有頂天 ドリーマーズ 歌詞。 B'z 有頂天 歌詞

有頂天(仏教)天上界は地獄の苦しみ

有頂天 ドリーマーズ 歌詞

僕の下宿に置かれている寝具は割とふかふかのベッドなんですが、一方で僕は下宿を始めるまでの二十年余りを敷き布団とともに過ごしてきた人種でして、何が言いたいのかといえば、実感に帰ってくるとその敷き布団で就寝ということになるわけです、当然ながら。 しかしベッドの沈み込み具合にすっかり慣れてしまった自分の身体は、敷き布団のことを寝床としてはもはや認識してくれないようでして、こんなときに本物の睡魔がやって来てそんな自分ごと眠りの奥底へ突き落してくれたのなら話は早いのですけれど、残念ながら専属で雇っている一級睡魔は世紀の遅刻魔としても広く知られた無能でして、そんないつやって来るのかもわからない奴を布団に包まって(しかも蒸し暑い)ただ茫然と待つというのは、些か時間の無駄すぎやしないかと思い寝床から這い出てきたのがつい数分前です。 明日、というか今日ですけれど、にはもう下宿のほうへ戻る予定だったので勉強道具は持ち合わせておらず、暇潰しの道具もなく、というか現状そもそも実家に僕の部屋はない(下宿へ移動するときに自室は物置と化した)のですぐ近くでは普通に両親が眠っており、電気を点けることもままならないという感じでして、じゃあいったい何をするんだよと半ば自棄になりながら word を起動したのも数分前です。 こうやって文字を書いているうちに『数分前』が更新されていくのって何だか面白いですよね。 這い出てからもう十五分ほど経っていますし、こんな感じで今夜は時間を潰そうと思います、なるべく有意義に。 諸々(某ウイルス)(その余波を受けた院試)があったおかげで(せいで)しばらくは曲が作れなさそうなので、ここらでこれまで(大学進学以降)に作った曲のあれこれについて振り返ってみるのをやりたいなーと思ったり思わなかったりで、まあ、なのでやります、勝手に、一人で。 音雲にあがっているものばっかりになりますけれど……。 歌モノを作りたいと言いながら大学へやって来たのが数年前、件の歌モノだけでももうかれこれ七曲くらい作ってたんですね、知らないうちに。 サークルの人たちはもっと作っていたりするので自分ももっと作りたいんですが……(怠惰)(四回生)(何故?)。 大学に入ってから初めて作った曲がこれですね。 楽製作所(通称:吉音)というのが僕の所属するサークルの名前ですけれど、当時の吉音では新入生同士で合作し一つの曲を完成させるという結構クレイな企画(新歓企画の一環?)が用意されており、そのときにペアを組んだ相手がボカロ使いだったということ、また当時の自分はトランス系の音楽にドハマりしていたということ、それとその段階で編曲に最も通じていたのが自分だったということなどがあり、そうして出来上がったのが『カナタ』です。 サビ先行。 ちなみに相方は wotto 君。 彼の作る曲は超良いです。 これは吉音民にしか通じないと思いますが『Battle For You! 』、『の言う通り』がめちゃ好きです。。 この曲、以前は吉音のライブに出演するたびに流してましたね。 だって爆音で聴きたいじゃん、トランス。 そういう地道な布教活動を続けていたところ、この曲を気に入ってくれた吉音民(読み:きちおとたみ。 意味:楽製作所の会員)が若干名おり、結果ベスト盤に収録される運びとなったときは本当に嬉しかったです。 ありがとうございました。 』です。 めちゃくちゃ好きなボカロトランス。 Rakuno. イントロが最初にあり、それを作ったのは自分で、Aメロが相方、続くBメロが自分、一旦落ちるところは相方、そこから上がるところは自分、最後のサビは相方、という風に完全交互のリレー形式で作っていったのですが、そういうアプローチで合作をしたのって後にも先にもこれだけのような気がします。 パートごとで制作を分けることはまああるんですが、リレー形式というのがないですね。 この曲で一番気に入っているのはAメロ、つまり相方が担当した部分なんですが、めちゃくちゃいいですよね、あの雰囲気。 なんか、駆け抜けてる感があって。 そんな相方であるところのRakuno. vs ETIA. 』です。 中高のときアホほど聴いていた。 いや、懐かしすぎ?????? これは一回生のときのNF(大学の学祭)くらいの時期にちょうど誕生日を迎える同回生がおり、「せっかくだしNFライブで祝っちゃわない?」という誰かの発案に乗っかる形で作った曲です。 サビ先行。 サビのシンセリフは結構お気に入りです。 その彼がトランス好きだったということもありジャンルはトランス縛りだったのですが、まさかこの曲が最後に作ったトランス系統曲になろうとは……、という感じですね。 サークルを卒業するまでにはあと一曲くらい作りたいな~と思っていたりいなかったりするんですが、さて、実現はするのでしょうか。 ちなみに、この曲のリファレンスは特になかったと思います。 めちゃくちゃハードスケジュールで作っていたので、もう完全に手癖です。 この記事に飛んでくるような人、吉音民でも知らないのが大半じゃないですか? これは自分が一回生の三月に作った曲なので、言い換えると一回生のときに作った中では最後にあたる曲であって、かつ自分が初めて一人で完成させた歌モノだったりします。 サビ先行です。 三月といえば卒業の時期ですけれど、当時サークルにいた大好きな先輩が卒業してしまうということで、なんかできたらいいなと思いながら作った曲でした。 といっても着手し始めたのがたしか九月頃で、あゃないこうじゃないと言っているうちに三月になり、一曲完成させるのに何か月かけてんだって感じですけれど、それはまあ、この曲が生音を軸に組み上げた初めての楽曲だったということも大いに関係しています。 それまではシンセ畑の人間だったので……。 歌詞も大体そんな感じのことを歌っていますね。 曲中の状況的には『出会い』があって、しかも『別れ』も既にあって、一人称は一人だけ取り残されていて、それでも唄う、みたいな感じを想定していた気がします。 「降りそそぐ時の中で キミに出会えた そんな奇跡を この時代に遺したくて この詩を唄うんだ」って言ってますし。 まあ、この曲の歌詞はほとんどラブレターみたいな感じになっていて超恥ずかしいので、実はどこにも載せてないんですけどね(動画サイトへも上げていない)(恥ずかしいので)。 言わずと知れた名曲。 〇ハロー HAPPY バレンタイン!! 当時、別サークルのほうの締め切りも被っていたりして、頭の中が本当に地獄を極めていたのを覚えています(TIPS:作曲と原稿は同時進行できない)。 「いまならもっとうまく作れるのに!」と今でこそ思うものの、この曲を作っている当時はめちゃくちゃ楽しかったです。 落ち着いたAメロBメロからのサビ爆音暴れと高域ストリングスコンボが自分はマジで好きで、の全体曲はそういうのが多いんですけど、それがマジで好きで、やっぱ自分が好きな曲は作ってても楽しいんだな~ということを実感した曲でもあります。 合作相手のソニオルさんは同サークル一個上の先輩なのですが、この合作に至った経緯というのが実は合宿のノリで行われたあみだくじ大会で、そのときに自分とペアになった先輩に「みたいなの作りません?」と無茶を言ったのが全ての始まりでした。 楽しかったので良し! ちなみに、この曲のリファレンスは特に多いんですが、とある吉音民に一発で見抜かれたということが以前あったので、わざわざ挙げなくても分かるのかもと思ったり。 といってもこれは(一回生の)一月から(二回生の)五月にかけて作っていた曲なので、割と中途半端な立ち位置ですけれど。 作曲名義が Cloverteller となっていますがこれは言ってしまえばグループ名みたいなもので、合作相手は霧四面体さん、同サークル四つ五つ上の先輩です。 先述の『キミとボクと時の箱庭』同様、これも三月ライブで披露する用の卒業ソングとして実は作っていたのですが、自分の制作が間に合わず、結果タイムオーバーということで五月に公開する流れとなりました。 編曲はイントロ先行。 氏は自分が一方的に憧れていた先輩の一人であり、卒業してしまう前に一緒に何かやりたいと思いつつ、しかし自分なんかにできることが果たしてあるかという謎の卑屈モード(畏怖)から動けずにいたところを、三月というタミットに背中を押される形で僕のほうから声をかけ、そうして生まれたのがこいつです。 当時の気持ちとしては『一回生の総決算』というモチベーションで取り組んでいたので、もうやりたいことをやりたいだけやりたいようにやっており(開幕6415)(ピアノ)(ワブルベース)(暴れピコピコ)(不穏な間奏)、そこはらしく、一曲を通して想像が膨らむ感じの出来になればいいなあという感じでした。 いまでは大切な思い出の一つです。 ちなみに、この曲のリファレンスは『こすいちのかくすらなきくどっとえぐぜ』です。 BLUE REFLECTION というゲームの戦闘BGMでハチャメチャに格好いい。 闇音レンリ 『終末的存在仮説』から結構な時期があいて、二回生の十一月末に作った曲です。 二回生の五月あたりから自分は微妙に精神を病んでいた時期があり(病んではいない)、それが一先ず治まったのが十一月の中頃のことで、その残滓というか、結晶みたいな感じで後に残ったのがこの曲でした。 これは歌詞先行で、一人で完成させた歌モノとしては二曲目ですね。 割と勢いだけで作ってしまったところがあり、というか勢いだけで作っており、「6415ジャーン! ギターバーン! ドラムドーン! 落ちサビからの転調!!! 最強!!!」みたいな。 そのせいで特にドラムはところどころ人外的な動きをするのですが、この曲を実際に演奏することになった際、ドラム担当の人が人外的な亜光速の動きをしていて開いた口が塞がらないのイメージ図になってしまったことがあります。 この曲の一人称も、というか僕の曲は多分どれもそうなんですが『出会い』と『別れ』がテーマ(これはもう逃れられない。 書くと絶対にそうなる)になっていて、この曲の一人称は不意に訪れた『別れ』が認められなくて、それでも一方的にやってくる青空を呪いながら(だからといって何ができるわけでもなく)ただ一人でそこにいるという感じです。 「あの日の僕らが描いた青空の夢に いつまでも溺れていたかった」って言ってますし。 もう一年半も前の自分が書いた歌詞なので、そうなるといっそ他人事のように思えたりもするのですけれど、やっぱり手放せないというか、いまでも変わらず大切なままだったりもします。 ちなみに、この曲のリファレンスはありません。 勢いだけで作ったので。 闇音レンリ 二回生の一月に作った曲です。 吉音的には先述の『スカイイトメア』と同タイミングで提出する予定の曲だったので、「バキバキのバンドと一緒に落ち着いた曲調のを出したら意外性狙えるかも?」という気持ちが半分、あとは「コード進行の凝った曲を一度作ってみたい!」という気持ちが半分というところで出てきた曲です。 サビ先行。 よもや4536(王道進行)に手を出す日が来ようとはと思いつつ、「まあ、いいメロディ書けたしいいや~」と開き直りながら作っていたのを覚えています。 この曲もベスト盤的なそれに入れてもらっているのですが、そのとき同サークル幾つか上の先輩にこの曲を好きだと言ってもらえたのがとても嬉しくて、いまでも覚えています(その人は若干クラブミュージック寄りだと認識していたので、意外だった)。 この曲にまつわる記憶は他にも様々あり、制作当時は想像もしていなかったくらいに多くのものを僕の手元へ残してくれました。 この曲の一人称もやはり『別れ』について歌っていて、しかしこれまでの二つに比べれば随分と正面から向き合えているような気がします。 「言葉なら何千何万と憶えたのに」というのは当時の自分が持っていた率直な気持ちで、最後の最後になると言葉とか何だとかそういうのって何の役にも立たないんだなという戒めでもあります。 言葉で全部が伝わるんなら手紙でも書けばいいし、でもそうじゃないからわざわざ音楽という形をとって、歌詞という限られた枠の中に落とし込んで、そしてその向こう側に何かを見つけようとするのかなあという気持ちでした、当時。 引き留めるための言葉って、ないよなあ。 良い曲です。 『終末的存在仮説』に続いて Cloverteller の二曲目。 サビ先行。 前回が割とシンセバキバキソングだったので、今度は逆に普通のロックっぽいのをやってみないかという話になり、それで生まれたのがこの曲です。 ドラムの打ち込みやバッキングギターの調整なんかを当時めちゃくちゃに頑張っていたような記憶があります。 Aメロでノンダイアトニックを使いまくってどこへ行きたいのかよく分かんない感じにするのとか、最後のサビ前にAメロへ戻ってくるのとか(これについてはサークルの後輩が完全一致解釈をしてくれていて、本当に肯きが止まらなかった)、曲がりなりにもを名乗っている手前、曲に物語性を持たせるということはかなり意識していたような気がします。 この曲のイラストは相方の協力も得つつ自分が描いたんですが、少女と女性、夕方と夜の構図ですね。 ジャケも自前で用意できるとこういった符号をイメージ通りにできるのでとてもよいということをこのとき学び、以降、絵も自分で描こうという風に意識が傾いていったという裏話があります。 曲はめちゃくちゃにカッコいい東方アレンジなんですが、それはさておき歌詞が良いです。 〇ここにいるよ。 三回生の九月に作った曲です。 マジで作り直したい!!!!!!! 念願のを導入して最初に作った曲がこれですが、いまなら間違いなくもっと上手くできるはずなので本当に作り直したいです。 いや、それを言えば全曲作り直したいんですが……、それはさておき。 この曲はサビ先行で、前回の『「じゃあね、また明日」』で懲りずにまたも安易に4536へと手を伸ばし、「まあ、いいメロディ書けたしいいや~」とこれもまた同様に開き直った末に生まれた曲です。 誰か俺を殴ってくれ。 同サークルの某クラブミュージック勢がこの曲を好きだと言ってくれたのが嬉しくて、まあ当然のように覚えてるんですが、あれですね。 全然関係なさそうな層からリアクションを貰えるとギャップでめちゃくちゃ嬉しいってだけですね、これ、単純に(そうでない人からの反応も勿論嬉しい)(そうでない人って何?)。 この曲の一人称は『別れ』が過ぎて随分と時間が経ってからのことを歌っています、多分。 こう、一度遠く離れてしまうと簡単には会えなくなったりして。 いや、会おうと思えば簡単にとは言わずとも然程の困難もなく叶うと思うんですが、だけどなんだか口実が要るような気がして、そうこうしているうちにその誰かの声や仕草なんかを忘れていって。 でもまあ「何もかも やっと大人になって 君がみえなくなっても」と言っているように、この曲の一人称はその事実を悲観的に捉えているというわけではなくて、たとえ忘れたって唄うし、それに本当はいつだって続きに出会える、みたいな感じの前向きな気持ちで『別れ』に向き合っているというアレです。 どういった心境の変化が? ちなみに、この曲のリファレンスは『エンジェルドリーム』です。 の曲ですね。 中学のとき狂ったようにやってました。 三回生の十一月に作った曲です。 先述の『ここにいるよ。 』は吉音恒例の夏合宿中に提出した曲だったのですが、その合宿時に企画があり、そのステージそのものは勿論のこと、それに向けての練習なんかもその全部が自分にとってはとても新鮮で、この気持ちを忘れたくないというあたりから生まれた曲です。 Aメロ先行。 『未完成の春』という曲名は同バンド企画に参加していたメンバーたちが(半ば冗談で)合言葉みたいに話していた「失った青春(架空)を取り戻せ」というところから来ています。 曲のほとんどがボーカルとの伴奏だけから成っているのは、件のバンド企画において自分の担当がボーカルだったので、その立場から曲を作るというなら他の楽器(ドラム、ベース、、キーボード)は入れないほうがいいという理由からです。 いつかこの曲を弾き語れるようになるのが目標だったりするんですが、アホな転調とアホなコードをアホみたいに入れてしまったせいで弾けません、助けて。 この曲の一人称はいつかやって来る『別れ』とその先のことについて歌っています、恐らく。 その企画自体は本当に楽しかったんですが、全部終わって家に帰ってさあもうすぐ大学が始まるぞというときになって、でもあの七人で組むことはもう二度と無いんだろうなという予感がして、といってもそのことがどうこうというわけでは決してなく、そうではなくて、だからこそむしろ『別れ』が来たって「迷わなくていい」のかも、という気持ちになり、その辺りから書き始めました。 歌い出しに「十月の教室の隅っこで」とありますけれど、あれは理学部六号館のとある一室のことです。 ちなみに、この曲のリファレンスは特にありません。 ここから四回生、つい一か月前、五月の曲です。 時系列が前後しますけれど、この曲は後述の『startrail』の裏にあたるそれといいますか、なんだろう、いや内容も何もかもありとあらゆるすべてが一切合切無関係ないんですが、でも自分の中での『アイ』は『startrail』のリングとしてあるという気が薄らとします。 根っこの辺りで繋がってるっていうか……自分でもよく分かりませんけど。 この曲はギターリフ先行で、これを何とかうまく使いたいという気持ちがあったものの、メスな感じよりもループさせて使うのが似合うリフだと自分は思ったので、手元で何度もループさせながら鼻唄をあてて作ったという曲です。 リフの響きからなんだが冬っぽい印象を受けたので、編曲に使う音も寒々しい感じのそれに寄っていきました(ちなみにキーを一つ下げたら夕暮れっぽい印象になった。 同じリフなのに)。 この曲の一人称は『別れ』ばらく経った頃、何一つだって忘れられない、地獄みたいに長い夜をようやく明けるところまで歩いてきた、そのあたりの時期のことを歌っています、きっと。 何が悲しかったのかとか、何が苦しかったのかとか、ある程度の時間が経てばそういった痛みを少しずつ客観視できるようになってきて、それでもふとした隙に探してしまうこともあって、その全部が当たり前だって気づいて、だから「魔法のない世界の空の色も 私はきっと愛せるよ」と彼女は言っているのではないでしょうか、知りませんけど。 それとこれは完全に蛇足ですが『アイ』の歌詞には原型があって、ブログ内検索で「確一」と入れると読むことができます。 記念撮影ではなかった。 時系列が前後しますが、実は三回生に作った曲の中で最後のものです。 なので先述の『アイ』のほうが最近の曲です。 とはいえ公開はつい昨日のことなので、「昨日のことのよう」ではなく現に昨日のことなので、昨日の今日で話せることなんて何もないんですよね、これが。 これまでのは「まあもう何年か前のことだし、そろそろ自分で話しても時効っしょ」という気持ちで書いていたのですが、翻って『startrail』について話せることは何もないということになります。 おしまい。 この一人称もまた『別れ』をやっと乗り越えるというくらいの場所にいる気がします。 『アイ』のリングとしてあるという自分の認識は、その辺りの類似性に由来しているのかもしれません。 異なる二つの曲で『別れ』に対するアプローチが一致するということは、いままでにはなかったので。 まあ、しれませんという言葉で曖昧に濁したものの、しかしながらこの二曲はやっぱりどこかで繋がっていて、たとえばどちらも「声」を聞いていたりいなかったり、「雨」について触れていたり、そして最後に迎えるのは「夜明け」だったり、とか。 だからといって両A面というわけでもなくあくまでリングであるという認識は、結局、フィクションとノンフィクションの違い程度のものなのかなという気がします。 リルルの曲ですね。 以上! 眠くなるまでの暇潰しで書き始めたのに、いつの間にか太陽が顔を覗かせるどころが天高くに打ちあがっていて大層ウケますね。 五時間? もしかしてこれがってやつですか? 自分の曲、無限に話せてしまってよくないな~という気持ちです(無限に話せるのは当たり前)。 「自分の歌詞はよく『別れ』をテーマにしてるけど、それに対する向き合い方は毎回違うよなあ」ということを一ヶ月ほど前にふと思い、どこかのタイミングでブログにでも書こうと思っていたのをやりたかっただけだったのですが……。 普段こういう話を誰ともしないのでたまには許してくれということで、以上の文章をブログに丸投げして自分は床に就こうかと思います。 おやすみなさい。 今日は九時起きです。 kazuha1221.

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GENERATIONS from EXILE TRIBE DREAMERS 歌詞

有頂天 ドリーマーズ 歌詞

有頂天(天上界)とは? 「 有頂天(うちょうてん)」というと、喜びの絶頂や、エクスタシー、 喜びのあまり舞い上がったり、上の空になっていることをいわれます。 もともと仏教で、私たちが生まれ変わり死に変わりする6つの世界でも、 最も楽しみの多い、「 天上界(てんじょうかい)」の一つです。 天上界とは神の国・天国 仏教では、私たちは果てしない遠い過去から、 「」といわれる苦しみ迷いの6つの世界を 死に変わり、生死を繰り返していると 教えられています。 その6つの迷いの世界の中でも最高の世界が天上界です。 これを「 天界」とも「 天」ともいいます。 なぜ天というのかというと、『 正法念経』には、 「 もろもろの楽集まるが故に、これを名づけて天となす」(正法念経) と説かれています。 また、『 大般涅槃経』には、 「 天とは無愁悩と名く、常に快楽を受く」(大般涅槃経) と説かれています。 天上界は、うれいや悩みのない、常に快楽を受ける世界なのです。 天上界に住んでいるのは、 他のでいわれるですので、 神の国であり、天国が、天上界です。 ここににはどうすればいいかというと、『 雑阿含経』にはこう説かれています。 「 十善業跡のの故に、身壊し命終して天上に生ずることを得」(雑阿含経) 10の善い行いである十善を行ずれば、肉体が亡び、命終わって天上界に生まれるということです。 では天上界には、どんな種類があるのでしょうか? 天上界の種類 天親菩薩の『 倶舎論(くしゃろん)』によれば、天上界には27種類あります。 その27種類を3つに分類すると、下から順に欲界に6種類、色界に17種類、一番上の無色界に4種類です。 欲界の6種類の天上界とは、 1.四大王衆天(しだいおうしゅてん)(四王天、下天) 2.三十三天(さんじゅうさんてん)(忉利天) 3.夜摩天(やまてん) 4.覩史多天(としたてん)(兜率天) 5.楽変化天(らくへんげてん) 6.他化自在天(たけじざいてん) の6つです。 これを「六欲天(ろくよくてん)」ともいいます。 次に、色界の17種類の天上界は、大きく分けると、4つになります。 初禅天、第二禅天、第三禅天、第四禅天の4つです。 17種類の天上界を4つに分類すると、 初禅天 1.梵衆天(ぼんしゅてん) 2.梵輔天(ぼんほてん) 3.大梵天(だいぼんてん) 第二禅天 4.少光天(しょうこうてん) 5.無量光天(むりょうこうてん) 6.極光浄天(ごくこうじょうてん) 第三禅天 7.少浄天(しょうじょうてん) 8.無量浄天(むりょうじょうてん) 9.遍浄天(へんじょうてん) 第四禅天 10.無雲天(むうんてん) 11.福生天(ふくしょうてん) 12.広果天(こうかてん) 13.無煩天(むぼんてん) 14.無熱天(むねつてん) 15.善現天(ぜんげんてん) 16.善見天(ぜんけんてん) 17.色究竟天(しきくきょうてん) となります。 12番目の広果天と13番目の無煩天の間に無想天(むそうてん)を入れて18種類とする場合もあります。 無色界の4種類の天上界は、 1.空無辺処(くうむへんしょ) 2.識無辺処(しきむへんしょ) 3.無所有処(むしょうしょ) 4.非想非非想処(ひそうひひそうしょ) の4種類です。 織田信長が好きだった敦盛の 「 人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」 の「 下天(げてん)」は、天上界の27種類の中でも一番下の四大王衆天(しだいおうしゅてん)です。 四大王衆というのは、四天王とその部下のことです。 四天王とは、持国天(じこくてん)、増長天(ぞうじょうてん)、広目天(こうもくてん)、多聞天(たもんてん)のことです。 多聞天は別名、毘沙門天(びしゃもんてん)です。 これらの四天王は、仏教を守護する神で、帝釈天(たいしゃくてん)に仕えています。 四天王がいるので四大王衆天のことを「 四王天(しおうでん)」ともいわれます。 「 それ、人間の五十年をかんがえみるに、 四王天といえる天の一日一夜にあいあたれり」(御文章) と言われるように、 人間の50年は、四王天でいえば、たった一日だから、 夢幻のようなものだ、ということです。 また、3番目の覩史多天(としたてん)というのは、兜率天(とそつてん)ともいわれます。 ここは、の次にを開くがしているところです。 他にも、織田信長は第六天魔王を自称していましたが、 「 第六天」は、天上界の下から6番目の他化自在天で、 第六天魔王は、仏道を邪魔する魔王です。 色界の3番目の大梵天は、梵天が住んでいるところです。 梵天は、自分が宇宙や人間を創造したと思い込んでいるのですが、が35歳で仏のさとりを開かれた時、「どうか仏教をお説き下さい」とお願いした神でもあります。 天上界の27種類の中で、下から2番目の「 忉利天(とうりてん)」とか 「 三十三天(さんじゅうさんてん)」といわれる世界は、 仏教を守護し、仏法者の求道心を試すといわれる帝釈天(たいしゃくてん)が統率しているところです。 この世界も、快楽の世界ですが、 ここに生まれると、以上の苦しみもあります。 地獄の16倍苦しむ天上界 例えば「 忉利天(とうりてん)」に生まれると、 若いうちは快楽に限りがないのですが、 やはり寿命があり、やがて年老いてきます。 すると、「 天人五衰(てんにんごすい)」といわれる 5つの衰えが出てきます。 1つには、頭の上の花飾りがしぼんできます。 2つには、羽衣が、ごみや垢で汚れてきます。 3つには、脇の下に汗をかきます。 4つには、目がしばしばしてきます。 5つには、自宅にいるのが苦痛になります。 このような老境にさしかかると、 あのすばらしい日々は消え去り、美しい音楽も聞こえず、 美味しい料理も、もう食べられません。 今まで親切だった他の天人や天女からも、 見捨てられてしまいます。 ちょうど人間でいえば、 お金があるときは、芸能人のようなセレブな生活をしていたのが、 人気が落ちて、お金がなくなってくると、 プールつきの高級住宅でのセレブな生活もできず、 今まで「 先生、先生」とあがめてくれた人たちからも相手にされず、 一人苦しむようなものです。 天上界は、ものすごく楽しいので、 最後に年をとって楽しみが失われる老いの苦しみは、 の苦しみの16倍と教えられています。 他にも、この苦しみを受ける天上界はたくさんあります。 そして最後は、命が尽きて、死んで行かなければなりません。 これをお釈迦さまは、『 過去現在因果経』に、 「 諸天は楽なりといえども福尽くればすなわち窮まり、六道に輪廻してついに苦聚となる」 (過去現在因果経) と説かれています。 色々な天上界の人々は楽しみが多いと言っても、命が終われば、して苦しむ人々となる、ということです。 天上界といっても、やはり迷いの世界の一つなのです。 有頂天から始まる地獄 迷いの世界といっても、天上界に生まれるには、悪いことをせず、 「 十善」を行じなければなりません。 さらに高い天上界に生まれるには、 のようなの境地に達することが必要です。 中でも、天上界の27種類で、最高の世界である非想非非想処(ひそうひひそうしょ)が 「 有頂天」です。 ここに行くには、想像を絶する努力が必要です。 ところが、「 有頂天から始まる地獄」という言葉があるように、 有頂天からに堕ちることがあります。 このことをの『 往生要集』には 「 非想も阿鼻をば免れず」(往生要集) と教えられています。 六道のうちで最高の非想非非想処(有頂天)に生まれても、 六道のうちで最低の阿鼻地獄(無間地獄)を免れるわけではない、ということです。 人間でも、 事故を起こすのはルンルン気分のときです。 浮かれている心をおさえることは難しいので、 ときよりも、いい気分に浮かれているときのほうが 危ないといわれます。 頑張ってすごい実績を作ると、 何でもできるかのように自惚れてしまって、 大失敗をしでかすのです。 の中で、天上界でも最高の有頂天に生まれても、 次にのどん底のに生まれることがありますから、 苦しみ悩みはなくなりません。 これを『 』には 「 三界は安きことなし、なお火宅のごとし」 と説かれています。 「 火宅」とは、火のついた家のことで、 隣の家が火事で、自分の家のひさしに燃え移ったときのような、 で仕方がない状態ということです。 このように仏教では、もまたの迷いの衆生であり、 神の世界である天国も、安らかな世界でもなければ、 目指すべき目的地でもないのです。 仏教では、この果てしない苦しみ迷いを離れて、 未来永遠変わらないになる道が教えられています。 それについて仏教にどう教えられているかについては、 一言では述べられないので、分かりやすいように、 メール講座と、小冊子にまとめておきました。 メニュー•

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20200606

有頂天 ドリーマーズ 歌詞

僕の下宿に置かれている寝具は割とふかふかのベッドなんですが、一方で僕は下宿を始めるまでの二十年余りを敷き布団とともに過ごしてきた人種でして、何が言いたいのかといえば、実感に帰ってくるとその敷き布団で就寝ということになるわけです、当然ながら。 しかしベッドの沈み込み具合にすっかり慣れてしまった自分の身体は、敷き布団のことを寝床としてはもはや認識してくれないようでして、こんなときに本物の睡魔がやって来てそんな自分ごと眠りの奥底へ突き落してくれたのなら話は早いのですけれど、残念ながら専属で雇っている一級睡魔は世紀の遅刻魔としても広く知られた無能でして、そんないつやって来るのかもわからない奴を布団に包まって(しかも蒸し暑い)ただ茫然と待つというのは、些か時間の無駄すぎやしないかと思い寝床から這い出てきたのがつい数分前です。 明日、というか今日ですけれど、にはもう下宿のほうへ戻る予定だったので勉強道具は持ち合わせておらず、暇潰しの道具もなく、というか現状そもそも実家に僕の部屋はない(下宿へ移動するときに自室は物置と化した)のですぐ近くでは普通に両親が眠っており、電気を点けることもままならないという感じでして、じゃあいったい何をするんだよと半ば自棄になりながら word を起動したのも数分前です。 こうやって文字を書いているうちに『数分前』が更新されていくのって何だか面白いですよね。 這い出てからもう十五分ほど経っていますし、こんな感じで今夜は時間を潰そうと思います、なるべく有意義に。 諸々(某ウイルス)(その余波を受けた院試)があったおかげで(せいで)しばらくは曲が作れなさそうなので、ここらでこれまで(大学進学以降)に作った曲のあれこれについて振り返ってみるのをやりたいなーと思ったり思わなかったりで、まあ、なのでやります、勝手に、一人で。 音雲にあがっているものばっかりになりますけれど……。 歌モノを作りたいと言いながら大学へやって来たのが数年前、件の歌モノだけでももうかれこれ七曲くらい作ってたんですね、知らないうちに。 サークルの人たちはもっと作っていたりするので自分ももっと作りたいんですが……(怠惰)(四回生)(何故?)。 大学に入ってから初めて作った曲がこれですね。 楽製作所(通称:吉音)というのが僕の所属するサークルの名前ですけれど、当時の吉音では新入生同士で合作し一つの曲を完成させるという結構クレイな企画(新歓企画の一環?)が用意されており、そのときにペアを組んだ相手がボカロ使いだったということ、また当時の自分はトランス系の音楽にドハマりしていたということ、それとその段階で編曲に最も通じていたのが自分だったということなどがあり、そうして出来上がったのが『カナタ』です。 サビ先行。 ちなみに相方は wotto 君。 彼の作る曲は超良いです。 これは吉音民にしか通じないと思いますが『Battle For You! 』、『の言う通り』がめちゃ好きです。。 この曲、以前は吉音のライブに出演するたびに流してましたね。 だって爆音で聴きたいじゃん、トランス。 そういう地道な布教活動を続けていたところ、この曲を気に入ってくれた吉音民(読み:きちおとたみ。 意味:楽製作所の会員)が若干名おり、結果ベスト盤に収録される運びとなったときは本当に嬉しかったです。 ありがとうございました。 』です。 めちゃくちゃ好きなボカロトランス。 Rakuno. イントロが最初にあり、それを作ったのは自分で、Aメロが相方、続くBメロが自分、一旦落ちるところは相方、そこから上がるところは自分、最後のサビは相方、という風に完全交互のリレー形式で作っていったのですが、そういうアプローチで合作をしたのって後にも先にもこれだけのような気がします。 パートごとで制作を分けることはまああるんですが、リレー形式というのがないですね。 この曲で一番気に入っているのはAメロ、つまり相方が担当した部分なんですが、めちゃくちゃいいですよね、あの雰囲気。 なんか、駆け抜けてる感があって。 そんな相方であるところのRakuno. vs ETIA. 』です。 中高のときアホほど聴いていた。 いや、懐かしすぎ?????? これは一回生のときのNF(大学の学祭)くらいの時期にちょうど誕生日を迎える同回生がおり、「せっかくだしNFライブで祝っちゃわない?」という誰かの発案に乗っかる形で作った曲です。 サビ先行。 サビのシンセリフは結構お気に入りです。 その彼がトランス好きだったということもありジャンルはトランス縛りだったのですが、まさかこの曲が最後に作ったトランス系統曲になろうとは……、という感じですね。 サークルを卒業するまでにはあと一曲くらい作りたいな~と思っていたりいなかったりするんですが、さて、実現はするのでしょうか。 ちなみに、この曲のリファレンスは特になかったと思います。 めちゃくちゃハードスケジュールで作っていたので、もう完全に手癖です。 この記事に飛んでくるような人、吉音民でも知らないのが大半じゃないですか? これは自分が一回生の三月に作った曲なので、言い換えると一回生のときに作った中では最後にあたる曲であって、かつ自分が初めて一人で完成させた歌モノだったりします。 サビ先行です。 三月といえば卒業の時期ですけれど、当時サークルにいた大好きな先輩が卒業してしまうということで、なんかできたらいいなと思いながら作った曲でした。 といっても着手し始めたのがたしか九月頃で、あゃないこうじゃないと言っているうちに三月になり、一曲完成させるのに何か月かけてんだって感じですけれど、それはまあ、この曲が生音を軸に組み上げた初めての楽曲だったということも大いに関係しています。 それまではシンセ畑の人間だったので……。 歌詞も大体そんな感じのことを歌っていますね。 曲中の状況的には『出会い』があって、しかも『別れ』も既にあって、一人称は一人だけ取り残されていて、それでも唄う、みたいな感じを想定していた気がします。 「降りそそぐ時の中で キミに出会えた そんな奇跡を この時代に遺したくて この詩を唄うんだ」って言ってますし。 まあ、この曲の歌詞はほとんどラブレターみたいな感じになっていて超恥ずかしいので、実はどこにも載せてないんですけどね(動画サイトへも上げていない)(恥ずかしいので)。 言わずと知れた名曲。 〇ハロー HAPPY バレンタイン!! 当時、別サークルのほうの締め切りも被っていたりして、頭の中が本当に地獄を極めていたのを覚えています(TIPS:作曲と原稿は同時進行できない)。 「いまならもっとうまく作れるのに!」と今でこそ思うものの、この曲を作っている当時はめちゃくちゃ楽しかったです。 落ち着いたAメロBメロからのサビ爆音暴れと高域ストリングスコンボが自分はマジで好きで、の全体曲はそういうのが多いんですけど、それがマジで好きで、やっぱ自分が好きな曲は作ってても楽しいんだな~ということを実感した曲でもあります。 合作相手のソニオルさんは同サークル一個上の先輩なのですが、この合作に至った経緯というのが実は合宿のノリで行われたあみだくじ大会で、そのときに自分とペアになった先輩に「みたいなの作りません?」と無茶を言ったのが全ての始まりでした。 楽しかったので良し! ちなみに、この曲のリファレンスは特に多いんですが、とある吉音民に一発で見抜かれたということが以前あったので、わざわざ挙げなくても分かるのかもと思ったり。 といってもこれは(一回生の)一月から(二回生の)五月にかけて作っていた曲なので、割と中途半端な立ち位置ですけれど。 作曲名義が Cloverteller となっていますがこれは言ってしまえばグループ名みたいなもので、合作相手は霧四面体さん、同サークル四つ五つ上の先輩です。 先述の『キミとボクと時の箱庭』同様、これも三月ライブで披露する用の卒業ソングとして実は作っていたのですが、自分の制作が間に合わず、結果タイムオーバーということで五月に公開する流れとなりました。 編曲はイントロ先行。 氏は自分が一方的に憧れていた先輩の一人であり、卒業してしまう前に一緒に何かやりたいと思いつつ、しかし自分なんかにできることが果たしてあるかという謎の卑屈モード(畏怖)から動けずにいたところを、三月というタミットに背中を押される形で僕のほうから声をかけ、そうして生まれたのがこいつです。 当時の気持ちとしては『一回生の総決算』というモチベーションで取り組んでいたので、もうやりたいことをやりたいだけやりたいようにやっており(開幕6415)(ピアノ)(ワブルベース)(暴れピコピコ)(不穏な間奏)、そこはらしく、一曲を通して想像が膨らむ感じの出来になればいいなあという感じでした。 いまでは大切な思い出の一つです。 ちなみに、この曲のリファレンスは『こすいちのかくすらなきくどっとえぐぜ』です。 BLUE REFLECTION というゲームの戦闘BGMでハチャメチャに格好いい。 闇音レンリ 『終末的存在仮説』から結構な時期があいて、二回生の十一月末に作った曲です。 二回生の五月あたりから自分は微妙に精神を病んでいた時期があり(病んではいない)、それが一先ず治まったのが十一月の中頃のことで、その残滓というか、結晶みたいな感じで後に残ったのがこの曲でした。 これは歌詞先行で、一人で完成させた歌モノとしては二曲目ですね。 割と勢いだけで作ってしまったところがあり、というか勢いだけで作っており、「6415ジャーン! ギターバーン! ドラムドーン! 落ちサビからの転調!!! 最強!!!」みたいな。 そのせいで特にドラムはところどころ人外的な動きをするのですが、この曲を実際に演奏することになった際、ドラム担当の人が人外的な亜光速の動きをしていて開いた口が塞がらないのイメージ図になってしまったことがあります。 この曲の一人称も、というか僕の曲は多分どれもそうなんですが『出会い』と『別れ』がテーマ(これはもう逃れられない。 書くと絶対にそうなる)になっていて、この曲の一人称は不意に訪れた『別れ』が認められなくて、それでも一方的にやってくる青空を呪いながら(だからといって何ができるわけでもなく)ただ一人でそこにいるという感じです。 「あの日の僕らが描いた青空の夢に いつまでも溺れていたかった」って言ってますし。 もう一年半も前の自分が書いた歌詞なので、そうなるといっそ他人事のように思えたりもするのですけれど、やっぱり手放せないというか、いまでも変わらず大切なままだったりもします。 ちなみに、この曲のリファレンスはありません。 勢いだけで作ったので。 闇音レンリ 二回生の一月に作った曲です。 吉音的には先述の『スカイイトメア』と同タイミングで提出する予定の曲だったので、「バキバキのバンドと一緒に落ち着いた曲調のを出したら意外性狙えるかも?」という気持ちが半分、あとは「コード進行の凝った曲を一度作ってみたい!」という気持ちが半分というところで出てきた曲です。 サビ先行。 よもや4536(王道進行)に手を出す日が来ようとはと思いつつ、「まあ、いいメロディ書けたしいいや~」と開き直りながら作っていたのを覚えています。 この曲もベスト盤的なそれに入れてもらっているのですが、そのとき同サークル幾つか上の先輩にこの曲を好きだと言ってもらえたのがとても嬉しくて、いまでも覚えています(その人は若干クラブミュージック寄りだと認識していたので、意外だった)。 この曲にまつわる記憶は他にも様々あり、制作当時は想像もしていなかったくらいに多くのものを僕の手元へ残してくれました。 この曲の一人称もやはり『別れ』について歌っていて、しかしこれまでの二つに比べれば随分と正面から向き合えているような気がします。 「言葉なら何千何万と憶えたのに」というのは当時の自分が持っていた率直な気持ちで、最後の最後になると言葉とか何だとかそういうのって何の役にも立たないんだなという戒めでもあります。 言葉で全部が伝わるんなら手紙でも書けばいいし、でもそうじゃないからわざわざ音楽という形をとって、歌詞という限られた枠の中に落とし込んで、そしてその向こう側に何かを見つけようとするのかなあという気持ちでした、当時。 引き留めるための言葉って、ないよなあ。 良い曲です。 『終末的存在仮説』に続いて Cloverteller の二曲目。 サビ先行。 前回が割とシンセバキバキソングだったので、今度は逆に普通のロックっぽいのをやってみないかという話になり、それで生まれたのがこの曲です。 ドラムの打ち込みやバッキングギターの調整なんかを当時めちゃくちゃに頑張っていたような記憶があります。 Aメロでノンダイアトニックを使いまくってどこへ行きたいのかよく分かんない感じにするのとか、最後のサビ前にAメロへ戻ってくるのとか(これについてはサークルの後輩が完全一致解釈をしてくれていて、本当に肯きが止まらなかった)、曲がりなりにもを名乗っている手前、曲に物語性を持たせるということはかなり意識していたような気がします。 この曲のイラストは相方の協力も得つつ自分が描いたんですが、少女と女性、夕方と夜の構図ですね。 ジャケも自前で用意できるとこういった符号をイメージ通りにできるのでとてもよいということをこのとき学び、以降、絵も自分で描こうという風に意識が傾いていったという裏話があります。 曲はめちゃくちゃにカッコいい東方アレンジなんですが、それはさておき歌詞が良いです。 〇ここにいるよ。 三回生の九月に作った曲です。 マジで作り直したい!!!!!!! 念願のを導入して最初に作った曲がこれですが、いまなら間違いなくもっと上手くできるはずなので本当に作り直したいです。 いや、それを言えば全曲作り直したいんですが……、それはさておき。 この曲はサビ先行で、前回の『「じゃあね、また明日」』で懲りずにまたも安易に4536へと手を伸ばし、「まあ、いいメロディ書けたしいいや~」とこれもまた同様に開き直った末に生まれた曲です。 誰か俺を殴ってくれ。 同サークルの某クラブミュージック勢がこの曲を好きだと言ってくれたのが嬉しくて、まあ当然のように覚えてるんですが、あれですね。 全然関係なさそうな層からリアクションを貰えるとギャップでめちゃくちゃ嬉しいってだけですね、これ、単純に(そうでない人からの反応も勿論嬉しい)(そうでない人って何?)。 この曲の一人称は『別れ』が過ぎて随分と時間が経ってからのことを歌っています、多分。 こう、一度遠く離れてしまうと簡単には会えなくなったりして。 いや、会おうと思えば簡単にとは言わずとも然程の困難もなく叶うと思うんですが、だけどなんだか口実が要るような気がして、そうこうしているうちにその誰かの声や仕草なんかを忘れていって。 でもまあ「何もかも やっと大人になって 君がみえなくなっても」と言っているように、この曲の一人称はその事実を悲観的に捉えているというわけではなくて、たとえ忘れたって唄うし、それに本当はいつだって続きに出会える、みたいな感じの前向きな気持ちで『別れ』に向き合っているというアレです。 どういった心境の変化が? ちなみに、この曲のリファレンスは『エンジェルドリーム』です。 の曲ですね。 中学のとき狂ったようにやってました。 三回生の十一月に作った曲です。 先述の『ここにいるよ。 』は吉音恒例の夏合宿中に提出した曲だったのですが、その合宿時に企画があり、そのステージそのものは勿論のこと、それに向けての練習なんかもその全部が自分にとってはとても新鮮で、この気持ちを忘れたくないというあたりから生まれた曲です。 Aメロ先行。 『未完成の春』という曲名は同バンド企画に参加していたメンバーたちが(半ば冗談で)合言葉みたいに話していた「失った青春(架空)を取り戻せ」というところから来ています。 曲のほとんどがボーカルとの伴奏だけから成っているのは、件のバンド企画において自分の担当がボーカルだったので、その立場から曲を作るというなら他の楽器(ドラム、ベース、、キーボード)は入れないほうがいいという理由からです。 いつかこの曲を弾き語れるようになるのが目標だったりするんですが、アホな転調とアホなコードをアホみたいに入れてしまったせいで弾けません、助けて。 この曲の一人称はいつかやって来る『別れ』とその先のことについて歌っています、恐らく。 その企画自体は本当に楽しかったんですが、全部終わって家に帰ってさあもうすぐ大学が始まるぞというときになって、でもあの七人で組むことはもう二度と無いんだろうなという予感がして、といってもそのことがどうこうというわけでは決してなく、そうではなくて、だからこそむしろ『別れ』が来たって「迷わなくていい」のかも、という気持ちになり、その辺りから書き始めました。 歌い出しに「十月の教室の隅っこで」とありますけれど、あれは理学部六号館のとある一室のことです。 ちなみに、この曲のリファレンスは特にありません。 ここから四回生、つい一か月前、五月の曲です。 時系列が前後しますけれど、この曲は後述の『startrail』の裏にあたるそれといいますか、なんだろう、いや内容も何もかもありとあらゆるすべてが一切合切無関係ないんですが、でも自分の中での『アイ』は『startrail』のリングとしてあるという気が薄らとします。 根っこの辺りで繋がってるっていうか……自分でもよく分かりませんけど。 この曲はギターリフ先行で、これを何とかうまく使いたいという気持ちがあったものの、メスな感じよりもループさせて使うのが似合うリフだと自分は思ったので、手元で何度もループさせながら鼻唄をあてて作ったという曲です。 リフの響きからなんだが冬っぽい印象を受けたので、編曲に使う音も寒々しい感じのそれに寄っていきました(ちなみにキーを一つ下げたら夕暮れっぽい印象になった。 同じリフなのに)。 この曲の一人称は『別れ』ばらく経った頃、何一つだって忘れられない、地獄みたいに長い夜をようやく明けるところまで歩いてきた、そのあたりの時期のことを歌っています、きっと。 何が悲しかったのかとか、何が苦しかったのかとか、ある程度の時間が経てばそういった痛みを少しずつ客観視できるようになってきて、それでもふとした隙に探してしまうこともあって、その全部が当たり前だって気づいて、だから「魔法のない世界の空の色も 私はきっと愛せるよ」と彼女は言っているのではないでしょうか、知りませんけど。 それとこれは完全に蛇足ですが『アイ』の歌詞には原型があって、ブログ内検索で「確一」と入れると読むことができます。 記念撮影ではなかった。 時系列が前後しますが、実は三回生に作った曲の中で最後のものです。 なので先述の『アイ』のほうが最近の曲です。 とはいえ公開はつい昨日のことなので、「昨日のことのよう」ではなく現に昨日のことなので、昨日の今日で話せることなんて何もないんですよね、これが。 これまでのは「まあもう何年か前のことだし、そろそろ自分で話しても時効っしょ」という気持ちで書いていたのですが、翻って『startrail』について話せることは何もないということになります。 おしまい。 この一人称もまた『別れ』をやっと乗り越えるというくらいの場所にいる気がします。 『アイ』のリングとしてあるという自分の認識は、その辺りの類似性に由来しているのかもしれません。 異なる二つの曲で『別れ』に対するアプローチが一致するということは、いままでにはなかったので。 まあ、しれませんという言葉で曖昧に濁したものの、しかしながらこの二曲はやっぱりどこかで繋がっていて、たとえばどちらも「声」を聞いていたりいなかったり、「雨」について触れていたり、そして最後に迎えるのは「夜明け」だったり、とか。 だからといって両A面というわけでもなくあくまでリングであるという認識は、結局、フィクションとノンフィクションの違い程度のものなのかなという気がします。 リルルの曲ですね。 以上! 眠くなるまでの暇潰しで書き始めたのに、いつの間にか太陽が顔を覗かせるどころが天高くに打ちあがっていて大層ウケますね。 五時間? もしかしてこれがってやつですか? 自分の曲、無限に話せてしまってよくないな~という気持ちです(無限に話せるのは当たり前)。 「自分の歌詞はよく『別れ』をテーマにしてるけど、それに対する向き合い方は毎回違うよなあ」ということを一ヶ月ほど前にふと思い、どこかのタイミングでブログにでも書こうと思っていたのをやりたかっただけだったのですが……。 普段こういう話を誰ともしないのでたまには許してくれということで、以上の文章をブログに丸投げして自分は床に就こうかと思います。 おやすみなさい。 今日は九時起きです。 kazuha1221.

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