疫病 と 世界 史。 世界史のパンデミック死者数TOP10

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訳文が読みにくい。 追うのが苦痛になる文だ。 世界史における判然としない部分、矛盾した部分を、疫病の観点から説明しようと試みる。 アステカを亡ぼしたのはコルテス率いる小部隊の戦術よりも、彼らが新大陸にもちこんだである。 ペストやチフス、最近ではなど、疫病の人類に与える力は無視できない。 人間は動物をとって食べる。 ライオンや狼はかつて人間を食べたが、まもなく敵わなくなった。 一方、病原菌は人間の体内に寄生し必要な栄養を吸収する。 ライオンやワニの襲撃も、人間同士の戦闘と食人行為も、病原菌と宿主との関係も、みな生物同士の、生態系における出会いである。 細菌やウイルスと宿主はの関係を築く場合がある(たとえば大腸内の有益な菌のように)。 一方、ある動物では無害な病原菌が、ヒトに寄生したとたん攻撃力をもつことがある。 彼らがそれまで住んでいた熱帯は生物にやさしい気候であり、数多くの微生物、病原体が生息していた。 このため、人間のポピュレーションに対する抑制が働いていた。 衣類を身につけ、道具を用いる人間が温帯や寒帯に移動すると、そこには生物があまりいなかった。 つれてこられたウサギが、天敵のいないオーストラリアで大繁殖したように、ヒトもまた温帯で大増殖した。 人間は生態系を左右する力をもつようになった。 温帯に移った人間は従来の狩猟に加えて農耕牧畜をはじめたが、ここでも特有の疫病に悩まされた。 とが豚肉を禁じているのは、では豚が汚物処理の役割を担っており、人糞などを食べるため体内に無数の寄生生物を保持しているためだ。 ウイルス、は、ほぼ確実に家畜や動物からヒトに転移する。 その際、元の宿主では考えられなかったような毒性をもつことがある(、、腺ペストなど)。 感染当初は高い致死率を示すが、このような急激な感染はやがて寄生生物そのものを絶滅に追いやる。 致死率が下がり、宿主であるヒトと寄生生物が均衡状態に至ると、この病原菌は風土病、小児病(はしか、、風しんなど)になる。 疫病の攻撃と軍事行動には、比喩以上のつながりがある。 ある部族や都市が多数の風土病を保持していることは、敵にとって感染の脅威を意味する。 軍隊は疫病の温床であり、また疫病を運ぶものである。 都市はウイルス、の温床であり、田舎からの人口流入が不可欠だった。 十九世紀の軍隊では、栄養失調の都市貧民よりも、健康な田舎青年のほうがずっと疫病による死亡率が高かった。 田舎の高と、都市・軍隊の高死亡率が均衡を保っていないと、文明は傾くが、この保持は容易ではない。 人口と文明の盛衰とのあいだには相関があり、その人口を左右するのは疫病である。 都市文明は疫学兵器をもち、熱帯の森林生活者は人数こそ少ないがさらに強力な疫学兵器をもつ。 彼らは疫病を片手に文明を拡大する。 流域と長江流域とのあいだには、ニューヨーク近郊とフロリダほどの緯度の違いがあり、さらに地形や風によって環境が隔てられている。 華南の豊富なウイルス・が、からの進出を妨げる役割を果たした。 インドは江南をさらに上回る酷熱多湿の地であり、多数の寄生生物の住処である。 このために中国が攻めてくることはなく、またインドの政権は不安定なものが多かった。 エジプトは寄生生物の宝庫であり、ローマ、ギリシアといった地中海沿岸は比較的寄生生物が少なかった。 やローマ、のいずれも、の時期と繁栄の時期が一致している。 なぜなら、とは、例外的な事態だからだ。 持続的な人口増と文明化された社会の拡大は、「マクロ寄生とミクロ寄生の間のバランスが整えられ」ていたことで可能になった。 マクロ寄生とは人間の対外進出、ミクロ寄生とは人間にたいするウイルスの拡大をさす。 紀元まもない時期の(帝死亡時)、の人口はすでに五千万、五千九百万に達している。 古代においては、海路・陸路での貿易がそれほど盛んではなかったため、各文明の保持する疫病が、互いにおそろしい感染をもたらすということは稀だった。 や海の道が発展し、東西交流が盛んになると、おもにインドやからもちこまれた疫病が猛威を振るうようになった。 交易の確立した紀元後二世紀ころ、ローマと中国は深刻な疫病に悩まされた。 混乱期のローマで蔓延した疫病はではないか、と著者は推測している。 また、悪疫のなかでも病人看護を義務付けたことが、が支持を得た理由だとも書いている。 ペストはインドが発祥であり、クマネズミなどのげっ歯類を媒介してヒトに感染する。 一度ヒトに広まるとすさまじい致死率を誇るが、ペストは六、七世紀の地中海ではじめに確認されている。 島国の日本と英国は免疫がなく、たびたび感染になやまされた。 日本は十世紀以降、英国は十四世紀以降、ようやく深刻な疫病を小児病にすることができた。 ところが、の確立による交通の発達は、ペストの拡大をもたらした。 十九世紀末から二十世紀初頭にかけての世界各地でのペストの流行は、国際医学チームによって制圧されたが、このような交通の発達に伴う疫病の発生は、生物学的には通常の現象なのである。 ヨーロッパにおけるペストの拡大は十四世紀中葉からはじまった。 ペストはヨーロッパの社会、経済、、文化芸術を根本から変えてしまった。 はペスト対策を怠ったために甚大な被害をこうむった。 、の動向については前提知識が足りないので理解しにくい。 これはに比べて新大陸が小さく、大きな島にしかすぎなかったことが理由である。 新大陸はに比べて生物のが少なく、またほとんどの動植物はの動物との競争に勝つことができなかった。 スペイン到着時、すでにの人口は耕作面積の限界にまで達し、人口減がはじまっていた。 近年の研究によって、一億ほどだったの総人口が疫病のために百六十万ほどにまで減少したことが明らかになった。 につづいてはしか、チフスなどが繰り返し襲いかかり、の文化文明を破壊した。 いかなる制度や社会、文化、信仰も、このような極端な人口減少を説明し、忍耐させることはできない。 がやすやすと白人に服従し、を受け入れたのには、疫病が彼らの信じるものを破壊したという原因があった。 ヨーロッパでは梅毒が広まったが、にもかかわらず人口に大きな影響を与えなかった。 新大陸発見から十八世紀まで、ヨーロッパと中国、とくに中国は莫大な人口増加を経験した。 これは疫学的な安定や経済の発達、政治的安定によるものだという。 顕微鏡が発明され、細菌が目視できるようになる以前から、慣習や戒律が病原菌にどう対処するかを示してくれる例が多かった。 では、祖先の生まれ変わりがいるかもしれないというのでマムートを捕獲するのを禁じていた。 マムートは腺ペストを保持しているので、これは予防にかなう慣習だった。 マレーでは水は一日に一回しか運んではならず、また、家の中に水を貯めておいてもいけないとされている。 これは、蚊が屋内で卵を産みを広めるのを阻止した。 一方、慣習が疫病に益してしまう例もあった。 巡礼は軍事行動と同じく病原菌を撒き散らす行為であり、沐浴場はの温床となっていた。 アジアやアフリカでは、種痘(患者から採取した膿を傷口に加えて免疫をつける)が古くからおこなわれていた。 イギリスにおいては近代になって田舎から実施された。 都市部でははすでに小児病となっていたため、深刻な被害をもたらす田舎のほうが種痘に対する意識が高かったのだ。 時代がくだるにつれて疫病は人類にとって致命的な要素ではなくなった。 、、チフスは無力化され、ペストもら国際医学チームによって無力化された。 十九世紀の戦争、や、などでは、まだ敵軍の攻撃による死者より疫病による死者のほうが多かった。 これが覆されたのはによる日本軍である。 以降、兵隊への予防接種制度が徹底され、軍事行動における悪疫は激減した。 けれども、疫病の問題が根絶されたわけではない。 インフルエンザは変異をおこしやすい生物で、の流行では数百万人が短期間で死亡した。 また、疫病の脅威が減ったことで人類の人口増加が加速し、食糧問題をひきおこしている。 また、過度の清潔さのためにポリオなど特定のウイルスが強力な毒性を帯び、小児麻痺をひきおこす例がある。 としての疫病の利用の可能性はゼロではない。 著者いわく、人類は寄生生物の侵入には脆弱であり、これからも疫病は人類にとっての決定要因だろう。 気候風土や免疫といったどうしようもない要素が、歴史を決定してきたことを認めなければならない。 人間の集団とは不潔の集団である。 軍隊は不潔の兵器をもっている。 軍事行動や人間の集住は、不潔、汚染、疫病とセットなのだ。

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「疫病と世界史」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

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概要 [ ] 日本の歴史上、疫病として流行したと考えられているものに、(天然痘)・(はしか)・・・・・・・などがあげられる。 こうした病気は元々特定の地域のであったが、・・の発展と異世界との交流拡大による人や文物の往来に伴い、これまで同種の病が存在しなかった地域にも伝播し、中には世界的に流行するようになったと考えられている。 例えば、コレラは日本ではに初めて発症したとされ、それ以前には存在しなかったとされている。 前近代においては疫病の原因として、・()・・の仕業とか・によるものであるという超自然的なものに原因を求める考え方が一般的であり、ごろから全国で疫病の終息の願うや各種祭礼(・・・・・など)が行われていた。 現代でも疫病に関わる・が各地に残っている。 一方、の分野では天地の気の乱れや陰陽不順による・・がやを通じて体内に侵入して生じると考えられ、鍼灸やによって体内の陰陽のバランスを回復させることに主眼が置かれていた。 疫病の原因がはっきりとするのは19世紀後期(日本ではから)にが進歩した後のことであったが、江戸時代には病気が病人から伝染することが漢方医の間でも知られており、の『』の中にもから今まで知られていなかった病気が日本に伝わってきたことや病が伝染するものであることが記されている。 政治的にはがのを受けたや幕府医官の意見を受けたの()を出して、・による治療が奨励された。 政府が・を中心としての強化を図ったことで疫病の流行が減少し、神事なども行われなくなった。 疫病菌の発見 [ ] 主な疫病菌の発見は以下の通りであり、後半から初頭にかけての時期に集中している。 病名 発見年 病原菌発見者 (ノルウェー) (フランス) 1880年 (ドイツ) (ドイツ) ロベルト・コッホ(ドイツ) (日本)、 ()(ドイツ) (イギリス) (日本)、 ()(フランス) (日本) ()(ドイツ) (フランス) (フランス) 脚注 [ ] [].

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下巻は主に、ペストを主人公にしている。 ハンス・ジンサー(文中ではハンス・ズィンサー)の「」もこの本を書くに当たって参考文献にしている点は有難かった。 そうでなければこの本は読まなかった。 だがジンサーが「発疹チフス」を主人公にしている代わりに、マクニールはペストを主人公にした。 ある意味当然ではあるが、ヨーロッパで最も甚大な被害を出し、歴史の流れ、社会・経済・政治システムすらひっくり返したのだがら当然ではある。 ジャレド・ダイアモンド「」で有名にさせたペスト、天然痘等の疫病が歴史の流れを大幅に変えたことを裏付ける内容がこの著書でも述べられている。 ジャレド・ダイアモンドも、疫病の「古典的」文献としてこの著書とハンス・ジンサーの著書を推薦している(上巻11章の関連文献参照)。 さすがに現代の歴史でもペストのことがあまりに甚大な被害すぎて高校の教科書には載る様になったが、複雑怪奇な天然痘、発疹チフス、コレラなどはまだまだ教科書では教えていない。 なぜ圧倒的に死者が増えたのか? 考えれば恐らくいくつかあるが、どの著者でも断言するほど明快には述べられてないが、ほとんどこの3点に尽きると思う。 1 免疫抗体の上昇。 新大陸に移り住んだ免疫抗体を高めた西欧人が、土着のインディオ、インカ、アステカの王国を崩壊に導いたことからも言える。 このことはジャレド・ダイアモンドの論旨である。 2 感染症の複合感染。 天然痘にかかり、体内の免疫力や抵抗力が弱まったところに、別のチフスやペストにかかれば死者は膨大な量に跳ね上がったことは間違いなく言える。 それに衛生面の対策等が不明だったから特にそう断言出来る。 ハンス・ジンサーが医学博士で、文学博士という特異な才能から、述べられた論旨。 実はこの論理は考えれば当然であるが、多くの歴史学者が一番考えていないことである 3 感染した動物や微生物(ノミやダニ、シラミ)の気候、環境の変異により大移動した。 これはマクニールが述べていることであり、「マクロ感染」という名の民族移動により広範囲に疫病が広まったという。 特に2が重要とは思う。。 エボラ出血熱でも放置すれば死亡率は90%だから、過去の疫病対策が全くなされない過去の社会なら全くあり得ないことではない。 なぜそれほどこの問題から逃げるのか?マクニールは「突然の予期せざる死がすべての人びとの生活体験の中で確実に起こり得る恐怖であるような世界にあっては、宇宙は一個の巨大な機械でありその運動は規則的で理解するこも予想することも可能であるとする思想は、、目の前に生起する現実の事態を説明するにはあまりにも不適切だった」(p164)からで、神の摂理を信じる必要が無くなるということだ。 疫病が流行後も生き残る者が必ずいる!この不気味な不条理が、無意識に人々から目を背けさせると思われる。 これはイスラム世界においても同様だった様で、神の領域には踏み込まないにしても、伝統的な指導者や権威に不信感として表れ、それがヨーロッパの医学を導入するキッカケを作った。 この辺の議論は、ユヴァル・ノア・ハラリ「」も同じことを述べている。 このウィルスや細菌などの疫病は歴史を動かしたという、事実を前にどう考えるか?下手な宗教観など吹っ飛ばす偶有性と、直接目に見えないだけに現代でもリアルに恐怖をもたらす存在として、この不条理極まりない現実にどう立ち向かうのか?グローバルになった現代でこそ、海外旅行に気軽に行くのもいいが、もっと慎重に考えるべき時期ではないかと私は考える。 追記 コロナウイルスで海外旅行に行くことも出来ない時期に突入した。 パンデミックが起こったことで私の考えに確信が持てた気がする(2020. 上巻においてもそうであったが、マクロ寄生とミクロ寄生を軸に歴史を語る中で人口動態に注目し軍事行動と疾病の拡散そして歴史の展開がリンクされているのは複眼的でわかりやすい。 (邦訳を上下巻に分ける意味もないが) 著者は『戦争の世界史』も執筆している。 そうした中で特に2点に注目したい。 疫病のもたらす不条理が過去の権威(宗教的権威)を無効化し、疫病の克服(これは人為的なものだけでなく生物学的に自然に平衡したことも含むが)後には世界の予測可能性を謳う啓蒙主義的思想が可能になったという。 ところで、カミュの『ペスト』には疫病の最中に神の恩寵の無意味さを語る部分があり、疫病は不条理でありそれに対する対処も神を信じているかいないかによって何ら変わることはないという。 ある時期に疫病等により神による秩序への信頼が崩れ克服後には神の元に戻るのではなく理性への信頼へとシフトしたということだろうか。 もう一点であるが、「小児病」がよく登場する。 集団が疫病に適応するとありふれた小児病となり成人には恐ろしくないものになるケースである。 仮に小児の死者が増加してもすぐに補充され成人の死者の増加よりインパクトが弱いという人口動態的説明もなされる。 この時代は多産多死であったろう。 この場合は高齢者の死者の増加は小児や若者の死者の増加よりもインパクトは弱い... という説明になるであろう。 心地よい話ではないが、人類史的・巨視的に見てこういうことはあり得るし実際に生起しているのかもしれない。 Plagues and Peoples:直訳すれば疫病と民族です。 疫病をミクロ寄生体、民族をマクロ寄生体ととらえるユニークな視点ですが、ヒトをふくむ生物世界の変遷を世界史というのは意訳が過ぎるかもしれません。 しかし、キリスト教の広がる時代のローマ帝国や、仏教の広がる時代のインド、中国でも疫病による人口の激減があったという推定は疫病と宗教について示唆に富んでいます。 今は小児病の麻疹が天然痘と並ぶ疫病であったということ、腺ペストが齧歯類の生息地域と関連していることなど、当たり前かもしれませんがその影響に驚かされました。 人口の爆発的増加を生じている現在が、今後どのように寄生体に影響されるのか、マクロ寄生体なら戦争と支配、ミクロ寄生体なら新型コロナウイルスのような疫病なのかか、あるいは地震・噴火などの天災と温暖化・気候変動による飢饉などの環境変化なのか、興味がつきません。 下巻の主人公はテロリスト、パストゥーレラ・ペスティス。 現代では発見者アレクサンドル・イェルサンの名にちなんでエルシニア・ペスティスの学名で呼ばれる。 コードネームはペスト菌。 彼が口から人体に入った場合、もし胃酸によって殺されさえしなければ、消化器内で急速に増殖し激烈で劇的な症状を表す。 下痢、嘔吐、高熱、そして死。 最初の微かな兆候が感じられてから数時間以内に生起しおえることもまれではない。 徹底的な脱水症のため、数時間以内に患者はいわば以前の彼自身のしなびたカリカチュア(風刺画)ともいうべき存在に化してしまい、毛細血管の破裂によって皮膚の色は黒や青に変じるため「黒死病」と恐れられた。 肉体の崩壊過程が、低速撮影した映画のように誇張され加速されて映し出され、見守るすべての者は、死の醜悪な恐怖と完全な不可避性を肝に銘じたのである。 彼の前には身分も富も名声も、また神に仕える聖職者であろうと無力である。 秘蹟によって神の恩寵を受ける通例の儀式は、たとえ聖別された高僧が生き残っていてそれを執り行った場合でも、高致死率の感染症と突然の死の統計学的きまぐれには、心理的にとても釣り合うものではなく、後代のルターの成功を準備するひとつの要因となった。 教会特有のどうしようもない硬直性とは打って変わって、諸都市の行政当局特にイタリアのそれは、激烈な悪疫の挑戦にかなり素早い対応をみせた。 ペストに対応して様々な手段を取りうる能力を発揮したことは、彼らが常々いかに旺盛な活力を備えていたかを如実に示す。 この活力こそ1350年から1550年の二世紀間にドイツとイタリアで都市国家が一種の黄金時代を迎えた原動力であった。 医療技術と公衆衛生が発達した現代ではコレラは過去の遺物である。 しかしながら寄生する形の生物の侵入に対して人類が脆弱な存在であるという事実は変わらない。 人類の出現以前から存在した感染症は人類と同じだけ生き続けるに違いない。 過去に何があったかだけでなく、未来に何があるかを考えようとするときには常に、感染症の果たす役割を無視することは決してできないのである。

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