文豪 悪口。 文豪たちの悪口本

『文豪たちの悪口本』(彩図社文芸部)の感想(37レビュー)

文豪 悪口

写真 2015年に見つかった太宰治の手紙。 夏目漱石、尾崎紅葉、正岡子規、田山花袋、石川啄木など、明治・大正・昭和に活躍した文豪たちの「皮肉」「嘆き」「怒り」の言葉を集めて紹介した『文豪の悪態』(朝日新聞出版)。 本書の著者で大東文化大学教授の山口謠司氏が、個性にあふれ味わい深い、文豪たちの語彙の一端を紹介する。 * * * 文豪とは、すなわち文学や文章で際立つ力を持った人のことをいう。 すぐに思い浮かべるのは、森鴎外、夏目漱石、永井荷風、川端康成、太宰治などであろう。 しかし、文豪の生活を見ていると、何とも不思議というか、常識では考えられないような「悪態」をついて「目立つ」人たちが少なからずいることに驚かされる。 そして、相手を罵ったり、悪口を言ったりするのにも、やはり、文豪ならではの表現をしているのだ。 いくつかエピソードを紹介しよう。 中原中也は、昭和8(1933)年の晩秋のある寒い夜、坂口安吾、太宰治と酒を飲んだ。 そして、酔いが回ると、太宰に向かって「何だ、おめえは。 青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。 全体、おめえは何の花が好きなんだい?」と絡んだのだ。 「青鯖が空に浮かんだような顔」とは、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」(『山羊の歌』所収「サーカス」)など独特の視覚と音感を持った中也ならではの表現であろう。 しかし、この言葉の裏には、二歳年下の太宰のことを「青臭い」という意味がほのめかされている。 昭和8年と言えば、太宰はまだ同人誌『青い花』に「ロマネスク」を発表したばかりの無名の作家にすぎなかった。 ふたりはこの後、ぐでんぐでんに酔っ払って取っ組み合いの喧嘩をするのだが、太宰は中也に対して「蛞蝓(なめくじ)みたいにてらてらした奴で、とてもつきあえた代物ではない」と言うのである。 この太宰の中也に対する表現も、人を観察することに優れた太宰の文豪としての言葉であろう。 中也は、当時つきあっていた長谷川泰子といると、子どものように甘えん坊で、どこに行くのかも分からない男だった(長谷川泰子『ゆきてかへらぬ 中原中也との愛』)。 人に対する表現で「青鯖が空に浮かんだような顔」「蛞蝓みたいにてらてらした奴」なんてことは、やはり文豪と言われる中也や太宰ならではの表現と言うほかない。 ところで、永井荷風は、菊池寛のことが大嫌いだった。 それは、荷風が菊池寛の先祖にあたる漢詩人・菊池五山のことを雑誌で書いて「菊地五山」と誤字をしたことをあげつらって『文藝春秋』に書いたからだった。 菊池寛は「自分の名前を書き違えられるほど、不愉快なことはない。 自分は、数年来自分の姓が菊池であって菊地でないことを呼号しているが、未に菊地と誤られる。 (中略)だが、文壇中一番国語漢文歴史等の学問のある永井荷風先生が、菊地と書く時代だから、雑誌社の人達などに、菊地と間違えられるのは、あきらめるより外仕方がないのかな」と書くのである。 これに対して、恥を曝された永井荷風は、『断腸亭日乗』に「菊池は性質野卑(やひ)奸(かん)キツ(キツはけものへんに橘の右側)、交を訂(てい)すべき人物にあらず」と記すのだ。 「野卑奸キツ」という成語はない。 「野卑」とは「下品でいやらしいこと」を、「奸キツ」は「いつわること、いつわることが多いこと」をいう。 しかし、「奸キツ」とは、永井荷風のように漢文に素養のある人しか使えない言葉であろう。 「奸」は「姦」とも書かれるが、「ねちねちと仲間と徒党を組んで良くない行為をすること」をいう。 また「キツ(キツはけものへんに橘の右側)」とは「人の道にはずれたように、ややこしく入り組んだ策を弄すること」を意味する。 菊池寛という人物は、あっさりしたおもしろい人物だったように思えるのだが、永井荷風の目には「野卑奸キツ」と映ったのであろう。 孤独を愛する永井荷風と、大勢と一緒にいることを好んだ菊池寛の性格の違いなのかもしれないが、いずれにせよ「野卑奸キツ」なんて言葉で相手を罵るなどということは、文豪・永井荷風にしかできないことだろう。 文豪たちの語彙の深さ、おもしろさ、そして何より悪態をつく彼らの人間くさい一面を、ぜひ楽しんでもらいたい。 (大東文化大学文学部中国文学科教授・山口謠司).

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日本の文豪たちの泥沼エピソードまとめ【不倫・盗作・殺人など】

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歌集『一握の砂』などで知られる 石川啄木は、その繊細な作風からは到底想像できないめちゃくちゃな男で、ひどいエピソードは枚挙に暇がありません。 ・同じ岩手県出身の金田一京助にまるでヒモのようにまとわりつき、同じ下宿に転がり込むもたちまち生活は破綻し、下宿代も滞納。 金田一が自分の大切な蔵書を売り払ったり服を質に入れたりするなど、さんざんカネを工面してやったのにもかかわらず、啄木はいっさい金田一にカネを返さなかった。 それどころか金田一の悪口さえ言っていた。 ・ある日、啄木は勤めの帰りに 「奢るから」と言って森田草平を飲みに連れ出すが、逆に奢ってもらうことに。 さらに、森田が「仕事があるから」と帰りかけると 「今度こそ僕が」と無理を言って次の店に行き、平塚明子(平塚らいてう)との仲をあれこれ詮索した挙げ句に、また奢ってもらう。 ・滞在した釧路で懇意になった小奴という芸者がいた。 釧路を離れるときに他の男から「これで別れてくれ」と金15円を受け取る。 つまり小奴を売り渡すのだが、その際、小奴からも餞別5円を受け取る。 ちなみに、このエピソードは奥さんと娘を函館に残してきた直後の話。 これだけでも充分ひどいのに、別れてから1年以上経ってからこの小奴に電報で借金を申し込む。 ・自分の結婚式のために東京から郷里に帰る途中の啄木は、仙台で途中下車。 国分町の旅館で何泊かしたのだが宿泊代を払えず、母が危篤で郷里に戻る金が... ロード中...

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漫画・アニメ『文豪ストレイドッグス』の名言&名シーン!【文豪ストレイドッグス】

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2016年に入ってからというもの、週刊誌やテレビでは、 「ゲスの極み」なスキャンダルが次々に報道されています。 若手バンドのボーカルと好感度ナンバーワン女性タレントの不倫、超人気アイドルグループの謝罪生放送、元プロ野球選手の薬物騒動などの事件が、日々世間を騒がせています。 このような報道が注目を集めるということは、それだけ多くの人が、スキャンダルに関心があるということなのでしょう。 これらのスキャンダルに共通しているのは、背後にドロドロした複雑な事情があることを読者や視聴者に想像させることです。 どれだけ下世話な好奇心といわれようが、有名人の泥沼エピソードはいつも気になるもの。 そこで今回は、過去に巷を騒がせた文豪たちの泥沼エピソードについて見ていきたいと思います。 小説家と恋愛スキャンダル 「文豪」といえば、どこか権威のある立派な人だというイメージがつきものではないでしょうか。 一方で、日本の有名な小説家の多くが自殺したり、自分の恥部を私小説としてさらけ出してきたりしたのもまた事実。 一番わかりやすいスキャンダルは、なんといっても 異性関係でしょう。 日本における最初の私小説ともいわれる 田山花袋の『蒲団』(1907)は、世間に「女弟子に欲情していました」という中年作家の告白として受け取られ、女弟子の布団の匂いを嗅ぐ場面などが文壇に衝撃を与えました。 暫(しばらく)して立上って襖を明けてみた。 時雄はそれを引出した。 女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。 夜着の襟の天鵞絨(びろうど)の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅かいだ。 この小説は花袋の弟子にあたる岡田美知代と岡田の恋人、永代静雄との間の実際の三角関係をモデルにしており、1910年には岡田が「ある女の手紙」というアンサー小説を返すなど、その生々しさが世間の耳目を集めました。 さらに、夏目漱石の弟子である 森田草平と、 平塚明子(平塚らいてう)の心中未遂事件も、恋愛沙汰として世間を騒がせました。 のちにこの事件は森田自身によって、小説 『煤煙』として書かれることになります。 異性関係は文学にとって重要な題材でもあり、泥沼の恋愛関係を描いた小説は、不倫を扱った辻仁成の『サヨナライツカ』、江國香織の『東京タワー』など現代でも数知れずあります。 谷崎潤一郎の泥沼三角関係 文豪同士の恋愛スキャンダルとして特筆されるのは、 谷崎潤一郎の「細君譲渡事件」として知られているものでしょう。 1930年、谷崎潤一郎の夫人である千代は、谷崎と離婚し、佐藤春夫と結婚します。 谷崎と佐藤の間で、千代を佐藤に譲ることを、三人の連署により公言した挨拶状が新聞報道され、大問題となりました。 この背景には、1921年の 「小田原事件」と呼ばれる、千代夫人をめぐって谷崎潤一郎と佐藤春夫が絶交に至った出来事がありました。 現在では、佐藤春夫による単純な略奪愛だったいうよりも、千代の妹、セイ子と懇意になった谷崎が佐藤に妻を譲る約束をしたものの、後年になってその約束を反古にしようとしたことが「小田原事件」の真相であったということが明らかになっており、さらには千代夫人をとりまく第三の男として和田六郎という青年、のちの推理作家・大坪砂男の存在があったことが瀬戸内寂聴の「つれなかりせばなかなかに」という本の中で明かされるなど、そのドロドロの人間関係にまつわる多くの事実が明るみになっています。 なお、「細君譲渡事件」をもとに、谷崎潤一郎は『神と人間の間』や『蓼喰ふ虫』、佐藤春夫も『秋刀魚の歌』という小説をそれぞれ執筆しています。 小説家は、自分の泥沼エピソードもまた、ネタにしてしまうのですね。 泥沼化?した盗作騒動 近年も、五輪エンブレム問題など騒ぎになっている盗作問題ですが、文豪による盗作騒動も繰り返し起こっています。 ここでは 立松和平の件について紹介したいと思います。 立松和平は連合赤軍をテーマとして、 『光の雨』という小説を1993年から雑誌『すばる』に連載していました。 ところが、これが、坂口弘の著書『あさま山荘1972』の盗作ではないかという騒動に発展。 こうなると当然、泥沼化が予想される展開です。 さて、どうなったかと言いますと、立松はすぐに盗作を認めて謝罪するとともに、『すばる』への連載を打ち切りました。 その後、坂口弘と連合赤軍メンバーの永田洋子に謝罪の手紙を送り、それを『すばる』誌上に載せるなど関係者へのやりとりを済ませると、1998年に『新潮』に全面的に改稿を施した作品を発表、新潮社から単行本化しました。 そのあと、2001年には映画の題材にもなっています。 というわけで、盗作騒動は当初の騒ぎよりもすんなりと決着を迎えることとなりました。 ところが、立松の盗作問題は、一度では終わりませんでした。 2008年、立松は同じく新潮社より『二荒』(ふたら)という小説を出版します。 これがまた、福田和美の小説『日光鱒釣紳士物語』の盗作ではないかということになり結果、小説は絶版になります。 しかしその同年、立松は『二荒』を抜本的に改稿したものを、『日光』という小説として、勉誠出版から出版します。 さて、これらを泥沼化といっていいのか、すっきりした対応であったというべきか。 五輪エンブレムの事件でもわかるように、盗作問題は諸説が挙がって混迷状態に陥りやすいものです。 立松の態度はいたって冷静で、なんとも不思議な静謐さに包まれたスキャンダルでした。 (次ページに続く).

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