カルマ 意味。 カルマ(KARUMA)の出身地は韓国?本名/身長/英語/弟/幼馴染もえりん/復活宣言/病気でYouTubeをやめたって本当?

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カルマ 意味

カルマの意味とは カルマとは、「結果を伴う行為」を指しています。 行動すれば、何かしらその結果が出ますので、因果関係のある「行為」を「業」と言います。 重要な事は業がもたらす結果が現世だけでは終わらず、来世やまた次の世というように永続的に引き継がれていくという事です。 カルマの法則とは カルマの法則とはあなた自身の行動が要因で、その結果があなたに返ってくる仕組みのことをいいます。 正に因果応報という事ですね。 一般的に多い解釈ですと、悪いことをしたら悪い事が返ってくる事と思っている人が多いようです。 ですが、カルマの法則はネガティブな意味もポジティブな意味も持っているのです。 何に対しても原因は結果を生むと言う事ですよ。 カルマの法則で幸せになる方法 小さな事に愛をもつ 小さな事とは、配慮を指しています。 身近な日常の中で小さな出来事というのは多々有りますが、常に、ひとつひとつに気を配っているというのは、大変な事です。 例えば、食事をするときに「いただきます」食べた後に「ごちそうさま」という言葉は作った人に伝える挨拶のようなものです。 そこに「美味しかったです」「今日もありがとう」と一言付け加えるだけでも相手に気持ちが伝わるものですよ。 そこに感謝と愛を感じますね。 感謝の気持ち 人はひとりでは生きて行けません。 人という字自体が正にそれを表しているように支え合っています。 お互いひとりひとりが支え合ってこの世が成り立っています。 家族でも他人でも生活のなかで当たり前にしている行動に、ひとつひとつ感謝して生きて行くのはちょっと難しいと感じるかも知れませんが、逆に言いますと、生活の中の些細な事にこそ感謝すべき事は沢山あります。 小さな事、些細な事に気づく事の大切さ、身近な人への感謝を大切にしましょうね。 倍にして返す 倍にして返すというのは、良い行いに対しての良いお返しの事です。 楽しい事や、誰かに助けられた事を誰かに倍にして返します。 直接してくれた人に返すという事でもあります。 幸せのエネルギーを周囲の人達と共有しましょう。 平常心を持つ 普段忙しくしていると、感情が乱れそうになる事があります。 しかし、感情的になることで良い結果を生むことはありまんよ。 感情が乱れそうになる事は誰にでも起こります。 そういった場面で、冷静でいることは少し難しい事かもしれません。 嫌な感情と思考は素早く行動に移される傾向が強く、結果的に自分自身に悪影響を及ぼす事になります。 嫌な感情や思考から自分自身を切り離すには日頃の訓練が必要です。 あなた自身の中にマイナスに考えてしまう闇の部分がある事を認める事が重要です。 闇というのは誰にでもある人間の一部です。 普段から嫌な気持ちになったら、なるべく冷静に「自分は今、嫌な自分になっている」と見つめてみましょう。 それをどの場面でも出来るように習慣付ける事によって、マイナスのエネルギーに振り回される事は減りますよ。 経験する カルマとは因果関係のある行為を「業」という意味がありますが、業は生活をしていくうえで多くの経験をしていくものでもあります。 経験というのはとても大切なことで、時間に余裕があるのであれば、外へ出てブラブラと街を散策してみるのも良いですよ。 そうすることによって人や興味のあるものに出会ったりするものです。 仕事の中で業務という言葉があるように「業を務める」経験したことを続けるという事も大切な事ですよ。 自己受容 自分にとって都合の悪い事が明るみになった時、人は怒りや不満をあらわにする事があります。 しかし、これらを、あらわにしてしまう前に、全てを受け入れる事がとても重要です。 そうする事で負の感情に対して冷静になり、振り回される事が少なくなって行くでしょう。 これは、とてもハードルが高い事かも知れません。 しかし、少しづつ向き合う事でカルマの負の連鎖を断ち切る事に繋がりますよ。 業という行為の中には修行という意味もあります。 精神や感情に振り回されるのでは無く、自分自身がコントロールする事が出来るのが重要という考えですね。 悲観的にならない 輪廻転生という言葉がありますが、悪い事をしたらまた直ぐに世に帰って来るとは限りません。 前世のカルマが今世に引き継がれているかも知れません。 何事も悲観的にならずに、前向きにご自身の人生を全うする気持ちや覚悟が大切です。 もし、あなたがカルマのしがらみを感じていても、まず今の自分自身に向き合って行く事で人生が好転して行く事は間違いありません。 周囲を観察 類は友を呼ぶようにあなたが持っているカルマと周りの人達のカルマが同じかも知れませんので観察してみましょう。 あなたの周りにはどんな人達がいるでしょうか。 負は負を連鎖し、良い行いは良い行ないを呼びます。 あなたの普段の行ないはあなたにとって正しいかどうかは、周りをみて判断出来るでしょう。 慈善活動や寄付をする 日本には積極的にチャリティーに参加する文化はあまりないようです。 自分のお金は自分へのご褒美に使う事が多いかも知れません。 急にお金持ちになったような人は、自分を豪勢に見せることに積極的です。 しかしながら、欧米ではお金持ちの義務として慈善活動や寄付をすることがごく当たり前のこととして文化に根付いています。 これはカルマの法則に当てはめてみても、とても理に適っている行為で、他人に寄付する行為が巡り巡って、いつか自分の富につながることになります。 現在お金持ちでなくても慈善活動や寄付をする事で、いつかその恩恵に与かる時が来るかもしれませんね。 無償の労働力を提供する 無償の労働力とは自分の意思で進んで人のために善意の労働をする事です。 誰に命令されずとも善意の行動をする、見返りを一切期待せず善意の行動をする、これからとても尊い行為です。 強い意思があってこそ、成し遂げられる行為ですね。 いわゆる奉仕活動には、カルマの法則的な要素が非常に強く表れていて、ほとんどの場合で自分が被災し、その際に来てくれたボランティアに感激して、その恩返しとして、別の被災地に赴くことが多いようです。 この奉仕の連鎖は、まさに因果応報の良い例と言えますね。 一日一善 1日に1つ良い行ないをするという事が大事です。 沢山のアイディアが浮かぶ方もいるのではないでしょうか。 逆に何をしたらよいのかわからないという意見もあるかも知れませんね。 良い事は、自分にとってであったり、社会や他人にとって役に立つ事とも言えます。 他人にとって役に立つ事とも言えますね。 カルマの法則で考えてみると、人の役に立つ事で世の中が上手に回ることもありますし、それが回り回って自分に返ってくるという事でもあります。 毎日コツコツと積み重ねる事で大きなものへと変化することもありますよ。 カルマの法則と恋愛 人は経験を通して無意識の中で恋愛のパターンができる事がほとんどです。 それは自分自身が造り出したことであり、カルマの法則によって出来上がったパターンでもあります。 カルマの法則を理解し受け入れて全て順調に過ごす事が出来たら幸せですね。 はじめ興味はなかったのに、日が経つにつれて好きになるような経験をされた話を聞いた事はありませんか? とても自然な感じで好きな感情が育まれる場合、過去性においてもカルマの関係性があった相手である場合がありますよ。 現世で出会う人は過去性でも出会っていて何らかの関係性があったと言えるでしょう。 結婚生活が何らかの理由で上手く行かず離婚する 夫婦というのは、今では良くある当たり前の事になりましたね。 離婚というのは様々な事情があってするのだと思いますが、決して離婚が悪いということではありませんし、 離婚するのもカルマ法則が関係していることもありますよ。 カルマの法則とお金 ここではカルマの法則とお金の活用術をご紹介したいと思います。 お金は天下の周りもの、というようにお金を留まらせる事をせず、使う事、循環させる事で回り回ってまた自分に返ってきます。 お金で困っている人はお金のカルマを解消するために、お金を稼ぐ方法を他人の何倍も勉強し経験する必要があるかもしれません。 お金を得る仕組みを知り実践してはじめて、カルマの法則を理解する事に繋がりますよ。 まとめ カルマの法則はどの場合においても、過去性と繋がっている場合はもちろん、自分のために行動する事より、他人のために行動する事によって良い循環を産み自分に返ってくるという事でしたね。 ですから、逆の場合は注意が必要ですよ。 恋愛や結婚においても、同じ事が言えるのではないでしょうか。 カルマの法則を理解し受け入れる事で人生を豊かにしてみましょうね。

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カルマヨーガとは何?ヨガの特徴と正しいやり方の解説|ヨガコンシェルジュ

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過去世・カルマの意味 過去世の意味 過去世とは、「前世」や「今よりも前の時世」のことです。 厳密にいえば、あなたの魂が現世に輪廻転生してくる以前の時世といえます。 これまでに私たちは、何度となく輪廻転生を繰り返して「別の肉体」に生まれ変わっています。 つまり、肉体の寿命が来るたびに魂の宿る場所が変わっているのです。 そうして、輪廻転生を繰り返すたびに増えていく時世を「過去世」と呼び、ほとんどの方がすでに無数の過去世をもっています。 カルマの意味 カルマとは、「業」のことです。 業とは、過去世で自分がとった行動の対価として生まれる現象を意味します。 簡単にいえば、過去世から続く「未達の課題」「宿題」なのです。 とはいえ、カルマは会社の課題・学校の宿題のように目に見えるものではありません。 あるいは、誰かから提示される機会もめったにないでしょう。 そういった意味合いでいうカルマとは、「自力で気づいて解消すべき魂の課題・宿題」ともいえます。 あなたの身に降りかかる出来事の中からカルマを探して解消すべきなのです。 過去世・カルマがもたらす現世への影響 過去世の記憶・カルマは「魂」に刻まれています。 それも意識(顕在記憶)ではなく無意識(潜在記憶)の中にインプットされているのです。 また、無意識の中に記憶された過去世・カルマは現世に影響を及ぼします。 ここからは、過去世・カルマがもたらす現世への影響を詳しく見ていきましょう。 思考への影響 過去世の記憶・カルマは現世のあなたの思考に影響を及ぼします。 たとえば現世のあなたが、「何事も独りで行うべきだ」という考えの持ち主だったとしましょう。 しかも、その思考を生むきっかけとなる出来事が現世になかったとします。 その場合、独りを良しとする思考は、過去世の記憶・カルマに影響されて根付いたものだといえます。 人間の思考は「現世での経験」に基づくものとされていますが、過去世の記憶・カルマに影響されて生まれる価値観・考え方も少なからずあるのです。 感情への影響 過去世の記憶・カルマは現世のあなたの感情にも影響を及ぼします。 現世のあなたに「抱きやすい感情」があるとすれば、過去世の記憶・カルマの影響を受けているといえます。 現世で「人が嫌い」という感情が強いのだとすれば、過去世でいじめ・ハラスメントなどを受けたのかもしれません。 あるいは、現世で「根っからのマイナス思考」なのだとすれば、過去世は自信を喪失するような環境の中で生きていたのかもしれないということです。 引き寄せる現象への影響 過去世の記憶・カルマは現世のあなたが引き寄せる現象にも影響を及ぼします。 たとえば、他人に優しくしているにもかかわらず、不運が続いていたとしましょう。 一般的な「引き寄せの法則」から考えれば、他人に優しくすれば自分も幸運になれそうなものです。 それでも不運が続く場合は、過去世の記憶・カルマが関係しているといえます。 とはいえ、カルマは解消するために用意された魂の課題なので、引き寄せる現象については神経質に心配する必要はありません。 現世のあなたへの試練として不運が続く場合もあるのです。 仮に過去世の記憶・カルマの影響で不運が続いたとしても、善行を続けるうちにカルマは解消されるでしょう。

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カルマの法則の意味とカルマの解消法

カルマ 意味

「 カルマ」、「 共業」はこの項目へされています。 「カルマ」のその他の用法については「」を、協力して働くことについては「」をご覧ください。 原義においては単なる行為(action)という意味であり、「良い」「悪い」といった色はなく、特に暗いニュアンスはない。 およびの多くのの説では、またはの業を作ると、の道理によってそれ相応のまたはの報い(果報)が生じるとされる。 業は果報と対になる語だが、業の果報そのものを業という場合もある。 仏教はすべての結果について「偶然による事物の発生」「(原因なく)事物が突然、生じること」「神による創造」などを否定し、その原因を説くのである。 業の思想は(とりわけ、、、)とにおいて、と強く結びつく概念である これらの多くの説では、善意と善行は良いカルマと幸福なをもたらし、悪意と悪行は悪いカルマと悪い再生をもたらすとされる (善因善果、悪因悪果).。 あたかも金細工人が一つの黄金の小部分を資料とし、さらに新しくかつ美しい他の形像を造るように、この我も身体と無明とを脱して、新しく美しい他の形像を造る。 それは、あるいは祖先であり、あるいは乾闥婆(けんだつば)であり、あるいは諸神であり、生生であり、梵天であり、もしくは他の有情である。 ……人は言動するによって、いろいろの地位をうる。 そのように言動によって未来の生をうる。 まことに善業の人は善となり、悪業の人は悪となり、福業によって福人となり、罪業によって罪人となる。 故に、世の人はいう。 人は欲よりなる。 欲にしたがって意志を形成し、意志の向かうところにしたがって業を実現する。 その業にしたがって、その相応する結果がある — 『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』 インドでは業は輪廻の思想とセットとして展開する。 この輪廻と密着する業の思想は、としてやのような立場で理解される。 それによって人々は強く業説に反発し、決定的な厭世の圧力からのがれようとした。 それが釈迦と同時代の哲学者として知られたと仏教側に呼ばれる人々であった。 ある人は、霊魂と肉体とを相即するものと考え、肉体の滅びる事実から、霊魂もまた滅びるとして無因無業の主張をなし、また他の人は霊魂と肉体とを別であるとし、しかも両者ともに永遠不滅の実在と考え、そのような立場から、造るものも、造られるものもないと、全く業を認めないと主張した。 なおバラモン教における輪廻思想の発生を、従来考えられているよりも後の時代であるとする見解もある。 例えばでは、釈迦在世時に存在したバラモン経典を、三つのヴェーダまでしか認めておらず 、釈迦以前のバラモン教に輪廻思想は存在しなかったとする。 もちろん、当時の自由思想家たちが輪廻思想を説いていたことは明白であるが、彼らはバラモン教徒ではなかったことに注意すべきである。 ジャイナ教 [ ] この節のほとんどまたは全てがにのみ基づいています。 も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。 業による報いを 業果や 業報という。 業によって報いを受けることを 業感といい、業によるである報いを 業苦という。 に造った業を 宿業または 前業といい、宿業による災いを 業厄という。 宿業による脱れることのできない重いを 業病という。 自分の造った業の報いは自分が受けなければならないことを 自業自得という。 — , 134, ,• 生まれる(kammayoni)- 生命を生み出すのは、自ら行った行為からで、すべて業より生まれる。 切り離せない(kammabandhu)- 生命は業との繋がりを切ることはできない。 分類 [ ] 仏教における業は、様々に分類される。 三業 [ ] 業は一般に、 身 ( しん )・ 口 ( く )(もしくは 語 ( ご ))・ 意 ( い )の ( さんごう )に分けられる。 身体的行為。 においては、身業とは、その行為・動作をする瞬間瞬間に身体が示す形状であるとする。 たとえば、人を打つという行為は、映画のフィルムの1こま1こまの画面の変化のように、こぶしを振り上げてそれを相手の頭上に振り下ろすという過程の瞬間瞬間に、身体の形状が少しずつ変化していくことによって完遂される。 その各瞬間の身体の形状、すなわち(の対象)こそが身業であるとする。 なお、十悪業は身・口・意の三業に分類され、身の三業は 殺生 ( せっしょう )・ 偸盗 ( ちゅうとう )(盗み)・ 邪淫 ( じゃいん )(不倫、道に外れた性行為 )となる。 言語表現。 説一切有部においては、一瞬一瞬に発音される声音の積み重なりが言語をなすのだから、(の対象)こそが口業であるとする。 なお、十悪業が分類される口の四業は 妄語 ( もうご )(嘘をつく)・ 両舌 ( りょうぜつ )(二枚舌を使う)・ 悪口 ( あっく )(悪口を言う)・ 綺語 ( きご )(無益なおしゃべり)となる。 ( いごう )(: manas-karman 、マナス・カルマン) - 意志に関わる行為。 心意作用。 十悪業が分類される意の三業は 貪欲 ( とんよく )(貪り)・ 瞋恚 ( しんに )(怒り)・ 愚痴 ( ぐち )(愚かさ)となる。 ここでは、(第二段階の意業だけでなく)、第一段階の思をも業のなかに含めて理解している。 そればかりでなく、第一段階こそが業の本質的なものだとして重要視している。 なお、やは、三業すべての本体を思(意志)であるとする。 思業と思已業 [ ] 業は、意志の活動である 思業 ( しごう )と、思業が終わってからなされる 思已業 ( しいごう )との2つに分けられる。 思業はであり、思已業はとである。 表業は、「知らしめる行為」 、外に表現されて他人に示すことができるもの 、行為者の外面に現われ他から認知されるような行為 を意味する。 無表業は、他人に示すことのできないもの 、善悪の業によって発得される悪と善を防止する功能(習性) 、行為者の内面に潜み他から認知されないような行為 を意味する。 において、業を起こした時の心が心ならそれと異なるあるいはの心を 乱心といい、業を起こした時の心が心ならそれと異なるあるいはの心を 乱心という。 また、やに入って心の生起が全くなくなった状態を 無心という。 この上で無表色は、 の分別界品第一においては、これらの「乱心と無心等(この2つに 不乱心および 有心を含めた4つを 四心という。 著者のはこれによって全ての心の状態を示し得たと考えている。 )の者にも 随流 が連続生起して絶えない流れをなすこと。 であって、浄や不浄にして、大種 によってあるもの」と定義されている。 分別界品第一の定義は 四分随流ともいう。 なお、無表色はの所造であるがの所成ではない。 また、、に属しながらであり 、の対象とはならず、ただの対象である。 無表業とは、説一切有部の伝統的解釈によれば「悪もしくは善の行為を妨げる習性」で、具体的には律儀、不律儀、非律儀不律儀の三種であり これはの分別業品第四の所説であり、この所説が無表業全体を解明しているという考え方がある。 、いわゆる「戒体」と同じものである。 また、無表色は身無表と語無表の二種に分けられ、殺生、偸盗、邪淫の三つの身業と妄語、綺語、離間語、悪口の四つの語業を合わせた七支に関わるものである。 明治大正期より、近代仏教学者によって経部の種子説との混同や 、大乗仏教の立場から有部の無表業を誤謬として規定したり 、「仏教元来の無表」を想定することによって、無表色を「業の結果を生ぜしめるもの」とする理解が流行したが、文献学的に論証されたものではなく、根拠に乏しい。 身表と身無表、語表と語無表の四つにを加えて 五業という。 引業と満業 [ ] 総体としての一生の果報を引く業を 引業(牽引業、総報業、引因とも)という。 これはとかなどに生まれさせる強い力のある業のことを指す。 他方、人間界などに生まれたものに対して個々の区別を与えてを完成させる業を 満業という。 引業と満業の2つを 総別二業という。 共業と不共業 [ ] 山河大地()のような、多くのに共通する果報をひきおこす業を 共業(ぐうごう)といい、個々の生物に固有な果報をひきおこす業を 不共業(ふぐうごう)という。 三性業 [ ] 善心によって起こる 善業(安穏業)と、悪心によって起こる 不善業(悪業、不安穏業とも)と、善悪のいずれでもない無記心によって起こる 無記業の3つがあり、この3つを 三性業という。 三時業 [ ] 業によって果報を受ける時期に異なりがあるので、業を下記の3つに分ける。 この3つを 三時業という。 三時業の各々は、この世で造った業の報いを受ける時期がそれぞれ異なる。 三時業は報いを受ける時期が定まっているので 定業といい、報いを受ける時期が定まらないものを 不定業(順不定業、: aniyata-karman )という。 三時業に不定業を加えて 四業という。 業因と業果との関係 [ ] 善悪の業を造ると、それによってやの報い(果報、果熟)が生じることを、業因によって業果が生じるという。 この業因と業果との関係について諸説がある。 比丘たちよ。 とは何か。 〔の果報〕はなく、供犠〔の果報〕はなく、献供〔の果報〕はない。 善悪の業に果報はない。.... 比丘たちよ、これが邪見である。 — , 中部, 阿毘達磨 [ ] 『総合仏教大辞典 1988 』によれば、 では [ ]、の第十支の「有」は業を意味するものと解釈されている。 これを 業有という。 浄土教 [ ] 一般に、してのにしようと願うことを 浄業という。 密教 [ ] この節のが望まれています。 西洋 [ ] 西洋では、ドイツの思想家(1729年 - 1781年)の時代から、生の繰り返しによる学びを通した個人の段階的な完成として、東洋よりはるかに楽観的な思想が唱えられてきた。 心霊主義 [ ] フランス人19世紀に創始したのキリスト教 カルデシズム)では、転生が信じられており、神から与えられた自由意思によって、転生する間に過ちを起こしてカルマを形成し、この負債であるカルマによって、その人に災いが起こると考えられた。 人間の苦しみの原因は自らが過去生で蓄積した負債であり、地上の生はこの負債の返済のためにある。 また人生の苦しみは神の恩寵でもあり、苦しみを通じて負債が軽減されることは神の期待に沿うことであり、苦しみを乗り越えることは大きな栄光であると考えられている。 スピリティズムにおいて、自由意思は負債の原因であると同時に救いを可能にするものであり、個人が救済されるか否かは全て個人の自由意思次第であり、救いは慈善活動、他者救済のみによって可能となる。 後述)と同時代には、心霊主義の霊媒がおり、彼にした霊であるという「シルバー・バーチ」という人格によると、転生とは償いや罰が問題ではなく、進化のためにあり、「業という借金」は「教訓を学ぶための大切な手段」であるとされ、懲罰的な意味合いは中心から外されているか、完全になくなっている。 神智学 [ ] 19世紀に近代を創始したロシア人オカルティストのは、身体的な進化のベースに霊的な進化があると主張し、人間は転生の繰り返しを通して神性の輝きに向かって進化するもので、連続する生はカルマの法則によって統括されていると考えた。 ニューエイジ [ ] 近代から直接生まれ変わりの思想を受け継いだでは、転生やカルマが信じられている。 津城寛文によると、ニューエイジを一般に広めた女優のなどの「スピリチュアルな」重要人物たちは、心霊診断家のを最大の権威として参照しており、ケイシーは現代アメリカの転生思想に最も大きな影響がある。 催眠状態のケイシーが語る「リーディング」で伝えた原則的な教訓は、「蒔いたものは刈り取らねばならない」という新約聖書の言葉を標語にするもので、死後も存在が続くと意識することによって生じる内面の正義を目的とする倫理である。 リーディングでは、カルマという用語で説明された。 ヒンドゥー教から用語を借りつつも、キリスト教内部に元々あった教えであることが暗に示されている。 ケイシーの教えには、カルマを活用することで生まれ変わりの機会を改善するという志向がある。 リーディングには、割り当てられた問題を今生で解決し、もう地球に転生しないかもしれないというごく少数の事例もあり、彼らは死後より高次の惑星に移行するとされている。 ケイシーは滅亡を歴史的事実として語り、その時のカルマにより現代社会の滅亡が近いというを唱えた。 ニューエイジの「カルマの法則」は、原因と結果に関する宇宙の法則、互いに結びつき道徳的な均衡へと向かう宇宙の傾向の一部であり、しばしば道徳的な意味で宇宙の進化と同じと考えられた。 悪や苦しみは幻影であるとされ、カルマは悪や苦しみとは無関係の概念になっている。 今の人生の課題は前世のカルマによって決められているという考え方は、生きる指針を見失い喪失感に苦しむ現代アメリカ人たちから、広い支持を得た。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• (かつま)と音写する。 原始仏典である阿含経典 二カーヤ において、ウパニシャッドは言及すらされておらず、まったく存在していなかったと考えるからである [ ]。 登場するヴェーダも三つまでである [ ]。 ただし、業因には、などの「業を起こさせる原因」という意味もあり、因業には「因と業」すなわち「主と助」という意味もある。 業とその苦である報いのことを業苦という場合もある。 非善非悪のは業果を引く力がない。 やでは、身・語を動初(どうほつ)する(意志)の(しゅうじ)のことを指して業道という場合もある。 出典 [ ]• 『』、RINDAS ワーキングペーパー伝統思想シリーズ19、龍谷大学現代インド研究センター、2014年、pp. 6-8。 363-365. 789. 『無我の見方 「私」から自由になる生き方 』 サンガ、2012年、Kindle版、位置No. Parvesh Singla. Parvesh singla. 5—7. GGKEY:0XFSARN29ZZ. 2011年6月4日閲覧。 , No. [ ]• 314. 246. 117~118. 、小学館。 , p. 索引頁「仏教基本語彙 3 」. , p. 117. , p. 120. 788. , p. 索引頁「仏教基本語彙 7 」. 121. 847. , p. 索引頁「仏教基本語彙 9 」. 846. , p. 120. , p. 130. , p. , p. 844-846. 844-843. 干潟龍祥、「」 日本學士院紀要 1975年 33巻 1号 p. 1-7, :• , p. , pp. 36-37. 山田政信 「」 ラテンアメリカ研究年報No. 19 1999年• , p. , pp. 428-434. 119. 428-434. 71-73. 参考文献 [ ]• 新村出(編)『広辞苑』岩波書店、1986年10月、第三版。 総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合仏教大辞典』法蔵館、1988年1月。 他『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年、第2版。 (初出:『仏教の思想』第2巻 角川書店、1969年)• 青原, 令知「」『印度學佛教學研究』第65巻第2号、日本印度学仏教学会、2017年、 848-841頁。 清水, 俊史「」『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』第39号、佛教大学大学院、2011年、 17-34頁。 工藤, 道由「」『印度學佛教學研究』第31巻第1号、日本印度学仏教学会、1981年、 130-131頁、 :。 阿部, 真也「」『印度學佛教學研究』第87巻第1号、日本印度学仏教学会、1995年、 35-37頁、 :。 加藤, 純章「」『印度學佛教學研究』第16巻第1号、日本印度学仏教学会、1967年、 120-121頁、 :。 松久保秀胤『唯識初步 : 心を見つめる仏教の智恵』鈴木出版、2001年。 津城寛文『』春秋社、2005年、1-283頁。 『現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ』 () 編、 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳、、2009年。 Michael York 執筆「ニューエイジの伝統」。 Kevin Tingay 執筆「神智学協会」。 著『現代オカルトの根源 - 霊性進化論の光と闇』筑摩書房〈ちくま新書〉、2013年。 『Power up Your Life 力強く生きるためにブッダが説いたカルマの法則』(Kindle版) サンガ、2014年。 関連項目 [ ]•

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