこの曲も、その昔の遥かな片思いのテーマ曲のため か今でも心が痛みます。 「あなたかがいつか言ってた誰にでも明日がある だから、あの空を見るの・・・ 「若いって・・」に再会できた頃は、丁度30年ぶりに同窓会であこれがれの 人に再会した頃で、その人は意外にも自分を覚えていてくれてこの歌たちも 昔に比べ少しは明るく響いたものでした。 (あくまで過去型なのがやはり寂し い) そして、スクールメイツも懐かしい、聞いてみたいですね。 あの頃の歌謡曲はナツメロとして意外と聞く機会が多い中、爽やか系の 曲は案外聞くことが難しく「みんなの歌」「歌のメリーゴーランド」などで流れた 曲集めも最近の課題となっています。 ところで後者は土曜の夜6時頃、NHK にて「ケペル先生」が終わると「まわーれくるくるまわれ・・で始ったような」で 始まりました。 GS グループ・サウンズ の隆盛で 1967年と言えば中一でしたが、GSの最盛期をリアルタイムで体験したひとりで あります。 当時を偲ぶ資料はいろいろあるのでしょうが、最近会社の同僚と楽しく 当時を回顧できる資料が身近に発見しております。 月刊「少年」昭和43年新年 号の付録(もちろん復刻ですが)の「グループサウンズ手帳」であります。 子供用 に書かれているために妙に言いきっていて「ジャッキで持っているブルーコメッ ツ」「人気上昇中、ザ・タイガース」とい言った具合ですが、メンバー別に作られた データベースが妙に詳しいことと、個人ごとの逸話がいかにも芸能ニュース的で 当時らしく・・「少年」の「手帳」ものでさえGSであった訳ですが、この年3月号では 休刊となってしまうのは全く時代の流れと言えましょう。 GSに対する男子生徒の冷ややかな目はあったように思いますが、30年ぶりに 話した憧れの人は「やはりモンキーズよ」と言っていたので、GSにも海外派、国 内派があったのかもしれません。 沢田研二の「君をのせて」は宮川泰さん名曲でありますが、沢田研二のソロデ ビュー曲でもありました。 70年台前半はGS後の影響が音楽の世界であった訳 ですが、番外編としてそのあたりもお許し頂けると嬉しく思います。 「君をのせて」は曲の頭の「ピン」から始るストリングスはウルトラ・イントロ・ドンにし ても良いような曲で、ポプコンの参加曲だったとはすっかり忘れておりました。 当 時より好きな曲であったのでそれなりヒットした曲と勝手に記憶の中で整理してお りました。 「君をのせて」(1971. 1,岩谷時子詞、宮川泰曲、ポリドール)ジャケットと「GS 手帳」表紙画像(上)。 GS手帳はザ・タイガースの表紙で集録は前出のほか、 ザ・スパイダース、ザ・ワイルドワンズ、ザ・ヴィレッジシンガーズ、ザ・カーナビー ツ、バニーズの各メンバー の本名、生年月日、出身地、身長、学歴、住所、家族構成、ニックネームと由 来、担 当楽器、近況が掲載されています。 GSの補足です。 1968年学研「中学2年」コース4月号特大号付録 こう言うの難しいですね。 資料的には雑誌なんですが。 1968年学研「中学2年」コース4月号特大号付録に「GO!! フレッシュオール スター、Teen's Handy Books」があることを発見いたしました。 巻頭の沢田研二の 特別手記から始まって、「グループ・サウンズのすべて」です。 ザ・スパイダース2ページ、他は各1ページでブルコメ、ヴィレッジ・シンガーズ、 ワイルド・ワンズ、ザ・タイガースについて、メンバー・近況などデータが掲載され ています。 この号、この付録は小生にとってはリアルタイムでして、もちろんこの実物は後 年入手したものではありますので、私のあの付録どこへいったのでしょう? という 状態ではあります。 こうした学習誌にも付録で扱われたということなんです。 5大グループ以降は、「ちょいと名前の知れたものでも40〜50はヘイキで上 げられる。 その中で有望なものを紹介しよう。 しかしこの本が出るころはにはそん なGSはないかもしれない・・・」としています。 データを掲載されたグループは、テ ンプターズ、カーナビーツ、ジャガーズ、バニーズ、4・9・1、ゴールデンカップス、 ランチャーズ、ダイナマイツ、モップス、サベージ、シャープ・ホークス、シェリー ズ。 60年代からの欧風洋楽のしらべ ジリオラ・チンクエッティの「雨」は今聴くとマッチの「ブルージーンブルース」にそ っくりですが、洋楽サウンドとして欧風サウンドの代表でしょう。 この欧風サウンド があの当時の日本人をシビレさせたようです。 遡ると「アイドルを探せ」シルビーバルタン、同名の映画は小学生5年の時 (1965年)ウィン少年合唱団の出てくる映画との2本立てで見ました。 音楽というと ころがキーワードだったんでしょうか。 「イザベル」シャルルアズナブール、 「恋は水色」ヴィッキー、 「雪が降る」アダモ、から始って、 「オー、シャンゼリゼ」ダニエル・ビダル、 「二人の天使」ダニエルリカーリ と言った具合です。 70年代に入るとポップなものとしては「青春に乾杯」ミッシェル・デルペッシュ、 歌謡曲に近いところで(日本語も有り?) 「バタフライ」ダニエル・ジェラール、「夕映えの二人」ウドユルゲンスは、ペドロ& カプリシャスの「別れの朝」。 日本語の歌詞では夕が朝に、コーヒーが紅茶になる んですね。 競作も多い中では「マミーブルー」ポップトップスもヒットしました。 1970年代になりますが欧風ポップスで私にとって謎なのは「さよならを教えて」フ ランソワアルディーは日本語で「悲しみが涙にかわるまで」?という曲がカバーさ れていた?、それとも似た曲だったのか?・・FMの深夜では盛んに聴いた気がす るのですが。 歌手も真偽のほども記憶の闇の中です。 1970年代に入る話題で甚だ恐縮ですが、 懐かしや「サイモンセッズ」うーん懐かしい。 「魔法」リー・クリスティー 「ウィンディー」アソシエイション 「シュガーシュガー」アーチーズ 「イエローリバー」クリスティーなんかも。 「夢のカリフォルニア」ママス&パパスは 高校の学園祭でも良く聴きました。 ママス&パパスは「マンデー・マンデー」もありますが、私は「ミスターマンデー」オ リジナルキャストが軽く調子で大好きでした。 逆に重く好きだったのは「スーパー バード」ニールセダカ「雨を見たかい」CCRのも好きだったです。 「男の世界」ジェ リーウォレスは「うーんマンダム」でした。 「ヴィーナス」ショッキング・ブルー、「悲し き鉄道員」いい曲でしたね。 「ナオミの夢」ヘドバとダビデ、レターメンの「涙のくちづけ」「ラブ」、「ミスターロン リー」「ビコーズ」、ブレッド「イフ」、ジャクソンファイブ「ABC」・・インストではハー ブ・アルパート「マルタ島の砂」にわかポップスファンであった小生ですが70年代 前半だけでもいろいろあって止まりせん。 高校受験に破れすべり止めの男子校へ行き(今は全然違う、東大合格率全国 ベスト10に入るような学校になりましたが)、その頃憧れていた人とは別れを言う こともなく別れ、ただただ哀しい日々を送る小生には甘く哀しく響く曲ばかりであり ました。 しかし、それも今思えば人生の機微というもの。 そんな寂しさも、音楽の優し さ、そして人の心の暖かさを知るプロセスに過ぎなかったのかもしれません。 それを教えてくれた曲たちに感謝。 それにしてもこの頃の音楽は、今でも自分 の心に甘く響くのです。 「マサチューセッツ」の前後の自由研究 2006. 22再更新 68年は洋楽としては 「サウンド・オブ・サイレンス」サイモンとガーファンクル「ヘイ・ジュード」「レディ・マ ドンナ」ビートルズなどもありました。 「雨に消えた初恋」カウシルズ、「ハローグッバイ」ビートルズ、「ホリデー」ビー ジーズ、そして「シーイズ・ア・レインボウ」ローリングストーンズは後に色鮮やかな Macが転がるCMとなって再来するとは知る由も無かった訳でありまして・・。 多くは伝説のTV番組「ビートポップス」で得る情報でしたが、土曜は慌てて家に 帰って見た方も多かったことでしょう。 後年、身を捨て話題を提供してくれる友人 のY君は「スポンサーがトリンプだったので好んで見ていた」としみじみ語ってくれ ました。 当時同番組で「振り付け師」していた藤村俊二さんが最近のNHK番組でミリア ムマケバの「パタパタ」のステップ踏んでいたシーンは正にに30年の時間を超え た瞬間・・・と目頭を熱くしたのは小生だけではなかったと思います。 ラインナップを見ますと日本だけのヒット曲とも言われる曲も多く日本人の血の 騒ぐとでも申しますか、「殿キンのコブシ」さながらの何か訴えるものがなにかあっ たのかもしれません。 「マサチューセッツ」に関して言えば、ビージーズ、と言って後年のディスコナン バーを思い出す方、「小さな恋のメロディー」の「メロディーフェア」を思い出す方も おられるといる中、「ホリデー」「ニューヨーク炭坑の悲劇」「ジョーク」と言った60年 代のヒット曲がまず浮かぶ同年代の方々には涙なくして語れない曲ではないでし ょうか。 そして、美しいメロディー、計算しつくされたサウンド、そしてクセのないボーカ ル(だからこそ、殿キンのコブシが面白い訳ですが)と当時の日本の音楽特に与 えた影響は少なくないと思います。 歌謡曲ファンであった小生も少なからず洋楽カブレした60年代後期の音楽に は郷愁に増幅されるだけでない日本人受けする何かがあったのではと思ってお ります。 そして70年代初頭はポップなポップの時代を迎えるのですがそれはまた の今後の番外研究メールとすることにいたしましょう。 それにしても小生はCCR(クリーデンス・クォーター・リバイバル)、GFR(グラ ンドファンクレイルロード)、1910(ナインティーンテン)フルーツガム・カンパニーな ど舌を噛みそうなアーティスト名を言うことで何か優越感を感ずる生意気なニワカ 洋楽ファンであった訳です。 エンゲルベルト・フンパーディンクやミッシェル・デル ペッュ、ウドユルゲンスと言ったアーティスト名もそうした好材料であった訳で、今 も洗濯を干す妻にホセ・フェリシアーノと言ったら馬鹿されてしまいました。 さて、本項ならび60年代のヒット曲をまとめるにあたりまして、松江のI様 より多大なご協力をいただきました。 ご厚意に感謝致しますとともにホーム ページを更新させて頂きます。 大変お忙しい中、ご協力ありがとうございまし た、この場を借りましてお礼を申し上げます。 ゲストの佐野史郎さんがオールナイトニッポンの放送開始した1967年当時番組を聞いていたことを回想しています。 (当時12歳、島根在住であったが) 「60年代はラジオから流れるビートルズ、クルセーダースをはじめフォーク、ロックの音楽があふれて・・・特に1967〜69年、洋楽はジミヘンドリックス、ドアーズ、ピンクフロイドなど、和製ではザ・タイガース、ザ・テンプターズ、モップス・・・またラジオ番組も1967年10月に始まったオールナイトニッポン、同年3月に始まったパックインミュージック(TBS)、1969年に始まったセイヤングと深夜の音楽番組・・・」同い年で東京在住の自分も同じ経験、所感を持っています。 60年代 懐かしの宝箱.

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60'sオムニバスCD「ベスト・ヒット100 60's」1960年代洋楽コンピレーションアルバム

1960 年代 ヒット 曲 洋楽

「太陽がいっぱい」、「避暑地の恋」、「黒いオルフェ」など映画のテーマ曲 がヒットするのがこの頃の大きな特徴です。 「恋の片道切符」は日本語版として、ミッキーカーチス、平尾昌章などでま した。 僕は「ちゅーちゅーちゅーたこかいなー」ってまだ幼稚園の友達と歌っ てました。 *「谷間に3つの鐘がなる」も懐かしいけれど、この年のヒット「マック・ザ・ナイフ」「星を求め て」なども60年代のラジオ番組のテーマに使われることが多かったように思います。 後年、リバ イバル、映画などでも使われる「ラスト・ダンスは私に」。 トニーザイラーの「白銀は招くよ」は涙 が出るほど懐かしい。 この時期日本歌謡へのポップの流入時期で、この年洋楽としてヒットし た「パイナップル・プリンセス」(田代みどり1961年)、「ベイビーフェイス」など。 峠の幌馬車のビリー・ヴォーンはカバーでして、ストリングス・ア・ロングスが オリジナル・ヒット。 ムーン・リバーはヘンリーマンシーニ。 おなじみ中尾ミエがカバー。 「バケーション」は中尾ミエはじめ5種のカバ ーがあったとか。 *越路吹雪の「サン・トワ・マミー」のヒットは1967年。 TV番組ルート66の テーマなどもヒットした。 「白い渚のブルース」も後年洋楽ラジオ番組のテーマ になった。 「大脱走」「史上最大の作戦」・・・これは渋 谷のジオラマにかかってましたよね。 戦争ものが多い。 「悲しき雨音」は雨・ 雷の効果音入りでちょっと切ない。 「ヘイ・ポーラ」は日本では田辺靖雄と梓 みちよで。 バイバイ・バーディーは中尾ミエがカバー。 ドミニクはペギー葉山 やザ・ピーナッツで。 ス トーリーは全く忘れてしまいましたが、コメディーだったらしいです。 「夢みる 思い」「ほほにかかる涙」は子供心にせつなく響いたものです。 「太陽のかな たに」は「ノッテケ、ノッテケ」。 この他、日本でも沢山の曲がカバーされました ので子供たち僕らにも曲の意味がある程度わかったのがこの時代かと思い ます。 ベンチャーズが人気でした。 「テケテケ・・・」ですね。 「ダン ス天国」のような激しい曲や「バス・ストップ」のようなちょっと悲しい曲もどん どんしみこんでいった頃。 日本語カバーが減った反面、おそらくリバイバル率 はぐっと高くなった時期ではないでしょうか。 この64年、65年、66年は非常 に沢山のヒット曲が生成されています。 例えば、「アンチェインド・メロディー」は1990年映画「ゴースト、ニューヨークの幻」で取り上げられ再ヒットするなどに代表されるように、この時期の曲の暖かさ、せつなさは時代を超えて生きていると思います。 ビター・ スィートサンバは深夜番組「オールナイト・ニッポン」のテーマとして長く親しま れました。 日本 はGSブームでしたね。 GSによる外国もののカバーもいろいろありましたね。 洋楽というと、土曜午後TV番組「ビート・ポップス」が伝説的です。 スタジオで ヒット曲を流し、若者が踊るという当時新しいスタイルの番組でした。 土曜の 午後、番組を見るために走って帰った・・・という方もいるのではないでしょう か。 番組では曲に合わせてステップの講習があったり、音楽は耳からだけで なく目からも入って来た。 そんな時代の走りであったのでしょう。 「青い影」と言えば、あのユーミンが強く影響を受けた曲でもありますが、他 にも日本のポップを語るには避けては通れないところでもあります。 ビートルズ、S&G、ビージーズ、 ローリング・ストーンズと有力グループがヒット曲を出し、ベスト・テン・ランキ ングも華やかでした。 ラジオ番組にリクエストをしたり、リクエストが流れた り、受験勉強や期末テスト対策でラジオを聞きながら勉強をした・・・という方 もこの頃から急激に増えたのではないでしょうか、丁度日本のGSと洋楽ポッ プスがオーバーラップし、日本の歌謡曲にも吸収されて行きました。 あの殿 様キングスでさえ、TV番組では裃風の衣装で「マサチューセッツ」をこぶしを 利かせ歌っておりました。 ビートルズが 終焉に向かう中、70年代の新しい音楽の流れも生まれてくるわけで、このコ ーナーもここで終わらせるのちょっと惜しいような感じが致しますが、とりあえ ず「60年代宝箱」としてのまとめと致します。 機会を改め自由研究などでま た展開させて頂ければと思います。 60年代の歌と言えばやはり「みんなのうた」 もちろん歌謡曲もあります。 洋楽も。 けれどやはりTVから流れて来た 漫画の主題歌(アニメとは簡単に言えない、やはりマンガ)。 そして61年からTVから流行っていったNHK「みんなのうた」。 放送曲 データの公開を!と言っていたら、リバイバル放送が1年だけありまし た。 そしてDVDも発売ただし60年代分は12巻中の一部です。 収録・再 放送されていない曲が大半です。 「思い出して歌いたい!」そんな方も 多いのではないでしょうか。 今も続く「みんなのうた」広い世代が対象になるのでしょうが、一部の マニアを除けば、「マイみんなのうた」があるわけです。 おそらく、それは 小〜(中学生)であった時期とお子さんがそれと同じ時期にいっしょに TV見、歌を歌った時期かと思います。 自分の場合は60年代、それも66年頃まで、自分は生まれ年の関係 で 60年代の1の桁=小学校の学年(4〜12月) という方程式がなりたつ便利年代です。 それ以降の音楽は?、GSが 洋楽が有り、歌謡曲そしてフォークと60年代は音楽ジャンルも華やか でした。 同世代の方はビートルズをリアルタイムに学校で友人と語れた 方々でしょう。 でも反面、当時の僕なんかには他の音楽といっしょに仲 良く聞けたものでした。 「みんなうた」と同じようにね。 ということで をつくりました。 「若いってすばらしい」はやはり懐かしい! もう一度聞きたいと思いながら聞けなかった曲です。 歌詞が判明、おもわず歌ってしまいました。 歌っていたのは「槇 みちる」か と・・ ということで数年前にCDを入手しました。 アレンジが違うな?と思ってたら、 他にもあったんですね、スクールメイツ。 一番ヒットしたのがペギーマーチの 日本語バージョンのものだそうで掲示板で教えて頂きました。 槙 みちるは「可愛いマリア」(画像)の後、この歌をだしているようで66年 となっています。 60年代中ごろ、日清食品「ちびっ子ノド自慢」(桂 小金次司 会)で九ちゃんの「明日があるさ」と並んで、出場「ちびっ子」がよく歌った曲で はなかったでしょうか。 その当時、小生は小学校高学年でした。 両曲とも爽 やかで、設定もちょっと切ないところが似ています。 「明日があるさ」はリメイクされて近年ヒットしましたが、「若いって素晴らし い」もリバイバルヒットしても不思議ないと思ってます。 ドラマの曲、やはりCM とかの設定ものにはぴったりかと。 CMの企画担当者様、狙い目ですよ。 作 編曲は宮川泰先生。 うん名作です。 「あなたに声かけたら、そよ風が返ってくる、だから一人でも寂しくない・・ ちょっと悲しいですよね。 本当に若いって素晴らしいですよ。 声をかけたら、今度は歌声が返ってきて、涙がすぐ乾くのだから 「明日があるさ」もこの曲も、その昔の遥かな片思いのテーマ曲のため か今でも心が痛みます。 「あなたかがいつか言ってた誰にでも明日がある だから、あの空を見るの・・・ 「若いって・・」に再会できた頃は、丁度30年ぶりに同窓会であこれがれの 人に再会した頃で、その人は意外にも自分を覚えていてくれてこの歌たちも 昔に比べ少しは明るく響いたものでした。 (あくまで過去型なのがやはり寂し い) そして、スクールメイツも懐かしい、聞いてみたいですね。 あの頃の歌謡曲はナツメロとして意外と聞く機会が多い中、爽やか系の 曲は案外聞くことが難しく「みんなの歌」「歌のメリーゴーランド」などで流れた 曲集めも最近の課題となっています。 ところで後者は土曜の夜6時頃、NHK にて「ケペル先生」が終わると「まわーれくるくるまわれ・・で始ったような」で 始まりました。 GS グループ・サウンズ の隆盛で 1967年と言えば中一でしたが、GSの最盛期をリアルタイムで体験したひとりで あります。 当時を偲ぶ資料はいろいろあるのでしょうが、最近会社の同僚と楽しく 当時を回顧できる資料が身近に発見しております。 月刊「少年」昭和43年新年 号の付録(もちろん復刻ですが)の「グループサウンズ手帳」であります。 子供用 に書かれているために妙に言いきっていて「ジャッキで持っているブルーコメッ ツ」「人気上昇中、ザ・タイガース」とい言った具合ですが、メンバー別に作られた データベースが妙に詳しいことと、個人ごとの逸話がいかにも芸能ニュース的で 当時らしく・・「少年」の「手帳」ものでさえGSであった訳ですが、この年3月号では 休刊となってしまうのは全く時代の流れと言えましょう。 GSに対する男子生徒の冷ややかな目はあったように思いますが、30年ぶりに 話した憧れの人は「やはりモンキーズよ」と言っていたので、GSにも海外派、国 内派があったのかもしれません。 沢田研二の「君をのせて」は宮川泰さん名曲でありますが、沢田研二のソロデ ビュー曲でもありました。 70年台前半はGS後の影響が音楽の世界であった訳 ですが、番外編としてそのあたりもお許し頂けると嬉しく思います。 「君をのせて」は曲の頭の「ピン」から始るストリングスはウルトラ・イントロ・ドンにし ても良いような曲で、ポプコンの参加曲だったとはすっかり忘れておりました。 当 時より好きな曲であったのでそれなりヒットした曲と勝手に記憶の中で整理してお りました。 「君をのせて」(1971. 1,岩谷時子詞、宮川泰曲、ポリドール)ジャケットと「GS 手帳」表紙画像(上)。 GS手帳はザ・タイガースの表紙で集録は前出のほか、 ザ・スパイダース、ザ・ワイルドワンズ、ザ・ヴィレッジシンガーズ、ザ・カーナビー ツ、バニーズの各メンバー の本名、生年月日、出身地、身長、学歴、住所、家族構成、ニックネームと由 来、担 当楽器、近況が掲載されています。 GSの補足です。 1968年学研「中学2年」コース4月号特大号付録 こう言うの難しいですね。 資料的には雑誌なんですが。 1968年学研「中学2年」コース4月号特大号付録に「GO!! フレッシュオール スター、Teen's Handy Books」があることを発見いたしました。 巻頭の沢田研二の 特別手記から始まって、「グループ・サウンズのすべて」です。 ザ・スパイダース2ページ、他は各1ページでブルコメ、ヴィレッジ・シンガーズ、 ワイルド・ワンズ、ザ・タイガースについて、メンバー・近況などデータが掲載され ています。 この号、この付録は小生にとってはリアルタイムでして、もちろんこの実物は後 年入手したものではありますので、私のあの付録どこへいったのでしょう? という 状態ではあります。 こうした学習誌にも付録で扱われたということなんです。 5大グループ以降は、「ちょいと名前の知れたものでも40〜50はヘイキで上 げられる。 その中で有望なものを紹介しよう。 しかしこの本が出るころはにはそん なGSはないかもしれない・・・」としています。 データを掲載されたグループは、テ ンプターズ、カーナビーツ、ジャガーズ、バニーズ、4・9・1、ゴールデンカップス、 ランチャーズ、ダイナマイツ、モップス、サベージ、シャープ・ホークス、シェリー ズ。 60年代からの欧風洋楽のしらべ ジリオラ・チンクエッティの「雨」は今聴くとマッチの「ブルージーンブルース」にそ っくりですが、洋楽サウンドとして欧風サウンドの代表でしょう。 この欧風サウンド があの当時の日本人をシビレさせたようです。 遡ると「アイドルを探せ」シルビーバルタン、同名の映画は小学生5年の時 (1965年)ウィン少年合唱団の出てくる映画との2本立てで見ました。 音楽というと ころがキーワードだったんでしょうか。 「イザベル」シャルルアズナブール、 「恋は水色」ヴィッキー、 「雪が降る」アダモ、から始って、 「オー、シャンゼリゼ」ダニエル・ビダル、 「二人の天使」ダニエルリカーリ と言った具合です。 70年代に入るとポップなものとしては「青春に乾杯」ミッシェル・デルペッシュ、 歌謡曲に近いところで(日本語も有り?) 「バタフライ」ダニエル・ジェラール、「夕映えの二人」ウドユルゲンスは、ペドロ& カプリシャスの「別れの朝」。 日本語の歌詞では夕が朝に、コーヒーが紅茶になる んですね。 競作も多い中では「マミーブルー」ポップトップスもヒットしました。 1970年代になりますが欧風ポップスで私にとって謎なのは「さよならを教えて」フ ランソワアルディーは日本語で「悲しみが涙にかわるまで」?という曲がカバーさ れていた?、それとも似た曲だったのか?・・FMの深夜では盛んに聴いた気がす るのですが。 歌手も真偽のほども記憶の闇の中です。 1970年代に入る話題で甚だ恐縮ですが、 懐かしや「サイモンセッズ」うーん懐かしい。 「魔法」リー・クリスティー 「ウィンディー」アソシエイション 「シュガーシュガー」アーチーズ 「イエローリバー」クリスティーなんかも。 「夢のカリフォルニア」ママス&パパスは 高校の学園祭でも良く聴きました。 ママス&パパスは「マンデー・マンデー」もありますが、私は「ミスターマンデー」オ リジナルキャストが軽く調子で大好きでした。 逆に重く好きだったのは「スーパー バード」ニールセダカ「雨を見たかい」CCRのも好きだったです。 「男の世界」ジェ リーウォレスは「うーんマンダム」でした。 「ヴィーナス」ショッキング・ブルー、「悲し き鉄道員」いい曲でしたね。 「ナオミの夢」ヘドバとダビデ、レターメンの「涙のくちづけ」「ラブ」、「ミスターロン リー」「ビコーズ」、ブレッド「イフ」、ジャクソンファイブ「ABC」・・インストではハー ブ・アルパート「マルタ島の砂」にわかポップスファンであった小生ですが70年代 前半だけでもいろいろあって止まりせん。 高校受験に破れすべり止めの男子校へ行き(今は全然違う、東大合格率全国 ベスト10に入るような学校になりましたが)、その頃憧れていた人とは別れを言う こともなく別れ、ただただ哀しい日々を送る小生には甘く哀しく響く曲ばかりであり ました。 しかし、それも今思えば人生の機微というもの。 そんな寂しさも、音楽の優し さ、そして人の心の暖かさを知るプロセスに過ぎなかったのかもしれません。 それを教えてくれた曲たちに感謝。 それにしてもこの頃の音楽は、今でも自分 の心に甘く響くのです。 「マサチューセッツ」の前後の自由研究 2006. 22再更新 68年は洋楽としては 「サウンド・オブ・サイレンス」サイモンとガーファンクル「ヘイ・ジュード」「レディ・マ ドンナ」ビートルズなどもありました。 「雨に消えた初恋」カウシルズ、「ハローグッバイ」ビートルズ、「ホリデー」ビー ジーズ、そして「シーイズ・ア・レインボウ」ローリングストーンズは後に色鮮やかな Macが転がるCMとなって再来するとは知る由も無かった訳でありまして・・。 多くは伝説のTV番組「ビートポップス」で得る情報でしたが、土曜は慌てて家に 帰って見た方も多かったことでしょう。 後年、身を捨て話題を提供してくれる友人 のY君は「スポンサーがトリンプだったので好んで見ていた」としみじみ語ってくれ ました。 当時同番組で「振り付け師」していた藤村俊二さんが最近のNHK番組でミリア ムマケバの「パタパタ」のステップ踏んでいたシーンは正にに30年の時間を超え た瞬間・・・と目頭を熱くしたのは小生だけではなかったと思います。 ラインナップを見ますと日本だけのヒット曲とも言われる曲も多く日本人の血の 騒ぐとでも申しますか、「殿キンのコブシ」さながらの何か訴えるものがなにかあっ たのかもしれません。 「マサチューセッツ」に関して言えば、ビージーズ、と言って後年のディスコナン バーを思い出す方、「小さな恋のメロディー」の「メロディーフェア」を思い出す方も おられるといる中、「ホリデー」「ニューヨーク炭坑の悲劇」「ジョーク」と言った60年 代のヒット曲がまず浮かぶ同年代の方々には涙なくして語れない曲ではないでし ょうか。 そして、美しいメロディー、計算しつくされたサウンド、そしてクセのないボーカ ル(だからこそ、殿キンのコブシが面白い訳ですが)と当時の日本の音楽特に与 えた影響は少なくないと思います。 歌謡曲ファンであった小生も少なからず洋楽カブレした60年代後期の音楽に は郷愁に増幅されるだけでない日本人受けする何かがあったのではと思ってお ります。 そして70年代初頭はポップなポップの時代を迎えるのですがそれはまた の今後の番外研究メールとすることにいたしましょう。 それにしても小生はCCR(クリーデンス・クォーター・リバイバル)、GFR(グラ ンドファンクレイルロード)、1910(ナインティーンテン)フルーツガム・カンパニーな ど舌を噛みそうなアーティスト名を言うことで何か優越感を感ずる生意気なニワカ 洋楽ファンであった訳です。 エンゲルベルト・フンパーディンクやミッシェル・デル ペッュ、ウドユルゲンスと言ったアーティスト名もそうした好材料であった訳で、今 も洗濯を干す妻にホセ・フェリシアーノと言ったら馬鹿されてしまいました。 さて、本項ならび60年代のヒット曲をまとめるにあたりまして、松江のI様 より多大なご協力をいただきました。 ご厚意に感謝致しますとともにホーム ページを更新させて頂きます。 大変お忙しい中、ご協力ありがとうございまし た、この場を借りましてお礼を申し上げます。 ゲストの佐野史郎さんがオールナイトニッポンの放送開始した1967年当時番組を聞いていたことを回想しています。 (当時12歳、島根在住であったが) 「60年代はラジオから流れるビートルズ、クルセーダースをはじめフォーク、ロックの音楽があふれて・・・特に1967〜69年、洋楽はジミヘンドリックス、ドアーズ、ピンクフロイドなど、和製ではザ・タイガース、ザ・テンプターズ、モップス・・・またラジオ番組も1967年10月に始まったオールナイトニッポン、同年3月に始まったパックインミュージック(TBS)、1969年に始まったセイヤングと深夜の音楽番組・・・」同い年で東京在住の自分も同じ経験、所感を持っています。 60年代 懐かしの宝箱.

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