和田アキ子 デビュー当時。 和田アキ子の菊の花事件とは?芸能界デビュー当時のイジメがヤバい!|KININARU JORNAL

和田アキ子の菊の花事件とは?芸能界デビュー当時のイジメがヤバい!|KININARU JORNAL

和田アキ子 デビュー当時

芸名:和田アキ子 韓国名:金 福子(김복자)Kim Bokja 帰化前の日本での通称:金海 福子(かねうみ ふくこ) 帰化後の名:和田 現子 結婚後の名:飯塚 現子 生年月日:1950年4月10日 身長:174cm 血液型:O型 出身地: 大阪府大阪市天王寺区舟橋町 学歴: 城星学園高等学校中途退学 芸能活動: 1968年 デビュー 事務所: ホリプロ 和田アキ子さんの父親は韓国の済州島出身のキム ソンギスークさん、母親は朝鮮半島出身の和田 森子さん(金海 森子)さんで、在日コリアンとして日本で生活をしていました。 和田アキ子さんの父親には本妻がいて、更に2号さんもいるそうです。 さらに和田さんのお母さんは3番目の妻だったというのです。 昔の日本も2号さんがいるのが当たり前の時代もあったので、当時も不思議ではなかったのかもしれません。 ある日、 ベルトで殴られてバックルが下唇を貫通したことがあり、それでも父親は「ボケッ、コラッ」と殴り続け、貫通したまま泣きながら病院に行った記憶が今でも消えないそうです。 その時の傷が今でも残っているというのです。 口より先に手が出る父親に、和田さんは「あたたかい家庭」へ憧れを抱くようになったそうです。 和田アキ子は父親を殺したいほど憎んでいた 父親からのしつけという名の暴力に、これが父親からの愛情というものなのか?と分からなかったそうです。 ある日、和田さんは、父親に 「私は本当にお父さんの子供ですか? いつか、あんたが寝ている間に包丁で刺し殺して、私も死んだる!」 と訴えますます父親との溝が深まったそうです。 それに対して父親は、 「 おう、やってみいや、お前、先に殺してやるから…」 この厳しい家庭に我慢ができなくなり和田さんは中学1年の時に家出をして、大阪のミナミの繁華街や友人の家を泊まったりと非行の道へ走ってしまったそうです。 因縁をつけては、手当たり次第にけんかを持ちかけ暴れる日々。 その強さは幸か不幸か父親からの鬼の稽古のおかげで柔道初段の腕前で黒帯だったそうです。 さらにすでに 身長が174cmあったので負け知らず。 道頓堀川に投げ飛ばしては、翌日に死体であがっていないか朝刊をチェックしていたそうです。 家出をして1年後の中学2年生になった時には大阪の繁華街で知らない人はいないほどの「 不良番長」として有名になって「 ミナミのアコ」と呼ばれていたそうです。 父親から離れ不良の道を歩いていた和田アキ子さんですが、高校には進学したそうです。 しかし、 父親が勝手に退学届を出してしまったのです。 そのため、最終学歴は中学ですが、意外なことにカトリック系の女子校だったそうで他校の男子とお付き合いをするなど乙女な一面も持っていたのだとか。 将来の夢も「保母さん」だったのですが、家族全員に反対されてしまったそうです。 望むように生きられない人生に苦しんでいた心を癒していたのが音楽だったというのです。 あわせて読みたい 和田アキ子という芸名になったのは韓国人だとバレないようにするため 当時は「金海 福子」だったため、父親がその名前ではデビューはさせないとし、帰化させ名前を変えさせていました。 「金海」は大阪の在日コリアンの多くが名乗っていた姓だということで、父親が在日韓国人だとバレないようにとの思いだったそうです。 すでに帰化していた兄弟たちが「和田」を名乗っていたため、叔父にあたる和田忠浩(金和淑)と養子縁組をさせ「和田 現子(わだ あきこ)」と名乗らせました。 「現子」が読みづらいということで、芸名はカタカナで「和田アキ子」になったそうです。 そしてついに1968年10月25日ファーストレコード「星空の孤独」で歌手デビューを果たしたのです。 和田アキ子が養子になった叔父がやばかった 叔父の和田忠浩氏は漫画 「難波金融伝・ミナミの帝王」の主人公・萬田銀次郎のモデルになった人物だと言われています。 竹内力さん主演でVシネマにもなっていて、2010年にはアメトークで「ミナミの帝王芸人」も放送されました。 貸した金は地獄まで取り立てに行く主人公萬田銀次郎の迫力と、一方で人情に厚い彼の性格が、多くのファンがいる任侠映画の原作 任侠映画さんより一部引用 漫画や映画さながら、叔父も過激なエピソードでした。

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和田アキ子の菊の花事件とは?芸能界デビュー当時のイジメがヤバい!|KININARU JORNAL

和田アキ子 デビュー当時

和田アキ子 菊の花束事件とは? 和田アキ子さんが売れ始めるとイジメは、公の場でも起こっていました。 一番怖かったのは、レコード大賞を受賞した時に、「菊の花束」を渡されたことです。 1972年、11枚目のシングル「あの鐘を鳴らすのはあなた」が大ヒット。 「第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞」を受賞式で事件が起こりました。 他の歌手たちには「華やかな花束」が手渡される中、和田アキ子さんだけが「菊の花束」だったのです。 レコ大の関係者しか出入りができない状況で、すり替えられたのか?始めから用意されていたのかはわからないそうです。 和田アキ子さんの受賞を認めたくない、面白くないと思っていた誰かの仕業だったと言われています。 この時の事を、2019年8月30日放送の「金スマ」で本人が語っていました。 「背の高い女は売れない」こんな風に言われ続け、「男は出て行け」とイジメられ、耐えに耐えてきた。 ついに売れた!その喜びで、歌っている時は全く「菊の花束」だとは気づかなかった。 受賞が嬉しくて、嬉しくて、母親に「テレビ見てくれたか?」と喜びの電話をした時に、 「なんで、菊の花持って歌ってたの?」 と言われて、慌ててVTRを確認して、はじめて認識した。 自分をイジメた人を、今でも忘れないという和田アキ子さん。 幼少期には、父親からの虐待に耐え、現実から逃げるように芸能界入りをげ決意したそうです。 それなのに、芸能界でもイジメに耐えていたなんて壮絶すぎます。 バラエティにも挑戦をし、今では芸能界の重鎮として君臨していますが、苦労の連続だったのですね。

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梓みちよの和田アキ子イジメが壮絶でヤバい!共演NGで小川知子も!|ViViVi★Life

和田アキ子 デビュー当時

和田アキ子さんといえば芸能界の中でも 「大御所中の大御所」 ですよね。 あなたは和田アキ子さんに対してどんなイメージをお持ちでしょうか? 「毒舌」 「いつも偉そう」 「何か怖そう」 そういイメージが多いですよね(笑) 2020年の「週刊女性」で行われた 「嫌いな女性芸能人ランキング」 では ぶっちぎりの1位らしいです。 やっぱりテレビでのあのキャラが生理的に受け付けない人が多いかもしれませんね。 でも実際のところ和田アキ子さんの性格はどんな感じなのでしょうか? また昔はいじめられっ子だったという噂がありますが本当なのでしょうか? ここではその2点についてお話します。 ポチっとクリックで喜びます! Contents• 和田アキ子はなぜ嫌われる? 『週刊女性』2020年5月12・19日合併号 主婦と生活社)で「嫌いな女性芸能人」の アンケート調査の結果が発表された。 — 横浜の人 愛称エル YokohamaNoHito 芸能界の中でも大御所の和田アキ子さんは 「思ったことはすぐ口に出す性格」 とされています。 そのなんでもズバッと切り捨てる性格から 「偉そう」 といわれてしまうのですね。 世間の和田アキ子さんに対するイメージは・・ 「高圧的で怖い」(29歳・フリーター) 「いつも上から目線。 自分がいちばん偉いと思っていそう」(55歳・パート) 「偉そう。 長く芸能界にいるから裸の王様状態で、注意する人がいない」(60歳・主婦) 「大御所ぶって中身がない」(36歳・無職) 引用元: やはりあまりいい評判は聞きません。 どうしても芸能界の大御所ということで 「偉そうにしやがって」 というイメージが強いようです。 ちょっと信じられないですよね。 「あれだけ何でもズバズバ言う和田アキ子さんが緊張?」 これには和田アキ子さんの歌手としてのエピソードがあります。 和田アキ子さんは歌を歌うときは緊張して心の底から楽しく歌ったことがないとのこと。 それは今でも変わらないそうです。 「音楽の楽も楽しいって書くんですけど、デビューして52年、歌だけはものすごく緊張して、楽しく歌うところまでいっておりません」 「緊張するというのは、それだけ真摯(しんし)(真面目)に向き合っていると言うこと」 引用元: 人はものごとに対して真剣に取り組めば取り組むほど 「絶対に失敗できない」 と思うときほど緊張するものです。 それだけ歌手として命を懸けておられるのだと思います。 和田アキ子さんの場合 「自分が楽しく歌う気持ちより、歌を聞いてくれる人に対して失敗はできない」 という気持ちの方が強いのですね。 自分の楽しみより視聴者への気持ちに寄り添う。 実は視聴者に対してはサービス精神旺盛な人なのではないでしょうか? ただなかなかテレビではそういうところは見せないため 「性格が悪い」 というイメージがあるのでしょう。 テレビで見る和田アキ子のキャラは 実はキャラづくりのための演出で本当は 「人情味にあふれた素直な性格」 なのかもしれませんね。 和田アキ子の昔のエピソードがすごい! 黒執事の剛力彩芽に既視感を覚えると思ったら昔の和田アキ子だった — ゼロ次郎 zerojirou 和田アキ子は昔とんでもない不良だった? 女番長野良猫ロック。 和田アキ子さんと梶芽衣子さん。 この当時 和田アキ子さんは20歳。 この写真は映画での演出とはいえめちゃくちゃ枠にはまっていますね(笑) 和田アキ子さんは1968年に芸能界にデビューされていますが デビューしたての頃はこんな感じでした。 実は和田アキ子さんは映画での演出だけでなく 「リアルでもとんでもない不良」 でした。 和田アキ子さんは身長174cmと大柄な体格で中学1年生の頃すでに柔道初段。 父親は礼儀に厳しく、 「男尊女卑」 の完全な昔の人だったそうです。 このような教育から和田アキ子さんはグレてしまい中学2年のときには不良番長として大阪では恐れられる存在でした。 「ミナミのアコ」 という通り名まであったそうです(笑) しかし 歌を歌うことだけは当時から好きだったようで ジャズ喫茶で歌っていたところを、 当時のホリプロの社長にスカウトされ1968年に歌手デビューされています。 和田アキ子は昔いじめられっ子だったのは本当なの? 今でこそ 「強そうで怖い」 イメージのある和田アキ子さんですが 昔は 「相当ないじめられっ子」 だったそうです。 これもかなり意外ですね。 和田アキ子さんはご存知の通り大柄で男みたいな体格。 そのことで当時の先輩女性歌手にいじめられました。 先輩歌手から「男がいるから着替えられない」と悪口を言われたり、黒い衣装ばかりだった和田に対し「黒イヤだわ。 (衣装)替えて」と難題を突きつけられたりしたという。 当時は白いバスケットシューズを履いていたが、そのくつに黒いマジックで「男の子は出ていけ」と書かれたこともあったという。 引用元: 和田アキ子さんが芸能界にデビューされた1968年当時は 「芸能界は上下関係が全て」 のような時代。 この世界において先輩に立てつくことは死を意味したのです。 普段は喧嘩っ早い和田アキ子さんも 「ここは我慢しなきゃ芸能界で生き残れない」 と思われたのでしょう。 和田アキ子が良くも悪くも成功できたキーワードは「ナメられてためるか!!」 努力したことを自分から アピールしてどうする。 色々と苦労されてきたことが分かりますね。 このように和田アキ子さんは 昔はいろいろありながらも現在は 「良くも悪くも芸能界に多大な影響を持つ人物の一人」 であることは間違いないでしょう。 しかし彼女が 「大阪のただの不良」 から 「芸能界の大御所」 とまで言われるようになった一番の理由は 「ナメられてたまるか!!」 という強い気持ちが彼女を前に押し進めたのだと考えます。 和田アキ子さんは 「人一倍負けん気が強い」 性格でもあります。 中学の英語の授業で単語の意味が全く分からなかった和田アキ子さんは 「レコード店に向かって適当に洋楽のレコードを買い、それを何度も聴いて英語の歌を覚えた」 というエピソードがあります。 芸能界にデビューしたのも いじめられっ子だった自分を奮い立たせたのも 全て 「ナメられてたまるか!」 「絶対に負けたくない!」 という執念があったからこそ。 和田アキ子さんは壮絶な過去を送ってきたからこそ それをバネにして自分を奮い立たせることができ成功されたと思っています。 ポチっとクリックで喜びます!

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